最終話







「麻衣」
 寝室のドアを開けて、ナルが静かに入ってくる。
 半身を起こして背もたれに身体を預けていた麻衣は、ノックもせず入ってきたナルに文句を言うが、ナルは意に返さない。「ここは僕の寝室だ」と言われてしまえば、文句が言えないのは麻衣の方だ。
 強制的にジーンを目覚めさせ、何の儀式も準備も行わず降霊(というより無理矢理憑依されたに近いが)をしジーン(死者)に身体をかし、さらに強大な力の受け渡しを繰り返していたショックはかなり大きかったらしく、麻衣は重度の貧血状態に陥っていた。それも今は殆ど快復し、一応様子を見るためにナルのマンションで静養している。

 あの後、旅館で目が覚めた麻衣は男達の情念に縛られ成仏できなかった千尋も、安らかな眠りにつけたことを伝え、この事件は漸く彼らの中でも幕を閉じた。それだけではなく、麻衣の能力の暴走にも幕が下りたのだった。
 いきなり目覚めたサイコメトリーの能力は、事件が幕が降りるとともになりを潜めてしまったのだ。
 暗示が掛かっているとはいえ必要過程をクリアーすれば、能力は発動するはずである。幾ら、能力が不安定でコントロールがうまくいっていないとは言え、ナルがサイコメトリーを上手く出来るようトランス状態へ導いているにもかかわらず、麻衣は何も視えないという。
 一瞬皆、麻衣が何か見ることに怯えているのか…能力を否定してしまっているのか、そう思ったのだが、どうもそうではなく本当に何も見えないらしい。まったくというわけではない。日によって見えるときと見えないときがあるようだ。だが、見えるときの方がごくまれで、さらによほど思い入れが残っている物でないと全く視えないという。
 その事に一番本人が驚いていた。
 森に巣くっていた妄執が麻衣の能力を呼び覚ましていたとしたなら、それが消えたことによって沈静化したというのだろうか?
 麻衣はその事に喜んでいたが、その能力が消えたわけではあるまい。以前「おこぶ様事件」の時にも何の前触れもなくサイコメトリーをしたことはあるのだ。また、いつ今回と同じ様にいきなり能力が暴走することが起こるか判らない。
 今後の課題としては、いつ突発的に能力が目覚めるか判らないのだから、本人がパニックに陥らないようにメンタル面を鍛えなければならなくなるのだが……果たして、この娘のメンタル面が鍛えられるのだろうか?
 どちらかというと打たれ強く、不屈で、負けず嫌い、何よりも真っ直ぐに前を見続けることの出来る麻衣だから、精神的に弱いとは思ってはいないが……そう言う人としてある意味+的要素を持つそれらは、ハッキリ言えばマインド・コントロールをする上ではけっこう邪魔だったりする。
 何があっても慌てず、動じず、冷静沈着に物事に対応していくことが出来なければ、その場の感情にすぐ流されパニックを起こし、対象物に意識が引きずられてしまう可能性が非常に高くなってしまう。が…この娘に慌てず、動じず、冷静沈着に物事に対応する……と言うことが可能であろうか?
 今までの彼女の行動を分析する限りだと、限りなく「否」に近い――気がする。考えるより先に行動を起こす。考えたときには既に何かが起こっている…今までのことを学習して言うならば、そんな結果しか出てこない。
 それが悪いことだとは思わない。ただ、彼女の良い性質を壊すことなく、かつ、マインドコントロールを出来るようにする…果てしなく、時間が費やされそうである。その間当然癇癪を起こし、投げやりになるであろう事を考えると…さらに時間が掛かりそうだ。
 麻衣の精神を護るためには必要なこととはいえ…それらに手間取られることを考えると少々うんざりもするが、他人(リン)に任すこともできないためしかたないことだ。
 取りあえずは体調が良くなり次第、初歩的なことから初めて行くしかないだろう。まぁ、安原の言葉ではないが論理的に覚えさせるより、身体に覚えさせる方がきっと早く身につくに違いない。
 滝川なんぞは『麻衣が危険だと察知したときに発動する警報機なんじゃないの?』と呑気な物である。言われてみればそんな物かもしれないが。
 言われた当人は面白く無さげに頬を膨らませていたが、どちらにしろ彼らの言の方が非常に正しく、麻衣という物を語っているのは確かだ。
 口で説明してもきっと半分も理解できないのだから、その時間は割くことにしよう…何げに麻衣が聞いていたら、顔を真っ赤にして怒りそうなことをさも当たり前のように考えているナルだったりするのだが、当然麻衣は知らない。もちろんナルの気苦労も知らず、皆に何げにバカにされつつも、ぽややや〜〜〜〜んと、サイコメトリーが出来なくなったことを素直に喜んでいたりするのだが。

