小さな幸せ
 
 




 
 それは、ささやかな変化だが、堂上にとってはそのささやかな変化がくすぐったくもあり、なによりも幸せなことだった。



小さな幸せ





「篤さん、コーヒー飲まない?」
 リビングに設置したソファーではなく、ラグの上に直に座ってソファーを背もたれ代わりに寄りかかりながら明日の会議のデータに目を通していると、郁が豆を手に持って声をかけてくる。
「少し休憩したほうがいいよ。せっかくの公休日にしかめっつらして書類なんて読んでたらちっとも休まらないよー」
 ささやかな贅沢・・・というわけではないが、お茶とコーヒーはインスタントよりも豆や茶から淹れる方を郁が好んでいる。
 郁曰く柴崎の影響だというが、挽き立てのコーヒーや茶葉で飲むようになると、インスタントでは人工的な味がする気がして今一つに感じるようになったと、照れ笑いを浮かべながら言っていたのは、こうして生活を共にするようになってからだ。
 その割には郁が飲むコーヒーはクワガタコーヒー・・・もといい、かなり甘めに淹れられたカフェオレなのだが。
「頼む」
「りょうかーい」
「すまないな、あと少しで目を通し終わるから。終わったら今日は外にランチでもしにいくか?この前気になる店を教えてもらったとか言ってたよな?」
 堂上としてもできればせっかくの公休日。二人の時間を満喫したいところだったが、どうしても先に資料に目を通しておきたく、郁には申し訳ないが午前中だけ時間をもらった。先に目を通しておけばもう今日は何の憂いもなく、二人の時間を満喫できるからだ。
 いやなことは先に終わらせる。
 何かと後に伸ばしがちな郁とは真逆だ。
「気にしなくていいよ。あたしはその間に掃除や洗濯してお布団干しておくから。終わる頃ちょうどいい感じかなぁ?」
 家事を丸投げしてしまうことになってしまうが、郁が家の雑事をやってくれる間には目を通し終わるだろう。データの残量から時間を割り出すとそのぐらいのタイミングでめどがつきそうだった。
「あと買い物デートしたいな」
 ガリゴリガリゴリ。
 ミルで豆をゆっくりと挽く音を響かせながら、郁が楽しげに言う。
「そうだな。食材と雑用品がなくなってきたか?」
「うん、トイレットペーパとティッシュのボックスとか買い足したいかも」
 けして重いものではないが、一人で持つには少々骨が折れるものを郁はあげていく。
「あ、あとキッチンペーパーもあと一ロールしかなかった!」
「洗剤関係は?」
「それは、だいじょ・・・あ、シャンプーがそろそろ切れるかも。確認しておく」
「頼む」
 会話的には日常過ぎて珍しいことでもなんでもない。だが、そんなささやかな日常的なやりとりは、恋人同士の間ではできなかったことで、どこかくすぐったくも感じる。
 だが、それよりも堂上がもっともその変化を感じていることがあった。

「はい、篤さん。コーヒー入ったよ。ここに置いておくね」

 郁はそう言うとローテーブルの上に、堂上のマグカップを静かに置く。
 もちろん、郁好みのクワガタコーヒーではなく、堂上が好んで飲むブラックコーヒーだ。
「ありがとう」
 一言礼を口にすると、郁はうれしそうにはにかみながら「どういたしまして」とつぶやいて自分のカップに口をつける。
 それを横目に見ながら、白い湯気がくゆるカップを手に取り、鼻先をかすめる芳香をゆっくりと楽しむ。
「いい香りだ」
「本当? 柴崎おすすめのコーヒーなの。お値段お手頃なのに香りがいい豆らしくて、お試しでちょっと分けてもらったんだ。ローストがしっかりされているけれど、酸味が少なくて、篤さん好みかなって思って。篤さんが気に入ってくれたら、今度買ってみようかなぁって思ったんだけどどうかな?」
 期待と不安が入り交じった視線に、堂上はふっと口元に笑みを浮かべてコーヒーに口をつける。
 香りだけではなく味も自分好みといえた。
 深入りされている豆のため、しっかりとした苦みが香りとともに広がるが、酸味はほとんどなくふわりと口に広がって消えてゆく。
「うまい」
 一言そう告げると、郁は大げさなまでに安堵のため息をつく。
「よかったー。んじゃ、ここの豆扱っているお店にもよりたいな」
「了解」
「んじゃ、がんばってお掃除とお洗濯しちゃおう! 篤さんもお仕事がんばってね」
 郁は飲み終わったカップ二つを持って「よいしょ」と特殊部隊にあるまじきかけ声を無意識に口にして、立ち上がるとキッチンに向かう。
 その後ろ姿を見ながら自然と笑みが漏れる。
 気がつけば郁の言葉遣いが大きく変わっていた。
 つきあっていた頃から少しずつ砕けた言葉遣いをするようにはなっていたが、基本的に業務中と変わらない言葉遣いだった。

『コーヒー飲みますか?』
『よりたいお店があるんですけれど、いいですか?』
『ここのカフェおすすめなんですよ!』
『教官も気に入ってくれるといいんですけれど』
『うれしいです』

 年上相手にという気負いもあったのか、それとも上官としてのつきあいの方がまだ色濃かったからか。
 遠慮されていると思ったわけではないが、その口調に変化はなかなか感じられなかったが、こうして朝夕ともに過ごすようになって、ようやくその垣根が消えたことを実感する。
 他人同士という関係から、家族という関係へ変わり、名だけではなく実もともなってきたと。


「なぁ、郁」


 マグカップをキッチンで洗う郁の背に向かって声をかける。

   何ですか?教官

 以前だったらそう返って来たリアクション。
 だが、今は違う。

「なーに?」

 屈託のない笑顔を浮かべて振り返る郁に、堂上は小さな幸せをかみしめる。

 上官部下としてでもなければ、年上の彼氏と年下の彼女という関係でもなく、年の差など関係ない、対等の夫婦という関係になれたことに。




     Fin




当初浮かんだのは、事務所でのやりとりで何となく違和感を感じ、疑問に思いつつも帰宅。帰宅後のなにげないやりとりで、言葉遣いが変わっていることに気がつくという流れだったのだけれど、書いてみたらこんな感じに。
オチがうまくみつからず宙ぶらりんな感じですが(笑)
漫画だったら振り返ったところで、終わる感じです(笑)





                             Pixiv UP:2014年2月22日
                             サイト掲載:2014年3月23日