誰が為に啼く鐘













「よ〜少年、元気でやっているか・・・・ってなんだか忙しそうだな?」
 所長と看板娘がおらずとも、閑古鳥が我が家のように闊歩しているSPR日本支部はクローズにならず開いていた。二人が渡英している間は、閉めようかという話も出たのだが所長であるナルが、興味深い依頼が入ったら連絡してくれればすぐに戻ると言い残したため、調査員であるリンと安原の判断に任せてオープンしていた。
 おそらく、調査依頼さえあればパーティーを断る口実どころか、引きとめようとするであろう諸々の人物達の思惑を簡単に予想できる事態から、簡単にのがられられるからだろう。
 じっさいに、渡英を余儀なくされてから組まれたスケジュールを見て、ナルは渋面を直そうともせず、連日のようにあるパーティーを出来る限り減らし、さらに滞在期間3ヶ月と組まれたものを、無理やり2ヶ月まで減らせたのだ。このぐらいの譲歩を飲まないというのなら、イギリスには行かないと頑なに言い張り、麻衣とリンの手を大いに煩わせたりもしていた。
 こっそりと、その様子を麻衣はまるで駄々っ子だと、安原に漏らしていたという話を後日、二人を空港まで見送った帰りに聞いたのだ。
 ナルはここぞとばかしに、依頼が来ることを願っただろうが、そう都合よく興味深い依頼が来るわけもなく、二人が渡英してから一ヵ月半非常に暇を弄んでいたはずなのだが・・・・・滝川がひょっこりと顔を出したら、安原もリンもなにやら忙しそうな様子だ。
 普段からメンテナンスを念入りにしているため、調査が始まったからといって慌てたかのようにメンテナンスをしなくてもいいというのに、リンは滝川のほうを見る暇すらないと言わんばかりに、機械とにらめっこをしており、安原も安原で忙しなくキーボードを叩いている。
 まるで、決算期の締め切り間近の経理課のようだ・・・・自分はそんな仕事をしたことがないくせに、妙な例え方をする滝川。
「依頼が入ったんで忙しいんですよ。コーヒーが飲みたかったらセルフサービスでお願いしますね。あ、ついでですから僕とリンさんにもお茶を入れてください。さっきから忙しすぎて、お茶を入れる暇もないんですよ」
 キーボードを忙しなく叩きながら、視線を画面からずらそうともせず言う安原に、滝川はますます首をかしげるが、とりあえず自分の分のアイスコーヒーをグラスにあけ・・・ムスメ作り置きのアイスコーヒは、渡英後一週間でなくなったためこれは後に安原作っておいたものである・・・・リンと安原の分もみようみまねで作る。春夏秋冬問わずアイスコーヒー一色の滝川は、紅茶など淹れたことがない。
 ここで、麻衣がバイトを始めたとき同様、紅茶を淹れるとしたらティーパックのみだ。
 まずいのを覚悟で飲んでもらおう。適当にお茶を入れてポットにお湯をなみなみと注ぐと、色が出たころにカップにあけ、二人の前におく。その際に「まずくても文句は言うなよ」と一言言っておく。
「なんだ、ナル坊が喜びそうな依頼でも来たか?」
 という事は、早ければ2〜3日中には愛娘に会えるのか。と、自分のスケジュールを思い出しながら滝川は聞き返すのだが、それは安原の重々しい溜息と同時に続けられた言葉で否定される。
「違います。明日には我々がイギリスに発って、その後にドイツに行くんですよ」
「は?」
「で、滝川さんのご都合はどうですか? 今ならただで、イギリスとドイツにいけますよ。漏れなくセットで重労働付きですが」
「だから、なんんだつーの」
  何ゆえにいきなりイギリスからドイツへと話が行くのか。今まで日本全国津々浦々の依頼は受けてきたが、海外の依頼を受けた事はない。もちろん、世界的に有名なオリヴァー・ディヴィスがSPRで研究をしている事は周知の事実であり、名実共にある彼に依頼をする人間はそこかしこにいるらしいのだが、それらは全てシャットアウトしていると以前聞いたことがある。
 だから、ナルとリンが日本に来て数年間、日本国以外での調査はない。
 たまに、本国に呼び出され一週間から1ヶ月ほど帰国することがあっても、調査に参加した事はないという。あくまでも事務的な手続きや、その外諸々の細かな用事や、麻衣を伴っての純粋な里帰りだったりするぐらいだった。
 寝耳に水といわんばかりの事態に、ぽかぁんと間抜け面の滝川に対し、安原は構っていられないと言わんばかりに忙しげだ。
「向こうで調査です。とにかく時間がないんで、詳しい事は飛行機の中で話しますよ。で、滝川さんのご予定は?」
