日記SS1.


「ママ、どうしたの?」
 ぼんやりと外を見ていると、すでに眠っているはずの娘が何時の間にか近寄ってきていた。
 自分を仰ぎ見るように首を傾げている。
 もう時期四歳になろうとしている双子の娘の一人だ。
 眠そうに瞼をこすっている。
「メイ?お目目さめちゃったの?」
 最近またずっしりと重くなってきた、それでもまだ軽い娘の体を抱き上げる。
 メイはきょとんとした眼差しを向けてきながら、しばらく考え込むように首をかしげて麻衣を見る。
「ママ、パパいなくて寂しい?」
「そんなことないよ?」
 麻衣はそういうがメイは首をかしげたあと、ふるふると首を振る。
 小さな紅葉のような両手を麻衣の頬を包む込むように伸ばす。
「ママ、寂しそうだよ?」
 その言葉に麻衣は苦笑を漏らす。
 イギリスではナル好みのケースがなく、ナルは再び日本にあるオフィスへと戻ると言い出したのが今からニ〜三ヶ月前。それから、再び日本へ行くためにいろいろと準備をしだし、ここの所ろくすっぽ顔を合わせない日々が続いている。
 すでに、イギリスにきて五年が過ぎようとしているのだ。その生活にもなれ、子育てに追われる昼日中はナルの不在を寂しいとは思わないが、こうして子供たちが寝静まった夜になるとふと彼の存在がないことが寂しく思う夜がある。
 この、人一倍感受性の強い娘には伝わってしまったのかもしれない。
「そうだねぇ・・・寂しいかもしれないなぁ・・・ナル、いそがしいもんね」
 麻衣が苦笑とともにつぶやくと、メイもコクリとうなずく。
「メイがいても寂しい?」
 伺うように聞いてくるメイに、麻衣は軽く首を振って否定する。
「今はメイがいてくれるから、寂しくないよ」
 そういうと、メイはにっぱりと笑顔を浮かべる。
「じゃぁ、今日はメイがパパの変わりにママと一緒に寝てあげる」
「ありがとう。じゃぁ、もう夜も遅いから寝ようか?」
 麻衣は大切な宝物の一つを抱えて、一人で寝るには広いベッドルームへと向かったのだった。
















日記SS、2


 新東京国際空港・・・千葉県にあるのになぜか東京という名前がついている、日本と外国を結びつける玄関口。
 日本人だけではなくて、ありとあらゆる国籍の人間が右へ左へと移動している。
 ざわざわとざわめいているロビーの中で、一際視線を集めている団体がいた。
 年齢層は若干ばらつきのある男女の団体である。
「出産してからでもいいじゃないかぁ〜〜〜」
 三十代前半と思われる茶髪の男、滝川がここまで来ていまだにごねる。
「でも、そうすると長時間飛行機に乗せるの大変だし」
 そろそろ目立ってきた腹部をさすりながら麻衣は苦笑を浮かべる。
 この中に、二つの命が入っているとはとてもではないが思えない。
「そうよ、赤ん坊二人も抱えてイギリスなんて行くの大変なんだからね!いいかげんにしなさいよ」
 威勢がいいのは、綾子である。
「そうですよ。麻衣さんの出産に間に合うようにイギリスへ行けばいいんですってば」
 にこやかな表情で告げる安原にたいして、それでもまだごねている滝川。
 出産とは予定のたてないものだ。出産予定の一週間前から渡英するつもりでいるのだが、場合によってはその前に出産してしまうかもしれないのだ。娘のように可愛がっている麻衣の出産には是非立ち会いたいと思っている滝川は、その事を懸念しているのだ。日本ならば、すぐに連絡さえ貰えれば立ち会えるが、イギリスではそうも行かない。
「その時はその時ですわよ」
 と、無情なことを言うのはいい加減うんざりしている様子を隠しきれない真砂子である。
 ジョンは和やかな表情で「全ては神様のお導きですさかい」と宗教人らしいことをいい、リンとナルは相手にしていない。
「ナル、幾ら安定期に入っているとはいえ、麻衣は妊婦なんだからな。気をつけろよ」
 ここまでの道中いい加減うんざりしてしまうほど聞いてきた台詞を、再び繰り返す滝川。
「まったくもう、あんたもしつこいわよ」
 そう言いながらどつく綾子。
 今まで見慣れてきた、このやりとりもこれからはいつものように見ることが出来なくなるのだ。
 そう思うと寂しさが沸き上がってくる。
 ナルの帰国が正式に決まって、当然一緒に渡英することになったのは今から一月前のことだ。オフィスはそのままリンが引き継ぐことになり、安原と共に切り盛りしていくことが決まっている。
 今では、真砂子もテレビの活動よりもSPRの仕事を重点的においており、ナルと麻衣が欠けようとも業務には差し障りはないだろう。今までのように滝川達も協力者という名目で、調査には参加し続けるのだから。
 だが、その中にもう自分が入ることはない。
「皆も、元気でね」
 そろそろ出国手続きをするために、中へと入らなければいけない時間が近づきつつあった。
 今生の別れではないし、逢おうと思えばいつでも会えるのだが、それでもこれまでのように気軽に会える距離ではなくなってしまうと思うと別れにくい。
 思わず涙が浮かびそうになるが、麻衣は堪え笑顔を浮かべる。
「ナルに愛想つきたらいつでも戻ってきてもいいからな」
「家出したくなったら、いつでもウチへいらっしゃい」
 あり得ないとわかっていながら言う綾子と、半ば本気の滝川。ナルがじろりと滝川を睨もうと、滝川は痛くも痒くもない。
「その時は、赤ちゃんも連れてきて下さいね」
 と、悪のりをするのは安原。
 こうして、戻るところはいつでもあるのだから、旅だって行きなさいと言って貰っているような気がする。
「麻衣、これ」
 真砂子は手に持っていたお守り袋を二つ手渡す。
 安産のお守りと健康祈願のお守りだ。
「環境が変わるのですから、今までのように無理はしないようにして下さいましね。
 出産は予定通りでお願いいたしますわ」
 無理をしたために予定が早まってしまってはこまるのだ。
 麻衣は二つのお守りを受け取ると、ニッコリと最上の笑顔を浮かべる。
 彼らの思いの詰まったお守り。
 きっと、この子達は無事に産声を上げるだろう。
「谷山麻衣、皆が来るまで頑張って見せます」
 おどけて言う麻衣に、皆が笑みを漏らし・・・そこで、案内の放送が入る。
 早いうちに手続きをすまさないと、非常に込み合うためナルが麻衣を促す。
「じゃぁ・・・皆、元気でね!!」
 涙を浮かべながらも笑顔を浮かべて、ゲートをくぐる麻衣とナルを見送るメンバー達の顔にも、さすがに最後は寂しげな表情が浮かぶ。

