Ｖalentine Ｄinner
| 2月14日。 今さら言うまでもないが、あえて言おう。 世間一般的にはクリスマスに続いてもっとも楽しい恋人達のイベントと化している日。 少なくとも日本ではそうで間違い無い。 いや、最近は恋人同士のイベントよりも友達同士で配りあうチョコレートの日と言うべきか。それとも、自分用に普段はなかなか買えないチョコレートをヴァレンタインだし♪という理由にならない一言で、なんの迷いもなく買ってしまう日か。問答してしまったらなかなか答えが出ないイベントの日。と化していると、麻衣はしみじみと思う。 デパ地下のデザートエリアは何時に増して華やかだ。 天井からつるされたヴァレンタインの飾り付け。そこかしこから漂って来る甘いチョコレートの臭い。 ふらりと歩くだけで、どこのショーケースもチョコレートチョコレートチョコレート。 この期間限定で出店しているお店もあるため、いつもより混雑率がさらにアップする。 そんな様子を麻衣は遠目に見ながら、通過していく。 彼氏は居るがとことん縁がないイベントだ。 見るだけ虚しくなってしまう。 大学の男友達の中には、自分が彼女に何をプレゼントしようとうきうきしている者もいれば、どのチョコレートが良いか真剣に悩んで居る男子もいた。 正直羨ましい････と思わなくも無い。 「貰える彼女が」羨ましいのではなく、「楽しそうに選んでいる男共が」羨ましい･･･と思っている時点で、何かがおかしいと思わず自分で自分をつっこみたくなってしまう。 「だって、買っても喜ぶどころかすんごい嫌がるし･･･」 大枚はたいて買っても喜んで貰えないのはただの無駄使い。 余裕のある身ならばともかく、余裕なんてからきしこの時期はない。 爪の先に火を灯すように･･･とは言わないが、大奮発した結果が険もほろほろでは正直、面白くもなんともない。いやどちらかというと、用意した事に後悔をしかねない。だったら、無駄なことはしない。せめて同じお祭りを騒ぐなら･･･それ自体嫌がる相手だが、せめて眉間に皺を刻まないで済む方法にしたい。 できれば一緒にイベントを楽しみたいがそれは無理だ。 判っているから。 だが、ささやかにヴァレンタインぐらい楽しみたい。 特に今年は、去年のクリスマスが都合がつかなかったため、その分恋人達のイベントを楽しみたいではないか！ だが、しかしどうすればいいのか。 チョコレートの代わりに用意する売られているもので目につくものは、バレンタイン用のお酒が数点。 その筆頭がアイスワインか。お値段がとても良すぎる上に甘い････まるで蜂蜜のようだ。とろりとした液体は琥珀色で、糖度がとても高く、上質な蜜を飲んでいるような気がしてくる。 女性に大変人気があるんですよ。とお店のお姉さんは進めてくるが、彼氏にプレゼントするつもりでいるのに、女性に人気がある物を買っても意味が無い。 それに、ここまで甘いとナルは飲まないだろう。 美味しいとは思うがコレをグラス一杯飲む気には、さすがに麻衣もならない。 他に売っているのはバーリーワイン。ビールで作ったワインの独特な味が口のなかに広がる。正直に言えば美味しいとは思えなかった･･･他はバレンタインビール。チョコレートフレーバーのビール。面白いがナルが飲むとは思えない。 手っとり早くアルコールで済まそうと思ったが、そう都合良く行かない。 ビールは別に甘い訳ではないが、どうしてバレンタイン絡みの商品はこんなに甘ったるいものなのだろう。と、思っていると便乗商品が目に入る。 煎餅のチョコレートがけとか････いや、ザラメの煎餅とかあるのだから、チョコレートがまぶしてあってもいいのかもしれないが、なんか食べる気がしないのはなぜだろう････何でもかんでもチョコレートをかければいいというものでもないと思うのだが････ 期日は近いのに、これだ！と思うのが見つけられずデパ地下を後にし、本命以外に配る予定のチョコレートを作りに訪れた綾子のマンションでぼやくと、綾子は手を止めることなく、麻衣の悩みを払拭する。 「だったら、いつもよりちょっといい食事にすればいいじゃない」 それも、テーブルセットをすべて自分で用意して。 そう、続けられた綾子の言葉に麻衣は瞬く。 「あんた達クリスマスとかは仕事で潰れるか、イギリスで迎えるか、どこかで外食でしょう？」 綾子の問いに麻衣はこくりと頷き返す。 