誓い
 
 
-後編-




 その日半日、どう過ごしたかと言われればいつも通りに過ごせただろう。
 電話を終え、事務室に戻ると九州特殊部隊の隊長は何か不測の事態が関東で生じたのかと問いかけるような視線を向けてきたが、堂上はただ会議を抜け出した事だけを詫び、何も無かったかのように席に着く。
 周囲の視線も何か東京で問題があったのではないか、と心配するような声を会議終了後向けてきたが、それにも堂上は内々の事なので・・・と言って詳細を話すことはしなかった。
 特殊部隊は極秘裏の任務にも携わる事がある。
 それは、同じ特殊部隊であれば言わずとも判ることだ。
 九州特殊部隊の隊員達は詳しく聞くこともなく、予定を切り上げて最終便で帰ることになった堂上に、十日間世話になったねぎらいの言葉と共に見送ってくれた。
 だが、十日間共に過ごした彼らの言葉は堂上の上を上滑りしていく。
 むろん、そのような状況は傍目には判らなかっただろう。
 その心が既に遠く東京へ飛んでいたことには・・・・・
  
 
 
 
 
 
 博多と羽田を結ぶ飛行機は予定通り21時半に発ち、2時間後には東京の地に着いていた。
 たかが2時間。新幹線を利用することに比べたら遙かに早いが、その時間がどれほどじれったく感じられたか。
 関東特殊部隊の隊員である立場から一歩でも離れれば、今まで殺していた強い衝動が押さえ切れないほどの勢いで沸き起こる。
 小牧からの連絡により郁の容態は問題無い事は判っていたが、それでも、一分でも一秒でも早く駆け付けて、無事な姿を一目見たいという思いをコントロールできない。
 勤務中は恐ろしい程簡単に、コントロールできた感情が、あっという間に箍を外して暴れる。
 
 郁ならば、仕事を放り投げて駆け付けることを望まない。
 
 そう言ったのは間違い無く自分だ。
 だが、本当にそうだろうか?
 人間誰しも体調を少し崩すだけで、一人で居ることに不安を感じるものだ。
 健康の時には何も思わなくても、誰かに甘えたいと無意識に思って当たり前だ。それが、怪我となればどうだろうか。
 例え、軽傷であっても頭部や事故などにより、生命に危険を感じる状況に陥れば、否応なく不安になるものではないだろうか。
 そんな時に傍に駆け付けない恋人に対して、立て前はともかく本心はどう思うのだろうか・・・・
 自分の選んだ選択が絶対に正しいとは思ってはいない。
 ただ、郁がこう望んで居るだろう・・・という自己満足に過ぎないのではないか。
 そう思うと不安が生じる。
 本当にこれで良かったのか。
 これで間違い無いと思ったことが、逆に郁を傷つけていないだろうか。
 変わり映えのない景色を見ながら、ふと笑みが浮かんで来る。
 不思議だ。
 仕事モードの時はまったく欠片も不安に思うことなく、自分が選んだ道が正しいと・・・郁ならばこう思うはずだとはっきりと思えたことだというのに、職場から離れたただの「堂上篤」になったとたん、自分の選んだ事が本当に正しいのか不安に思うのは。
 絶対の自信など無い。
 所詮張りぼてだ。
 いつも、郁の事に関しては本当にそれで正しいのか迷ういが生じる・・・・
 それでも、郁が自分を見損なわないように、正しい道を・・・彼女が何時までも誇れるような男で居たいと思うのは、正真正銘ただの意地で見栄にしかすぎないのだろう・・・
 どれだけ自分は小さな人間なんだ。そう思いながらも、見栄を張り続ければ、例え張りぼてであろうとも彼女が誇れるような男であれるのだろう。
 堂上は不安に押しつぶされそうになる心を、拳を握り締めることによって押しつぶし、到着ロビーから直ぐにタクシーに乗り込む。
 
 
  