 安原の矢継ぎ早の問いかけに、滝川はポリボリと頭をかきながらも、再び自分のスケジュールを反芻する。
 日本での調査ではなくドイツでの調査と来た。
 いったい、どんな依頼内容なのか判らないが、一週間やそこらで戻ってくるとは思えない。
 イギリスまで行くのに13時間前後・・・場合によってはもっと時間はかかる。イギリスについてすぐにドイツに向かうわけではないだろう。ナルたちと落ち合い打ち合わせをし、ドイツへ。
 一言でドイツといっても調査先が、空港のある主要都市とは限らない。下手をすれば片道何時間・・・一日かけての移動もありえる。何とかその日のうちに調査先に着いたとして準備を開始しても、機材の設置やらまでは手が回らないだろう。日本を出てから3日目ぐらいで調査を始めたとして、2〜3日で調査が終わるわけがない。最低でも一週間・・・・場合によっては2週間どころか1ヶ月ぐらいかかる事も念頭に入れておかなければならない・・・・最低でも全行程に3週間ぐらいは見積もっていたほうが無難であるが・・・・3週間も仕事がない人間なんてプーたろうぐらいだ。
 滝川はちょうど今日から1週間は仕事はなかったが来週の頭には入っているし、週末も入ってはいる・・・こっちのほうは副業の拝み屋の方の依頼が入っているのだ。ミュージシャンとしての仕事なら他に回すことも出来るが・・・信用問題に関わるから、それはしたくないのだが・・・拝み屋のほうの仕事はそうもいかない。
 切羽詰ってモノではなかったが、あまりのんびりと対処したが為に取り返しのつかないことになりえるのだ。早期発見早期処置は病気だけではない。ありとあらゆる方面に共通の言葉である。
 そこで、はたりと滝川は顔を上げる。
「俺って、向こうで役に立つのか?」
 日本以外でその手の仕事を受けたことのない滝川は、素朴な疑問を口にする。
 これが、中国といった仏教圏ならまだどうにかなるだろうと思えたが、キリスト教圏のドイツではたして自分の力が役に立つのか、非常に疑問が浮かんでくる。ドイツの主要宗教はプロテスタントやカトリックだ。密教という異教の力が果たしてどこまで通じるのか、というところが問題だ。
「所長は、そのあたりも調べてみたいとおっしゃっていました。
 原さんにも声をかけたんですが、今週は仕事が詰まっているので来週には直接ドイツへ来ていただけるようです。外国の言語のわからない国の霊の言葉をどう理解できるのか、どう聞こえるのかも見てみたいそうですね。
 堪能ではないようですが、多少でも英語を理解できる状態では、英語圏ではデーターとして信用できないと、以前おっしゃっていましたから。
 松崎さんの巫女としての能力にも興味を持っていらっしゃるようです。
 日本のように向こうの木にも精霊は宿っているのか、その力を松崎さんは借りられるのか。それは、どう向こうの霊に影響を与えるのか・・・まぁ、興味を持ったら切がないということなんでしょうかね。ここぞとばかりに皆さんを調べ上げるようですよ。
 もちろん、谷山さんの能力もどう発揮されるのか、夢の中だとその国の言葉なのか日本語として理解できるのか、調べてみたい事はヤマのようにあるみだいですから。
 滝川さんの密教僧としての力も向こうで通用するのか、それとも宗教が違うことで通用しないのかを見てみたいそうです。
 ブラウンさんにも協力を頼みましたら、快く了承してくださったんで、明日成田で合流することになっています。といっても、ブラウンさんの場合は純粋に調査協力であって、皆さんのようにモルモットが目的ではないと思いますけれど」
 モルモット扱いかよ・・・・・解剖するのを虎視眈々と狙われていないだけましか、それとも同義語として扱っていいべきか、思わず悩んでしまった滝川に罪はないだろう。
 しかし、イギリスに行こうとドイツに行こうと、ナルのマッドサイエンティストぶりは健在のようだ。いや、母国に戻ってストレスが溜まった分スラストレーションをする場所を探していたが為に、余計磨きがかかっているというべきだろうか? 自分の婚約者までモルモット扱いをするとは見上げた研究魂である。
 と、思わず思った滝川に、安原がふぅと溜息を一つ。
「ただ、問題は依頼人がどうやら有色人種がたいそうお嫌いな方で有名だそうで、排他主義とか聞いていますから、調査が非常にやりにくそうなんですよねぇ・・・。
