お守り






「笠原ぁ、もう今夜はちゃっちゃと寝なさい。今夜は詰め込み作業するよりもしっかり睡眠取る方が大事よ?」

 ベッドに横になってここ一ヶ月ほど参考書変わりに使用していたノートを見ている郁に柴崎が声をかけると、郁は「んー」と聞こえているのかいないのか定かではない返事を返す。
「不安な気持ちはわかるけれど? でも、あんたは考課が最大限+20ぐらいはつくだろうし、ペーパーだって最低限取れるぐらいにはクリアーできているんだから・・・・って、あんた読んでいるのそれ?」
 誰よりも早く始めた昇進試験の勉強。
 査問時と同様に覚えなければならないことは、百回でも二百回でも書いて覚えさせられていた。それこそ、恋人である前に鬼教官に戻った堂上や、それに勝るとも劣らない笑顔の正論鬼。さらに手塚や柴崎も同じ試験を受けるというのに郁の勉強につっききりになっていた。むろん、その筆頭は当然堂上なのだが。
 その堂上が作ったお手製参考書には、堂上がさらに書き込み、やや癖の強い字がびっしりと書き連ねられている。
 郁はこの二ヶ月近くその参考書を何度も開いているため、二ヶ月しか使用していないとは思えないほどぼろぼろだ。
 それを郁はまるで大切な宝物のように指を滑らせている。
「教官の字見ているとなんか安心するっていうか、思い出せそうな気がするんだよねぇ」
 どれほど考課が最大限に加算されようとも、郁としては正直筆記が合格ラインに達する気がまったくしない。士長へ受かったことでさえ奇跡だと思っているのだから、カミツレなど夢の又夢。
 ただ、今回だけは思いっきり背伸びをして、皆に担ぎ上げて貰えば指先が微かにでも届くかもしれない。だから、頑張って勉強してきたけれど、不安は今も消えない。
 だけれど。
 どんなに頭の中が真っ白でも絶対に忘れないものが二つだけある。
「二つ?」
「教官の声と字」
「教官の声と字? そりゃ、忘れないでしょうけれど」
 それが何だというのよ。と言わんばかりだが、郁は柴崎の今更感が籠もった声など聞こえなかったかのように続ける。
「頭真っ白になって何も判らなくなっても、教官の声や字を思い出したら、教えてくれた事思い出せそうな気がするんだよね」
 えへへへ。と笑いながら郁はごろりと寝返りを打ち、ぎゅっとくたくたになっている参考書を抱きしめる。
「文字ならギリギリまで一緒でしょ? だからお守りと安定剤かなぁって、何よその顔」
 あんぐりと口を開いたままの柴崎に郁は頬を思いっきり膨らませる。
「茨城県産純情乙女健在だって思ったのよ。もう乙女じゃないくせに」
「はぁぁぁぁ!?」
 柴崎の言い分に郁は顔を真っ赤にして異論を唱えようとするが、やさぐれモードのスイッチが入った柴崎に通用するわけがない。
「かぁっっ心配してそんした。てっきり緊張で眠れないのかと思ったけれどよけいな心配だったわねー。あーもー何よ大切な試験前夜に何で惚気を聞かされなきゃなんないわけ!? お酒、誰か強いお酒あたしにちょうだい! 飲まないでいられるかって!」
 どこの酔っ払い親父だと言わんばかりに管を巻きはじめた柴崎に郁は、むきになって言い返す。
「ちょ、なんで逆ギレ!? 別に惚気てなんていないし!」
 がばっと起きてくってかかるが、柴崎は野良犬でも追い払うように綺麗な手を振る。
「ああもう、そんなに安定剤が欲しいなら耳元で囁いてもらうなり、キスして貰うなりしてきなさい!」
「はぁ!?」
 消灯まで時間があるが、今日は早く寝ろと言われているため、呼び出しなどあるはずがない。
 あるはずがないというのに、郁の携帯にメールが届く。
 誰からなど確認するまでもなく堂上からのメールで一言「少し今いいか?」と書かれている。郁はこのタイミングの良さに思わず柴崎へと視線を向けるが、柴崎も少し驚いていたため、彼女が堂上になにか働きかけたということはなさそうだ。
 郁が自分を見た理由を察した柴崎は、一瞬で表情を変えるとニヤリと笑みを浮かべる。
「あら。以心伝心? タイミングの良い呼び出しだこと。さすが関東図書基地一のばかっぷる」
「ばかっぷるいうな!」
 そう叫びながらも郁はいそいそとメールの返信をすると、パーカーを羽織って出て行く。
「あんた達をばかっぷると言わないなら、この世からばかっぷるという言葉は消えるわよ」
 その背に向けて呆れたように呟くが、扉に閉ざされた郁の背には当然届かない。







