※十二国記「華胥華朶」を元ネタにした話になります。





















               み ち
見えぬ未来





 
 
 慣れぬ城の中を考えもなく気が向くままに歩いていくと、人の気配がまったくない場所へとたどり着いた。
 庭師さえもここまでは足を運ばないのか、いい表現をすれば野趣溢れた趣のある庭園。ストレートに言ってしまえば雑然と雑草が茂る空き地のような場所。
「城内の中でもこのように見捨てられたような場所があるんだな」
 陽子は感心したような口調で呟く。
 自分の知る全てとあまりにもかけ離れた世界に存在する十二の国の一つ、慶国。
 数代に渡って王に恵まれず落ち着かなかった国は、荒れ果てていた。
 たった一人の王という存在によって支えられている国。
 一蓮托生とはまさにこのことではないだろうか。
 隣国の雁国のように利点もあるだろう。良き王に恵まれれば永遠とも思われる平和な時が続く。だが、長命と詠われる国は数えられる程しかないという。500年続く隣国の雁と、南にある600年続く奏国。他は300年、180年、90年と続いて行くが、500年600年という月日がいかようなものなのか、まだ17年しか生きていない陽子には想像することさえもできなかった。
 まだ、自分はスタート地点にたったばかりである。
 それも、大勢の人間に手を引かれてようやくスタート地点に立つことが出来たのだ。
 そんな自分がこの国の未来をこれから決めていかなければならないのだろうか?
 政はおろか、この国の者なら当たり前に理解することの出来る事さえも判らない自分に、一国を担っていくことが出来るのだろうか?


『俺たちなんぞ、王と麒麟そろって胎果でもなんとかなった。陽子なら心配いらんよ』


 豪快な笑顔で軽く肩を押してくれたのは、隣国を500年にも及ぶ長い間支え続けてきた王。
 彼もまた自分と同じ胎果だった。


『まぁ、最初から上手くいくわけないって。
 肩の力を抜いて適当にやっていけば大丈夫だよ』


 子供のような笑顔で爛漫に明るく励ましてくれたのは、王を支え続けてきた麒麟。
 彼もまた同じ胎果だった。

 
 彼らは笑いながら言う。
 初めの10年はどこの国も落ち着かないものだと。
 どれほど優れた国を今は作っていたとしても、動乱の時は少なからず何度もあるものだと。即位前の争いも、この前の内乱も初めの一歩にしか過ぎないと。
 一つ一つを憂えることはいい。
 だが、その事ばかり目を奪われて己をがんじがらめにしてしまっては、何も始まらないと彼らは言う。
 争いの中から学んだことを次に生かし、これからに生かせば、その争いは無意味なものではなくなると。
 経験者だった彼らは言うのだが、不安はぬぐえきれない。
 何も判らないが故に。
 そして、己に地震という物がないだけに。
 なによりも・・・この国をどんな風に導いていきたいのか・・・どこへ導いて行きたいのか、明確なビジョンを思い浮かぶことができないまま、国を動かしていっていいものかどうか迷いが生じる。


