図書館の怪談



-5-






 隊に戻ってまず連れて行かれたのは女子ロッカー室だ。
「とにかくシャワーを浴びてその也をなとかしてこい。身なりも酷いが顔色が酷すぎる」
 話はそれからだ。
 堂上にそう言われ、郁は顔を強ばらせたまま頷き返すと、自分一人しか利用者のいない女子ロッカー室へと入っていく。
 扉が、パタン。と閉ざされると堂上は、背後で待っていた手塚に郁が持っていた図書カードを手渡す。
 手塚も小牧も先に隊に戻っていたため、シャワーを浴びて着替えを済ませていた。
「手塚、悪いがこれの持ち主を受付で調べて貰ってきてくれないか?」
 泥まみれの図書カードはかなり傷んでいる。だが、有効期限を見るとつい最近作られた事が判ったが、持ち主の名前はわからない。
 カード番号で全て管理されているため、カードその者には個人が判明する情報が記載されていないのだ。
「判りましたが・・・」
 このカードはいったい?
 と、不思議そうにカードへ視線を落としながら問う。
 小牧も脇から覗きながら首を傾げた。
「詳しくは判らんが、笠原が握り締めていた」
「笠原さんが?」
 どこかで落ちていたものを拾ったのだろうことは判るが、どうも堂上の説明では要領がつかないのだろう。
 小牧も手塚も怪訝な顔をして堂上へ問うような視線を向ける。
「笠原自身、それを持っている自覚がなかった。詳しくは、笠原が出てきてからじゃなきゃ俺もよくわからん。あのバカは道路のど真ん中でぼんやりつたっっていたんだ。あと少し遅かったらトラックにはねられていたぞ」
「道路のど真ん中で?」
 堂上の言葉に手塚も小牧も思いっきり顔を顰める。
 なぜ、そんな所に突っ立っていたのか、状況がさっぱり判らない。
 堂上も同様だ。
 郁から何も話を聞いていない以上、自分が見たままのことしかまだ説明が出来ない。
「良く判らん事を言っていた。血まみれの女の子がどうのこうのって・・・とにかく、話は笠原がいないとよくわからん」
「そうだね。堂上もシャワー浴びておいでよ。俺達も人の事言えなかったけれど、お前頭から泥水でも被ったみたいな状態だ」
「仕方ない。実際に泥水につっこんだからな。とりあえず一四○○に第一会議室で」
 堂上は二人にそう言い残すとシャワーを浴びに、男子ロッカー室へと消えて行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 シャワーを浴びて身なりを整えた郁が姿を現したのは、堂上より十分ほど遅れてのことだった。
 シャワーを浴びたというのに、未だに血の気の戻っていない顔に三人とも柳眉を潜める。
「笠原、しっかりと温まってきたのか?」
 眉間にこれ以上無いほど皺を刻んだまま問う堂上に、郁はぎこちない動きで頷き返す。
 その動きにもその場にいた全員が違和感を覚える。
 郁の動作は落ち着きがないとよく言われるが、機敏だ。寒さに悴んでいるならともかく、シャワーを浴びて温まっているのならば、身体が硬直している状態から脱しているはずだが、その動きからまだ無駄な力が身体に入っていることが誰の目にみても明らかだった。
 そして、その事に郁自身が驚いていた。
「シャワーは十分あびてきたんですけれど、なんか時間が経てば経つほど身体が変に強ばっちゃって・・・・」
 意識しないと、手が震えるんです。
 そう続けられた郁の手は、端から見てもはっきりと判るほど震えて居た。
 まるで、長時間無理な緊張を強いられた人間が、緊張から解き放たれた直後のような状態だ。
「とにかく、座れ」
 そんな状態の郁に座るよう促す。
 郁は促されるまま席に着くと、見計らったタイミングでココアが出てきた。
「これ飲んで落ち着いて?」
「ありがとうございます」
 震える手で抱えるようにしてカップを持ち、ゆっくりと啜るように飲むと、じんわりと甘さと暖かさが胃の中から広がってゆき、強ばっていた凝りが少しだけほぐされて行くような気がしてくる。
 カップを抱える手の震えが治まるまで、三人は一言も発せず待っていたが、郁がほぅ・・・とため息をつくと、堂上は一度手塚に預けていた図書カードをテーブルの上に置き、第一声は単独行動をとった郁を責める物でもなければ、状況を確認する物でもなかった。
「このカード、どこで拾った?」
 そのカードを見たとたん郁は反射的に顔を強ばらせるが、堂上の質問にははっきりと答える。
「すみません。良く判りません。堂上教官に指摘されるまでそれを握っていることにも気がついていませんでした。でも、拾ったとするなら、あの時水たまりにつっこんた時だと思います」
 それ以外、落ちている物を手に触れるような状況にはなっていない。
