☆音楽室を舞台にした。学校の怪談系・・・の調査物。
 の、はず・・・・

それは哀しい調べ。
ただ、弾きたかっただけなのに・・・・

そんな哀愁漂う(漂っていて欲しい)話です

  本文・序章より



 連なる音色。
 重なり合い、高く低く音を響かせてゆく。
 早く。遅く。弱く。強く。
 柔らかく。穏やかに。包み込むように。
 唄うように、囁くように、微笑を漏らすように。
 音は変化してゆく。
 記憶の底から蘇る音色。
 過去から未来へ綴られる音階。
 追いかけ、逃げ、追い越し、追い越され、終わることなく音は巡り続ける・・・・・・・・・

 どこかで、聞いたことのある曲だ。
 そう思ったが、いつどこで聞いた曲なのか思い出せない。
 知らず内に耳に馴染んだような、それでいて、久しぶりに耳にするような、懐かしくさえ感じることを不思議に思いつつ、少女は呟く。
「お母さん、すごいきれいな曲ね」
 ピアノを弾いていた母は幸せそうな笑みを浮かべながら、ピアノのように柔らかな声で囁く。
「お母さんの大好きな曲よ」
「なんて曲? あたし聞いたことないよ」
 譜面が置かれて無いため、曲名が判らなかった。
 今までたくさんの曲を聴いているけれど、知らない曲もたくさんある。
 その知らない中の一曲。
「この曲はねタイトルがないのよ」
「タイトルがないの? 何で? 誰が作ったの?」
 大きな目をさらに大きく見開いて、少女は問いかけ続ける。
「お母さんの大好きな人が、お母さんのために作ってくれた曲なの」
「お母さんが大好きな人  ? 誰?」
「もうちょっと大きくなったら話してあげるわ」
 娘の質問を誤魔化すように、さらに笑みを深くして口を閉ざす。
 娘はしつこく食い下がろうと思ったが、しばし迷った後にそれ以上繰り返すことは止める。
「あたしも弾きたい! お母さん教えて」
 ソファーの上で寝そべっていた少女は勢いよく身体を起こすと、アップライトのピアノの脇に近寄って、母親に教えて欲しいと強請る。
 その間も、母親の細く長い指は止まることなく、目まぐるしい速さで鍵盤の上で踊る。
「そうね・・・もう少し大きくなってからね。まだ、貴方の手は小さいし」
「ええ〜けちぃ。教えてよぅ」
 少女は小さな唇を尖らせて不平を漏らすが、母親はクスクスと笑ってばかりで、娘の相手をしようとはしない。
「この曲をお母さんにくれた人のことを話す時に、教えてあげるわ。
 大丈夫よ、そんな先の事じゃないから」
 母親はそれだけを言うと、口を閉ざしてピアノを弾くことに専念する。
 こうなってしまうと、少女が脇でどれほど訴えようとも母親の耳には届かない。少女の声だけではないありとあらゆる音が耳に入らなくなる。
 前の通りを通り過ぎてゆく車の音も、裏の公園で遊ぶ子供達の声も、電話の呼び出し音も、テレビの音も、何も聞こえない。
 ただ、無心になってピアノを弾き続ける。
 ピアノが大好きで、弾き出すと止まらなくなり、夕飯を作り忘れることも時々あったほど、ピアノを弾くのが好きだった母親。
 ピアニストになることを夢見た事もあったが、今は小さなピアノ教室を開いて、日がな一日子供達にピアノを教える日々。
 生徒が来ない日は、一日中弾いていた。
 この、曲名も作曲者も教えてくれなかった曲も、何度も何度も強請って引いて貰った。

 始めて聞いた日から、行く年月が過ぎただろうか。
 あいかわらず、曲名も作曲者も教えてはくれなかった。
 幾度問いかけても、不思議な笑みを浮かべるだけで教えてくれない。
 だけれど、答は知っている。
 誰がこの曲を作ったのかは。
 きっと、あの人が母のために作った曲。
 たった、一度だけ見かけた人。
 三十代半ばから後半ぐらいの男の人だった。
 教室に来る人は生徒の子供達か、付き添いの母親達ぐらいなので、男の人が部屋に居ることに驚いてしまい、窓の外からそっと中を覗き込んだことを今でも覚えている。
 二人は会話をすることなくピアノに向かっていた。
 そして、あの曲を二人で弾いていたのだ。
 音色がまるで、睦み合っているかの如く、幾重にも織り重なり、絡み合ってゆく。
 全身を巡る血が熱を帯びていく。
 まるで恋をしているかのように、鼓動が高鳴る。
 慈しみ愛しみ包み込むかのように、音が溢れ出してくる。
 一人で弾いてきたときよりも、より深みを増した音色に、少女は知らず内にその場に座り込んで聞いていた。
 いつまでも、陽が沈む辺りが暗くなっても。
 音が止むまで、その場に座り込んで目を閉じて聞き入っていた。

 音は連なりを止めても、耳の中で音は生きていた。
 流れゆく月日にかき消されることなく、いつまでも・・・ずっと。
 一人ではけして弾けない曲。
 二人で響かせなければ、真の姿を成さない曲。
 母は来る日も来る日も、片割れを焦がれるようにその曲を弾く。
 初めて聞いた時は、母が笑っているかのように、柔らかな温もりのようにも感じたというのに、今は片割れを恋うるように響いているような気がするのは気のせいだろうか。
 あの人の替わりに弾いてあげようかな・・・・
 そう思うこともあった。
 だが、それはしてはいけないと心のどこかで囁く。
 母と共にこの曲を弾いていいのはあの人だけ。
 自分が共に弾いても喜んでくれるだろうけれど、あんなにすばらしく歌い上げることはない。
 だから、何も言わず今日も耳を傾ける。
 ずっと。
 この曲を弾くのは母だけで、耳を傾けることが出来るのは自分だけ。













                                       ねぇ、いっしょに ひいて・・・・