二年越しの・・・
 
 




 
「うわ、凄い満開! 教官、凄い満開ですよ!」

 郁は山一つが桜に包まれたかのような光景に、一気にテンションが上がったのだろう。
 助手席から降りるなり満面の笑みを浮かべて一気に走り出す。
 堂上が止める間もない。

「あのな、スタートダッシュはお前の方が早いってことを少しは思い出せ」

 そう呟いてもすでに掛けだしている郁に声が届く訳が無く、堂上は苦笑をこぼしながら車にロックをかけてから、郁の後を追うように歩き始める。



二年越しの・・・




「教官、桜すっごい満開ですね!」

 まさに満開と言わんばかりの満面の笑顔を浮かべて楽しそうに振り返った郁をまっすぐ見つめ、堂上は業務中にはけして見せないような笑みを浮かべてその意見に同意する。

「そうだな」

 だが、郁は堂上とは対照的に眉間に普段は刻まない皺を作りながら、唇をとがらせる。
「ちょ、桜見てないじゃないですか! 満開ですよ!」
「見ている」
「先からあたしばかり見ているじゃないですか。桜を見てください!」
 せっかく満開の時にお休み取れて来れたのに。
 郁はぶつぶつつぶやく。
 正直に言えば今年の花見も無理かと思い、半ば以上諦めていた。
 堂上はなんとか時間を作ろうとしていたが、業務後にちょっと基地内を散歩して夜桜を満喫・・・というお誘いもはばかれる程残業の日々が続いていた。
 そんな状況で、公休に花見に遠出しましょう!など郁が言い出せるはずがなく、この年は郁の口から「花見をしましょう」と班全体に誘いの声がかけることすらなかった。
 親しい仲間達とわいわいやりながらの花見も楽しいが、やはり好きな人と共に楽しみたかった。
 なにせ、生まれて初めて出来た彼氏だ。
 青い空を埋め尽くさんばかりの桜の花。
 そよぐ風に吹かれ揺らめく花吹雪。
 一年のうちわずか一週間程だけ堪能できる、あでやかな光景を共に楽しみたかったが、それが叶わなさそうだ・・・と思った時は、正直言えばかなりがっくりと来た。
 せめて遠出は無理でも基地内でいいから皆で花見を・・・運がよければ堂上も参加できるかもしれない。そう一縷の望みを抱かなかったわけでもないのだが、ほぼ百%不可能だろう事は最初から想像がついた。
 皆がいるのに堂上がいないと思った瞬間、まるで迷子になったときのような心細さを感じ、想像だけで寂しさが募り、皆に声を掛けることが出来なかった。
 そもそも、皆と花見ができるぐらいならば、まずは二人っきりでの花見ができているはずで、こんな風に悩むことはないことになる。
 だから、職場で花見の話題を出すことすら避けていた。
 自分が話題にださなければ、忙しい上司達が自ら話題に出すはずもなく、上司達の忙しさを自分同様に判っている手塚が言い出すことも考えられなかった。
 自分さえ口にしなければ、今年は自然と話題にならないはずだ。
 それに下手に花見を口にして、堂上が気に病むことだけは避けたい。
 おれでなくても、まともに時間がとれなくてすまん。と堂上の責任ではないというのに、何度も気遣ってくれているのだ。これ以上、負担をかけたくはない。
 だから、自分は花見に興味を全く持っていませんと言わんばかりに、口にすることはなかった。
 その行動は本人にとってはさりげなくを装っていたが、この手のイベントごとには一番に声をかける郁が何も言わないのだ。
 当然、堂上や小牧はすぐに気が付き、鈍いことの代名詞である手塚ですら疑問に思い始める。

「今年は、花見しましょうって珍しく笠原のやつ誘ってきませんね」

 また、あいつは予定を隙間無く入れまくったんですかね。
 と、見当違いな勘違いをしてはいたが。
 小牧はそんな見当はずれな事を言う手塚に苦笑を漏らしながら、堂上にいいの?と問う。
 堂上は書類の山を見ながら、何とかする。と呟くがどうにかなる量ではない。
 最近毎晩寮に帰るのが門限過ぎということを小牧は知っていた。
 むろん、そのことは郁も知っている。
 だからこそ、郁が何も言えないことは、明らかだった。
 花見のことはおろか、外泊ができないことはおろか、デート一つまともにできないことも、電話やメールもできず、業務以外にまともな会話ができないことも、責めることを一つもせず、ただ、堂上の身体のことばかりを心配する。
 物わかりがよすぎるぐらいに何も言わない。
 