 女子寮から共同ロビーへと続く扉を開けると、すでに堂上が壁に寄りかかって待っていた。
「呼び出してすまんな」
 郁の姿に気が付くなり堂上は身体を起こし近づいてくる。
「いえ、ゆっくりしていたところだったので大丈夫です」
 今夜はもう逢えないと思っていたから、こうして堂上からの呼び出しに郁は嬉しそうに顔を綻ばせる。それにつられるように堂上も普段浮かべる物とは比較にならないほど柔らかな笑みを浮かべると、郁の手を取って歩き出す。
 外に出るとは思わなかったが、玄関に置いてある突っかけサンダルに足をつっこむと、からりと乾いた風が心地よく感じる外へと出る。
 昼はまだ時々三十度近くまで達するが、夜はすっかりと秋だ。虫の音が心地よく聞こえ、空には秋の星座がうっすらと見える。
 気分転換に夜の散歩に連れ出してくれたのかな?と思ったのが、堂上は玄関から少し離れた所で足を止めると、握っていた郁の手を取って、その掌に何かをそっと握りこませる。
「教官?」
 小さな感触に首をかしげると、堂上は視線をやや郁からそらして手を離した。
 憮然とした顔。といよりも、なんか照れている? そんなことを思いながら、郁は握らされた手を開いて、掌の上に置かれた物を確認し  目を見開く。
「きょ、きょうかんこれ・・・・」
 長方形の中に小さく咲く一つの花。
 目指して止まない、花が掌にあった。
「お守りだ。無事に任務を果たしたら返せよ」
 いつかの嵐の時のように、堂上はそれを郁に預ける。
 郁はそれをぎゅっと握りこんで胸元に引き寄せ、何か言おうと口を開きかけるが、唇がわなないて上手く言葉にならない。それどころか、なぜか視界がかすんでしまって堂上の顔が呆ける。
 照れていたような顔はだんだんと呆れになり苦笑へと変わっていく。
「ばか、泣くほどのことか」
「だって、だっ・・・・」
 これ以上のお守りがあるだろうか。
 あの日あの時この人の襟元に着いていたバッチ。
 コレを目指して今まで頑張ってきた。
 あの人にお礼が言いたい。
 あの人に憧れて図書隊に入りましたと。
 一緒に本を守りたいと。
 言いたくて追いかけてきた。
 今ではただ憧れるだけではなくて、おいかけたいだけの背ではなくて・・・・
 飛びつくように堂上に抱きつく。
 どんなに勢いよく抱きついてもぶれない身体。
 難なく受け止めてくれる腕と胸に思いっきり抱きつく。

「お前なら大丈夫だ」

 耳元で囁かれた堂上の言葉に郁は声にならない声で何度も返事をしながら頷き返す。

 あの茨城の小さな本屋で一人の図書隊員と出会いに助けてもらったあの日から、明日で9年。
 9年目の10月4日。あの時の三正と同じ階級になるための試験を受ける。
 これはただの偶然か、それとも悪戯か。
 郁は目指して止まない一つの花を手に握りしめ、力一杯に答える。


「笠原、明日悔いが残らないように頑張ります!」


 カミツレが、その襟元を飾るのは一月後のこと。
 


                 end



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スパークのペーパー用にするつもりだったけれど、予想より長くなってしまったので、普通にサイト用にチェンジ。サイト用としては短いのですが(^^ゞ
ペーパー用の話は別途用意しました。

昇進試験がいつなのか実際は判りませんが、11月に試験結果が発表されていたので、約一ヶ月前の10月4日ということにしちゃいました(笑)
話のネタ的には3日の夜にUPしたいところでしたが・・・
スパークの原稿が3日〜4日にピークを迎えているはずなので、前倒しでUPさせていただきました。

楽しんでいただけましたら幸いです。
             pixiv up:2014/10/1
             サイトup:2015/4/3