ああ、どうしてこれがこんなところにあるのでしょうか。

 

 それを見つめながら千鶴はがっくりと肩を落として特大のため息をつき、旦那様を見て乾いた笑い声を漏らしてしまいました。

 旦那様が彼にしては珍しく深遠の闇のような双眸を満天の星空のように輝かせたのは・・・致し方ないのかもしれません。



 二人の視線の先には我関せずと言わんばかりに、少し冷たさを含み始めた風を受けてゆらゆらと小さな花が揺らめいておりました。

 ゆらゆらゆらゆら・・・可憐な野花。

 まるで、蕎麦に似た植物のためミゾソバとも呼ばれている野草・・・牛革草(ぎゅうかわそう)。

 リューマチ、止血、鎮痛に効果のあるれっきとした薬草でもあります。

 極寒の地へ移住して、早1年半。

 痩せた土地では作物の実りも期待できず、生活はけして豊かではありません。

 京の鬼姫、お千ちゃんや新選組時代の蓄えもあり生計は何とかなりたっておりますが、千鶴は少しでも生活のたしになればと思い、薬草を摘んでは薬を作っておりました。

 そもそも、ご近所様方はお医師にもかかれないほど生活が困窮しておりますので、そんな彼らの為にも・・・と思えば、せっせとせっせと日夜薬草づくりに励んでおります。

 その材料をこの日、旦那様と共に山へ入り探していたのですが・・・



 まさか、よりにもよって旦那様が居るときに「牛革草」を見つけてしまうとわ!!

 川辺に生えやすい野草だということは判っていたのに!!



 千鶴は恐る恐る、隣に立つ旦那様を見上げます。

 その様はまるで何か恐ろしい物をみるかのような、怯えた表情でした。

 たとえ、旦那様が羅刹の風貌になったとしても怖れることのなかった千鶴とは思えない表情です。



 