 
 堂上が病院へたどり着いたのはすでに1時を回った深夜の事だ。
 緊急搬送口から中へ入れてもらうと、常夜灯だけがつく病院内を足早に移動する。
 病院という場所上走るのはご法度だが、気が急いて一般人から見れば走っているのとほぼ変わらないような速度で足を進め、予め聞いていた階へと駆け上がる。
 病院前までは羽田からタクシーで駆けつけたため、自分の足で移動した距離はたいしたものではないというのに、病室の前に着いたときは軽く息が上がっていたのは、焦燥故か。
 呼吸を落ち着かせる間もなく、病室に向かって歩いていくと、病室前に設置されているベンチに座っていた人間が、足音に気がつき顔を上げた。
 そこに硬い表情で座っていたのは、もう一人の部下の手塚だった。
 手塚は堂上に気がついて立ち上がると、腰を90度に曲げて頭を下げ、廊下に響かないように声を抑えて開口一番堂上に謝罪した。
「申し訳ありません。俺がついていながら・・・・・」
 顔を強ばらせたまま頭を下げる手塚の肩を、堂上は軽く叩いて宥める。
「お前が謝るような事はなにもない。気にするな」
 手塚の気持ちも堂上はわからないわけではなかったが、堂上が言った通り手塚には謝らなければならない非は何一つ無い。
 まだ、本人から状況の報告を受けた訳ではないが、小牧からの連絡により状況は全てと言って良いほど把握している。
 頭部裂傷を負ったが、大きな怪我ではなく、命に危険が生じるような怪我でもなければ、後遺症が残るような怪我でも無かったと言うことも、すでに報告を受けていた。
 当然、どのような状況で怪我に至ったかも報告を受けている。
 それは、恋人や婚約者としての立場としてではなく、上官として受けたものだったが。
 その結果、郁が怪我を負ったのは、ほんの一瞬状況を見渡すまでの差が、今回の差につながったのだから。
 あえて言うならば、後先考えずに動いた郁の自業自得による怪我だ。
 手塚には一切非はない。
 手塚とてそれは判ってはいるはずだ。
 それでも、目の前で同僚が血を流して倒れる所を見て、平静では居られなかったのだろう。
 自分が上手く動けばこの状況は避けられたのではないだろうか・・・まじめ故にそう考えて居るのだろう。
「悪いが詳細を教えてくれるか? 小牧から報告はもらっているが改めて聞きたい」
 簡単に手塚から改めて状況の報告を受けると、郁には自分がついているから手塚はもう上がってかまわないと告げると、手塚は病室内には柴崎がいる事を堂上に伝えるが、まるでタイミングを見計らったかのように柴崎が病室から姿を現した。
「ずいぶんお早いお戻りで」
 隠しようもないほどたっぷりといやみを含めた言葉に、手塚は柴崎の肩をつかんで止めようとするが、それを制したのは堂上だった。
「この時間まで悪かったな」
 ただ、堂上が言った言葉はそれだけだった。
 そして、それは言外にもう帰っていいと言っているようなものだ。
 柴崎は睨み付けるように堂上を見上げる。
 堂上は感情を伺わせない表情でその柴崎の視線を受け止めた。
 交差した時間はほんのわずか・・・その間に挟まれた手塚はどうすればいいのか迷うように二人を交互に見ていたが、最初に視線をそらせたのは柴崎のほうだった。
「笠原は眠ってます。心配だと思いますが起こさないでくださいよ?」
 柴崎からあえて刺された釘に、堂上はようやく苦笑を浮かべた。
「いくら何でも怪我人を起こしたりはしないさ」
「なら、いいですけれど。明日には退院出来ますので、あの子連れて帰ってきてくださいね」
「判った」
 じゃぁ、これで。と言い残して柴崎は頭を軽く下げるとさっさと歩いて行く。
 その後ろ姿に、手塚は戸惑いながらも堂上に頭を下げると、柴崎の後を追うようにその場を後にした。
 一人残された堂上は、開閉音が響かないようにドアを開けると、郁が万が一にも目を覚まさないように気配を殺して、僅かに開けた隙間から身を滑り込ませる。
 六畳ほどの部屋の真ん中に設置されたベッドで眠る郁の額には包帯が巻かれ、右頬には大きなガーゼが貼り付けられている。
 布団に隠れて見えないが右肩もテーピングされていることだろう。
 それ以外にも、全身数カ所の打ち身。
 しばらく身動きがままならないのは確実だった。
 堂上は郁の傍らまで近づくと、頬に懸かっていた髪に触れ耳に駆ける・・・その仕草が引き金になってしまったのか、郁の瞼が微かに震えゆっくりと開く。
「しば・・・さき?」
 先ほどまで傍についていた柴崎の名を郁は口にするが、ぼんやりとした視線が目の前にいる人間に焦点を結ぶと瞬く。
「あれ・・・?きょーかん・・・どうして、ここに? え? あたし何時間寝・・・・っつぅ」
 堂上が九州から戻ってくるのは翌日。
 そう思っていた郁は堂上の姿を見るなり、自分の体内時計が咄嗟に判らなくなる。いるということはすでに、事故から丸一日たったのだろうと勘違いしたのだろう。
