誰が為に啼く鐘








 麻衣が落ち着きを取り戻すまで時間はかなり要した。言葉を紡ぐことも出来ず、ナルの腕の中で震えながら、涙を流していたのだ。その様はまるで何かに怯え縮こまっているようにも見える。
 いったい、眠っている間に何を麻衣が視たのか、皆が皆聞きたい衝動に駆られたが麻衣が落ち着きを取り戻すまで、誰も問いかけることはしなかった。
 夢と現実の狭間に居る時に下手に声をかけ刺激することは、精神的にいいとは思えない。
 彼女の中できちんと記憶が整理されなければ、麻衣にとって関係のない記憶が麻衣の記憶になりかねない。
 だが、今回見た内容がよほどのものだったのか、ナルの腕の中で身を居竦めカタカタと小刻みに震えながら、小さな子供のように「お母さん・・・お母さん・・・・・・」と繰り返し呟き続けている。
 過去に事故死した母親を思い出させるような内容でも見たのだろうか?
 今の段階でナルには判らないが、綾子に視線を向ける。
「松崎さん、しばらく麻衣を見ていて下さい」
 それだけを言うと、麻衣から離れてしまう。
 ナルがなぜ麻衣から離れ立ち上がったのか判らないが、変わりに綾子は近付いて麻衣を優しく抱き留めると、まるで幼子が母親の温もりを求めるかのようにしがみついてくる。
「麻衣?」
 麻衣の様子に綾子は柳眉をしかめ、ナルへと視線を向けるが、ナルは何も言わず部屋を出て行く。
「あのバカは本当に仕事のことしか頭にないのかしら」
 今の状態の麻衣を放ってどこかに行くなど綾子にはとうてい理解できない。
「渋谷さんのことですさかい、何か考えあってのこととちゃいますか?」
「そりゃーナルが何も考えなく動くとは思ってないけど、この状態の麻衣を放っておくのはどうかとアタシは思うのよ。
 仕事も良いけど少しは、麻衣のことも考えてあげたっていいんじゃないかしら?」
 酷く怯えている麻衣を放ってどこかに行ったと言うことが許せず、綾子は怒りを隠そうともしない。その様子にジョンとリンはナルをフォローする言葉をとっさには見つけられなかったが、次第に麻衣の変化に気が付く。
「ですが、ナルが傍にいても落ち着いた様子はありませんでしたが、松崎さんがそうしていると落ち着くみたいですね」
 リンが麻衣の様子にいち早く気が付き告げる。
「ほんまどすね」
 ジョンの視線も改めて麻衣へ。それに促されるように綾子も自分にしがみついている麻衣を見下ろせば、相変わらずしがみついているものの幾分表情の強ばりがとけ震えも収まってきているようだ。宥めるように背中を軽く叩いて髪を優しく撫でていると、落ち着くのか徐々に穏やかな物へと変わってくる。
 ナルの時は落ち着きを取り戻す様子は全くなかったというのに、綾子だと落ち着き始めているのか、三人は理解できなかったが、今はとにかくナルよりも綾子の方が麻衣にとってはいいのだと言うのは判るが、それでもこの状態の麻衣を放ったらかしにしてナルは何を考えているのか。
 三人が三人共同じ疑問を浮かべた時、閉じていた扉が再び開く。
 そこに反射的に視線を向ければ、トレイを持ったナルが姿を現した。
 ウェッジウッドのポットにカップ。ポットの口からは微かに湯気が立ち上っているのを見ると淹れたばかりのお茶が入っているのは想像できる。
 ナルは何も言わずそれをテーブルの上に置くと、カップに紅茶を七分目まで注ぐと、未だ綾子にしがみついてその胸に顔を埋めている麻衣に視線を合わすようにその場に膝をつく。
「麻衣」
 ゆっくりとだがはっきりと発音して名を呼ぶ。
 名前を呼ばれたことに反応したのか、ぴくりと麻衣の腕が動き顔がゆっくりと上がる。
 何も言わず差し出された紅茶。
 柔らかな香気が漂うそれとナルをしばらくの間見比べると、麻衣はゆっくりと綾子から離れて紅茶を受け取る。
 直ぐには口を付けない。俯いたまま嗚咽を堪えていた。
 ぽたり・・・ぽたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、水滴が頬を流れカップの中に落ちていく。
「泣きたかったら、声を殺さないで泣いていいのよ。我慢する必要なんてどこにもないんだから」
 綾子がそっと肩に腕を回すが、麻衣はそれでも声を出さずに泣いていた。
 どのぐらいの間カップを見つめたまま涙を流していただろうか。
 何も言わずただ自分から口を開くのを待ってくれている皆の、優しさに萎縮していた思考が徐々に元に戻り始める。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お母さん・・・男の子のお母さんが森に埋められたの」
 いったい何を言いたいのかそれだけでは判らない。
 だが、自分を取り戻し始めていることは確かだ。
「麻衣、とにかくそれ飲みなさい。ナルがせっかく淹れてくれたんだから」
 薄情な男と思ったが、こう出られては文句の付けようがない。
 いつだったか・・・そう、あれはまだナルの正体を知らなかった頃。『オリヴァー・デイビス博士』の偽物を暴くために参加した、調査先で麻衣が恐ろしい夢を視た時にも、ナルは何も言わず麻衣に紅茶を差し出していた。
 せめて一言言ってくれれば、文句などでないのだが、その一言が足りない男である。
 ナルも損する性格よね・・・仕事以外に関して口数が少ないため、そう思うことはしばしばだ。
 綾子に促されるままカップに口を付け一口をゆっくりと飲む。少し時間が経ったため飲みやすい温度になっていた紅茶は、一口のつもりが一気に全部を飲み干してしまう。
「ありがとう・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 掠れた声だったがはっきりと礼を口にすると麻衣はナルを見る。
 先ほどまでのようにオドオドしたものではなく、いつもの麻衣と同じように。
「話せるな?」
 確認ではなく断定と言う形での問い。
 麻衣は強ばった表情でこくりと頷くと、一度だけ大きく息を吸って吐き出し口を開く。
「男の子が森の中で木の実を拾っていたの・・・・・・・・・・・・・そこは、入ってはいけないと言われていた場所だったの」