「お前、あの時の状況理解しているのか?」
 水たまりにつっこんだ。そう表現した郁に堂上は剣呑な顔をしながら問うが、郁には状況がさっぱり判ってなかったのだろう。
 戸惑いを隠し切れていないその表情に、堂上は胃の奥から何かを吐き出すように深いため息をつくと、まず状況を整理するために、順序立てて郁に問いかけていった。
「食堂から庁舎に戻る途中で、迷子の子を保護したと報告したな?」
「はい。時刻は一二四一だったと思います」
 それは、記録に残っている時間と同じだった。
「子供の泣き声が聞こえた気がしたので、辺りを探したら一般駐車場で三歳ぐらいの女の子を見付けました。保護者の姿が見あたらなかったので、一度女の子を保護してから保護者を探しに行こうと思ったんですが、本部に連絡を入れている間に、女の子はいきなり外に向かって走り出していってしまったんで、慌てて追いかけました。その時、無線が雨のせいで故障したのか通信が不可能だったので、報告無しでの行動になりました」
 この雨の中三歳児を方って一度隊舎まで戻る訳にはいかない。
 郁でなかったとしても、そう判断しただろう。
 その件に関しては咎めるつもりは誰もなかった。
「お前は女の子を追いかけて行ったというんだな?」
「はい。間違い有りません。一度傍によって女の子に話かけて迷子かどうかの確認をとりましたから」
「だが、防犯カメラにはお前しか映っていなかった」
「え?」
 堂上の言葉に郁は意味が良く判らないと言わんばかりの表情で、堂上を見たあと、小牧、手塚を見て再び堂上へと視線を戻す。
「一般駐車場の出入り口に防犯がカメラが設置されていることは知っているな?」
「はい」
 図書館、基地に出入りする門、通用口、庁舎には一般、職員関係無しに防犯カメラが設置されている。
 それは、駐車場とて同じだ。
「お前が飛び出して行った後、俺達は館内に子供が保護されていない事を確認し、後へ追って外に出て行った。その間に、防犯カメラのチェックをしてもらったんだが、駐車場から飛び出して行ったのはお前一人だ」
「・・・・んな、ばかな・・・」
「もう一度聞く。女の子を確認したのは駐車場か?それとも、敷地外でか?」
 防犯カメラに映っていたのは傘もささず、慌てて歩道に飛び出していく郁の姿のみ。
 その様子から見る限り、駐車場内で何かがあってそれを追いかけるように外に飛び出して行ったのが判ったが、郁が何を追いかけて行ったのかは一度も映り混んでなかった。
「駐車場の中です。門に近かったと思いますけど、敷地内の中でした。外だったらこの雨だったので気がつかなかったと思います」
 外に出たときはここまで酷くはなかったが、それでも雨音にかき消されて子供の泣き声など耳に届かなかったはずだ。なにより敷地の外にまで意識は常時向けてはいないため、よほどの事が無い限り無意識のうちに除外していたはずだ。
「この雨の中小さな子供が一人でいるのは変だと思ったんで、声を掛けました」
 母親とはぐれたかどうか確認したあと、図書館でお母さんを捜してあげるよと声をかけたのだが、女の子は図書館に行こうとはせずに、図書館と逆の方を指さした。
 それは、敷地の外を指しており外で母親とはぐれて、図書館に紛れ込んで来たのだとその時思った。
「小さな女の子があの雨の中歩ける距離なんてそう無いと思ったので、直ぐ近くに母親が探しているんじゃないかと思って、警備室で預かって貰ってその間に母親を捜しに行こうと思ったんですが、女の子は外に飛び出して行ってしまったので慌てておいかけました。直ぐに追いつけると思ったんですが、雨の勢いでロストしてしまって・・・・」
 どのぐらい探していたのか判らない。
 方向は間違いなかったはずだったから、直ぐに見つかると思った。
 だが、女の子はどこかに隠れてしまったのか見つける事が出来ず、どうすればいいのか途方に暮れ始めた頃、ようやく反対側の歩道に居るのを見付けた。
 慌ててそちら側に渡ろうと走り出したのだが、なぜか逃げる。
 それでもそんなに距離は離れていないのだから、直ぐに追いつけるはずだった。
 なのに、追いつけない。
「まるで、ルームランナーの上を走らされているような奇妙な感じでした」
 手塚はんなばかな話があるか。と言わんばかりだったが、堂上が片手で制していたため、手塚は言いたい言葉をぐっと堪えて、郁の報告を黙って聞く。
「やっと追いついたと思ったとき、始めて女の子の顔を見たんです。そうしたら・・・・・・」
 その輪郭がどうだったかはっきりと覚えていない。
 顔つきもだ。
 ただ、赤かった。
 雨が降っているというのに赤く染まっていた。
