不意打ちのバレンタイン







 「今年はどうするの?」

 久しぶりにオフィスに顔を出したと思ったら、開口一番綾子は問いかけてきた。が、残念ながら主語が抜けているために何が聞きたいのかが判らない。
「どうするって何が?」
 いや、何を?と聞くべきか。
「何がじゃないわよ。バレンタイン。もうじきでしょ」
 お茶の準備をしながら給湯室から聞き返すと、呆れたような声が返ってくる。
「そーいえば、もうそんな季節になってるんだっけ?」
「今更何いっているのよ。どこいってもバレンタイン一色じゃない」
 確かにふと見渡せばどこをみても世間はバレンタイン商戦のまっただ中。
 デパートにはチョコレート特設売場がもうけられ、デパ地下はいうに及ばず。スーパーやコンビニ、花屋にジュエリーショップ。レストランだってバレンタインメニューが出、ビールだってバレンタイン限定ビールが出るほどだ。
 何か違うような・・・・と時々思わなくもないが、「限定品」に弱い日本人。ここぞとばかりに群がる。そのため、デパ地下などしばらくは近寄りたくないほどの混雑ぶりだ。
「どうするも何も、今年もクッキーかなぁとか思うけど」
 代わり映えなくて面白くないかもしれないが、去年も一昨年もチョコチップクッキーを作った。
「坊主達にあげるものを聞いている訳じゃないわよ。ナルにどうするのって聞いているの」
 綾子の質問に瞬く。
「ナル、今イギリスだけど?」
 ナルがクリスマス前からイギリスに一時帰国していることは、綾子も知っているはずだ。
 麻衣も、大学の冬休みが終わるぎりぎりまでイギリスに一緒に行っていたため、今年はその間事務所は冬季休業になっていたのだから。
 ナルはさらに一月半ほど日本に戻ってくるのが遅れるため、二月下旬になるまで日本には戻ってこない。
 当然、そのころにはバレンタインはとうに終わっている。
 たとえイギリスにナルが戻ってなかったとしても、特に何かをするわけではない。
 あの男は甘いものが不得意だ。好んでいないものを押しつける趣味は持っていない。
 フレーバーティーも好んでないから、チョコレートの香りがする紅茶をプレゼントするという訳にもいかない。
 なので、何もする予定はない。
 去年は一応形だけでもあげたけれど、今年はいないのだから、スルーでいいや。と思っていたのだ。
「面白味のない子ね」
「別に綾子を楽しませるつもりないけれど」
 何を期待しているのやら。
「誕生日でもないんだし、わざわざイギリスまで送る必要ないでしょ? 今のバレンタインなんて日本独特の行事になっているんだから」
 欧米ではカードや花のやりとりをしているようだが、日本ではどうみてもお歳暮やお中元の色が濃いとしか思えない。
 ぶっちゃけ、かつかつ生活を送っている身にはよけいなイベントだ。
 最近では友達同士でのやりとりのほうが主流になりつつもある。
 確かにいろいろなチョコレートをみるのは楽しいし、友達のとやりとりも楽しい。
 だが、チョコレートは以外と高い・・・そして、友達間のやりとりの方がなぜか高いチョコレートのやりとりをする。
 なぜ彼氏より高いチョコレートのやりとりになるのかが判らないが、もらったら貰いっぱなしというわけにもいかない。
 それなりのものを貰うのが判っていたら、それなりのものを用意しないと何となく場が白ける。
 だから、麻衣的にはけっこうこの時期はその話題を避けたいと最近思うようになった。
 高校の時より、皆お金かけすぎ・・・・
 たまの贅沢というには、四月以降にかかる学費や諸々の諸兄費の流出を考えると、この時分わずかな出費も控えたい・・・というのが、正直な感想なのだが、親元から通い、バイト代はすべて自分の小遣いになっている友人達には、ここぞとばかり普段買わないようなチョコレートを買うことを楽しんでいる。
 まぁ人の楽しみは人それぞれだから好きにすればいいと思うが、自分を巻き込まないで欲しいなぁ・・・と本気で思うのだ。
「ちょっと、麻衣。あんた花の女子大生でしょう。ちょっと枯れ過ぎじゃない?」
「今時、花の女子大生なんて表現する人いないと思うけれど?」
 それこそオバサン臭い。と臭わせると綾子は思いっきり顔を引きつらせる。
「あたしの表現はどうでもいいのよ」
「チョコレート一箱に千円もかけてられないって。友達皆に買ってたら、それだけで何千円もするし。チョコレートにそんなにかけられるほど、余裕ないし。四月には前期の授業料に、教材費、アパートの更新代。諸々かかるんだから。今は無駄をなくさないと」
 友達との交際費をよけいな出費とはいわないけれど、やはりチョコレートに何千円は使えない。
 これは切実な問題なのだ。
 麻衣の家庭事情をしっている綾子もそういわれれば、確かに無駄な出費には違いないどう。と思うのだが・・・
「でも、周りがそんな雰囲気なら参加しないわけにはいかないんじゃないの?」
「まぁ、その辺は適当にお茶を濁してるよ〜で、綾子は何が聞きたいの?」
 友達同士のバレンタインをわざわざ聞くような綾子ではない。
「だから、今年はナルにどうするのかっておもっただけだけれど」
「クリスマスなら話は変わるけれど、バレンタインならどうしても参加したいイベントじゃないし。ってのがあたしの感想です」
 だから、今年もある意味代わり映えのないいつもと同じバレンタイン。
 お歳暮感覚じゃないけれど。いろいろと世話になっている人達に。感謝の気持ちを込めて贈りたいとは思う。
「そういう綾子は今年は何を作るの?」
「ブラウニーでも作ろうかなぁ」
「んじゃ、それに併せてお茶の用意しておくね」
「何もあんたにつくってあげるなんて言ってないわよ?」
「14日オフィスに集合でしょ?」
 言わずともその日は、皆がそれぞれ手に何かを持って顔を見せるい違いない。
 高級チョコのやりとりは、ちょっと気が引けるけれど。仲間同士でわいわい持ち寄ったプチお茶会は楽しみの一つであることには違いないのだから。
 麻衣の返事に綾子は何も言い返せない。
 まさにその通りなのだから。
「良いお茶用意しておきなさいよ」
 だから、負け惜しみのような口調で言う綾子に、麻衣は楽しげな笑みを零しながら間延びした返事を返す。