 反射的に飛び起きようとするが、身体に走った痛みに呻く。
「アホか! んな、満身創痍の状態で飛び起きるやつがいるか!」
 声が響かないように押さえながらも、堂上は郁の暴挙としか言い様がない行動をしかりつける。
「だ、だって教官・・・明日のはずなのにいるから・・・」
 小牧からすでに話を聞いているのだろう。
 郁はなんでいるんですか・・・と言外に呟く。
 それはそれで、堂上としては面白くはないが、戻りは予定通りと聞いていた人間がいれば驚くのは仕方ない。
 それは判っているが、だが素直に感情を表せば、喜んだっていいんじゃないか?と我が儘といえば我が儘な事を思う。
 だが、同時に仕事を優先していないことに詰ろうとする郁のリアクションに安堵したのも事実だった。
 堂上は苦笑を浮かべて、傷に障らないようにそっとその頭に手を伸ばし優しく撫でる。
「安心しろ。放り出してはいない。乗る予定だった飛行機を朝一から最終に変えただけだ。向こうでの仕事は問題無く終わらせてきた。だから、お前が心配するようなことにはなっていない」
 郁が懸念した事を最初に堂上は言い切る。
 うっかり、心配する必要は無い。という一言で済ませたら絶対に郁はとんでもない方向に考えを持って行く。
 だから、ここは間違ってもそう思われないようにしっかりと釘を刺す。
「ほ、本当に仕事は終わったんですか・・・・?でも予定では明日だったはずですよね?」
 それでも不安そうに問いかけて来る郁の頭を、堂上は優しく撫でる。
「心配するな。向こうの隊長が話を聞いて、最終便に変更してくれたんだ。心配だったら明日にでも向こうの隊に問い合わせろ。自分の上官が仕事を放り出してなかったかどうか」
「いや・・・それはさすがにちょっと・・・・」
 だが、堂上がそう言いきると言うことは問題無く仕事は終わっているのだろう。
 ようやく郁が安堵のため息を漏らすと、あほぅ。という言葉が上から漏れる。
「心配するのはお前じゃなくて俺のほうだろうが。お前は俺の心臓を止める気か?」
 結果的には数日大人しくしていれば問題無いという程度で済んだが、状況を聞いた時は肝が冷えるでは済まなかった。
「すみません・・・ちょっと、状況確認怠りました」
 自分がどれだけ心配を掛けたかは、病院に担ぎ込まれた後の仲間達の反応で痛いほど判っていたから、郁は素直に謝る。
「でも、状況確認していたら間に合わなかったので・・・・」
 飛んだ時には理解していなかったが、子供を抱えこんだ次の瞬間、自分の着地地点を見てマズイと思った。
 だが、もうその時点ではどうしようもなく、郁は抱えこんだ小学生が小柄な子で良かったと思いながら、自分の受け身よりも子供に怪我を負わせないように深く抱え混んで、庇うことのみに意識を集中し、その結果受け身をとれずまともに衝撃を受ける羽目になったのだった。
「判っている。お前の咄嗟の行動が人一人の命を救った。その点に関しては褒めても叱ることはない」
 手塚との哨戒中、一台の暴走車・・・軽トラックが歩道に乗り上げて来たのが全ての原因だ。
 時間的に歩行者の数は少なく大惨事になることは免れた。
 歩道に乗り上げた軽トラックの運転手は心臓麻痺を起こして意識を消失していたため、アクセルを踏みっぱなしで看板やゴミ箱をはね飛ばして進んできた。まばらにいた歩行者達は、慌てて被害が及ばないところに逃げていたが、通路から飛び出してきた小学生がいきなりの事に対応出来ず、その場に立ちつくしてしまった。
 小学生であっても逃げられる余裕はあった距離だったが、いきなりの事態に身体が硬直し逃げるという咄嗟の動きが出来ないで居ることに気がついた郁が、ギリギリのタイミングで飛び出し、小学生を抱えて難を逃れた。
 その後、軽トラックは店に突っ込んだ所でようやく止まったが、小学生を抱えたまま郁はぴくりとも動かなかった。
 軽トラックにはかすることなく済んだのだが、飛び込んだ場所が悪かった。
 工事道具が置かれて居る場に頭からつっこむ形になったため受け身が全く取れず、それどころか、倒れてきた工事道具などにより頭部裂傷、右頬擦過傷、右肩脱臼、打撲数カ所という結果になった。
 だが、その場では医者でもない限りそんな事は判らない。
 頭の傷は小さくても出血が多くなる。頭部・・・というよりこめかみに裂傷を負った郁の顔は文字通り血まみれとなり、頬の擦過傷も相乗効果を発揮し、一目では軽傷には見えない有様になって居た。さらに、肩は脱臼し変な長さに伸びた腕は妙な方向に曲がり、口内を歯で切っていたため、唇の端から滲み出ていた血が、周囲の想像を最悪な方へ振り子を振らせた。
 手塚ですら一目見たときは肺か内臓でも傷つけたのではと思った程だ。