 そして、吐き気が込み上げるような臭い・・・あの時はただ生臭いとしか思えなかったが、今なら判る。
 あれは血の臭いだ。
 それもちょっとやそっとの量ではない。
 生死に関わるほどの量の臭い・・・
 なぜ、そんな状態の女の子が目の前に居たのか。
 もうそんなことを考える余裕はなかった。
 ただ、反射的に身体が竦み、足が後退した。
 そして、数歩後ずさった時、強烈な光が目を射抜き、背後から何かに抱えられて、水たまりに突っ込んだ。
「あたしが把握しているのはそれで以上です」
 その後、何がどうなっているのか正直にいえばさっぱり判らない。
 堂上にいきなり自殺するつもりかとなぜ怒鳴られたのかも。
 なぜ、自分が図書カードを持っていたのかも。
 先までいた女の子がなぜ血まみれだったのかも。
 郁が一通り説明を終えると、黙って聞いていた堂上が口を開く。
「お前はぼんやりと道路のど真ん中につったっていた。トラックが来ることにも気がつかずにな」
 ったく、肝が冷えたぞ。
 と、続けられても郁にはそんな自覚は全くない。
「す、すみません。ご迷惑を掛けました」
 ただ、堂上が居なかったら自分はトラックに撥ねられていたという事だけは間違い無いようだ。
 確かにあの時、直ぐ傍をトラックが通り抜けて行ったのを見た。
 堂上の腕に抱えられながら。
 それを思い出すと今でもぞっとする。
「それでだな・・・・お前が拾ったこの図書カードの持ち主なんだが・・・」
 堂上は言いにくそうにやや言葉尻を濁すが、ため息を一度ついた後で、事故で亡くなっている。と端的に伝えた。
「え?」
 思いにもよらない・・・もしかしてとは思ったが・・・言葉に、郁は瞬く。
 その報告を受けたとき、堂上や手塚、小牧も、その事に驚きを隠せなかった。
「柴崎に調べて貰った。このカードの持ち主は四歳の女の子だ。つい先日図書館に来る途中で事故にあって亡くなったようだ。事故現場は・・・」
「ま、まさか・・・・」
 郁の顔から目に見えて血の気が引いていく。
 この手の話が苦手なのは、判っていたから堂上は躊躇ったが、郁の口に出来なかった言葉を引き継ぐように口にした。
「そのまさかだ。あの場所で道路を横断しようと飛び出したところで事故にあったらしい。その時、手に持っていたはずのカードが紛失したと、問い合わせたら母親が教えてくれた」
 保持者が判明した後、柴崎の方からカードの届け出があったことを伝えて貰ったところ、母親からそう伝えられた。
「カードを作って始めて本を借りに行く途中だったらしい。自分のカードにかなりはしゃいでいて、母親の手を振り払って道路に飛び出してしまったようだ」
 ほんの一瞬の出来事だった。
 小さな身体は宙に舞い上がり、地面に叩き付けられた。
 直ぐに病院に運ばれたが、打ち所が悪く病院に運ばれる途中で息を引き取ったのだが、息を引き取る直前まで指先が何かを探し求めるかのように動いていたから、母親はカードを探しているのだろうと思って、せめて墓前にカードを・・・と思い、事故現場で何度もカードを探したのだが見つからなかった。
「・・・・この、カード探して欲しかったんですね」
 郁は青白い顔をしたまま、テーブルの上に置かれたカードをそっと手に取る。
 一ヶ月の間に雨風にさらされ、すっかりとボロボロになってしまったカードをよく見ると、少しだけ赤く染まっている箇所がある。
「教官、このカード届けに行ってもいいですか?」
 郁の問いに、堂上は何も言わず一枚のメモを差し出す。
 そこには、基地から徒歩十五分ほどのエリアの住所が記載されていた。
 まるで、郁がそう言い出すことを判っていたかのような対応に驚いて顔を上げると、堂上は苦笑を浮かべながら口を開く。
「その子の家の住所だ。行くときは声かけろ、お前一人では行かせられないからな」
 堂上は立ち上がると、郁の頭に手を伸ばし軽く叩くように撫でると「顔を洗ったら業務開始だ」そう言い残して出ていく。
 その後を、小牧、手塚が続き、郁は一人会議室に残る形になった。
 そっと、カードに手を伸ばすと、郁はしばらくカードをじっと凝視する。
 不思議と、先ほどまでほどけなかった強張りも震えもなくなり、表現出来ないような恐怖も綺麗になくなっていた。
 色々と疑問は残る
 だが、あの時何があったかとか、なぜとかそんな事は既にどうでも良かった。
 ただ、初めての図書カードを探して迷っている女の子の事を思うと胸が痛く、込み上げて来るものを押さえ切れない。
 カードを手にもったまま、唇を噛みしめて込み上げて来るものを堪えると、それを胸ポケットに忍ばせ、乱雑に手の甲で目尻を拭うと勢いよく立ち上がる。
 