 ナルはバレンタインなど興味がないし、チョコレートや甘いものが嫌いだから興味がないのだから、ほかのイベント以上にそっけないのは仕方ない。
 判ってはいる。
 イベント大好き人間ではないのだから。
 いや、ナルがイベント好きだったら恐怖現象そのものだけれど。
 だから、あれこれ言うつもりもないし、押しつけるつもりもない。
 だけれど、やっぱりちょっと寂しいとは正直に言えば思う。
 ヨーロッパではどうか判らないが、日本では一応恋人達のイベントの一つになっているのだから。
 周りはカップルでうふふの世界。いや実際はどうか知らないけれど。
 カップルがそれなりに楽しく食事やカフェでお茶をしている姿を見るのは、妙にやるせない気持ちにはたしかになる。とはいえ、今年はナルがいないのだからそれも誤魔化せると言うものだ。
 本人がいなければ話にならない。
 綾子にも言ったけれど、クリスマスや誕生日ならプレゼントを贈ろうと思うけれど、バレンタインのチョコレートをわざわざイギリスまで贈ろうとは思えない。
 贈ったとしても、下手すれば未開封のままゴミ箱行き・・・は、ないかもしれないけれど。まどかかルエラあたりに回っておしまいのような気がする。
 もしくは、本部のお茶受けに回されるかもしれない。
 どちたにしろ本人の口には入らないだろう。
 それが判っていて、贈る気にはなれない。
 だから、今年はなし。
 ナルは日本にいないのだから。








 なのに、どうしてこう言うときだけ、こういうことをこの男はするかな。








 麻衣は、明細書かダイレクトメールぐらいしか入ってないポストをのぞいて、盛大にため息をつく。

 そこには、一枚のエアメール。

 投函場所はイングランド。
 今では見慣れた流暢な筆記体で麻衣の名前と住所がつづられていた。
 送り主の名はその面にはない。
 期待せずに裏換えしてみると、麻衣は思わずその場にへたりこみそうになる。