 そのため、正確な診断が出るまでは、郁が入院するほどの怪我ではないという事に思い至れず、目に見える状態そのままを小牧に報告し、その報告を受けた小牧も玄田も状態を重くて見て、堂上に報告をした流れになる。
 実際は、頭部を打っているため念のため様子を見るために一日入院することになったが、怪我事態は数日も経てば完治するレベルだ。
 だが、それはあくまでも運が良かったからとしか言い様がない。
 一歩間違えば、頭部裂傷は頭蓋骨骨折や脳挫傷などにも繋がっていただろう。口内を歯で切っただけですんだが、倒れてきた工具が重量級だったら、痣では済まず内臓を損傷していたかもしれない。
 悪く考えようと思えばいくらでも考えられる。
 ただ、運がよかっただけだ。
 だが、同時にそれが全てだと言う事も判っている。
「でも、手塚だったらきっと、着地地点の状況も把握できていたはずです」
「いーく」
 しょぼんと肩を落とす郁の名を堂上は呼ぶ。
「状況を確認していたら間に合わなかった。そう言ったのはお前だろう?」
 堂上の言葉に郁はコクリと頷き返す。
「お前は確かにそそっかしい。案件は脳へ運んでから動け」
 それは、もう口癖にも近くなるほど、堂上がよく口にする言葉。
「だが、今回はそれをしてたら間に合わなかった。小牧から報告は聞いている。コンマ何秒の判断だったってな」
 そのコンマ何秒が小学生を無傷に救い、郁は軽傷とは言えないが重傷と言わずとも済む怪我で済んだ。
「もし、お前が着地地点を考えて飛んでたら、間に合わず二人ともまともにトラックに撥ねられていたんじゃないのか?」
 自分でそう言った瞬間、堂上の心臓は強く打ち、息苦しさを感じたが堂上はそれをおくびに出すことなく、穏やかな声を保ったまま言葉を続けた。
「結果的に確かにお前は怪我を負ったが、それほど酷い傷じゃない。間に合うと踏んでいた。だから、お前は飛び出したんだろう?」
 堂上の問いに郁はコクリと頷き返す。
 あの時そこまで瞬時に判断出来ていたかは判らない。
 子供を目の前にして身体が反射的に動いていた。
 だが、間に合う。と判断できたからこそ身体は動いた。
「そして、お前だから出来たんだ。自信を持て。手塚でも俺でも小牧でも間に合わなかったはずだ」
 特殊部隊で郁より上の瞬発力を持つ人間がどれだけいるか。
 少なくとも、手塚は郁の瞬発力には文句なしに自分より上だということを認めている。
 その、郁が少しでも遅れたら間に合わなかった。と言うならば他の誰でも間に合わなかったということだ。
「お前だから、その程度の傷で済んで、子供は無傷で済んだんだ」
 だから、自信を持て。
 堂上は再度、穏やかな声でそう言ったが不意に言葉を句切らせ、じっと郁を見下ろす。
「教官・・・?どうしました?」
 自分をじっと見下ろす堂上の双眸が、ふと不安そうに揺れたような気がし、郁は肩に負担を掛けないようにゆっくりと身を起こす。
 すると、堂上の両腕がするりと背中に回ってきて抱き寄せられた。
「教官?」
 いきなり抱き寄せられ、肩に額を押しつけられたまま堂上は動きを止めたままで、郁は途方にくれる。
「・・・・心臓が、止まるかと思った」
 そのままどのぐらいの時間経過したか、堂上がぽつりと呟いた。
 それは、本当に微かな・・・聞き逃しかねないほど掠れた声。
「・・・・きょ・・・・」
「小牧から、連絡が来たときは状態が判らないと言われた。状況がまだまったく把握出来てなかったからな。ただ、お前が事故にあって血まみれになって病院に運ばれたと」
「・・・お、おおげさな」
「手塚からの報告では頭部裂傷以外は視認で判断できる物はなかったからしかたないだろう。口の中切って、唇から血を出していたらしいからな。それ、盛大な口内炎になるぞ」
「・・・・う・・・考えないようにしていること言わないでください」
 肩の脱臼や、擦過傷や、打撲や、頭部裂傷よりも郁に取っては口の中にできた傷の方が死活問題だった。
 今はまだ感覚が呆けているが、確実にこれはでかい口内炎になって、二週間ぐらいまともに食事が出来なくなるに違いない。
「だが、口の端から血をだしてりゃ、内臓か肺やったと思うだろう」
「・・・・・・すみません」
 堂上の言う事はもっともだ。
 もし、自分が口の端から血を流している人間をみたら、口の中を切ったと言うよりも、喀血か吐血をしたことを考える。
「お前は、絶対に俺が仕事を放り出してまで駆け付けることを望まない」
「はい、それやられたら、あたし教官に合わせる顔ありません」
 仕事の足を引っ張りたくない。
 その背中を追い続けて、いつか並んで歩ける日が来ることを目指しているというのに、足を引っ張っては元も子もない。
 だから、郁は堂上の言葉にきっぱりと言い切り、怪我の報告が堂上に言ったとしても、直ぐに駆け付けて来ないことに不満は一切なかった。
 見栄や意地ではなく純粋にそうとしか思っていない。
「だがなぁ・・・・キツイ」
「きょ・・・・」
