罪の苛み








 実験終了後も何度か、美智子は音が聞こえると訴えたり、女の人が恨めしげな目で自分を睨んでいると訴えることがあったが、彼女以外の人間がそれを確認することもなく、静かに夜が明けた。
 ナルと麻衣が和室の扉を開けると、そこには動かないはずの花瓶が台の上から落ちて粉々に砕け散っていた。
 無表情でそれを眺めるナルだが、麻衣は驚きを隠せない。
 これが動いたと言うことは、ポルターガイストは霊の仕業ではなく、人の無意識下の力が動かしたと言うことになるからだ。この場合考えられるのは美智子と各務の二人しか当てはまらない。
 俗にRSPKを起こすのはローティーンや感受性の強い女性に多いと言われている。美智子は既に三十代になっており、ローティーンとは言えないが神経はかなり細い。その上、事故とはいえ、人を殺し流産をしたという事実が、精神を抑圧している。
 はたして、この事実をあの女性が受け入れることが出来るだろうか。
 ナルは各務だけをベースに呼びつけ、調査結果を知らせることにした。その上で、対処の選択を彼に任せる。妻である美智子に全て真実を話し、現実を見つめさせるか、もしくは、浄霊、除霊したと言うことにするか、忌まわしい記憶が残るこの地を離れるか。
「妻の潜在意識が起こしているんですか…?」
 一通りの説明を聞いた各務は信じられない話を聞いたと言わんばかりに、掠れた声で問い返す。それはそうだろう。今まで普通の生活をしていた人間が実は、潜在的な能力者でしたと言われて、はいそうですかと納得できるわけがない。
「説明したとおりポルターガイストには人の無意識下で働いた現象と、霊による現象の二パターンがあります。こちらでの調査の結果、霊ではなく人の無意識下で起きたものと判断します。
 美智子さんにとって、事故を起こしたこの土地はかなり精神的抑圧を受ける地なのでしょう。
 この地に引っ越され、今まで思い出さないでいた記憶が、川崎という地に戻ってきたことで忘れていた・・・思い出さないできた記憶が思い出され罪の意識に苛まれているところで、ご自身が妊娠されているという不安もあります。自分一人が幸せになっている。それを全てを奪われた彼女が許すはずがない。
 全てを奪った自分が幸せになっていいわけがない。その無意識下の強い思い込みが今までのような現象として、現れたのだと我々は思います。
 どのような、処置方法を望まれますか?」
 ナルの言葉に、各務は苦虫を噛みつぶしたかのような顔で、しばらく考え込む。二度とこんな事を繰り返さないためには、全てを話彼女自身が納得することだと判ってはいるが、今の状態でそれを認めさせるのは、身体にも触るしなによりもまたノイローゼになりかねない。
 かといって、この地を離れることもできないとなれば……
 一番よいのは浄霊してもう霊はどこにもいないとなれば、彼女の気も休まるだろう。例え、それが嘘とはいえ思い込みでこのような状態になっているのならば、その思い込みを最も負担がかからない方法でなくしてしまえばいいのだ。
 霊能者による浄霊により、霊は鎮まったと。
 霊は安らかな眠りにつき、もう貴女を迷わせるものはないと。彼女自身が納得すればポルターガイストという現象もなくなるはずだ。
「申し訳ありません、形だけでよいですから浄霊もしくは除霊という形を取ってもらえませんでしょうか…それで、妻が落ち着くのならばお願いします」
 各務がどのような形で締めを願うかナルも想像付いていたのだろう。その手はずを整える事を承諾する。それの結果を想像しあらかじめナルに一言言われていたとは言え、麻衣は複雑な表情を隠しきれず俯いてしまう。
 自分の母親はやはり関係なかった。あれは、美智子の被害妄想なのだと言うことが、判明した時点で気持ちはだいぶ落ち着いてはいたが、やはり複雑な心境は隠しきれない。幾ら事故とはいえ自分の罪の重さを受け入れられず、現実から目をそらしたあげく、その重責に堪えきれなかった形を、恨まれているという形で具現化している彼女を、やはり麻衣は同情しきれない。
 麻衣としては、ちゃんと逃げずに見て欲しい。
 自分の母親は人を恨むような人ではないのだから、そんなに追いつめないで欲しいと言いたい。だが、それは依頼人の希望するところではないのだ。そんな会話が進む中にいられなくて麻衣は、静かにベースを出てキッチンへと向かう。
 そんな麻衣の心境が分かっているのか、綾子と真砂子が追いかけるように出てきた。
「麻衣…」
 気遣うような声に麻衣は苦笑を浮かべて顔を上げる。
「へいき…お母さんのせいにされるのはちょっと悲しいけれど、もう、取り乱したりはしないよ…何だか、皆に知って貰えて少しスッキリしたし。こんな事なら最初に言っておけば良かったね」
 力無い声だけれどそれでもハッキリと言う麻衣に、綾子は元気づけるように小突く。
 麻衣の母親を悪者にするような結末になってしまったが、麻衣も彼女を囲む皆が真実を知っている。自分が信じて欲しいと思う人達に信じて貰えるならば、それでいい…
「そーよ、あんたみたいに普段考えて行動しない子が、ぐるぐる考えたっていい事なんて何もないんだから、余計なことは考えないの」
「そうですわ。考えることは全てナルに任せてしまった方が、麻衣の場合はよいのではなくて?」
「ひどいなぁ〜〜〜」
 ぷぅ〜と小さな子供のように頬を膨らませてすねてみせる麻衣だが、二人ともコロコロと笑っていて相手にするつもりはないようだ。
 紅茶を淹れてベースに戻ると浄霊を誰に頼むかという話になっていた。ジョンか滝川のどちらがいいかという話になったとき、ジョンの方が精神的に和んで落ち着くのではないだろうかと言うことになり、ジョンに連絡を入れようとしたとき二階で休んでいる美智子の悲鳴が聞こえてきた。
 慌てて二階に駆け込むと、ベッドを囲むように白い靄の人影がゆっくりとさまよい歩いている。
「許して…お願い、許して…」
 美智子は大きなお腹を守るようにしながら、その白い靄に向かって頭を下げている。
「わざとじゃない…あれは事故なの……お願い…許して!!」
 血の気がすっかりと引き真っ青な顔で、彼女は訴えるようにうわづったこえで叫び続ける。悲鳴を聞きつけた各務が美智子のもとにかけより、震える身体を抱きしめる。
「美智子さん」
 ナルが声をかけると美智子は救いを求めるように、視線をナルに向ける。
「助けて!! 殺される!!
 私、この女に殺されてしまうわ!!!お願い…お願いだから…お願いしますっっっっきゃぁっっっっ」
 まるで彼女の恐怖を煽るように、寝室の窓硝子が音を立てて割れる。クローゼットの扉が荒々しく開閉し、小物や家具が激しく震動し宙に浮く。これが全て人の無意識下の力によるものだというのだろうか…各務も顔色をなくして荒れ狂わんばかりのそれらを呆然と眺めている。
 ナルはリンに、急遽除霊の支度をして彼女の気を落ち着かせた方がいいだろうと指示をするが、その前に麻衣が動いてしまう。
 誰も止める暇もない。ドアの前にいたナルとリンの隙間をくぐり抜けるように、荒れ狂う室内に足を踏み入れる。襲いかからんばかりの勢いで飛翔しているものに気をつけながら彼女に近づくと、怯え震える彼女の両腕をしっかりと掴む。

