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  狂い花の咎(by天華)






 

  一、



 暑い・・・
 千鶴は、額から流れ落ちる汗を拭うと、青々と生い茂った木々の狭間から見え隠れする太陽を、目を細めて見上げる。
 どんなに冬が厳しく、雪に閉ざされてしまう地であっても、夏は暑かった。
 江戸や京とは違い茹だるような暑さを感じる期間は短く、さらに朝晩は時には寒気を感じるほど冷え込んだとしても、太陽が空にあるかぎり容赦なく大地は照りつけられ、暑さに汗が止めどもなく流れてゆく。
 日中の暑さだけは、北の大地も江戸も京も変わらないようだ。
 それとも、ここの気候になれてしまっているからそう感じるのであって、京や江戸から来れば過ごしやすく感じるのだろうか?
 もう幾年月も足を向けていない、江戸や京の事を思いだし、懐かしさと共に一抹の寂しさを覚える。
 今はとても幸せで何一つ不満に思うことも、不安に思うこともないが、失った多くを思い出せば時がいかほど経ようとも、忘れる事の出来ない寂しさとも切なさとも説明しきれない、暗澹たる思いが生まれる。
 ただ楽しいだけの記憶があったわけではない。
 どちらかと言えば、楽しかった想い出など数えられる程度しかないかもしれない。
 平穏で穏やかな時間などほんの一時しかなかった。いや、それすら実際は常に死と隣り合わせの、気を緩めることなど出来なかった時代。
 まだ、彼らとの距離感が掴めず、自分の立ち位置を見定めることも出来ず、不安に苛まれ夜も眠れなかった事もたくさんあった。
 素直に言えば当初は自分の運の無さを嘆いた事も幾度もある。
 当然だ。
 まだ、十代半ばにようやくさしかかろうとしていたあの頃。いきなり見も知らない男達に拉致され、監禁状態になり、知り合いの誰一人いない地で、孤独に過ごした日々。そんな状況に陥った己の運の無さを嘆かずに居られるほど強くはなかった。
 だが、ただ嘆いているだけでは何一つ変わらない。
 それに、ただ彼らが噂に聞く人達とは違うことは判った。
 怖く無いと言えば嘘になるだろう。
 だが、例え少しずつでも顔を合わし、言葉を交わせば、見知らぬ人達は知人になり、やがて仲間になり・・・掛け替えのない大切な人へとなっていったのだから。
 今、この未来があるのも彼らと出会うことが出来たおかげだ。
 この未来へ続く道ならば、幾度やり直す機会があったとしても、迷わず今へと続く道を選び続ける。
 例えどんなに苦しく切なく、いっそ身を切られた方がいいと思う道であっても。
「千鶴、疲れたのではないか?」
 足を止め空を見上げる千鶴に気がついたのか、少し先を歩いていた斎藤が歩みを止めて振り返る。
 息を乱すことなく汗を一滴も滲ませず、淡々とした表情を見る限り、この暑さを感じているようには見えない。
 元々の基礎体力が違うといっても、寒さだけではなく暑さにもこの人は強いのだろうか?
 それはなんだか理不尽ではないか?
 思わずそうひがみたくなるほど、斎藤は涼しげな様子だった。
「いえ、大丈夫です」
 千鶴は止めていた足を再び動かしてすこし小走りで斎藤の元まで駆け寄る。
「千鶴、ゆっくりでいい。走ると足を取られる」
「大丈夫で  っきゃ」
 生い茂る草に隠れて見えなかった枝に足をとられ、思いっきり前のめりに飛び出してしまうが、咄嗟に足を踏み出して腕を伸ばした斎藤に抱き留められる。
「言った端からなぜ転ぶ」
 はぁと大きな溜息をつきながらも、背に回った腕がきゅっと抱きしめるように強く身体を引き寄せられる。
 鼓動が聞こえて来るほど近くまで引き寄せられると、鼻先に微かに汗の臭いを感じ、ああ、斎藤もやっぱり暑さを感じているんだな・・・と場違いな事を考えてしまう。
「千鶴? 怪我をしたのか?」
 黙ったままでいたせいか、怪我をしたと思わせてしまったのだろうか。
 怪我をしても直ぐ治る体質だと判っていても確認をしてくる斎藤に、千鶴は慌てて大丈夫ですと答える。
 返答に妙な間が空いてしまったせいか、斎藤は疑うような視線を向けてくる。
「やせ我慢はしていないな?」
 嘘をついてないか見定めようとするかのように見つめられる。
 常に真っ直ぐに見る揺るぎないその視線の強さに、千鶴は頬を赤く染めながらこくりと頷き返す。
「一さんが支えてくださったので、怪我はありません」
 実際に何処も痛いところはない。
 足もただ根っこにひっかけただけだったので、捻挫はおろかかすり傷一つない。
 支えられなかったら、直ぐに治るとは言え擦り傷や打撲など怪我を負っただろうが、斎藤に受け止められた為かすり傷一つ負うことなく済んだ。
 千鶴の言葉に斎藤は安堵の溜息を零すが、すぐに表情を厳しいものに変える。
「山道で足下をおろそかにするのは危険だと言ったはずだ。怪我をしても直ぐに治るとは言え、気を付けて歩け。お前は獣道には慣れて居ないのだから。一歩間違えば命に関わる」
 身を少し離してから、師が弟子を叱るように言う斎藤に、千鶴は神妙な顔で頷く。
 山に入る前に確かに注意をされていた。
 これから足を踏みいれる山は、普段千鶴が足を運ぶ山とは違い、急勾配で道らしい道はほとんどなく、危険だから十分に気を付けて足を運ぶようにと。
 実際に山に踏み行って斎藤の言わんとする事は直ぐに判った。
 慎重に足を動かさなければ滑り落ちてしまいかねないようなほど勾配がきつい所が多く、根が縦横無尽に走り、さらにそれを生い茂った下草が隠しているため、どこにどんな状態の根があるかが判らない。
 さらに、足下には腐葉土が蓄積しているため滑りやすい。
 幾ら少し勾配が落ち着き、歩きやすそうに見えたからと言って油断できるような場所ではなかった。
 斎藤の言ったとおり、一歩間違えば勾配を転げ落ち常人ならばそれだけで命に関わるような怪我を負ってしまうだろう。
「すみません。ご迷惑をおかけしてしまって  」
 肩を落として謝る千鶴に、斎藤は軽く溜息をつく。
「謝るようなことではない。ただ、俺は  お前に怪我をして欲しくないだけだ」
 すまない。きつい言い方をした。
 そう続いた言葉に千鶴は、ふるふると首を勢いよく振る。
「いえ、一さんの忠告を失念した私が悪いんです」
 斎藤が謝るような事ではない。彼が言った言葉は全て正しい。
 慌てる千鶴に、斎藤は責めたい訳ではないのだと口を開きかけるが、遠慮がちな空咳が斎藤の口を閉ざす。














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