「・・・ああ・・・やっぱりぃぃぃぃ」





 まさに、悲壮そのものとしか言いようのない声で呟きます。

 その悲壮感たるもの、旦那様が変若水を煽ったときの比ではありません。

 今にもその場に膝をついてさめざめと泣き崩れんばかりでございます。



「千鶴、安心しろ」



 旦那様は意気揚々と明るい声で・・・いや、弾んだ声でそう言いますが、千鶴には彼の言葉通り安心なんてできようはずがありませんでした。

 ええ、普段ならどんな苦境に陥ろうとも彼の深く落ち着いた声音で囁かれればどんな不安も飛んでいくのですが、女には引けぬ時があるのです。

 いえ、この場合は医者の娘として引けぬのです。



「これで、村の者達はどんな病や怪我からも解放される。

 これだけあれば皆にも十分に行き渡るだけ、たっぷりと薬も作れる」



 それは、心暖かいお言葉でございました。

 事実その通りになるのなら、千鶴も満面の笑顔を浮かべて晴れ晴れと大きく頷いたことでしょう。

 ですが、世の中にそんな都合の良いことがあるわけありません。

 いえ、確かに間違いなく薬草でございます。

 リューマチ、止血、鎮痛に効果のあるれっきとした薬草なのですから。

 ですが・・・ですが・・・



「万能薬である石田散薬さえ作れればまさに医者いらず。これで、薬草の種類の少なさにお前が落ち込む必要もあるまい」



 薬を作る手法を知っていても、薬剤を買えるだけの蓄えも厳しく、作るにも薬草の種類が乏しい厳寒地での生活。

 薬があれば助かった命を助けることができず、ただ見守るしか出来なかった千鶴の苦悩を知っているからこその、旦那様の暖かい言葉なのですが・・・



「今度の土用丑の日にここへ来よう。今日は採取するのには日が悪い。改めて出直す」



 旦那様は足取りも軽く登ってきたばかりの山道を下ってゆきます。



「は、一さん待ってくださっっっっ!!」



 千鶴が慌てて追いかけると、湿った土に足を取られて足がずべっと思いっきり滑ってバランスを崩しますが、とっさに駆け寄った旦那様に腕を引っ張られて抱き寄せられます。



「浮かれる気持ちは判るが、足下には気をつけろ」

「・・・・・・・・・・・・・・・すみません」



 浮かれているのは私ではなく貴方です・・・という言葉は必死に飲み込んだ千鶴は妻の鏡と言えたかもしれません。

 ですが、千鶴は知っておりました。

 とはいえ、「石田散薬では人は救えません」

 などとは、どんなに否定したくても言うことはできない言葉でした。

 めったなことでは表情を変えない旦那様が、晴れ晴れとした笑顔を浮かべて意気揚々としているのに水を差すことは妻としてできません。

 なにより、旦那様がこの「石田散薬」に心酔しているかはいやと言うほど千鶴は知っておりました。

 ですが、医師の娘として・・・この貧しい村の唯一の薬草使いとして、例え旦那様であろうとも応とは言えませんでした。

 千鶴は意を決して口を開きます。



「は、はじめさん! あれは良く似た、別の草です、ただの雑草なんです」

「何を言う。これは確かに多摩川の支流の淺川に生えている牛革草と同じ物だ」

「第一、こんな荒れた土地で薬草なんて有益なものが育つはずありませんから!」

「育たないというなら、今までお前が見つけてきた薬草はどうなる」

「う・・・・た、多摩川のような所で生息している薬草が、極寒の地で育つとは思えません!」

「この俺が見間違えるわけがない」

「私も、医者の娘です。有益な薬草を見間違えたりしません!」

「だが、俺は試衛館にいた頃、幾度も薬草作りを手伝ったことがある。間違いない」



 滅多なことでは・・・いえ、村の誰一人としてこの二人が言い合いをしている所を見た者はいなかったので、山から戻ってきながら言い合いを交わす二人の姿を見た者はぎょっとしたように目を見開いておりましたが、むろんこの二人は夢中になっていたので気がつくことはありませんでした。



「珍しいことでもあるもんだなぁ」

「斎藤さんとこ夫婦が、初めて喧嘩しとるよ」

「なんじゃ、雨でもふるんかいな」

「まだ秋にもなっとらんのに雪でもふらんがええがの」

「もしかしたら、豊作になる前触れかもせんぞ」



 皆が皆好き勝手言いたい放題ですが、むろんそんなやりとりも一切耳にはいることなく、二人は質素で小さいながらも【自分達の家】へ入っていくのでした。





 千鶴はとにかく「石田散薬」を旦那様に諦めて貰わなければなりませんでした。

 頑なに「万能薬」と信じている旦那様ですが、実際はただ単に薬を炭にしただけのものでして、薬どころか毒にも何もなりません。

 まだ、竹炭の方が消臭効果が在る分役に立つというもの。

 千鶴はどう旦那様を説得するか思考を巡らせますが思いつきません。

 そう簡単に説得できるなら、とうの昔に新選組の皆様が説得できていたことでしょう。

 あの、鬼の副長土方さんですら打つ手がなかったのですから・・・

 「石田散薬」が絡むと、どんなに怜悧冷徹冷静沈着と言われる旦那様でも形無しなのでございます。

 ある意味、現実を全てすっとばして心酔できる旦那様があっぱれとしか言いようがありません。



 千鶴は特大のため息をつきながら、水瓶から水を湯飲みに移し渇いた喉を潤すのですが・・・そこではたりと気がついたのです。

 【石田散薬】の処方の仕方を。

 土用の丑の日限定で刈り取ったり牛革草を天日で乾燥させ、目方を十分の一になるまでにします。

 そして、乾燥した牛革草を黒焼きにして鉄鍋に入れて、酒を散布して、再び乾燥させます。最後に、薬研にかけて粉末にすれば完成。

 それを、水ではなく熱燗の日本酒で飲むようにされているのです。



 そう、精製する上でも飲用するためにも「酒」が必要なのですが・・・・そんなお酒がどこにあるというのでしょう。

 かろうじて時折旦那様が晩酌をするための秘蔵のお酒はありますが、どのご家庭にもあるものではありません。

 その日その日口にするのが精一杯というご家庭が多いのでございます。

 お酒なんて夢のまた夢・・・それが斗南での現実でございました。



「一さん。例え、石田散薬を作ったとしても、熱燗で飲まないといけないんですよ? この地の人達に、お酒を用意する事なんて・・・」



 千鶴が意を決して旦那様に肝心要のお酒がないと言うことを言おうとした瞬間。



「ご免下さい?」



 艶やかな声が響き渡ります。



「千姫からの差し入れですわ」



 どんな男をも魅了するかのような笑みと共に現れたのは、君菊さんでございました。

 時折彼女は、千姫の使いと称して、京から遠路はるばる色々な物を持ってきてくれるので、とても助かるのですが・・・・



 でーすーがー



 なんでよりにもよってこんな時に!!!!!