「私のお母さんは、誰も憎んでいません――――――――これは、あなたが無意識が起こしていることなんです」

 静かな、静かな声が響き渡る。
 その言葉に美智子を支えていた各務の両眼が見開かれる。
「き…きみ……は―――――――――」
「娘です。谷山静恵の娘です。私は」
「む―――す、め?」
 美智子がその一言を呟くと宙に浮いていたものが勢い良く床の上に落ち、荒々しい開閉を繰り返していた扉はその動きを止める。
「お母さんの、せいにしないで下さい。
 お母さんは誰も恨んでいません…誰も、恨んでないんです」
 本当のことを言うのは依頼主である各務は望んでいない。咎めるような目で麻衣を見るが、麻衣は気にせず言葉を続ける。チラリ…とナルに視線を向けると、ナルはもういってしまったものは仕方ないと言わんばかりに、麻衣を諫める様子は見られない。
「で…でも、白い靄が!!」
 ポルターガイストはおさまったが、白い靄はまだ彷徨うようにそこにあった。
 麻衣はそれに視線を向ける。
 白い靄。人に視えるかもしれない。だけれど、それはあくまでもそう見ようと思えば見えるだけのもの。彼女の『恨まれて当然』という強い思い込みが見せているだけの幻。そこに、意志という物を感じ取れることはない。以前視たときになぜ気付かなかったのだろう。取り乱さなければ、頭から思いこまなければきっとあの時に気が付いたはず。
 ただの、空気そのもののこの存在に。
「これは、あなたが憎まれている、恨まれているという強い思い込みから起こっているんです。憎まれているから、恨まれて当然だから、呪われている。幸せを壊そうとしている、そうならなければならないと言う、強い強い思い込みから、こんな現象が起きてしまったんです」
 違う・・と否定するように彼女は頭を振る。
 自分は普通の人間だ。こんな事が出来るわけがない。
 ポルターガイストは実はあなたが原因ですと言って、はいそうですかと信じられる人間がいるわけがない。麻衣は、それ以上その事には触れず、言葉を重ねる。
「あなたが罪の重さに耐えきれなくて、忘れたいと思うならそれで私はいいと思います。
 でも、これだけは言わせて下さい。お母さんのせいにだけはしないで。
 お母さんは、私に誰も憎んじゃ駄目って言い残してくれました。正直に言えば私は、あなたのことも、あなたが事故を起こす原因となったトラックの運転手も憎んだし、恨みました。
 今だって、許せるかって聞かれたら無理だって応えます。
 私のたった一人の肉親です。大事な大事な家族でした。許せるわけがないです」
 許せるわけがない。そう言いながらも麻衣の声は静かで、激情は感じられない。リンや安原は止めた方がいいのかナルの方を伺うが、ここまできてしまったら下手に止めさせない方がいいだろう。
 麻衣がどういう風に決着をつけるのか、彼らは少し離れて見守ることにした。
「あなただって、私のこと憎いでしょう…殺したいって思うほど憎いでしょう?
 だって、私はアナタからお母様を奪ってしまった女ですもの!お母様から全てを奪ってしまった女ですもの!そんな、私が幸せになることを許す人なんているわけ無いわ!! 実際に、あなただって許せないでしょう!?
 許せる分けないわ。私なら許せないもの。
 そんな私が許しを請う方が間違っているのは判る。だけれど、私はまだ死にたくない!!」
 どっちが糾弾されているのか、判らなくなってきそうだ。
 麻衣は辛い顔で目の前の女性を見ている。
 美智子は恐怖に顔を歪めて、麻衣の両腕を強く握りしめ叫んでいる。

