蝶の如く



















 シン・・・・と耳にいたいほど空気が静まり返っていた。
 皆が皆寝静まり、起きている者などほとんどいない。
 鬼副長の土方は書面とにらめっこしているかもしれないが、草木も眠ると言われる丑三つ時に起きている者は、新選組とはいえほとんどいない。
 千鶴は音を立てず障子を少しだけ開けて、外の様子を伺う。
 僅かに開いた隙間から、凍てついた空気が流れ込み身体がぶるりと震える。
 躊躇いはほんの一瞬。身体を滑らせる事が出来るほど隙間をさらに開けると、静かに一歩踏み出す。
 良く磨かれた廊下はきしみ一つ立てることなく千鶴の体重を受け止める。
 左右を見渡し誰も出てこないのを確認すると、千鶴は完全に外に身を出し、静かに障子を閉める。
 緊張のために指先が震えるが、音らしい音は立てなかった。
 立てたとしても微かな音は、シンシンと降り続ける雪が吸収してくれるだろう。
 そう、外は雪が降っていた。
 夕方いつになく冷え込んでいるような気がしたが、寝ている間に雪が降り始めていたらしく、西本願寺の境内は白化粧を施されていた。
 ふわり、ふわりと舞う雪は綿のように軽く、風に舞ながら殺伐としつつある京の都を包み込む。
 この調子で降り続けば朝にはかなり雪が積もっているだろう。
 凍てついた空気に千鶴は頬と鼻の頭を赤くすると、両手に抱えた物を大事に抱え直して、そろり・・・と足を踏み出す。
 ヒタヒタヒタ・・・・出来るだけ足音を立てないように歩いても、足音がしてしまうような気がし、心臓が緊張でドキドキと高鳴る。
 ここまで静かだと、心臓の高鳴りさえ聞こえてきてしまいそうだ。
 誰にも見つかりませんように  そう、言いながら草履に足を遠し境内へ降りようとしたとき、


「それ以上一歩でも動いたら斬るぞ」


 冷たい容赦ない声音。
 と、言うよりも呆れきった声音が、一応形だけでも声を掛けておくってばかりに、闇の中から響く。
「・・・・・・・・っっ」
 それでも気配一つ判らず、誰もいないと思いこんでいた千鶴は、闇の中から唐突に聞こえたとしか思えない声に声なき悲鳴を上げて、手に持っていた包みを落とす。
「ったく、土方さんから逃げ出したら容赦なく斬るって言われているだろう。何年経ってもそれはかわらねえんだぞ」
 闇から姿を現した原田は呆れたような表情をしながら千鶴に近づくと、千鶴が落としたばかりの包みを拾い、硬直している千鶴の手にポンっと落とす。
 斬るぞ。と言いながらもその腰に刀は差していなかった。
 腕に落とされた包みをぎゅっと抱きしめながら、千鶴は何をどう説明しようか迷う。
「あ・・・え、っと、その・・・これには、わけが   
 迷ったあげくまともに言葉が出てこない。
 千鶴とて判っている。
 彼らと寝食を共にするようになって数年経ているとはいえ、自分の身に変化が無いことぐらい。
 けして逃げるつもりだった訳じゃないが、自分のこの行動がそういう風に見られても仕方ないことも。それこそ問答無用で斬り捨てられても仕方ない行動を自分は取っていたのだ。
 原田はこのまま戻れば何も視なかった事にしてくれるだろう。だが、千鶴はこのまま部屋に戻るわけにはいかない。
「原田さん、すみません! すぐに戻ってきますから、だから、少しだけ外出させてください!! お願いします!!」
 千鶴は勢いよく頭を下げて原田に頼み込む。
 自分には自由に出歩ける権利が無いことは良くわかっている。こんな事を頼まれても原田とて困ることも。それでもどうしても、今すぐに出かけたかった・・・いや出かけなければならなかった。
「お前、今何刻かわかってんのか?」
 大きなあくびを一つ零しながら原田が問うと、千鶴は小さくコクリと頷き返す。
 鬼は眠らずとも草木は眠る丑三つ時。
 目を覚ましているのは土方と羅刹達ぐらいだ。もしくは、夜に生きる人達ぐらいしか起きてないだろう時刻。夜回りの巡察とて終わり皆寝静まっている。出歩くような時間帯ではない。普通ならば。
 ひたすら頭を下げ続けていると、その上から露骨なため息が一つ漏らされる。


