余計な一言







「夕食にしましょう。東京に着く頃には真夜中になってしまいますから」
 
 先行するバンに乗るナルの元へ安原から連絡が入る。
 現在は19時を少し過ぎた頃。
 仙台での調査を終え、高速に乗る少し前のことだった。
 高速に乗ると味気ない食事しかできないが、ここはまだ仙台。その気になれば幾らでも名物の牛タンが食べられるというもの。
 ナルには滋養満天のとろろご飯膳をオーダーすれば問題無いと言うことで、安原のナビに従い入店したのは、それなりに美味しいと評判の牛タンのお店で、とろけるようなタンシチューに舌鼓を売っていたはずの、麻衣がうっつらうっつらし始めていることに、皆気がついていた。
 ああ、そのうち寝るだろうな・・・とは思っていたが。
 
 こてん。と肩に重みが加わると同時に、頬を柔らかな髪がくすぐる。
 確認するまでもないことだったが、ナルは視線だけをずらして己の右肩を確認すると、ため息をつく。
 重みと同時に伝わってきたのは、ぬくもり。
 
「あらまぁ、寝ちまったよ」
 
 向いに座る滝川が苦笑を漏らしながら、ナルの隣に座っていた麻衣を見る。
 
「あまり寝られなかったようですし、今回の調査もかなりハードでしたから、お疲れなんですよ」
 
 その隣に座る安原も苦笑を漏らしている。
 
「腹もいっぱいになれば次に来るのは睡眠欲ってか?」
「それが自然の摂理ってもんです」
 
 食欲、睡眠欲が満たされた後に思い浮かんだ言葉に、滝川は苦笑ではなく苦虫をかみつぶしたような顔になる。
 そのわずかな変化に安原が気がついたのだろう。
 
「それ以降は、我々の立ち入ることではありませんからね?」
 
 笑顔と共に釘をさくっと刺してきたため、滝川は思いっきり顔をしかめる。
 立ち入ることではないことはわかっている。
 二人は成人を迎えており、互いが合意の上ならば何も問題はない。
 だが、やはり自称保護者・・・もといいチチオヤを称する身としてはつい老婆心をだしたくなるというものだ。
 むろんとはいっても実際に口出しをすることは、そう滅多にあることではなく今も口出しするような場ではない。
 わかってはいる。
 だが、どうしても三大欲の最後の一つが脳裏をかすめて離れない。
 
 人間の三大欲とも言われる、食欲。麻衣は旺盛だ。
 睡眠欲。これも同様に旺盛だ。どこでもよく寝ている。
 だが、三つ目の性欲ともなると滝川や安原にはうかがい知ることのできないエリアだ。
 唯一知っているナルに聞いたとてまともな返答がえられるはずもなく、ぶしつけな質問を向ける気も当然無い。
 無いと言うよりやはりムスメの夜の生活など知りたくはないというのが本音だ。
 万が一にでもうっかりそんな事を口を滑らせて聞いてしまった場合、スルーされるなら問題無いが、嫌がらせでまともに返答をもらってもそれはそれでダメージが大きすぎる。
 むしろ再起不能になること間違いない。
 
 それが、チチオヤというものだ。
 
 ムスメのことはいろいろと気にはなるが、いつまでもあどけないムスメでいて欲しいという願望がある以上、神聖不可侵なエリアがあった方が精神衛生上よろしいに違いない。
 いやむしろ精神衛生上、領域侵犯を犯してはならないエリアだ。
 臭い物には蓋をする。ではないが、見て見ぬふりをする。いやちがう。現実逃避をするに限る。
 ムスメはいつまでも穢れをしらない存在だと思い込むのが一番心の平穏が保てるというものだ。
 
 何あほな夢見ているのよ。
 
 と、綾子あたりが聞けば思いそうなことを至極まじめに本気で思っている。
 だいたい、こうしてフォークを片手に食事の最中に眠りこけてしまう所をみてどうしてそんな下卑たことと結びつけられるというのだろうか。
 まだまだあどけなさの方が勝っている!
 ナルの顔もどこの小さな子供だと言わんばかりだ。
 んなことを思っているような相手に手が出せるわけがない。
 俺の印象は間違いではない!
 
 綾子が聞けば儚いって人の夢って書くのよねぇ・・・と平坦な声で突っ込みそうなことを鼻息荒く心の中で叫んでいると、ナルは無言のまま、右手にまだ握られているフォークを取りテーブルの上に戻す。
 起こすことなく肩を貸しているところを見ると、疲労の度合いをそれなりに考慮しているようだ。
 それどころかただ肩を貸すのではなく、ナルはかすかに身じろいで麻衣が寝やすいように身体の向きを変えると、ずり落ちないように腕を背に回す。
 すっぽりと包み込むように回された腕と、間近に感じるぬくもりに麻衣の顔が幸せそうにほころぶのは当然の帰結といえよう。
 だが、正直に言えばおもしろくない。
 