「少しぐらいは我が儘言ってくれてもいいんだがな」
「笠原さんの性格じゃ無理でしょう?」

 四兄妹の末っ子で唯一の女の子だ。
 一歩間違えば我が儘プリンセンスのできあがりとなるところだが、むしろ我が儘をいっさいわず、気遣いばかりで堂上としては少々物足りなく、寂しくさえ思うことさえあるほどだった。
 親との確執からか甘え下手な性分になってしまったのかもしれない。
 それでも、以前よりかはだいぶ甘えてくれるようになってはきているのだが・・・

「とにかくこの山を片づけないことには身動きが取れない」
「手伝える範囲は手伝うけれど」

 堂上が特大山盛りなら小牧も同様に山盛りだ。
 動機同格で能力も同じ。
 事務処理を行う上で特殊部隊にならなくてはならない一人になっている。
 ただ、班長と副班長という立場から片づける量は必然的に変わる。
 まして、堂上の机の上には本来担当外の書類も多量に混ざっており、それらをバカ正直に片づけているため仕事の量はいっこうに減らないといった状況だった。
 さらに年度が替わると数年ぶりに錬成教官を再び担当することになっており、その準備も追い込みに入っており、ますます時間の融通は利かなくなってくる。
 四月に入れば事務面の業務は落ち着くが、小牧と堂上は錬成教官としての業務にはいるため、郁とはシフトがずれることになり、公休も合わない。
 結果、あと二ヶ月ほどままならない状況が続くことになる。
 カレンダーをみて堂上はここ数週間の中で一番深い溝を眉間に刻む。

「小牧」
「ん?」
「桜が満開になったら俺と笠原は有休を取る」

 唐突な宣言に小牧はあっけにとられる。
 満開時ということはいつ取るかギリギリまで判らないということだ。
 普段、よほどのことが無い限り二週間前には届け出を出す堂上が取る行動ではない。

「ちょうど、満開の頃に内勤がある。その日を第1候補。次はそうだな・・・館内業務の日を予定する。迷惑をかけるがフォローを頼む」

 否は言わせん。と言わんばかりに決定事項を告げられ、あっけにとられていた小牧だが、めったにない我が儘に苦笑を浮かべて了承の意を伝えるが、その笑みがだんだんとニヤニヤと楽しいものになってきた。

「笠原さんより、堂上の方が限界って感じだな」
「あたりまえだろうが。やっと外泊できるようになったって言うのに、仕事が忙しすぎてお預けってなんだ。あり得ないだろう。さらに来月からシフトもしばらくずれるんだぞ。俺に仙人になれって言うのか?」

 郁の都合ならいくらでも待つ。
 だが、よりにもよって己の事情で外泊はおろか公休日のデートすらままならない状況に、いい加減堂上の方が限界だった。
 一日有休をねじ込めばその前後は仕事に忙殺されるため、外泊を入れるのは難しいがせめて、郁が望んでいた事ぐらいはかなえてやりたい。
 というより、デートさせろ。
 むしろ郁を補充させろ。
 このままでは死ぬ。
 過労死ではない。
 郁欠乏症で死にかねない。
 堂上は本気で死亡フラグが目の前まで来ていることを感じた。
 目が据わり始めている堂上に、小牧は苦笑をもらしながらホールドアップするように両手をあげた。
 からかうつもりだったが、開き直った人間相手にからかっても面白くはない。
 むしろ、相当せっぱ詰まっているということがはっきりとわかった。
 普段真面目な人間ほど切れたら質が悪い。
 そう思った小牧は緒方に相談し、堂上の有休取得の為に上官二人への采配を頼んだのは、今後の業務をスムーズに行うために必要な手間だと、惜しむことはなかった。
 あとは、桜の満開時期が四月に超えないよう祈るだけだったが、運が良いことに三月半ばから温暖な気温が続いた為、例年より早い時期に桜は開花し始め、あと一週間で今年度が終わるという頃、堂上は有休をねじ込んだ。
 突然、有休を取らされたことに面食らった郁だったが、レンタカーの手配を終えた堂上に、少し遠出して桜を見に行こうと誘われて否というわけがない。
 忙しい時期の有休取得に、やや後ろめたさを覚えていた様子だったが、山まるごと一つが桜に染まっている光景に一気にテンションがあがったようだった。
 車が止まるなり一気に駆けだしていく。