 まだ小さな男の子。
 母親がお城に出かけてしまってから、指折りにその帰りを待っていた。
 いつ帰ってくるのか、父に尋ねても返ってこない答え。
 母がなぜ城に出かけたのか判らない。
 ただ、父は毎日悲壮な表情で城を見つめてはため息をつく。
 なぜ、父がそんな顔をするのかまだ幼い男の子には判らなかったが、判らないなりに男の子は考えた。
 母が大好きだった物を用意すれば返ってきてくれるかもしれない。
 そう思い立ったのは母の姿を見なくなってから幾日目だったか。
 いつだったか、偶然見つけた場所でこっそりと母親の大好きな好みを拾う。
 そこは、絶対に入ってはいけないと言われている領主様の森。入ることもそこの何かを持って返ることも赦されていない。なぜなのかは判らない。ただ、約束を破るとものすごく両親に怒られ、食事を抜かれるから、男の子も言いつけは守っていたのだが、今の時期そこにしか実が成っていないことを知っていたため、約束を破って男の子は森の中に入り込んだのだ。
 誰も入らないからこそ、そこにはたわわに実っている。
 夢中になってそれを拾っていれば、近付いてくる足音・・・・・・・数人の男達が何かを運んでいた。
 それは何か判らなかったが、男の子は後を付いていく。
 そして、その先で見たものは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・














「無惨な姿になった男の子のお母さんだったの」













 獣に食い散らかされたような無惨な死体。
 一瞬それが何か判らなかった。全身血まみれで、顔は恐怖に歪み、少年の記憶にある母親の姿と重なる物は何もなかったから。だが、少年にはそれが自分の最愛の母だと言うことが判った。
 大好きでいつ返ってくるのか楽しみにして待っていた母は、二度と帰ってこないという事実よりも、得体の知れない何かに変わってしまった母にたいして感じた恐怖から、少年は悲鳴を上げていた・・・・・・・・・・
「その後は判らない。
 ただ、男の子と甲高い悲鳴が森中に響いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・後はがむしゃらにその場から走って逃げ出したような気がする。
 そこから先は・・・・・・・・・判らない」
 悲鳴を上げて目を覚ました麻衣はそこで少年とのリンクが切れたのだろう。それ以上思い出せることは何もなかった。
 重々しい口調で語られた内容に、綾子は黙って麻衣の頭を抱え込む。
 今の口ぶりはあくまでも男の子のことを語るように話されていたが、実際に麻衣はその時の少年の立場になって、その光景を見ていたのだ。
 それが、どれほどショッキングな事なのか、麻衣やナルのような能力を持たない綾子には想像さえも出来ない。
 ただ、ナルではなく自分の腕の中で麻衣が落ち着きを鳥もだ押した理由は何となくわかった気がする。
 ハハオヤノの温もりだ。
 むろん、綾子は麻衣の母親ではないし、それほど年が離れているわけでもない。ただ、年上の女に抱きしめられることによって生まれる安堵感が、麻衣に落ち着きを取り戻したのだろうと今なら思える。
 あの時のやりとりで、ナルはそこまで考えが及んだのだろうか?
 考えれば考えるほど判らない男である。




 











☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 これにて、Web上でupする「誰が為に啼く鐘」は終了します。
 ご案内で記載してありますとおり、この話の完結版は同人誌という形にまとめ直して、発行します。
 延び延びになってしまってますが、一応冬に発行予定。さすがにこれ以上伸ばす気はないので、冬にコレ一本で勝負しようと思います。
 その際、話の設定を一から練り直してまっさらな状態から書き直しますので、現状でupしている話とはかなり変わってしまうかもしれませんが、原型はこのWebでupしている話になりますので、続きが気になる方は、同人誌で発行できた時にお手にとって頂けたら幸いです。




 私の体調や、仕事の関係、はたまた個人的な事情諸々により予定よりもup終了まで時間がかかってしまいましたが、ここまでお付き合い下さってありがとうございました。
 100万打ヒット感謝記念はまだまだ、の〜んびりと、おそらく年単位(笑)かけてやっていくと思いますので、気長にお付き合い下さいませ。
 とはいえ200万を迎える前には終わらせるつもりです(笑)
 さて、次の大台を突破できるのは何年先の事やら・・・・




 







ウィンドウを閉じてください