去年は仕事が年末まで押してしまったため、イギリスで迎える事も無く、食事に行く事もなかった。世間がクリスマスで浮かれているその晩は、モニターとにらめっこだったのだから。 「テーブルをデコレートして、ちょっと良い物を作って、おしゃれな食器におしゃれな盛りつけをして、お家ディナーを楽しめばいいじゃない」 綾子は簡単に言うが、作るのは麻衣だ。 自慢ではないが手先はけして器用ではなく、かつおしゃれと言えるような食事も作ったことがないため、何を作ればいいのか判らない。 肉や魚を使えば見栄えがするのがそれなりに出来るかも知れないが、あいにくとナルはそういったものは出汁にさえ御法度で、なかなか大変だ。 本人曰く、身体に害のある物でなければなんでもいい。と言い切り、実際に味が薄すぎても濃すぎても、出来た物に文句を言われた事はない。 出された物は黙って食べる主義なのかと思ったのだが、どうやらアメリカ時代での過酷な幼少期が禍し、味覚の発達が乏しいうえに、食に対してこだわりを持っていないため、味はどうでもいいらしい。 失敗しても、似たような物が続いても文句一つ言われないので楽と言えば楽なのだが、正直に言えば寂しくもあった。 「実は、この前良い物見つけたのよ」 そう言って綾子は棚からこの前買ったと言う物を取り出す。 「これを使って料理を作ってご覧なさいよ。レシピはネットで調べれば色々あるし 綾子はスマフォを操作して、レシピサイトを検索する。 別に手の込んだ物を作る必要も無い。 ちょっと、雰囲気を変えて盛りつけるだけで、いつもとは違った食卓を演出できる。 それに、綾子から貰った物を使えば、おそらくナルが今まで一度も食べようと想ったことも無い物ができあがる･･･ 「綾子ありがとう♪」 だからといってナルが喜ぶとは思えないが、自分が楽しめればそれでいい。 なによりも、ナルが驚く顔が見たかった。 「ナル、びっくりするわよ。だって、どうみても食べれない物だもの。その時の様子、後で教えなさいよ」 綾子の言葉に麻衣はにんまりと笑みを浮かべて、任せて！と強く応じる。 主旨が変わっているような気がしなくもないが、イベントは楽しんだもの勝ちだ。 その結果はというと。 「麻衣」 用意された夕食を前にナルは思いっきり眉間に皺を寄せる。 今日はなぜか良く判らないが、テーブルが華やかにコーディネイトされｔれいた。 生けられた花に、炎が揺らめくキャンドル、見覚えのない皿に、綺麗に扇状に折られたナプキン。ナイフにフォークに･･･まるで、レストランでディナーでもするかのように、統一されたテーブル。 まぁその程度の事なら正直ナルはさほど気にしなかっただろう。 変な影響を受けているのだろうと思う程度だったはずだ。 それが、皺の理由にはならない。 「麻衣、僕の食事情は理解していると思っていたが？」 ナルの声に、麻衣は思いっきり明るい声で応じる。 「判っているよ−。だから、いつもちゃんと考慮して作っているでしょ。動物性一切使わないのってけっこう大変なんだよー」 むん。と腰に両手を当てて麻衣はえっへんとえばる。 「じゃぁ、これはなんなんだ？」 「ん？ヴァレンタインディナーだよ。どうせ、ナルの事だから今の今まで忘れていただろうけれど」 改めて言われるまでもない。 ここ２週間ほど前から今日の昼まで論文の為引きこもって居たため、日付の感覚はまったくなかった。 あったとしても、思い出しもしなかっただろうが。 「だから、なぜそれでこの内容になる？お前まで僕に付き合えとは言わないが・・・・」 「だから、食べれるものだよ」 ナルが不愉快極まり無いと言わんばかりの顔をしているというのに、麻衣はニコニコと･･･いや、ナルが不快そうにすればするほど楽しげな表情を浮かべる。 「ちょっぴし良いワインも買ってみました」 「麻衣、僕にはこれが僕が食べれないと行っているものにしか見えないんだが？」 ますます、声のトーンが下がっていくナルに麻衣は軽く首を竦める。 「今夜のバレンタインディナーは、トマトのガスパッチョ。バゲットに洋風揚げ出汁豆腐。竹の子の味噌焼きにフィッシュアンドチップスでっす」 フィッシュアンドチップスと言えば、イギリスの定番料理。 モルトビネガーや塩・胡椒、トマトケチャップなど好きな物を駆けて食べる、ファーストフード的な料理。 麻衣は懐かしいでしょうと続ける。 確かに懐かしいメニューと言えばメニューだが、一つ問題があった。 