 と、千鶴は大絶叫してくなりました。



「千鶴さん?どうかなさいましたか?」



 肩に樽酒を担いでいるなんて思わせない軽やかな笑顔で問いかけます。



 そう・・・君菊さんはなんと肩に樽酒を担いであらわれたのでございます。



「千鶴。お前の心配は無用になったぞ」



 ますます旦那様の顔には満面のとしか言えないような笑みが浮かびますが、対する千鶴はさめざめと泣き伏せるしかありませんでした。













 土方さんっっっ、どうして「石田散薬」が、ただの炭だってことを斎藤さんにしっかり言ってくれなかったんですか!!!















 今はこの世にもういない、鬼の副長に向かって恨み言の一つや二つや三つや四つ言いたくなっても仕方ないというものでございます。









 牛革草・・・確かに薬草であり、効能もしっかりとあります。

 ですが、そのせっかくの効能も黒焼きにしてしまっては、全て無くなってしまうのです。







「千鶴さん? いかがなされました?」

 君菊さんの問いかけに千鶴はちらりと視線を向けますが、すっと視線をそらしてさめざめと泣きながら・・・

「いえ・・何でもないです。お心遣いいつもありがとうございますと、お千ちゃんにお伝えください」

 

 とても感謝をしているような口ぶりではありませんでしたが、君菊さんは酸いも甘いも全てを知り尽くした太夫でございます。

 それ以上立ち入る事はございませんでした。





「千鶴、泣くほどに嬉しいのか」



 ああ、これほどまばゆい笑顔を見たことが未だかつてあったことだろうか。

 この日何度目かのため息をつく千鶴でしたが、いつもは聡い旦那様も「石田散薬」に目が眩み、まったく判ってくれません。

 何も判っていない旦那様は、いったいいつ「事実」を認識してくれるのか。

 果たしてその日は来るのか来ないのか・・・



 とりあえず、まだ当分自分には説得できそうもない・・・と打ち拉がれる若奥様でございました。









































 後日談 京の都



「千鶴ちゃんの様子はどうだった?」

 お千ちゃんの質問に君菊さんは首を傾げながら答えます。

「斎藤殿はなぜかやたらとご機嫌でしたが」

「あの人がご機嫌?」

 変な事を聞いたと言わんばかりに、お千ちゃんの眉がぐぐっと中心により眉間に皺を刻みます。

「千鶴さんは、さめざめと泣いておりましたわ」

「・・・・・・・・・・・・・・泣いていた?」

「はい。床に伏してさめざめと」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・斉藤一、千鶴ちゃんを泣かすなんて・・・・」





 さすがは鬼の姫。

 変若水の効果など必要ないほどの容貌の変化を見せます。





「斗南へ大至急行くわよ!!」



 たったいま帰ってきたばかりだというのに構うことなく告げる千姫の言葉に、君菊は艶やかな笑みを浮かべて応じるのでございました。 







 ☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆

 小鴨ちゃん(東流さん)とメッセンで話していて浮かんだネタ第一弾でございます(笑)

 石田散薬の話から、元になる草が斗南あって、それを一さんが見つけてしまったらどんな反応をするだろうか!?

 で、閃きましたー(笑)

 一部やりとりは、メッセンで小鴨@千鶴 天華@斎藤なノリのやりとりも交えつつ・・・・(笑)

 楽しい一時を満喫後、勢いにまかせて書いてみました!!(笑)

 オチをどうするべきか浮かばなかったのだけれど、小鴨ちゃんのアイディアを採用させていただきましたv



 とりあえず、予定その1は完遂しましたわv

 東流さんの伊東さんの愛の試練(笑)いや、土方さんの苦行?も楽しみにしておりまーすv

 

 ※石田散薬云々完ぬんはウィキペディアを参照しとります。