 一面チョコレートのファンシーな写真の上につづられた一言。

 ありえない・・・
 少なくとも、出会ってこの五年間。彼がこんな行動をとるなんて一度も想像したことはなかった。
 一瞬、誰かが彼の名前を語って、投函してきたのかと疑いもしたが、そこにつづられている文字は間違いなく彼のものだ。
 ほかの誰のものでもない。

 麻衣は鞄の中から携帯を取り出す。
 すぐに見つかるはずの携帯はなかなか手に触れず、ふれてもなかなか引っ張り出せない。
 急いで引っ張り出せば、中身をずるっとぶちまける始末。
 それでもかまうことなく、たった一つの番号を呼び出し、プッシュする。
 コール音はわずか一回。
 相手が声を発するよりも先に、麻衣は唇を開く。

「ハッピー・バレンタイン!」

 それははがきにつづられていた文字。

『うるさい。わめくな』

 迷惑そうな声がスピーカーから聞こえてくる。
 久しぶり・・・じゃないのに、とても久しぶりに聞こえてしまう。
 昨日だって仕事のことで電話をして声を聞いたのに・・・・
 もう幾日も・・・何ヶ月も会ってないような気がする。
 後、少しでナルは日本に戻ってくると判っていても。
 今すぐ飛びついて、抱きつきたい衝動に駆られる。
 甘い文面も何もない。
 ただ、義理で出したようにしか見えないたった一行のはがき。
 だけれど、ナルがそういう行動をとる一ではないことはよく知っている。
 だからこそ、たった一行でも綴られた言葉が、チョコレートよりも甘く感じるのは脳内麻薬がなせる技か。
   
「会いたいな・・・」
『脈絡がない』
「だって、こんな葉書もらったらあいたくなるに決まっているじゃん!」
『たかが、カード一枚で?』
「たった一枚のカードでも恋しいと思うのは当たり前でしょ」

 どうせなら、直に言って欲しい。
 きっと、そう言ってもナルは言ってくれないだろうけれど。
 もしかしたら、一緒にいたらカードすら思い浮かばなかったかもしれないけれど。
 バレンタインらしいことは何もできなくていいから、一緒にいたい。
 バレンタインだけではなく、いつも。

 寂しいと思う心を気がつかないふりをしてきた。
 だけど、それも限界だ。

『来週には戻る』
「うん」

 知っている。
 昨日、予定を確認したときにそういっていたから。
 だけれど、いますぐに会いたい。
 そういってもナルにもどうしようもないことだし、自分にもどうしようもないことだと判っているけれど。
 付き合ってからこんなに長い間離れたのは今回が初めてで、きっとこれからもたびたびこういうことはあるのだと思うと、不安になる。

『麻衣』

 その不安が電波越しに伝わったのか、少し困ったような声というべきか。
 それとも呆れているのか。
 付き合いきれないと思っているのか。
 いつもとは違う抑揚で名を呼ばれる。

 困らせるだけだとは判っているけれど・・・

「ナルに・・・早く会いたい」

 その言葉を止めることはできない。
 

『一ヶ月半より短いと思うが?』
「そうだけど・・・でも、もう限界  」

 塀に寄りかかったままずりずるとその場に座り混みながら、空を見上げる。
 雲一つ無い空は澄みきっており、東京でありながらも星が幾つも瞬いているのが良く見える。
 吐息を吐き出せば白く棚引き、儚く消えてゆく。
 
 つい先まで平気だったはずなのに、会いたくて会いたくてたまらない。
 胸の奥がツンと居たくなり、喉が何かにつっかえたような違和感に眉を寄せる。
 気を少しでも抜くと、涙が表面張力を超えて溢れてきそうだった。
 込み上げてくるものを唇を噛みしめて、熱い・・・熱を帯びた息を吐き出すと、受話器から耳に心地良い声がスピーカーから聞こえて来る。

『19日の8時には成田につく』
「ナル?」

 予定では来週末で都合を付けているが、まだ正確な予定が立たないため、明確な日にちは断言できないと昨日言っていたはずだ。
 唐突に日にちどころか成田到着時間まで告げられ、麻衣は一瞬意味が判らない。

『どこかの誰かさんが子離れ出来ない子供のようにぐずるので』
「ひど・・・」

 好きな人と長時間離れていたら会いたいと思うのは当然じゃないか。
 だいたいナルはそう思わないのか。
 それをこの場で・・・いやどの場で問いただしても期待通りの答えが返ってくるはずはない。

「19日に迎えに行く」

 だから、成田空港で僕と握手だ!