 
 
 
 
 
 雲一つない晴れた日に、好きだった絵本を携えて、カードを女の子に返しに行ったのは、嵐が通り過ぎた翌日のことだった。
   
 
 
 
 
   
 
 
 
 
   
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 



    - 後日談 -


「よぉ、笠原。お前、幽霊拾ったんだって?」
「あ、俺、霊投げ飛ばしたって聞いたぞ」
「って、霊なげとばせんのか? さすが熊殺し」
「いや、違うだろう?幽霊にナンパされたんだよな?」
「いくら、もてないからって幽霊にふらふらくっついていくなよー」
「イイオトコだったとしても、生身の男にしておけ。イイ思いできないぞ」
 
 
 
「んなわけあるかぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 
 口々に言われる言葉に、郁が吠えたのは言うまでもあるまい。








☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
途中で挫折しなくて良かった。と思いつつ、ありがちな展開ですが、これにて終了でっす。
コメディーチックな話にしようと思ったのですが、気がついたら普通にシリアス(笑)
図書館の怪談・・・的な話にはならなかったので、微妙にタイトル失敗した。と思ってももう後の祭り(笑)
いや、今からでも返れば良いのかもしれないけれど。
他になにか浮かばないので、このままで行こうと思いまする。
GHではないので、あっさりと終了。
最後、手塚が居たいみあるのか?とも思いつつ・・・この流れでいくんだったら、手塚と小牧は他の隊と合流して業務やっていても良かったよなぁ。と思ったのは、半ばを過ぎた頃でした。
さすがに修正が大変なので、発言らしい発言はないままで勧めてしまった(笑)
どっかで、堂上の雷(拳骨)落とそうかと思ったのだけれど、落ちる展開にならずに残念!
まぁ、食堂で落ちているからいいか。
こんな感じの話となりましたが、楽しんで頂けたら幸いでございますv
 
 
 次は、一話読みきりの話を十月になったら更新予定です。
 それまでに、また少しストックを溜めなきゃ(笑)
 溜まるかな?ネタが既に枯渇しているような気もする・・・・
 
 
 
 
 
 
                    2012/09/18
               Sincerely yours,Tenca