 ――許して欲しいのだ

 麻衣は唇を強く噛みしめて両眼を閉ざす。
 彼女は、自分の心を苛んでいる罪を誰かに許して欲しいのだ。
 いや、誰かではない。罪の原因となった今はいない麻衣の母に、そして、一人残されてしまったその娘の麻衣に……
 許せるだろうか…
 昔の自分ならきっとできなかった…母や自分のせいにして、罪の意識から逃れようとする彼女をきっと許せなかっただろう。人のせいにしないでって叫んだかもしれない。正当な理由があるにしろ、事故を起こしたのは彼女自身であり、それによって自分の母は命を落としたのだから。どんなに言いつくろっても事実は変わらないのだから逃げないでって…叫んだだろう。
 代理人だけをよこして、姿を現さなかった彼らを憎んだこともあった。
 なら、今は?今の自分ならどうする…?
 昔ほど、各務家の人達を思い出さなくなっていた。
 あの時彼女が車を走らせてなければ、ハンドルを切らなければ…そう思うことはほとんどなくなっていた。
 思い出すほど暇ではなくなったこともあるけれど、母の変わりにではないけれど大切な人が出来たからかもしれない。それだけ、前を見て歩く余裕が出来たと言うことと……誰か、傍にいてくれると言うことが、後ろをみなくてすむようになったからかもしれない。

「私は、もうあなたのこと恨んでなんて、いないです…」

 まだ、複雑な気分は拭えきれない。できれば、もう二度と会いたくはない。
 でも、『許せます』とは言えないけれど『恨んではいない』のは事実。憎んでいるの?恨んでいるの?と聞かれれば今なら否とはっきり応えられる。
 『仕方ないあれは事故なのだから』
 そんな言葉で片づけて欲しくないし、片づけられない。わだかまりの全てが無くなっていたのなら、この事件を目の前にして逃げ出したり、戸惑ったり、立ちすくんだりするような事にはならなかった。
 逃げ出したのは、やはりまだわだかまりが残っているから。
 きっと、それは消えることはない。一生消せることは出来ないし、消せと言う人もいないだろう。
 間違いや失敗で取り返しが着くようなことではないのだから。いつまでもねちねちと根に持ってないで…何て言う人なんてきっといないだろう。
 逆に、自分が言った言葉の方があり得ないかもしれない。
 麻衣の言葉に美智子はおろか各務ですら、信じられないように麻衣を凝視している。麻衣は苦笑を浮かべると二人を見比べる。
「許せるかって聞かれたら判らないですけれど…でも、恨んだり憎んだりはしてないです…もちろん、お母さんも。
 きっと、お母さんなら自分の事なんて忘れて、自分の為に生きなさいって言うと思います。あなたのように思いこんで追いつめる方が、お母さん悲しんでいると思います…だれもあなたのこと恨んでないです…許す、許さないなんて関係ないですから…だから、お母さんのせいにしないで下さい」
 麻衣としてはそっちのほうが悲しい。
 自分の母のせいにされてしまうほうが、もっとも嫌なことだ。それこそ、そんな形で終わった時は彼らのことを憎むだろう。罪を認めることも出来ず、ただその意識から逃げ、被害者たる母のせいにして心の平穏さを取り戻した彼らを、一生許せない。
 だから、認めて欲しい・・・・これは、母の起こした現象ではないのだと。
 麻衣の静かな言葉に白い靄が微かに揺れ出す。
「本当に…あなたは、私のこと恨んでないの―――?」
 信じられないのだろう。確認するように麻衣を見ている。
「恨んでません…だから、もう…こんな事止めましょう?」
 その言葉に従うかのように、白い靄はゆっくりと霞んでゆく。
 はらはらと、今まで内にため込んでいたものを流すかのように、美智子の両眼から涙が溢れ頬を流れ伝う。
「ごめん…なさい…私、あなたのお母様を……」
 大きなお腹を気にすることなく、彼女は麻衣に向かって深々と頭を下げる。
 麻衣はその手を取って小さな声で呟く。その時何を呟いたのかナル達の耳にまでは届かなかった。


