約束





 
 
 ここの所忙しく毎日残業していたため、夜の逢瀬もままならない日々が続いていたが、その日は、珍しく書類のたぐいを押しつけられなかったため、定時には己の業務を終え、後は部下の日報待ちという状況になっていた。
 業堂上はくるりと回転させ、背中合わせに座る部下へと視線を向ける。
 そこにはデスクにかじりつくようにして日報を作成している郁の姿があった。
「郁」
 課業中は名で呼ぶことは無いが、定時が終了し仕事が終わっている今は「プライベートタイム」と割り切り、部下であり恋人でもある郁の名を呼ぶ。
 一心不乱に日報を書いていた郁は突然名を呼ばれ、驚いたように顔を上げた。
「飯でも食いにいくか?」
 そう問えば郁は不思議そうに首をかしげる。
 ここのところいつも食堂の開いている時間にさえ終わらず、コンビニ弁当な夕飯だとぼやいていたというのに、外に食べに行く余裕がなぜあるのかと思ったのだろう。
 だが、堂上の机の上に書類の山が築かれてないことに気がつくと、郁はさらに不思議そうに瞬いた。
 堂上はその様子にすっかり忘れているようだが、といいながら二つの方向に親指をくいっとむけた。
 一つは隊長室で、もう一つは特殊部隊No.1狙撃手のデスク。
 だが、隊長室も狙撃手のデスクも無人だ。
 その事にようやく意識が回ると、郁は嬉しそうに顔をほころばせて大きくうなずき返す。
「今日は隊長も進藤一正もお休みでしたね!」
 逆に言えば明日からまた押し付けられる日々が始まるということになるが、せっかく書類が回ってこない貴重な日なのだから、有意義に使用するとしたものだろう。
 それでなくても、年度末は色々と処理しなければならない書類が山のように回ってくる。
 まめに、片づけてればさほどの量ではないのだが、やつらはギリギリまで片づけないためつもりにつもって崩れる寸前になって回してくる。
 いい加減にしろと何度言っても無駄だと判っているが言わずにはいられない。
 他の先輩達は要領よく書類攻撃をかわしているが、自分にはその手のスキルは残念ながらないようだ。
 はぁ・・・と溜息を漏らしつつも、とばっちりを受けているに等しい郁に堂上は思わず謝罪の言葉を口にする。
「すまないな」
 何の脈絡もなく、堂上に謝られた郁は不思議そうに首を傾げる。
 なぜ、いきなり堂上が謝ったのか判らなかったのだろう。
 そんな郁のリアクションに堂上は苦笑を浮かべる。
 そういえば、郁からその手の事で文句や不満を言われた事がないなと思いながら、郁の疑問に答える。
「ここの所、残業で夜も遅いし、公休も仕事で潰れてるからデートもまともにできてないだろ?」
 せっかく外泊もできる関係までこぎ着けたというのに、見事なまでに二人で過ごす時間を邪魔されている。
 書類という山とタイムリミットという谷によって。
 だが、それは堂上の仕事ではないのだから、堂上に謝らなければならないことなど何一つ無い。
「あたしは、教官の部下ですよ?今の時期は年度末の処理や来年度の準備で忙しいのは判ってますから。というか、手塚みたいにお手伝い出来れば良いんですけど・・・」
 苦笑と共に告げられた言葉には思わず堂上も苦笑で返さざるえない。
 なにせ、堂上が抱えさせられている業務は、郁の天敵とも言える書類処理だ。
「まぁ、そのなんだ。気持ちだけ貰っておく」
 堂上の返答に不満があったのか少し唇を尖らせるが、ぽんと郁の頭の上に手をのせて、柔らかな髪を撫でると郁ははにゃんと嬉しそうに笑みを零す。
 その笑みに吊られるように堂上の顔にも穏やかな笑みが浮かぶが、内心で少しだけぼやく。
 物わかりのいい恋人で助かるが、少しはすねてほしいと思うのはわがままだろうか。
 それとも、寂しい思いをしてるのは自分だけと言うことか。
 我ながらずいぶん女々しいなと思うが仕方ない。
 知らない頃も欲しいという衝動はあった。
 だが、一度知ってしまうと衝動という言葉では片付かない。
 その肌を貪りたいと・・・疼きと快楽の海に沈めて、甘く啼く声を響かせたい。
 餓えと渇きに苛まれる夜を幾夜過ごしたことか。
 無意識に眉間にしわが寄る。
 だが、その後付け足された言葉に、その皺は形を作る前にほどけてゆく。
「今はそーゆー時期なんで仕方ないなぁとはと思うんですけど、お花見はしたいなぁ。去年はお花見どころじゃありませんでしたし、一昨年は一緒にお花見できなかったんで、今年は教官と一緒に桜見に行きたいです・・・できれば、ゆっくりとライトアップされている夜桜とか見れたら素敵です」
 頬をうっすらと染めてまだ蕾すら付けていない桜のことを口にする郁を見ると、ひらりと散った一欠片の花びらが、郁の上に舞い降りた・・・あの日の記憶がふと蘇る。
 あの日から幾度、郁の言葉に行動に突き動かされたか。
「あ、でも、もちろんお仕事優先してくだいね!」
 付け足された言葉にバカと答えると、郁は案の定何でバカなんですか!っとくってかかる。
 そこで我が儘を言い切らないところが郁の郁ゆえん足るところだと判ってはいるが、たまにはもう少し我が儘を言ってくれてもいいのだ。
 堂上は周囲に人がいないのを確認すると、郁の首に腕を回しぐいっと引き寄せる。
 傍目にはヘッドロックをかけているように見えるかもしれないが、その首に回された腕は力強くも優しい。
「ちょ、きょうかん!くびもげる!」
 むろんそんなにきつくは無いのだが、いかんせん元々体勢は自分のデスクに向かっていたものを背後に引き寄せられたのだから、重心が思いっきり背後に傾く。
「もう、ご飯食べに行くんですよね! 日報まだ書き終わってないんですから、邪魔しないで下さい! あたしが遅いことは教官が一番知っているじゃないですか!」
 がっちりと回されている腕から逃れようと郁はもがくが、堂上は腕をゆるめようとはせずただ、ぐしゃぐしゃとその髪をかき混ぜる。
「うわ、ひどっ、何するんですか!」
「かわいいことを言うお前が悪い」
「か・・・・・」
 堂上の一言に郁の顔が音が聞こえてきそうな程の勢いで赤く染まっていく。
 顔はおろか耳や首まで真っ赤にしながら、堂上の腕に顔を押しつけてごにょごにょと別にそんなこと言ってない・・・と呟くが、その仕草、何気ない発言の一つ一つが堂上の琴線をふるわせるという事を本人だけが判っていない。
 
 ああ、もういい加減自覚してくれ。
 
 あの時も
 今も
 
 堂上を突き動かすのは自分だということを。

 
 
 
 
 
 
 ☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 すっかりと時季外れなのは判ってる・・・もう関東はすっかりと桜が散って葉桜と化しておりまするけれど、きにしなーいきにしなーい
 このネタ思い浮かんだのは去年の秋でした。

 二月から思い出したようにちまちまちま書いて、あとちょっとで書き終わるってところで、すっかり忘れて思い出したのが今日だったんだものっっっ
 
 まだ、日本の寒いところは桜さいていないし。
 ってことで、upです(笑)
 
 拍手に回してもいいぐらい短い話なのだけれど、ここしばらくサイト更新していなかったのでサイトにupで。
 コミック10巻ネタにひっかけた話でしたん。
 
 
 
                    2013/04/09up
                    Sincerely yours,Tenca