「このような所におられたのかの」


 物思いに沈んでいると、穏やかな声が背後から聞こえてきた。
 振り返ってみれば先日助けたばかりの遠甫だった。
 まだ、正式に公表してないが彼を太師に任じることを内々に進めてきており、先日彼から諾の答をもらったばかりでもあった。その事を皆に告げるのは明日の朝議の時だ。他にも多くの官吏を移動させることを決めていた。明日は大嵐のように朝議はもめるだろう。その事を考えると遠甫の前だというのにため息を漏らしてしまう。
 自分の決めた事ととはいえ、一度失敗しているためこれで本当に大丈夫か?という猜疑心に囚われそうになる。
「眠れぬのかな?」
 好々爺と言った言葉がしっくりとくるであろう微笑につられるように、陽子は苦笑を浮かべた。
「やらねばならないことがたくさんあるのですが、どうすればいいのかわからず途方に暮れて、散歩をしていたらこんな所にたどり着いてしまいました。
 遠甫はなぜこのようなところに?」
 この荒れ果てた様相を見れば、ここには普段から人が来ないことが一目瞭然だ。それなりに人が足を運ぶような場所ならば、たとえ王が足を運ぶことがなかったとしても、最低限見られる形に整えられているはずである。
「わしも散歩をしていたら迷っただけじゃよ。二人して散歩をしていたのならこのまま散歩を続けぬか?」
 遠甫の誘いに陽子は苦笑を浮かべたまま軽く頷き返す。それを見て取ると遠甫はゆっくりとした足取りで歩き始めた。その後を追うように陽子は歩き始める。
「何を迷っておるのかの? 明日の朝議でのことが憂鬱かの?」
 それも確かにある。
 だが、はっきりと見える不安は対処しようがあることを陽子は知っている。
 今己を不安に突き落とそうとしているのは目に見えるものではなく、目に見えない何か・・・そう、形がはっきりしない事にたいしての不安だ。
「明日の朝議は正直に言えば気が重いですが、迷いはありません。
 今の私が考えることの出来る範囲での最善に近い答が出せたと思います。
 ですが、先のことを考えるとこれで本当にいいのだろうかと思ってしまうのです。
 私は、この世界のことをまだほとんど知りません。
 皆が、どういう国を幸せと感じるのか・・・まず、何をしてほしいのか。あまりにも私のいた世界とは違いすぎるため、過日遠甫からお話を伺うまで判りませんでした」
 陽子の言葉に遠甫は黙って耳を傾ける。
「街に少し降りて判ったこともあります。
 信用できる者達との出会いもありました。ほんの数日間でしたが、私には何よりも大切な時間でした。
 ですが、それだけでは短すぎる。
 未だに官吏達の言う言葉の大半が理解できません。重さ一つ、距離一つとっても理解するのに時間がかかり、采配を振るえません。
 延王は胎果でなくとも、学のない農民が即位すれば同じようなものだとおしゃっておりましたが・・・・
 私には自分を信用することが出来ないんです」
「なぜじゃ?」
「判りません。ただ、国をどういう風に導いて行きたいのか・・・形がはっきりしないまま動き出していいのかどうか、不安が付きまとうのです。もう少しはっきりとこういう国にしたいとビジョンが浮かび上がれば良いのですが・・・ただ、今の私に言えることは民の一人一人が毅然として生きていくことの出来る国にしたい。ということだけです」
「わしはその程度で良いと思うのだが、最初から道がはっきりと決まっておる者はそうそういまいて、陽子はすこぉし肩の力を抜いた方がよいかの」
 まだ知り合ってからの時間はさほど経ってはいないが、遠甫もすでに陽子という人間の性格をほぼ正確に掴んでいた。
 生真面目で、頑固で、少々融通の利かない性格をした王。
 だが、年齢にふさわしく順応力に溢れ、機転に優れている面もある。
 まだ、慣れぬ世界、慣れぬ立場に萎縮しているが、少しずつ羽根を広げ始めているような気がしてならなかった。
「少し、昔語りをしてよろしいか?
 この国の事ではなく才州国の話じゃが」
 陽子にはなぜここで遠甫が昔語りを始めようとするのか判らなかったが、近くの岩に腰を下ろして遠甫の話に耳を傾ける。遠甫は少しばかり離れた所に腰を下ろし、陽子と向かい合う形で『夢』という名の未来の話を始めた。