どんなに故郷を彷彿させるメニューとは言え、ナルは一度も食べたことがないメニューだった。 「麻衣、僕はこれはいらない」 フィッシュアンドチップスが盛られているお皿を手に麻衣に突き返すが、麻衣はだめーと言い切る。 「大丈夫だって」 「何を根拠に言う？確かにローティンの頃のように徹底する必要はないが、だからといって・・・・」 「それ、魚じゃないもん。正確に言えば、フィッシュアンドチップスもどきってやつ？」 「もどき・・・？」 ナルの眉間のしわがさらに深くなる。 「あたしもまだ試してないから良く判らないんだけど、綾子がコレくれたのー。ビーガン用のミート。原材料は大豆ちゃん。グルテンミートって言うんだって」 「グルテンミート？」 「そ、大豆からグルテンを抽出して固めたヤツ？ミンチタイプと固形タイプがあってね、それを代用するんだって。まぁ、実際はフィッシュもどきにはこの大豆ミートは使って無くて、おからと湯葉とヤマトイモで形だけまねてみました。大豆ミートの方はこれから使ってみようと思ってます。食感とかお肉らしいよ。でも百％大豆原材料だから、ナルも問題なし♪ これで、ハンバーグも唐揚げもミートソースも豚の生姜焼きもつくれちゃうんだよ〜」 いっきに作れるレピシが広がると麻衣はウハウハとそれをナルに見せる。 「他にもしいたけを原料としたオイスターソースもどきとかもあるの！ちょっと味のバリエーション広げられるからナルも楽しみにしていてね」 にっこりと嬉しそうに言う麻衣にナルは溜息を一つつくと、食卓に着く。 原材料に問題がなければ、何が目の前に出ていようとナルには文句を言うつもりはない。 多少、言いたい事はあったが、自分の食事が面倒だと言うことは、麻衣に言われなくてもよく判っている。 「無理して、僕の食事を作る必要は無いが？」 少なくとも麻衣がこのマンションに出入りしている時に、肉や魚を食べている形跡はない。 元々ベジタリアンではないのだから、無理をして合わせる必要は無い。 だが、二人分別メニューを作るのは手間だろうし、コストも気にして麻衣が自分を優先して食事を用意するとは思えない。 「別に無理してないよ？ 元々お肉とかお魚とかがっつり食べる方じゃないし。食べたい時はお昼とかマンションに来なかった時に食べているし」 頻繁にナルのマンションに足を運んではいるが、一人で夕食を取るときもあれば、友達と取ることもあるし、ランチでいくらでも食べれる。 「でも、ナルにはいつも同じような物ばかりで悪いなぁって思ってたんだよね」 あ、ガスパッチョ美味しい･･･と一口スープを口に運びながら呟く。 「僕は、毎晩同じでも支障は無い」 「ナルに支障が無くてもアタシがイヤなの！」 ムッと今度は麻衣が眉間に皺を刻む。 味の善し悪しが例えナルにわからないとしても、色々食べて知って欲しいと思うし、何よりも偏った食生活は不健康極まり無い。 「ただでさえ、動物性の物が一切取れないんだから、バランスよく食べないと直ぐに体調崩すでしょう！」 「あいにくと食生活で左右されるほど、貧弱な作りはしてないつもりだが？」 「確かに今は良くても、年取ったらガタすぐ来るよ！ いつまでも若い訳じゃ無いんだから、今から気を付けないとあっちゅーまにナルは死ぬね。絶対に、それあたし的に許せないから、食生活はナルが何を言っても、色々食べて貰うからね！」 肉や魚が食べれない理由は考えようによってはアレルギーのような物だから仕方ない。 理由が理由だ。無理に食べろとは言えない。 だが、それ以外の好き嫌いに関しては聞く気はない。 そう言い切る麻衣に、ナルは一言お好きにと答える。 どう考えても、バレンタインのディナーという甘い雰囲気はないが、ナルの言葉に麻衣は満足したのだろう。 満面の笑みを浮かべて頷き返すと、食事に戻る。 自分の作った食事に大満足なのだろう。 美味しい、美味しいと呟きながら箸を進めて行く麻衣を見ながら、ナルがぽつりと思い出したと言わんばかりに問いかけて来る。 「それは、プロポーズのつもりか？」 思いにもよらないナルの言葉に、麻衣は目を見開いて箸をぼとりと落とす。 「甘い物がでなければ、僕は何でも構わない」 どんどん熟れたトマトのように真っ赤になってゆく麻衣に対し、ナルはそれだけを追加すると、麻衣が用意した夕飯へと箸を付ける。 麻衣の変化を今さらだ。 そう、思いながら。 |