夜明けの・・・
 
 




 
ガリゴリガリゴリ・・・・
 
 
 一定のリズムで聞こえてくる音に、泥沼に沈むように落ちていた意識が、ふわりと浮上してくる。
 
 何の音だろう?
 
 たんぽぽの綿毛が漂うように、眠気の強い意識は浮上し沈み思考は定まらない。
 むしろ、浮かびかけていた意識は、心地よい睡魔に誘われ再び沈む方を選び始めている。
 寮ではありえないスプリングの効いたベッド。肌触りのよい上質のシーツと上掛けに包まれて、もう一度寝直そうと寝返りを打つ。
 そのわずかな動きにシーツがさらりと音を立てる。
 それは、ささやかな音にしか過ぎなかったが、気配の変化を察するには十分だったのだろう。
「起きたのか?」
 いっそ、別人だ。と言われた方が納得できるほど甘い声が鼓膜に届く。
「おきてません・・・・」
 返した声はひどくかすれていた。
 寝起きだから。と、言うには少々無理がある声に、郁はかっと身体が熱くなる気がし、ごまかすように上掛けを引っ張り出してその中に潜り込む。
 子供のような郁の行動に堂上は苦笑を漏らしながら、上掛けの上からぽんぽんと頭をたたく。
 それによって、堂上が近くにいることはわかったが、それと同時にふわりと鼻腔をくすぐる香りにも気がつく。
 別段珍しいものではないが、ホテルの部屋で嗅ぐことのない香りに郁は少しだけ上掛けから顔をのぞかせる。
「なんですか・・・?なんか、すごくいい香りがします」
 夜はもう明けてはいるのだろう。
 だが、カーテンはまだ閉め切られているため、部屋の中はかなり薄暗い。
 上掛けから目だけを覗かせた郁は、ベッドの端に腰を下ろして微笑を浮かべている堂上を伺うように見上げる。
「コーヒーがあったから淹れてみたんだが、飲むか? おまえ好みのクワガタコーヒーにはならんが」
「・・・・・・・・・クワガタコーヒーは余計です」
「すまん、すまん」
 絶対に悪いとは思ってもいないのは、その顔を見ればわかる。
 思わず、むっとしかけるがそれよりも好奇心の方が勝る。
「でも、インスタントの香りじゃないですよね?」
「一杯分ずつの小包装の豆とミルにサーバーまで揃っていた。やっぱり豆をひいて淹れると香りがいいな」
 ほら、と言わんばかりに堂上は視線を窓際に向ける。
 視線の先にはテレビ台があり、その脇には確かにレトロな雰囲気を持つ小ぶりなコーヒーミルとサーバーが設置され、ゆっくりとポットにコーヒーが落ちていくのがわかった。
「うわ・・・すごいですねぇ」
 ホテルにあると思ってもいなかった備品にすっかりと眠気は遠のく。
 今までのホテルではコーヒーなどがあっても、大概インスタントだ。
 なのに、本格的なコーヒーを飲めるとなると、かなり上質のホテルなのか・・・・ふと、いつもホテル代を持ってもらっている身として気になってしまい、伺うように堂上を見ると、その視線の意味に気がついたのだろう。
 堂上は笑みを浮かべながら、安心させるように郁の頭を撫でる。
「心配するな。いつもと同じランクのホテルだ。ただ、ここはサービスがいいみたいだな。レビューまでは見てなかったが、評価点がよかったから選んでみたんだが」
「大あたりですねー」
 バスルームは独立型でトイレとは別になてとり、ゆったりとした広さが確保されている。
 部屋もWベッドが一つ置いてあるだけだからか、ゆとりがあるソファーが向かい合わせで置いてあり、全体的にゆったりと落ち着く部屋だ。
 ただ、昨夜はそんな状況を確認する余裕はなかったが、そこは言わずもがな。と言うところだろう。
「砂糖とクリープはあるが、淹れるか?」
 郁は一瞬迷う。
 普段、コーヒーをブラックで飲むことはないが、せっかく豆を挽いて淹れてくれたのだから・・・と思うと、プラスアルファを淹れるのがもったいない気がした。
「えっと、そのままで飲んでみます」
「ブラックで? 無理する必要はないぞ」
 お湯を入れて温めてくれたカップに、堂上はゆっくりとコーヒーを注ぎいれながら、郁の言葉に苦笑を浮かべる。
 堂上のリアクションも当然だ。
 味見で飲んだことはあったが、にがっっと呻いていたのをしっかりと見られているのだから。
「せっかく教官が淹れてくれたので、最初の一口はそのままいただきます」
 いつだったか、今となっては【初デート】となった、カミツレのお茶を飲みに行ったときに、堂上が言った言葉をなぞるように口にすると、堂上は嬉しそうに顔をほころばせて、カップを郁に渡す。
 芳醇な香りを胸一杯に吸い込み、ゆっくりと最初の一口を口に含む。
 苦い。
 だが、舌の上にいつまでもその苦みが残ることなく、するりと消えて最後に残るのは部屋いっぱいに漂うコーヒーの香り。
「おいしいです」
「それはよかった」
 堂上もカップに口をつけゆっくりと口に含む。
 インスタントでは味わうことのない味わいに、思わず目を細める。
「実はこーゆーのあこがれてました」
「何がだ?」
 ホテルでコーヒーを挽いて楽しむというのは、なかなかできないが、寮暮らしとはいえこのぐらいの贅沢はできるはずだ。
 豆を挽いてコーヒーを飲むこと自体は、特別珍しいことではないと思うのだが。
 堂上のそんな疑問がわかったのだろう。
 郁は両手でカップを大事そうに抱え持ちながら、一口一口を味わうように口に運ぶ。
 
「夜明けのコーヒーとかやってみたいなぁって。恋人ができたら、コーヒーを入れてもらってベッドの所まで運んでもらうって素敵だなぁ・・・・って思っていたんです。夜明けっていうにはちょっと遅いですけど」
 
 えへへへ。
 ちょっと、ベタな願望でした。
 
 はにかみながら言われた言葉に堂上は、ゆっくり味わうように飲んでいたコーヒーをグビグビと勢いよく飲み干す。
 
「きょ、きょうかん・・・・?」
 
 急にまるでお茶でも飲み干すように、一気飲みしだした堂上の行動がわからず唖然としていると、堂上はカップをサイドボードの上に置き、さらに郁が両手で持っているカップを取り上げた。
 
「まだ飲みかけ!」
 
 なぜ、いきなり取り上げるのか。
 郁は奪い返そうと手を伸ばすが、伸ばした手首をつかまれ、ベッドに押しつけられる。
 いつの間にか、ベッドに仰向けにさせられ、自分を押さえ込むようにのしかかっている堂上を郁は訳がわからない思いで見上げていると、堂上は一言で状況を説明する。
 
「かわいいことを言うおまえが悪い」
「は!?」
 
 なにそれ、意味わかんない!
  
 と、言う言葉は残念ながら音になることはなかった。





       FIN
 
 
 
 て☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 以前泊まったことのあるホテルで、ミルとコーヒー豆とサーバーが置いてあった所があったので、そこをモデルに。
 ただ、入れてくれる人はいなかったので、ガリゴリガリゴリ豆を自分で挽いてのみましたん。



                             Pixiv UP:2013年8月22日
                             サイト掲載:2014年3月23日