「お前が、俺の手の届かない所で怪我をしたと報告を受けるのは・・・自分が覚悟していたよりもキツイ」
 何時までも常に共にいられるわけではない。
 今回はたまたま九州と関東という離れた地にいたが、例え同じ班であったとしても、戦闘の内容によって別行動を取ることはある。
 だから、常に傍にいられるわけではない。
 それは判っている。
 だからこそ、覚悟はしていた。
 いつか、郁も自分同様銃弾に倒れる日が来る可能性を。
 銃弾とも限らない。
 良化隊との抗争は常にリスクと背中合わせなのだから。
「俺達の仕事上、怪我をするなとは言わない」
 それは言えない。
 これから言おうとしている言葉も、言われたら困るのはわかっている。
 それでも、堂上は言わずには居られなかった。
「怪我をするなら、俺の目の届くところだけでしてくれ・・・」
 せめて、駆け付けられる所で。
 状況判断が直ぐにできる所で。
 状況も何も判らず、すぐに駆け付けることもままならない、遠隔地にいるときに限ってなぜ怪我をする。と怒鳴りたい衝動を堪えてそれだけを言うと、背中に暖かな温もりが回った。
 右腕は吊られているため動かせられる状態では無かったが、自由な左手だけを伸ばして堂上の背に回していた。
「心配かけて、ごめんなさい  
「いや、謝るようなことじゃない。すまない、困らせる事を言った」
 肩から顔をあげて郁を見る双眸はすでに、不安の色はなかったが、困ったような表情を浮かべる堂上に、郁はどれだけ自分の怪我が堂上を不安にさせたかをようやく察する。
 それでも、怪我をしないとは誓えなかった。
 堂上が、怪我をするなと言わないように。
「怪我をするなと言われると困りますけれど・・・・」
 郁は背中に回していた手て、そっと堂上の頬に触れる。
 いつも、綺麗に剃られているはずの髭を少しだけ指先に感じたのは、今が深夜だからか。
「でも、あたしは教官のいない所で、勝手には斃れません」
 そうはっきりと言い切る。
 その言葉のニュアンスと響きからして「倒れる」という意味ではなく「斃れる」の方だろうとわかったが、そのよりいっそう重い意味を宿している言葉に、堂上は苦笑をさらに深める。
「お前、例え俺の目の前だろうと斃れるな」
 こつんと額と額を重ね合わせて、吐き出したため息に言葉を載せる。
「教官、矛盾していません?」
「俺の目の前以外で怪我をするなとは言ったが、斃れて良いとは言ってない」
 郁の言葉に堂上は眉間に皺を刻みながら言う。
「倒れても立て」
 例え何があろうとも、膝を折るな。
 そう言い掛けて、言いたい事は違う事に気がつき、堂上は言葉を返る。
「倒れても俺が支えてやる。だから、斃れるな。それだけは俺が許さない」
 強く言い切られた言葉に、郁は驚いたように目を見開くが、ふわりと笑みを浮かべると、同じ言葉を続ける。
「じゃぁ、教官もですよ? 絶対に斃れちゃだめですよ? 倒れるときはあたしの前でしてくださいね?あたしが支えますから」
「・・・・おれは、もうお前に一度支えられている」
「?」
 何の事を言っているのか判らなかったのだろう。郁が微かに首を傾げる仕草をしようとするが、その首が傾げる動作をすることはなかった。
 頤を堂上の指にしっかりと押さえられて、固定されていたために。
「そんなことありました・・・っ」
 け?という言葉は堂上の唇が優しく触れてきたたために、続けられなかった。
「俺が右足を撃ち抜かれて倒れた時、お前が俺を支えてくれただろう」
 堂上の言葉に、郁は思い出す。
 告白するきっかけとなったあの日の事を。
「あの時、お前が支えてくれなかったら、俺は間違い無く斃れていた」
 大雨に濡れて体温を奪われ、銃弾は動脈を掠めて傷つけていたために、出血が多く一時は危うい状態まで陥っていた。
 病院に運ばれてその状態になったのだ。
 あの場に置いて行かれていたら、確実に堂上はいまここに居なかった。
「あたし、あの時ほど自分が戦闘職種の大女で良かったと思ったことはなかったです」
 いくら訓練していたからと言って、男一人担いで走り抜くことは生半可なことではできない。例えば同じ訓練を柴崎が受けて居たからとしても、柴崎の体格では堂上を運ぶ事はできなかっただろう。
 堂上の話を聞いてあの時の事を思い出したのか、ぎゅっと郁の目が伏せられると、それを追うように堂上は郁の唇に口づけを落とす。
 触れるだけの優しい口づけを。
 宥めるように。
「二度と倒れないとは約束できない。斃れたりはしない。何度でも立ち上がる。手をかしてくれるんだろう?あの時と同じように」
「倒れたら何度だってあたしが支えて見せます。だから、斃れないでくださいね。それだけは、許しません」
 郁の言葉に堂上は微笑を浮かべる。
「ああ・・・だから、お前も斃れるな。俺が支えてやる。だから、俺のいない所で倒れるな」
「はい」
 