 どことなく寂しそうだった笑顔が弾けんばかりの笑顔に。
 控えめに気遣う声が、楽しげな笑い声に。
 桜を見上げ華やかな笑顔を浮かべ、
 緩やかに流れる風に舞う花びらを無邪気に追いかける姿。
 
 片時も目を離せない。

 淡い桜色のプリーツスカートが郁の動きに合わせて、花びらのごとくふわりふわりと空気を孕んで翻る。
 日焼けすることのない滑らかな足が元気よく地面を蹴り、躍動的に髪が風になびかれる。
 控えめながらもお出かけモードの化粧が施された顔は、澄ませばそれなりの妙齢の女の顔になるというのに、今は花に戯れる子猫のように無邪気そのもの。

 目を離せ無いどころではない。
 瞬きをする間すら惜しいぐらいだ。

「だから、あたしじゃなくて桜!無理言ってお休みもらって見に来たんですよ!こんな綺麗に咲いている桜見ないでどうするんですか!」

 ぷりぷりと頬を膨らませて怒る郁に手を伸ばす。
 いつの間に絡まったのか、その髪にはあの時のように一かけの花びらがついていた。
 堂上はその一欠片に指を伸ばしてそっとつまむと、自分の口元に寄せながら、ふっと目を伏せ懐かしむように堂上は囁く。

「あの時、言ったはずだ。俺の花見もなかなかだぞと」

 滅多に見れない綺麗な物。
 それを愛でるのが花見というのなら・・・

 口元に寄せた花びらに唇を寄せながら昔を懐かしむ。
 あの時は、まだ郁が自分のことをどう思っているか判らなかった。
 自分も郁に対する想いにまだ正面から向き合うことをしていなかった。

 大切な女。
 誰よりも守りたい女。
 慈しんで、艶やかに咲かせたい女。

「今の、俺にとっては一年中が花見だな」
「・・・・・・・・・っっ」

 二年前のあの夜は通じなかった言葉も、今なら通じる。
 郁は堂上の言葉の意味に気がつき、かいかぶりすぎです。とか盛りすぎです。とか言いつつも、真っ赤になってうつむいてしまう。

「仕方ないだろう? 俺にとってはお前以上に見たいものなんてないんだから」

 さらに言えばますます赤くなっていく。
 困ったような、怒っているような、すねているような顔。
 戸惑い、羞恥し、そして嬉しそうに綻ぶ顔。
 何一つ見逃したくないのだから。

「だったら・・・」
「ん?」

 堂上の言葉に、顔を真っ赤にしたまま郁が顔をあげて堂上をにらみつける。
 怒らせるようなことを言ったか?
 それとも、右名斜め上の方へ思考を飛ばしたか?
 と、一瞬ひやりとしたが、次の瞬間堂上の目が見開かれる。
 郁にいきなり襟元を掴んだかと思うと、ぐいっと引き寄せられる。
 得意の大外刈りにしては、掴んだ場所が違いすぎる。そう思った瞬間、唇に触れたのは柔らかく温かい温もり。
 そして、これ以上無いほど真っ赤になって目をぎゅっと閉じた郁の顔が視界いっぱいに広がっていた。

「きょ、教官とキスしていいのはあたしだけなんだから! あたし以外に見たい物ないっていうなら、あたし以外とキスしないでください!」

 予想外の言葉に堂上は唖然とする。
 だが、郁の言葉が脳に浸透するにつれ、顔が熱を持つのを押さえきれなかった。
 そして、郁はそれ以上に真っ赤になって、なぜか自分のしでかしてしまったことにうろたえている。

「って、あたしなにやっているんだ!? ここ外じゃん! って、何恥ずかしいこと言ってんの!? 今の聞かなかったことにしてください! 全部消去! オールクリア−でおねがいしまっ!」