 ただ、彼女の涙が頬を流れるにつれて白い靄は姿を薄くし、完全に姿を消すまでそう時間はかからなかった。その後、二度と各務夫妻を苛むことはなかったという。











 撤収作業を終えマンションに戻ってきた麻衣は、再度ナルに向かって謝罪の言葉を口にする。ナルの指示に従わず真実を彼女に言ってしまったこと。調査を途中で放り投げて逃げ出したばかりか、指示にさえ従わなかったのだ。
 どんなお小言を喰らっても仕方ない。
 ナルはチラリ…と麻衣を一瞥すると深々と溜息をもらす。
「今回は、いい方面へ働いた。だが、こうなることは希だ。自分の判断で勝手なことは二度とするな」
 下手をすればさらにポルターガイストが悪化し、美智子自身の身体にも支障が出たかもしれない。守るべき依頼人を危険にさらしたことには変わりはないのだ。
 例え真実であろうと、それを突きつければいいだけが答えではない。
 しゅんと項垂れている麻衣に、それでもハッキリという。ただ、甘やかせばいいと言う物ではない。リンなどは、今回はあまりきついことは言わないようになどと言っていたが、幾らきつく言ったとしてもまた次回似た様なことがあれば、この娘は一人で暴走するに決まっている。それが判っているからこそハッキリ言った方がいいのだ。
「止めないでくれてありがとう…」
 人の話を聞いているんだかいないんだか、麻衣は神妙な顔で項垂れていたが、晴れ晴れとした笑顔でナルを見上げる。
 依頼人にとっても今回はいい方へたまたま働いた。麻衣にとってもこの結末が最も最良の形で終わったとはナルも思っている。途中経過がどうであれ、麻衣はベストな形で終わらせたことには変わりない…変わりないのだが、少々強引すぎるし、周りを見なさすぎるのは相変わらずだ。
 今はいない片割れがこの場にいたら「終わりよければ全て良し」と言っただろうか。そう言う問題でもないというのに、彼ならば途中経過がどんなんでも、最終的によければ「いい」で済ませてしまうところがあったから。
 ナルはそれ以上言うのを諦めたかのように、深々とわざとらしい溜息をもらす。
「何よ、その溜息は」
 あまりにものわざとらしさに、笑顔を浮かべていた麻衣が頬を膨らませる。
「幾ら言っても、無意味なものは無意味だと言うことを痛感したまでだ」
「どういう意味?」
 片眉が跳ね上がり不機嫌そうな顔を作るが、ナルは相手にするつもりがないのかファイルの束を持って書斎へと足を向ける。逃げるなっと叫ぶ麻衣にいつも通りの台詞を残して、自分の居城へと姿を消す。
 文句を言いつつも麻衣はナルのためにとっておきのお茶を用意し、書斎へと運ぶ。邪魔にならないようディスクの脇のサイドテーブルにカップを置く。既に仕事に夢中になっているナルには、周りのことが目に入っていないのだろう。麻衣の行動に目を向ける素振りもなかったが、書斎を出ていく麻衣に向かって一言告げる。
 その言葉は麻衣にとって思いにもよらなかったが、麻衣は綺麗な笑みを浮かべて頷き返した。


 素っ気ないその一言が、すごく嬉しかった。
 綺麗な綺麗な花束をいっぱい持って、会いに行こう。
 大好きな人と一緒に、大切な人に会いに行こう……

















☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 だからどうして、厳しいナルという物が書けないんでしょう?私って……
 無闇に甘いナルばかり書いているようだから、時にはナルらしいナルを…と思っても毎度毎度毎度失敗している。今度こそ!!!と思って、今回の話書いても、あえなく惨敗。難しいです「厳しいナル」というものは。
 でも、いつかリベンジしてやる…フフフフ…このリベンジ宣言成功する日は来るのであろうか………フフフフフ……(力弱)
 あ、麻衣の母親の名前ですがわからないんで適当につけちゃいました。もし、また母親の名前を使う時があったら、また別の名前になっているかもしれんです・・・・・


End