「前の才州国の話じゃ。
 才州国には一つの宝重があっての。華胥華朶(かしょかだ)と呼ばれるものじゃ。宝玉で出来た桃の枝を枕辺にさして眠れば花開き、華胥の夢を見せてくれるという。昔、黄帝が治世に迷った折、夢で華胥氏の国に遊びに行き、そこに理想の世を見て道を悟ったという逸話が残る宝重での。不思議な花朶(えだ)は国のあるべき姿を夢の形で見せてくれるのだと伝えられておった。
 夢のような宝のようであろう。
 道に迷いを生じたとき、枕辺に華胥華朶を差せば道が開かれるのだからのう・・・じゃが、そのようなすばらしい宝があっても才は何度も代替わりをしておる。今の采王は12年前に即位された王であったかの」
「道を示す事との出来る宝があっても王は斃れたのですか?
 では、先の采王はその華胥華朶と呼ばれる宝重を使われなかったと言うことでしょうか?」
 陽子の問いに遠甫はゆっくりと首を振る。
「華胥華朶を使ったが為に、王は斃れたと言う話じゃ」
「宝玉を使ったが為に? それは、理想を見せてくれる宝重なのでは?」
「夢は所詮夢にしか過ぎぬと言う話であろう」
「遠甫?」
 陽子には遠甫が何を言いたいのかが判らない。
 理想の国の姿を夢というものを使って見せてくれるという宝重を使っていながら、なぜ王は道を外してしまったというのだろうか。王は、その夢を信じず夢とは違う道を歩んだのだろうか?
 戸惑いが陽子の表情にでる。遠甫はその様子を静に見つめながら、陽子の問いには答えずさらに話を進めていく。
「陽子に問題じゃ。
 王が華胥華朶を使って華胥の世界を見たとする。
 その翌日麒麟が華胥華朶を使って華胥の世界を見たとする。
 それは、同じ世界であると思うか?」
「それは、理想の国を描いた夢・・・ということでしょうか?」
「そうじゃ」
「では、同じなのでは・・・?」
 陽子は自信なさそうに呟く。
「では、今ひとつ問いをしよう。
 陽子には理想の慶国があるであろう。
 景台輔にも理想とする慶国の姿があるであろう。
 それは、同じだと思うかの?」
 その問いにも陽子は今しばらく考え込むが、この問いには首を振る。
「私と景麒の理想はかなり違ってくるかと思います。いつも意見がぶつかって口論になりますから。
 麒麟が慈悲の生き物と言うことは判っていますが、度が少々過ぎるような所があるようにも思えます。それでも、景麒は他の麒麟に比べるとマシなようなことを、延王はおっしゃられていましたが」
「では、なぜ才国の王と麒麟は同じ理想を描いていると思ったのかの?」
 その問いに陽子は「あ」と声を漏らす。
 自分と景麒の理想はけして重ならないと思っていながら、なぜ他国の王と麒麟は同じ夢を持っていると信じて疑わなかったのだろうか。
 他の王と麒麟という組み合わせを、雁国でしか知らなかったせいかもしれない。
 だが、その延王でさえ国の始まりに麒麟の言葉に耳を素直に傾けていたら、政はままならないため、適度に聞いて適度に聞き流す程度がいいと忠告してくれていたことを思い出す。 
「王と麒麟だけではない。
 人が存在する数だけ、理想とする国は変わってくる。
 故に、複数の人間が華胥華朶を使った場合、見る夢は変わってくる。
 そして、恐ろしいことにの・・・理想をはっきりと夢という媒介を通して見せてくれるだけで、その夢が必ずしも正しい道とはかぎらないという事じゃ。」
「理想を夢という形で見せてくれるものなんですよね?」
「そこが引っかかりどころじゃ。華胥華朶はけして正道を示す物ではなく、使った者が描く理想を形にするためだけの道具という話じゃ。己の心を映し出す鏡のようなものと考えるべきかもしれん。鏡の前に立つ者が変われば、鏡に映る姿もかわるからの。
 人は己の理想すらはっきりと形にすることはできんものじゃ。まして、王が進む道は険しく難しい。そして、容易に見失う。夢とはいえ理想がはっきりと形になれば、道を見つけることは容易くなり、己を支える杖ともなる・・・じゃが、落とし穴ともなる。
 道をはっきりと見つけることが出来るが故に、頑なに信じ込み、道を選び間違っていたとしても、踏みとどまることが出来ないというてんだのう。
 見える道があるというのにそれを選ぶのではなく、見えぬ道をあえて選ぶことは生半可な勇気ではたりんて。まして、見える道は確実に自分の理想に繋がっているように見えるが、見えぬ道はどこへ繋がっているのかさえ判らない・・・不安に押しつぶされれば、見える道を自ずと選んでしまうであろうのう。
 故に、華胥華朶をそうと知らず使った采王は国が傾き始めていることを知りつつも、己の方針を変えることが出来ず、政を進めておった。華胥華朶は傾いても変わらず理想を映し出すからの。
 周りの者がおかしいと思っても、王の心はかわらんかったという話じゃ。一つの道が見えるが故に他の道がまったく見えなくなってしまったのじゃ・・・故に、道はタダされぬまま進み、采麟は病んだという。
 後に王は禅譲することによって、国が傾ききる前に次代へと国を託したという話じゃ。
 のう、陽子。わしは思うんだがの、理想は朧気の方がよいということではないか? 確かに理想がないというのはちと困りものじゃが、コレ一つしかないと今から決め込む必要もないと思うのじゃ。朧気に何となくこういう方向に進みたい・・・それで良いのではないか?
 はっきりと形が判っていれば進みやすかろう。
 目的がはっきりあるのじゃからな。
 だが、あまりにもはっきりと見えすぎてしまうと、他が見えなくなってしまうのではないか?
 世の中には道はたくさんある。どの道がどこへ通じているのか判らんから、進む楽しみがあるとは思わぬか?
 むろん、判らぬ故手探りで、躓きながら進むことになるであろう。
 途中で怪我を負うかもしれん。凍え飢えてしまうかもしれん。だが、それもずっと続くまいて。一歩一歩行く先を確かめながら歩いていけば、やがて己の目的地につくものではないか?
 道は延々とどこまでも果てしなく続いているものじゃ。間違ったと思えば次の道を曲がるのも良いじゃろう。行きすぎたと思えば、少し戻ることも出来る。たった一つの後戻り出来ぬ道などこの世にはないものじゃ。
 最初から、道は一本しかないと思いこまぬ方が良いとわしは思うのじゃが、陽子はどう思うかのう?」
 陽子は遠甫の言葉を一つ一つ、噛みしめるように心の中で呟く。
 理想はあくまでも指針の一つにしか過ぎないと言うことを、忘れていたような気がする。
 理想を描いたのならば、その通りに国を導いていかなければならないと。
 王となったのだから民が望むような国へと導かなければならないと。
 だが、民の数だけ理想となる国は変わってくる。その全ての理想を漏れることなく叶えることは絶対にできない。たとえ500年600年続く雁国や奏国ですら無理であろう。
 だが、理想の一つに上がるような国を・・・この国に生まれて良かったと思って貰えるような国になら、努力次第で幾らでも出来る可能性はあるのだ。
 誰もが満足する国は無理かもしれない。それは不可能ともいえるような理想だ。
 不可能を最初から理想としていたら、形を作ることなど出来るわけがない。
 たった一人の意見が違うだけで、それは形にならないからだ。
 だが、及第点を下せる国を目指すことはできる。
 いくつか不満はあるかもしれないが、いくつかは満足いくような国へ・・・そして、いずれかは民達一人一人が己という領地を持てる国へ目指すことはできるのではないだろうか。