 旅館で移動が可能になるまで身体を休め、ナルのマンションに戻っては来たのだがまだ、本調子ではないためこうしてベッドの上での生活を余儀なくされている。とはいえ、既にあれから一週間近く立っていることもあり、だいぶ体調は元に戻り紙のように真っ白だった顔にも血の気は戻り、うっすらと赤みが差してはいる。
「これに懲りたらもう、無理なことはしないことだな」
 綾子が差し入れに持ってきてくれた物だろう。綺麗にカッティングされている桃をガラスの器に入れて、持ってきてくれたナルから受け取ると、よく冷えた桃を頬張りながらプイッと横を見る。
「ナルがいけないんでしょっ」
 私は悪くないもんっと言外に言っている麻衣に、ナルは柳眉をしかめる。なぜ自分が悪いと言われなければならないのか。
「PKの力は使っちゃ駄目なのに、ナルは使おうとしたじゃない」
 あの時もしも、ジーンが呼び声に応えてくれなかったら…そう思うと、今でも心臓が何かに握り潰されているように痛くて苦しい。
 込み上げてくる嗚咽を呑み込むようにぎゅっと唇を噛みしめ、タオルケットを小さな拳で握りしめる。その拳が微かに震えていることを見逃すナルではないが、あえて淡々と言い放つ。
「あの場合はああする以外なかった。
 あのままでは確実に人死にが出たからな」
 それは判っている。例え、あの時危険にさらされていたのが自分ではなく他の人でも、ナルは同じ事をしただろう。人一倍責任感の強いナルが、みすみす何の手も打たず目の前で誰かを危険にさらすことはしない。
 ナルは最善の方法を選んだだけだ。万が一の可能性はあるかもしれないが、確実というわけではない。だが、ナルが動かなければ確実に死んでいたのだ。ナルが何よりも護りたいと思っている麻衣が。
「でも、ナルがへたしたら死んじゃう所だったんだよ?」
 漆黒の視線から逃れるように麻衣はナルから顔を逸らして、桃を食べながらふてくされたように言い募る。ナルを見て言う勇気はなかった。でないと、また泣き出してしまいそうだから。
 目が覚めたときは既に旅館に戻っていた。最初に視界に入ったのは心配そうに覗き込んでいる綾子と真砂子。だが、麻衣はナルの姿を探し求め視線を辺りに移す。幾ら辺りを見渡せどナルの姿が見えなかったとき心臓が今にも止まりそうな程痛かった。
 いない…いない…いない―――
 不安で、確かめたいのに確かめることが怖くて、声が出せなかった。
 麻衣が目覚めたことに真砂子がみんなを呼びに行き、ナルが姿を見せるまでそれほどの時間はなかったはずなのに、目が覚めてナルを見るまでの時間がすごく長く感じて、いつものように無表情な顔を見た瞬間、安心して声を上げて泣いていた。
 目眩がまだひどく立ち上がった瞬間崩れかかるのを、その力強い腕に支えられた。自分を支える確かな温もりに、いきなり立ち上がった麻衣を叱咤するナルの声よりも早く、その腕に、胸にすがって声を上げて小さな子供のように泣いていた。
 無表情なのは変わらなかったが呆れたようにも、戸惑っているようにも感じたが、やがてナルはポツリと小さな声で呟きながら優しく抱きしめてくれた。それがなおさら嬉しくて、安心して歯止めが利かなくなり、泣き疲れて再び眠ってしまうまでその腕にすがって泣き続けていた…最後は、嗚咽だけで声すら枯れて出なくなっていたが。
 後で、滝川が複雑な顔で麻衣とナルを見ていたと綾子が冷やかしながら言っていたが、あの時は本当にナル以外目に入っていなかった。
「あの程度では死にはしない」
 いつだったか力を使ったときよりかは抑えていたのだから。左手は使い物にならなくなる可能性はあったが、死ぬ気はなかった。
 置いていかれることをひどく嫌う彼女を一人残して、逝けるわけがない。
 必死になって顔を背けている麻衣の顎に指を伸ばし、自分の方を見るよう上げると、案の定その鳶色の双眸は涙で滲んでいた。
「勝算がなくてするわけがないだろう」
 ナルはそう言うが、あのまま使っていたら危険だったと言うことを麻衣は知っている。
 別れ間際にジーンが言っていたのだ。
 ――いつも、僕が助けに来れるワケじゃないから、これからは麻衣がナルのことをサポートして上げてね。やり方はもう判ったでしょ?
   麻衣、ナルのことをよろしくね。
   怒りに我をなくす事なんてめったにないとは思うけれど、それでも暴走しそうだったら麻衣が止めて上げてね。二人は僕のように早くこっちに来ちゃ駄目だよ……
 ジーンは朗らかに笑いながら闇の中へと消えていった。
 ただ麻衣は、ジッッッッと何か訴えかけるような恨めしげな眼差しで、唇を噛みしめながらナルを見上げていると、諦めたように溜息をついて一言ぼそりとナルは告げた。
「次からは気を付ける」
「そうしてよねっ」
 両眼に涙を浮かべつつも麻衣は、ニッコリと笑顔で明るくいいのける。現金なまでにニッコリと笑顔を浮かべている麻衣の額を軽く指でピンッと弾く。
「何するかなっ」
 額を片手でさすりながら眉をつり上げてナルを見上げるが、ナルは楽しそうに麻衣を見下ろしている。
「過労と言うことにしておいてやるから、感謝することだな」
 ありがたいナルの申し出のはずなのに、麻衣は素直に礼が言えない気持ちのままベッドに横になり頭からタオルケットをひっかぶる。元はと言えば全てナルがいけないんだと、ぶつぶつ呟きながら。
 くっくっくっくっくとバカにするような笑い声が頭上から聞こえてきたが、ベッドが微かなきしみを上げると、柔らかな感触がこめかみをかする。そして、静かな声が耳朶を掠めて離れていった。
 麻衣は嬉しそうに顔をほころばせて、タオルケットから目だけを覗かせると寝室を出ていくナルを見送る。