 言い切らないうちに、堂上は郁の頭部に手を回して自分の元へ引き寄せる。
 そして、郁同様に触れるだけのキスを唇に落とす。

「アホ。んな、もったいないこと誰がするか」
「も、もったいなくなんかかけらもないので、忘れてください」
「お前からの貴重なキス忘れるわけないだろう」
「だ、だって、花びらに焼き餅焼くだなんてどんだけ重いって感じじゃないですか・・・」
「花びらに焼き餅? 上等だ」

 郁の視線を独り占めする満開の桜に、嫉妬せずにいないで居られるはずがない。

「お前が見るのは俺だけだ」

 そう言えたらどんなにいいか。
 だが、その言葉までは口にすることなく、堂上は郁が口を開く前にその唇を再び塞ぐ。
 今度は、柔らかに触れるだけの口づけではなく、その吐息までも奪い取るかのように。
 わずかに開いた隙間から、舌を潜り込ませ、久方ぶりに味わう郁の口腔を隙間なく犯す。
 いきなりのことに怯えたように縮こまる舌を奪い取り絡めれば、郁の手が抗議するように堂上の背中を叩く。
 人目を気にしているのだろう。
 この周辺に人がいた気配はなかったが、いつ誰が近づいてくるか判らない。
 だが、だからといって緩める気には堂上はなかった。
 見られてもかまわない。
 細身の身体をしっかりと片手でホールドし、もう片方の手で頭部を押さえ込むと、唇を甘噛みし、角度を変えて口づける。
 いつしか郁も堂上に応えるように、ぎこちない仕草で舌を絡めてくる。
 なれないその仕草に、もどかしさを感じることもあるが、時折漏れる甘い声音に、背筋に悪寒にも似たような寒気が走る。
 それは、堂上を冷やすものではなく、逆に熱をためていくもの。

「明日、朝帰りになるが外泊いれていいか? 一緒にいたい」

 わずかに唇を話して囁けば、郁は一瞬返事に困ったような顔をする。
 まだ、片手の指で余るほどの回数しか外泊をしてないが、そのどれも公休の前日からか、もしくは連休になったタイミングでだ。
 外泊をして朝帰りなどしたことなどない。
 郁の戸惑いを感じてか、堂上は苦笑を浮かべながら言葉を続けた。

「無理にとは言わない」

 こんな言い方は酷いな。と胸の中で呟きながら、郁の返事を待つ。
 郁のことだ。こう言われて否とは言えないだろう。
 判った上での問いかけ。
 だが、年上の見栄もへったくれもない。
 嫌じゃないなら郁がほしくてたまらなかった。
 堂上が黙って待っていると・・・待っている間も親指で郁の唇に触れたり、頬をなでたりしていたが・・・郁はおずおずと頷き返す。

「あたしも・・・一緒にいたいです・・・・・・」

 真っ赤な顔でうつむきながらの上目遣いをされて、否と言われても無理だったが、郁の返答は堂上が望んだもの。
 そして、それ以上のもの。

「笠原、寂しくて死にそうでしたから、今夜充電させてください」

 ぎゅっとジャケットの裾をつかまれ、そんなことを言われて平常心を保てる男が居るのならば是非とも紹介していただきたい。
 仙人と呼んでやろう。
 むしろそれは枯れていると言ってやりたい。

「行くか?」

 堂上が促すようにその腰に腕を回し抱き寄せると 郁ははにかみながら少しだけ甘えるようにもたれて歩き出す。
 郁の視界には先まで占拠していたはずの、桜はもうなく堂上しか映っていない。
 堂上は自分以外映っていないその相貌を見て、笑みを深める。






 滅多に見れない綺麗な物。
 それを愛でるのが花見というのなら・・・

「俺は一年中花見でめでたい野郎だな」

 腕の中で幸せそうに眠る郁を見下ろして、堂上は微かな声で呟く。
 一年のほんのわずかだけ見れるから特別綺麗なものよりも、常に傍で愛でられる花の方が堂上にとっては何倍も価値のあるものだ。
 これからも、一番近くで愛で続けたい。
 まだ先のことなどきっと考えても居ないであろう、ようやく手に入ったばかりの大切な花の頬に一つ口づけを落とすと、花を腕の中に抱え込むように郁を抱え込んで眠りに落ちる。

 いつの日か、この特別に感じるひとときが、日常になることを願いながら。





                             Pixiv UP:2014年3月18日
                             サイト掲載:2014年3月23日