 
 ただ、一方的ではなく告げられた言葉に、郁は力強くはっきりと頷き返すと、瞼をそっと閉ざす。
 柔らかに触れる唇が、唇に、瞼に、頬に何度も何度も優しく触れては離れてゆき、再び触れる。
 それは、いつものように熱に解かされるような熱い口づけではなく、ただ優しく、そこにある物をまるで確認するかのように触れられる口づけに、知らずうちに涙を流していた。
 
 
 
 怪我をしないと誓えたらどれだけ良いことだろう。
 
 
 
 言葉にされない、想いは自分だけではなく、相手も想っていることだからと判っているからこそ、歯がゆく、切なく。そして心苦しくもあった。
 だが、同時にそれは絶対に手放せないものでもあるのだから。
 だから、誓えることは唯一つだ。
 それさえも、本当は絶対に守れるとは言えない。
 だから、せめてこれだけは絶対に約束を違えない。と、郁も堂上も心に刻む。
 
 
 何が有ったとしても、相手の支えになることを。
 諦めずに何度でも立ち上がることを。
 
 
   
 
                             おわり
 
   
 
   
 
 ☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 前編の倍の長さになってしもうた。
 最後の方が若干ループになりつつ、着地地点が行方不明になり・・・気がついたらここに到達しました。
 ただ単に、堂上が遠方に出張中郁が怪我を負ったという報告を受けた。というシュチュエーションと、「キツイ」と思わず弱音を吐くところを書きたかっただけです。果たして、教官が弱音を吐くかどうかと考えたとき・・・ちょっとこの展開はないかなぁ?とか思ったりもしましたが。
 意地を張ってもはりきれず、郁の前でぽろりと本音がでてしまいつつも、でも、+方向へと思ったのでございまする。
 一度も怪我をせずに火器不使用まで戦い抜いたら凄いよなぁと思うのであった。
 だって、スナイパーだとて撃ち抜かれて怪我をする可能性があるのだから。
 手塚と郁もそれぞれ大なり小なり怪我の一つや二つ・・・まぁ、郁の場合なにげに軽い怪我はしているけれど(それも半分以上ドジ仕様で)
 取り留めない話となりましたが、最後まで楽しんで頂けましたら幸いでございます。



                    Sincerely yours,Tenca
                     2012/11/01