「ジーン、大丈夫だよ」






 もう、二度とあんな思いはしたくないから。


















☆ ☆☆ 作者の戯言 ☆☆☆
やっと・・・やっと終わりました・・・足かけ約二月弱。ひじょ〜〜〜〜〜〜〜〜うに長い間、お付き合い頂けて、本当に嬉しいです♪
それなのに、何だか良くわけの分からない話で、そのあげく強引でごめんなさいです。
その上やたらと長いし……過去最高に長いし、いまあるストックの中でも最高に長いです(笑)それなのに………とにかく、記憶の欠片の理由にならない理由です(爆)
途中・・・どころかほとんど二転三転し、継ぎ接ぎだらけのため、矛盾が生じていることを酷く恐れていたりします(笑)だから皆様・・・矛盾点を、あえて捜さないで下さいねv天華からのお願いだったりします(泣笑)
しかし、見事なまでのご都合主義でまくり(苦笑)この話でほんの一部ネット上で調べたことが載っている他は、全て天華の想像のみで賄っています…色々と変な説明書きは、取りあえず…聞き逃して下されv

本当は、この話に出てくる吉田君(森の神)も石渡君(思い込み君)も可哀想な、設定のはずだったんです。そもそも、森の神は本当に神様・・・というか信仰の形だったはずだし・・・・・・それがいつの間にか・・・・・
まっ、きっとこういうこともあります。あると言うことにしておいて下さい(汗っ)

皆様、ここまでお付き合いして下さって本当にありがとうございます♪










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