 混血も許せないそうで、日系人の所長を目の敵のようにしていたそうなんですが、どういった風の吹き回しか、今回わざわざ、所長の婚約祝いの席に自ら出向いて依頼したそうですよ。
 所長のチームって見事に東洋人でそろっているじゃないですか。どういう風の吹き回しかと騒然としたそうですよ〜なにせ、リンさんが微かに眉をひそめて変ですねって言ったぐらいですから、この事はSPRでも有名だったんでしょうね」
 忙しなく動き回って準備を進めながらも、安原は今回の依頼人について、簡単に説明する。
 SPRのスポンサーの一人でアッシュクラフト伯爵。大の有色人種嫌いでヨーロッパの社交界で有名らしい。SPRと一言でくくっても調査チームは数多に分かれている上に、専門的に調べていることも違ってくる。その伯爵は白人だけのチームにしか出資しないということでも有名らしく、一人でも有色人種がはいているチームには見向きもしなかったらしい。
 それが、手のひらをひっくり返したかのように、ナルに近づき依頼を持ちかけたというのだから、現在SPRでは大騒ぎだという。
「どんな、思惑が働いて所長が引き受けたのか、僕にはわかりませんけれど、なんだかこうスムーズに調査が進まないと思うんですよねぇ。きっと、お城の使用人たちも白人だけで、非協力的なような気がするんですよ」
 おそらくそれは、安原の思い過ごしではなく、十中八九そうだろうと、滝川ですら簡単想像できることだった。日本にいるとあまり肌の色で差別するということではピンと来ないが、アメリカやヨーロッパではいまだに問題になっている。まして、貴族ともなれば、それは直のことだろう。
 彼らはほんの数十年前まで、有色人種・・・特に黒人を奴隷のように使用していた人間たちなのだから、同じ人間として見ていないに違いない。まして、地方にある城主ともなれば、それは過去のことではなく現在進行形で続いている可能性もあるのだから。
「依頼内容はなんなんだ?」
 いつもなら、こういう依頼が入ったが都合はつくか? と予定と同時に依頼内容も詳細にとはいわないが、概要ぐらい言うというのに安原はそのことにさっきから触れない。ただ、イギリス経由でドイツに行って調査をするということしか、滝川には言わないのだ。
「僕も詳しくはわからないんですよ。
 谷山さんから連絡もらったんですが、谷山さん自身が所長でさえはっきりと依頼内容を聞けなかったって言ってましたから。ですから、事前調査が向こうへ言って詳細を聞いてからでなければできないんです。まぁ、こっちで調べられることなどたかが知れてますから。元々イギリスで調べようとは思っているんえすが、英語圏のイギリスなら向こうについてもじっくり調べられますけど、ドイツだと難しいですね」
 秀才安原らしからぬ言葉に、滝川はおや?と首をかしげる。
 彼ならどこでも人種の壁を超えて、充分に越後屋としての力を発揮できるように思うのだが。そもそも、調査を始める前に弱音を聞いたのは初めてかもしれない。
 意外そうな滝川の表情に、思わず安原に苦笑が浮かぶ。
「いくら僕でもオールマイティーに言葉はしゃべれませんよ。
 大学でとっている教科が、英語と北京語なんで。英語は今後SPRでやっていくなら必須じゃないですか。まぁ、会話ぐらいなら充分ですけれど、ビジネス英語だとやはり専門的に勉強したほうがいいですからね。
 中国語は趣味もありますが、意外と調査をしていると昔のことを調べる上で中国系の言葉も必要だなと思ったんで取ったんですが、ドイツ語はほとんど知らないんですよね・・・挨拶ぐらいの言葉なら、飛行機の中で覚えられますが、さすがに現地の人たちとの意思の疎通は難しいですし。なにぶん普段聞きなれない言葉ですから、感だけで意思を交わすのにも限界はありますし。
 イギリスで調べられるだけの事は調べておかないと、まずい状態になりそうですよ・・・日本での調査をターゲットに入れていたから、ぬかったなぁ・・・これからは、ヨーロッパ圏語も勉強しておかないと」
 めずらしく、やり始める前から漏れてしまった弱音は意外だが、当然といえば当然の問題だ。そもそも滝川なんぞ英語すらまともにしゃべれないのだから。
「ちなみに、滝川さんはどうですか? 愚問のような気もしますけれど」
「おもいっきり愚問だな。俺は英語ですら片言以下だ。
 中学生英語がまともにしゃべれるかどうかだな」
 威張っていえることではないが胸を張って言い切る滝川に、安原は白い目を向ける。