「ああ・・・これで、上手いアイスコーヒーが気軽に飲めなくなるんだなぁ・・・・・・」

 しみじみと呟く滝川に、皆同様の溜息をもらす。
 麻衣がナルと共にイギリスに行くと聞いて、皆が真っ先に思ったことは『上手いお茶が飲めなくなる』だった。
 麻衣が聞いたら、癇癪を起こすかもしれないが、事実であったことは隠しようがない。









日記SS 3




「んね、ナル。エコノミーでも平気だよ?」
 すでに機内へと移動し、手荷物をトランクに押し込んで座席へと腰を落ち着けた今になってもまだ麻衣は同じコトを言う。
 イギリスへと戻ることが決まってから、慌ただしい日々が過ぎていた。あらかたの荷物は郵送し、若干の手荷物のみでイギリスへと戻ることは決まっていたが、ここで問題が麻衣である。
 幾ら安定期に入っているとはいえ、妊婦に油断は出来ない。何が衝撃で早産を起こすか判らないからだ。
 狭いエコノミーで13時間も座りっぱなしはどう考えても、身体に負担をかける。同じ座りっぱなしでも広い空間が確保されているファーストクラスの方が、身体に掛かる負担もないだろう。
 麻衣はエコノミーの何倍も費用の掛かる為、最後まで反対していたがナルはさっさとファーストクラスを予約した。麻衣の為もあるが自分自身アノせまい空間に押し込められるのはごめんである。
「あ、ナル。コートしまわないで」
 来ていたコートをトランクに押し込もうとしたとき、麻衣はつんつんとナルの上着を引っ張って止める。
「毛布があるだろう」
 身体を冷やさないようにと、座席に座っている麻衣は既に毛布を被っている。寒いのならスチュワーデスでも読んで追加で持ってきて貰えばいい。だが、麻衣はナルのコートがいいのと言い張る。
 麻衣がコートの方がいいというならば、ナルとて何も言う必要はない。しまいかけたコートを麻衣に手渡す。
 黒いコートを広げ、裾が床に着かないように気をつけながら被ると、口元まで引き上げる。
「なんかね、落ち着くの」
 シートベルトを締め動き出すのを待っている間、麻衣はクスクスと笑みを漏らしながら呟く。
「こうしているとね、何かナルの腕の中にいるみたいで、すっごく安心する」
 分厚い洋書に目を落とし始めたナルは、チラリと麻衣の方へと視線を向ける。
 言葉通り麻衣は幸せそうに、落ち着いた笑みを浮かべながら、ナルの方を見ている。だが、ナルは麻衣の表情とは違うことを口にした。
「不安か?」
 ナルにとっては母国だが、麻衣にとっては異国。
 何度か遊びには行っているが、これから長い間住む国。習慣も違えば言葉も何もかも違う。知人もいないに等しい地へと行くのだ。不安がないわけがない。
 麻衣はしばらく考えた後、微かにコクリと頷き返す。
「ちょっとね・・・やっぱり、不安・・・かな。
 でも、ナルが居てくれるならどこでも平気。ルエラやマーティンもいるし、まどかさんもいるし・・・何より、後少しでこの子達にも会えるんだもん。
 すぐに賑やかになって、大変だよ」
 お腹をさすりながらクスクスと笑みを零す麻衣の肩に腕を回すと軽く抱き寄せる。自分の肩に寄りかかるような形になった麻衣は、きょとんと見上げてくる。
「余計なことを考えないで、さっさと寝ろ」
 励ますことも安心させる言葉も何も言わないナルだが、麻衣はほんわりとした笑みを零すとナルの頭に寄りかかったまま瞼を下ろす。
 
 肩に回された腕と、ナルのコートに包まれて麻衣はゆっくりと優しい眠りの中に落ちていく。