 そう言うと、思いっきりナルは怪訝な顔をしているのが想像出来るような声で『なんだそれは?』と問い返してきたが、麻衣はクスクスと笑うだけ。

『麻衣、声が震えているがどこでかけている』

 笑い声で気がついたのか、剣呑とした声が聞こえてくる。

「外だよーハガキを見て直ぐに電話かけたから」
『バカか』
「酷いなぁ。お天気が良くてとても星がよく見える』

 その一言にナルの声がさらに低くなる。
 星が綺麗に見える夜は、気温が下がっている事が多い。

『早く中に入れ。風邪を引く』
「そうだけど。でも、中に入ると携帯の電波不安定なんだもん」

 まったく繋がらないという訳ではないのだが、ノイズが酷くて話し声は聞きにくくなってしまう。
 せっかく、ナルがとりとめない会話に付き合ってくれているのだから、もうちょっと話していたい。
 来月の携帯代の請求がちょっぴし怖くなってしまうけれど。
 でも、もう少し話をしていたいという欲求の方が強い。

『麻衣、僕に早々お前の看病をさせる気か?』

 寒空で電話をしたからといって、風邪を引くとは限らないのに。

「そんな訳じゃないけど・・・」
『なら、好きにすればいい。僕はもう電話を切る。いつまでも付き合って居られるほど暇じゃないんだ』

 今にもそのまま通話を切ってしまいそうな勢いで聞こえて来たナルの言葉に、麻衣は慌てる。

「待ってよ!」

 あと五分。せめて後一分。

「絶対に19日に帰ってきてくれるの!?」

 予定は未定。
 それはまさにナルのスケジュールそのものだ。
 飛行機のチケットを手配していても、予定はあっけないほど簡単に変わる。
 だから、念を押しても無駄なことは判っている。

 それでも、確認したかった。

『未定なら言わない』
「え?」
『十中八九ずれることはない。航空トラブルが無い限りは』
「珍しいね・・・」

 思わず漏れてしまった言葉に、ナルはこれ以上ないほど溜息をつく。

『どっかの誰かさんがぐずるので』

 あたしは小さな子供か!と怒鳴りたくなるが、それはぐっと飲み込んで別の言葉を口にする。

「なら、戻って来たらかまい倒してね」

 帰国したらしたで、持ち帰った書類や書籍に目を通したいだろうから、麻衣に付き合って居る暇などないはずだ。
 だけれど、そんな事は無視して麻衣は言い切ってしまう。

「くっついて離れないから」

 覚悟しろよ。
 そう意味を込めて宣言したら、ふっと電話の向こうの気配が笑みを浮かべたような気がした。

『僕のやり方で良いならいくらでも』
「は?」

 それは、一体どういう意味でしょうか?
 と、聞くのは今さらか。

「な、なる!?」

 麻衣の裏返った声に、ナルは喉の奥で笑みを零す。

『早く部屋に戻れ。Happy Valentine』

 ナルは最後にそう囁いて携帯は、完全に切れた。

「ちょ・・・・・・・・ちょ、ちょっと待って、ナル!!もう一度! もう一度言って欲しいんだけれど!」

 録音したいから!
 そう叫んでももちろんどうにかなるわけもなく。
 麻衣は通話の切れた携帯を握りしめて、ナルの名を叫ぶが当然返答が返って来るはずがない。

 最後に聞こえた言葉は幻聴か思い込みか錯覚か。

 


 バレンタイン。
 日本ではお歳暮と変わりないと言ってもおかしくは無いイベント。
 ナルは当然無関心で興味など持たないのだが、どうやら本国に戻るとさほど抵抗をかんじないというのだろうか。

 麻衣の手元には、イギリスから届いた一枚の葉書と。
 いつまでも、耳の奥でリフレインしていた。








「僕は直ぐに部屋に戻れと言ったはずだが?」





 ナルの呆れた声が響いたのはそれから数日後の事であった。











☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
2011年の10周年企画でUPした読みきり小話でした。
これ、久しぶりに書いた時候ネタだったんだよなぁ。
元々私自身がイベントに無関心って事もあるのだけれど、チョコレートアレルギーになってから、ますますバレンタインは無縁のイベントになっております(笑)