「当然ですが、向こうでは日本語通用しませんからね? せめて、バカにされない程度には英語を覚えください」
「いえす・あい・どぅ」
 なんとも先行き不安な発音に、安原は溜息を一つつくと、一時中断してしまった作業を再び忙しなく開始する。邪魔をしている事はわかっていたが、あとどうしても一つ聞きたいことがあり滝川は素朴な疑問を口にする。
「しかし、あのナルが詳しい依頼内容も判らないまま引き受けたわけ?」
 当然といえば当然な疑問。
 ナルはひどくえら好みが激しい。自分の興味が引かない内容ならば閑古鳥が暴れまくろうとも腰を上げようとしない。それなのに、引き受けたというから驚きを隠せない。それも、調査地はドイツだとはいえSPRがらみの依頼をだ。まして、それに麻衣すら参加するというのだから驚きは二倍である。
 こちらではこき使っていても、ナルは正式に麻衣をSPRに登録するつもりはないと言う事は、うすうす皆が気がついている。その理由も憶測だが想像できた。
 麻衣を実験動物のように扱われたくはないからだ。
 誰が惚れた女を好奇の目に曝したいと思うか。
 それは、ナルとて例外ではあるまい。だからこそ、今まで登録してこなかったに違いないと皆が思っている。
 いまだ不安定なところがあるとはいえ自分とジーンの能力を足したような能力を持つ麻衣は、かならず本場の研究員達の興味を引くだろう。それこそ、まさに実験動物のように扱い、麻衣の能力を調査するに違いない。『学術的進歩』という名目で、個人の意思など無視されるのだ。
 幼きころ、一時的なこととはいえ研究の対象にされたことがあるナルには、彼らの行動など充分に判るはずだ。
 表面上判りにくいが、何よりも大切にしている麻衣をそのような状況に追い込むような事はけしてしないだろう。だからこそ、報告書にも協力者という形で名前を伏せてきたというのだ。
 だが、今回はそうも言っていられなくなるに違いない。ただの調査員という形でついてきたとしても、何がきっかけで麻衣の能力があちらに明らかになってしまうか判らないのだから。
「SPRの中でも無視出来ない存在らしいんですよ。
 一方的に城に来て調査をして欲しい。それで、所長が本物かどうかを見極め、無事解決した暁には心霊調査チームにも出資すると言ったらしいんですよね。その言葉で、心霊調査チームの上役達が目の色を変えたらしく、断れなかったとか何とか・・・・まぁ、上部命令ということじゃないですか?名目上は。
 ただ、本当のところを言うとやっぱり谷山さんが少し絡んだようですね。うすうす一部の上層部は谷山さんの能力に気が付いている様子で、彼女に対し一切のアプローチをしない代わりに、この仕事を引き受けろといわれたようだと、谷山さんがどこか困ったような声で漏らしていましたから、所長が引き受けた理由はそこじゃないですかね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ようは、脅迫されたってことか?」
 妙な沈黙の後漏らされた言葉に、安原はにっこりと、
「ご名答ですv」
 と、ハートマークすら浮かべて応えてくれたが、滝川はこんなことがわかっても嬉しくともなんともない。
 思わず仕事の都合をつけるのを止めようか・・・と思ってしまっても仕方ない。
「おや、可愛いお嬢さんがあちらで待っていますよ?」
 にっこりと、告げる安原はまるで『逃しません』といっているかのようだ。
「・・・・・仕事の都合が付き次第、追いかけるってコトにしておいてくれ。連絡先もわかっているんだろ?」
「こちらが、森さんの連絡先です。上が彼女のラボの番号。下が自宅だそうです。どちらかにかけてくれれば、後は手配してくださるとおっしゃってましたから、よろしくお願いしますね」
「あいよ。
 これからちと、打ち合わせしてくらぁ〜。まぁ、御大とムスメが暴走しないよう気をつけてくれ」
「ああ・・・・無理です」
 きっぱりと言い切られ、がっくしと肩を落として出て行く滝川を笑顔で見送ると、安原は再び準備を急いだのだった。






 第一の出発班は安原、リン、ジョン、綾子の四人。真砂子と滝川は仕事の都合が付き次第、ドイツに向かうということで話が付き、安原たちは翌日の最終便で日本を発ったのだった。









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