「遠甫、ありがとうございました。おかげさまで目が覚めました。」


 少しだけすっきりとした笑顔を見せて答える陽子に、遠甫は相好を崩して笑みを深くする。
「形を作るには土台を作らなければならないというのに、私は先に形ばかりに囚われていたようでした。
 理想に近い国を作るためにも、これからはしばらく土台作りに励みたいと思います。
 まだまだ、至らないところばかりでご面倒をおかけいたしますが、御指南の方今後もよろしくお願いいたします」
 陽子は腰から上体を折って、遠甫にゆっくりと頭を下げる。
 王たるものが早々頭を下げるな、と言われてはいるが、師に礼を尽くすのはどこの世界も変わらないはずだ。
 遠甫はその事には何も触れず楽しげに笑みを零す。
「教えがいのある弟子を持ててわしは幸せだのう。
 陽子が・・・いや、景女王が築かれていく慶国を間近で拝見させていただきますぞ」
 それが、陽子の礼に対する答であった。










 翌日の朝議で、陽子は官吏達を前に新たな人事を発表し、初勅を告げる。
 
 




 




  伏礼を禁じる   と。

































「景麒、良い案であったろう?
 皆が皆、己が領主なのだよ。この慶国は民の数だけ王がいる。
 その王、一人一人の声に耳を傾けながら、私は道を進めてきた。
 雁国や奏国には遠く及ばないが、だいぶ平和な国になったであろう?」


 行く年月か後、
 景麒にそう語る女王の姿を遠甫は目を細めて見守り続けていた。






 

                                    おわり





☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆

 久しぶりのUPがGHじゃなく十二国記でした(笑)
 オンリーイベントでGHで十二国記を書くに当たり、十二国記を読んでいたらこの話が浮かび、
 書きたくて書きたくてしょうがなかったのです(笑)
 とはいえ、ノーカップルそれも渋い組み合わせとなりましたが(笑)
 というよりもふと読み直して思ったのだけれど、遠甫ではなく延王でも良かったかも・・・
 もう遅いけれど(笑)
 でも、とりあえず書きたい虫が治まったので、この後はハルコミの原稿に大人しく励みます!
とはいえ勢いが大切なので、ネタをまとめつつ金曜からいっきにがっつりと書き進めたい所存(願望)




※これは十二国記の「華胥の幽夢」の「華胥」を題材にして使っています。
 一部曲解してますが、つっこみは無しの方向でよろしくお願いします(笑)




Sincerely yours,Tenca
2006/02/08