「ナルの肩はそんなに寝心地いいのかねぇ」
「そりゃー、愛しいダーリンの肩なんですから、最上の枕に決まっているじゃないですか」
 
 どこかやさぐれ気味になりつつある滝川に、安原がさわやかな笑顔で肯定する。
 そんなもんかねぇ。とさらにやさぐれる。
 思わずそんな情緒を解さないやつの肩よりも、頼りになる父の膝枕の方が遙かにいい夢見れるぞーと言ってやりたい。
 だいたい、麻衣の腰に回る手つきがなにやらやらしくないか?
 ナルも男だ。疲れが溜まればいろいろとクるものがあるはずだ。
 聖人君子。俗世とは何も関わりがありませんと言わんばかりの涼しい顔をしているが、その実は絶対に違うに違いない。
 哀れな子羊が羊の皮を被ったオオカミに食われずに済む方法はないだろうか。
 本気でそんなことを考えていると、安原がなにやらスマフォをいじっているのが視界に入る。
 
「ってか、おまえ先から何やっているんだ?」
 
 基本食事中にスマフォをいじるような不作法なことを安原はしないため、珍しいこともあるもんだなと思いながら問いかけるが、安原は滝川の問いを軽くスルーしてナルに声をかける。
 
「所長、谷山さんかなりお疲れのようですからここらで一泊されたらどうですか? 僕たちは先に東京に戻って処理をしておきますから」
 
 すぐ近くのビジネスホテルを予約しました。
 と、さわやか笑顔で告げた言葉はすでに決定事項と言わんばかりだ。
 事務所に戻ったらすぐにデータ処理を始めるつもりでいたナルはかすかに柳眉を潜めたが、完全に寝落ちしている麻衣を見てため息を一つつく。
 穏やかな寝顔ではあるが、その顔色はけしていいものではないことには気がついていた。
 人には無理をするなと言うくせに、言っている本人が一番やせ我慢をして無理を通す。
 もう少し周りを頼れと言いたいところだが、素直な性格ではないためナルも滅多なことではそれを言葉にすることはない。
 自己管理も調査員の業務内容の一つだ。
 とも思うのだが、すべてがそう簡単に割り切れる物ではないということを今ではナルも実感していた。
  
「後の処理は安原さんに任せます」
「了解です。任されました。僕たちはバンで帰りますのでって、滝川さんなに惚けているんですか。レンタカーの鍵所長に渡してください」
 
 ことの展開についてこれず、ほけっとしていた滝川の脇を安原がつっつくと、反射で鍵をポケットから出してナルに手渡す。
 が、ちゃりんという音で我に返る。
 
「ちょ、まて!」
「何がですか?」
「麻衣とナルを二人っきりってまずくないか!?」
「なんでですか。別にお二人はおつきあいもなさっているんですから何の問題もありませんよ」
「だってよ、こんな疲れ切っている麻衣にナルが無体なまねしたらどうするんだ!」
 
 いったいこのわずかな時間にいったい滝川の脳裏で何が展開されていたか。
 その一言で悟ったナルは、目をすっと細める。
 
「あいにくと寝込みを襲うほど僕は落ちぶれてはいない」
 
 一瞬にしてその場の空気が数度以上下がったため、ようやく滝川はついうっかり苦言ってはならないことを口にしてしまったことに気がつくが、引っ込みはすでにつかない。
 
「いや、ほら。男ってもんはさ疲れている時ってどうしてもそっち方面にいきがちだろ?」
 
 慌ててごまかすもさらに地雷を踏む。

「あいにくと僕は滝川さんのように、下半身の生き物ではありませんので一緒にしないでいただきたい」
 
 さくっと、言い切った言葉に滝川は俺だって違う!一般論だ!と返すがすでに遅い。
 
「それから言っておきますが疲れているのは僕ではなく麻衣の方です。見境をなくすとしたら麻衣の方だと言うことをお忘れずに」
「んな!? 麻衣が見境をなくすなんてありえねぇだろ!?」
 
 滝川はかみつくがむろんナルに耳を貸す気はない。
 
「麻衣、起きろ。今夜は泊まっていく」
 
 軽く揺り起こして声をかけると、ぐずるような声を出したあとうっすらと目を開けてナルを見る。
 
「泊まるの?」
「ああ」
「んじゃ、だっこ」
 
 なにが「んじゃ」に繋がるんだ!と滝川は突っ込みたい。
 だが、ナルは仕方ないと言わんばかりに伸ばされた腕を己の首に回すと、ひょいと小さな子供でも抱き上げるかのように腕に麻衣を乗せて抱え上げる。
 ここが、まだ満席率の高い時間帯の店の中だというのにだ。
 寝ぼけている麻衣には当然この場がどこかさっぱりわかっていないのだろうが、人目を引きまくる青年がいきなり女を抱え上げて注目を集めないわけがない。
 店内からどよめきとも歓声ともいえないような声があがるが、むろんナルはいっこうに気にしない。
 
「後はお願いします」
 
 ナルの一言に安原は苦笑を浮かべながら手を上げる。
 まだ自分たちの食事は終わっていなかったが、食べられる空気ではない。
 これもそれも皆、滝川が余計な一言を言ったからだ。
 半ば八つ当たりにも似たような気持ちになったが、去り際にナルが言い残した言葉で燃え尽きた滝川を見て自業自得と思いつつも同情せざるえなかった。
 
「ちなみに見境がないのは僕ではなく、麻衣の方です」




 余計な一言は身を滅ぼす。

 燃え尽きて灰となる滝川をみてしみじみと思う安原であった。




 



          FIN






☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
久し振りの書き下ろしSSとなりました。
数年前に途中まで書いて放置されていたものを発掘したので、残りを書いて見ました。
といっても、当時どういう〆にするつもりだったのか、もう既に覚えてないけれど・・・
楽しんでいただけましたら幸いです。