 やっぱりダメか・・・・


 原田の立場を考えると承諾して貰えないのは判るのだが、もしかしたら・・・という淡い期待が無かったとはいえない。その分、やっぱり・・・と思っても気落ちは激しく、シュンと肩を落として俯いていると、カタン・・・と音が聞こえ脇を誰かがすり抜ける。
 驚いて顔を上げるとの手に傘を一つもって、草履を履いた原田が目の前に立っていた。
「何ぼさっとしているんだ、外行くんだろ」
「・・・・・・はい!」
 千鶴は満面の笑顔を浮かべると、原田と連れたって外に出ようと踏み出しかけるが、原田はすぐに動かなかった。
「お前、そのまえにその手に持っているヤツ肩に羽織っておけ」
 濡れないように風呂敷に包んでいるのになぜ、原田は中身に気がついたのだろうか。
 千鶴が不思議そうに原田を見上げていると、原田は手を伸ばして千鶴の頭をくしゃりと撫でる。
「昼間見かけた子猫の所に、それを持っていこうとしているんだろ」
    判っていたんですか?」
「お前の考えそうな事だ。こんな雪の降っている夜更けに、こそこそ出歩こうとするなら逃げ出すか、他ににっちもさっちもいかねえ理由があるかどっちかだ。少なくとも今のお前に逃げ出す気がねえ事は判っている。なら、でかけなきゃならねえ理由となるが、お前にそんな都合が出来ることは綱道さんがまだ見つかっていない以上、まずありえねえ」
 知人友人もおらず、京へ来てからは新選組の屯所の中で生活していたのだ。いくら以前とは違い外出することが増えたとはいえ、常に幹部の誰かしらと共に行動しており、千鶴個人の用事ができようがない。
 全ての可能性はことごとく消えてゆく。
 だが、原田は一つだけ思い当たることがあった。
 昼の巡察に出た帰り、すぐ近くで産まれてまだ間もない子猫をみかけた。母猫もすぐ傍におり、お乳を与えていたから野良犬や鴉に襲われない限り、きっと無事に成長するだろう。
 可愛いなと思ったが、屯所の中で飼えるわけがなく、千鶴はほんの少しだけその愛らしい姿を眺めさせてもらったのだ。
 原田は飼うことが出来れば屯所で一人過ごす時間もずいぶん和むだろうとは思ったが、屯所で飼える承諾を土方から取れるわけもなく、ただ千鶴が立ち上がるまで黙って付き合っていた。
 だから、千鶴がこっそり抜け出ようとした理由にすぐ思い至る。
 夜中に目でも覚まして、雪が降っていることに気がつき、子猫のことが心配にでもなったのだろう。
 これから明け方にかけて気温はさらに下がる。降り積もった雪の中無事に生き延びる事が出来るかが心配でそのまま眠りにつくことが出来なかったに違いない。
 原田の予想を裏付けるように千鶴の風呂敷の中身は、綿の入った厚手の肩掛けだった。
「でも・・・これは、その子猫たちに  原田さん?」
 子猫の上にかけても濡れないように油紙も持ってきた、それでさらに包み込めば濡れることなく寒さをやり過ごせるはずだ。そう思っていたのだが、千鶴の前に原田はいきなり布の固まりを突きつける。
 それは、どうみても原田のさらし以外何ものにもみえなかった。
「使い古したヤツだが、長さも十分にある。細いがまとめておいておけば勝手に潜り込むだろう。猫にはこれで十分じゃねえか?」
 使って使って使い込んださらしは、布が毛羽立布がすれて薄くなっているカ所もあり、そろそろ捨てようと思っていた物を原田は手に持って出てきたのだ。
「これはどうせ捨てちまうもんだ。猫にくれてやっても惜しくはねえが、お前のは愛用していたやつだろう」
 冷えは女子(おなご)の身体に良くないからと、局長の近藤が去年の冬に買ってくれたものだった。
 理由を話せば近藤は判ってくれる。そう思って、手に持ってきたのだが、嬉しそうに顔を綻ばせて原田の差し出してくれたさらしを手に取る。
 最初から、一緒に外に出てくれるつもりだった事が嬉しくて。
 それだけではなく、こうしてさらしまで用意してくれたことが何よりも嬉しくて。
「ありがとうございます。原田さん」
 千鶴はふわりと笑みを浮かべながら礼を口にするが、なぜか原田はため息を一つつく。
「・・・・・たく、女ってこえな」
「・・・・・・・・・・・原田さん?」
 唐突にいったい何を言い出すのだろうか?
「いや、なんでもねぇ。さっさといくぞ」
「はい」
 今ひとつ原田の呟きがなんなのか良くわからなかったが、肩掛けを肩に羽織り、受け取ったさらしを濡れないように油紙と風呂敷に包んで腕の中に抱き込むと外に駆け出す。
 先に外に出て傘を広げた原田の隣に立つと、原田は千鶴が濡れないように傘の角度を気をつけて持ってくれる。




