☆webに掲載している「蝉時雨」と同タイトル&同テーマ(蝉)ですが、話は全く違います。
どのぐらい違うかというと、最後の一行以外すべて書き下ろしましたので(笑)「蝉」をモチーフにしているという以外、本文は全て書き換えています〜。
 
本文 序章より一部抜粋


 少年の呼び声に父は答えない。
 なぜ、己の声に反応してくれないのか判らず、少年は走り出して父親の前に回り込もうとするが、
 何かに足を取られて少年はその場に転んでしまう。
 受け身を取れず、べしゃりと派手に前から転んでしまい、膝や腕に何カ所も擦り傷や切り傷を作る。
 地面は腐葉土のため大きな怪我はないが、草木が小さな凶器となって身体のあっちこっちに小さな傷を作って血を滲ませていた。
 ジンジンと染み渡るような痛みにうめき声が出る。
 涙もじんわりと浮かんできたが、少年は鼻をすすると自分の力で立ち上がろうとし、腕に力を込める。
 その時、掌の下で何かがベシャリ・・・と潰れるような嫌な感覚が伝わってきた。
 何か潰してしまったのだろうか?
 掌の影になっていてはっきりとは判らないが、モゾモゾと半分掌に潰されながらも蠢くものが掌に伝わってくる。
 恐る恐る掌をどけてみれば、腹を潰された蝉が掌の下から姿を現した。
 メスだったのだろうか。その中につまっていたたくさんの小さな粒が、蝉が身じろぐたびにこぼれ出て行く。
 白色の透明の小さな粒・・・それの一つ一つの細い足が無数につき、わしゃわしゃと藻掻くように蠢く。
 あり得ないことだった。
 メスは腹の中に卵を抱えこんではいるが、腹の中で蝉は孵化しない。メスは幹に産卵管を刺し込み、卵を植え付けていく。
 その中でしばらく過ごした卵は孵化の時期になってようやく、卵から孵る・・・
 腹の中に居るときから、子供の姿をしているわけがなかった。
 だが、それは泥を被り黒く汚れようとも、小さな足を動かせていた。
 動きは弱く徐々になくなって行くが、確かにそれは卵とは違う形をしていた。
 少年は身動き一つ取ることができず、凝視する。
 そして、それを今まで大事に大事に腹に詰め込んでいた蝉も、無機質な黒い目でジッと少年を凝視していた。
 長い口吻が何か言いたげに微かに動く。
 空をかくように足先が動くのは、苦痛から逃れるためか、それともバラバラに散らばってしまった、
 大切な宝をかき集めようとしているのか、 少年には判らない。
 だが、徐々に動きを弱くしていく中、黒い二つの目だけはそらされることなく少年を凝視し続けていた。
 ギ・・・ギギギ・・・ギギ  
 鳴くような構造はしていない。
 だが、耳障りな音が聞こえてきたような気がした。
 大切な物を奪っていった少年を恨むかのように、それは何かを言っているかのようだった。
 違う。自分が悪いんじゃない。
 事故だ。
 言葉がのど元まで出てくる。
 だが、それは声にならない。
 少年にとっては事故でも、命を潰されてしまったものから見れば、事故で片づけられるわけがなかった。
 恨みがましい目がどんよりと曇っていく。
 虚ろな眼差しになり、焦点がずれ、やがてそれはピクリとも動かなくなる。
 だが、それでも視線は外れない。
   オトウサン、タスケテ
 転んだ息子の事など気がつかないように先を進む父に救いを求めようとした。
 だが、父はまるで息子の存在など最初から無いかのように、歩いていってしまう。
   オトウサン
 小さな手が救いを求めて伸びる。
 赤黒く汚れた手が・・・・・・・・・・・・・・・・・まっすぐ伸ばされ、足を掴む。