「お前、傘も差さずに外に出る気だったのか?」
「すぐ近くでしたから」
「こんな凍てついた夜に、濡れたら風邪ひくだけじゃねえか。しょうがねえやつだな」
「す、すみません  
「まぁ、そこがお前らしいちゃ、お前らしいけどな」




 たまたま見かけた子猫のために、夜中に屯所をこっそりと抜け出す無謀な事をするところも、自分の身体を顧みずに動こうとするところも、何事も一生懸命になる千鶴らしいことだ。
 見ている側はヒヤヒヤして落ち着かないが・・・・





「やっていることは妙に子供じみているのによ」





 屯所近くの草原の中に母猫と固まってぷるぷる震えている子猫に、そっとさらしの山を築き、布と油紙で雪がしみこまないようにしている千鶴を見下ろしながら原田は呟く。





 やっていることは子供じみているのに、先ほど原田に向けたその微笑は、まるで華が咲き綻ぶかのように・・・・ふわりと、優しく千鶴の顔を彩っていた。
 思わず原田が見惚れてしまうほど。
 化粧気など何一つ無い、まだ幼さの方が勝ると思っていた千鶴を、一気に大人の女へと近づけさせたように見え、幼虫がさなぎになり、さなぎが美しい羽根を持つ蝶へと変化を遂げていく段階を垣間見た気がしたのだった。


 いつの日か、美しく羽根を広げた蝶に成長した千鶴を見てみたいな・・・と思いながら。






初出:2009/09/18
Sincerely yours,Tenca
 
 

 
 


☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
原稿終わって今夜こそ早く寝ようと思っているのに、会社帰り家の前に付いたとたん、こっそり猫のために屯所を抜け出す千鶴なんて図が浮かんでしまったのです!!(笑)
ごらんの通り超短いので、後日に〜なんて言う前にさっさと書かないと、書く気がなくなりそうだったので(笑)
初の原田×千鶴で。らしくないですけれど・・・・
斎藤さんか沖田さんで書こうかなと思ったんですが、真っ先に浮かんだのが原田さんだったので、レッツ・チャレンジですよ♪
かなり眠い頭で書いているので、後日こっそり書き直しているかもしれませんが・・・・もう今これ書いている段階でかなり眠い!!(笑)
今日はまた1時になってしまったけれど、明日の夜は早く寝ようそうしよう。


楽しんでいただけたら幸いですv