温もりに包まれて・・・・・




















 江戸を遠く離れ、冬になれば雪にすべてが閉ざされる地に来て早数ヶ月。
 この地に初めて訪れたときは、遅咲きの桜が満開の頃だった。
 にぎやか・・・とは言い難い城下町。
 江戸とも京とも、会津の城下町とも違い、精細さを欠いているのは命は助かり存続は認められたからとはいえ、敗戦したからだろうか。それとも、いずれ訪れる厳しい冬に先行きを不安に思うのか、お世辞にも城下町としてにぎやかさに満ちているとは言えなかった。
 瞬く間に、短い夏が過ぎ、赤く色づいた紅葉が一枚・・・二枚・・・散りゆく頃には、吐き出す吐息が朝晩になると白くたなびき始め、長く厳しい冬の到来をその空気の冷たさから予感せざるえない。
 豊かとは言えない土地。
 痩せこけ、物が溢れているとは言い難い地での生活はけして楽ではないが、それでも心は穏やかで、過ぎゆく日々を愛しい人の傍らで静かに過ごせる、この一瞬一瞬が、今までの中で一番幸せだと・・・千鶴は日々、噛みしめていた。
 

 傍らにいる人もそうであるといい。と願いながら・・・・・・
















 千鶴は肌寒さを覚え不意に目を覚ますが、すぐに眠りの世界に戻ろうとするかのように瞼がゆっくりと閉じてゆく。
 聞こえてくる音はなく、耳に痛いほどの静寂が空気を満たす。
 このまま、夜が明けるまで眠ろうと思うのだが、肌に触れる空気の冷たさに身体が反射的に震え、閉じかけたいた瞼をゆっくりと開く。
 身体はけだるく、眠気はすぐ傍にあるのだが、一度認識してしまった寒さのせいか、少しずつ意識が浮上してくる。
 ため息のように吐き出した吐息が、闇の中白くたなびき消えていくのを、視界の端に納めて、空気の冷たさに、冬支度を急がなければならないことを感じる。
 初めて経験する、冬はどれほど厳しいのだろうか・・・
 話には聞き、雪深い会津の冬を経験したが、それ以上に厳しいと言われる斗南の冬。
 藩士として迎えられたものの、国情は芳しくなく、俸禄もけして豊かではない。三万石と言われているが実質1万石にも満たず、政府と若松藩の援助を受けて凌いでいるのが実情だ。そのため、一冬、一冬超すのにはそれなりの覚悟が必要だと聞いている。
 どれほどの準備をすればいいのか・・・いや、そもそもどれだけの準備ができるのか皆目検討も付かないが、それでも不安はなかった。
 明日をも知れぬ日々を思えば、どれほど今が幸せな事だろうか。
 再び見える事ができるか、判らない日々をただ一人過ごした日々を振り返れば、今共にあることが出来ることが、どれほど幸せか・・・けして短くはなかった、別離の日々を思えば、予想できない冬の厳しさなど怖れる必要はなかった。
 千鶴は微かにもう一度身震いをすると、暖を求めるように傍らに在るであろう温もりを求めて、少し身体の位置をずらすが、いつもすぐ傍に在るはずの温もりを感じる事はできなかった。
 重い瞼を開けて暗闇のなか目をこらせば、そこに居るはずの人の姿がなかった。


 心臓が、痛いほど強く鼓動を打つ。


 眠気でぼんやりとしていた頭は、ほんの一瞬ではっきりとする。
 身体をゆっくりと起こすと、肩にかかっていた布団が落ち、剥き出しの白い肩が露わになるが、空気の冷たさを感じる余裕は千鶴にはなかった。
 震える指先を伸ばし、布団に触れる。
 確かにあったはずの温もりはそこに残されてはおらず、ひんやりとした感触だけが指先に伝わる。
 




「う・・・・うそ    




 見開かれた目は、何かを求めるように周囲を彷徨う。
 だが、どれほど視線を周囲に巡らせても、共に生きようと誓った人の姿はない。





 息が詰まって思うとおりに呼吸ができない。
 いや、どうやって呼吸をすればいいのだろうか。
 ただ、胸が苦しく、心臓が誰かに握りしめられているかのように痛い。





 なぜ、どうしていないのだろう。
 確かに眠るときはいた。
 肌を重ね合わせ、その熱に翻弄され、痩躯に見えるが無駄な贅肉など欠片もない、引き締まった身体に包まれて眠りについたはずだ。
 なのに、なぜ、今ここにいないのだろう。
 いつも、自分より先に目覚めてはいたが、目を覚ますときには必ずどこにいるかわかった。
 こんな風に突然消えたように傍らから彼がいなくなることはない・・・・・・・
 ぎゅっと唇を噛みしめる。
 血で血を洗うような、いつ終わるともしれない戦いは終わり、平穏な時代が訪れた。
 いつ殺されるか判らない。常に死と隣り合わせだったあのころではない。
 だが、いつ終わるか判らない定めがあった。
 人は誰しも己がいつ果てるか判らない。
 病で死ぬこともあれば、事故で死ぬこともあるだろう。誰かに理由もなく殺されるかもしれない。天寿を全うし、年老いて死ぬかもしれない・・・誰もが判らない。
 それは、どの人の上にも平等に課せられた定め。


 だが、一は何時朽ち果て消えるか判らない定めを背負っていた。


 そう、その命の灯火がいつつきるのかは判らない。
 ただ、確実なのはいつその時が来てもおかしくはないと言うことと、年老いてまで共にあることはけして望めない。という事実のみ。


 だが、いくら何でも・・・






 冷たくなった布団を凝視し続ける。
 そこに、一が居た気配はなにも残されていない。







 別れも言えず、
 その最後を見送ることもできず、
 まるで、夢を見続けていたかのように、
 一と共に過ごした日々が幻であったかのように、


 終わるなんて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






 唇がわななき、音無き声で一の名を呟いたとき、カラリと背後の扉が開く音が聞こえる。

















「何をしている」




















 落ち着いた声を認識する前に弾けるように千鶴は振り返る。
 薄闇の中、涙が頬から溢れ声もなく泣いている千鶴の姿に、一は眉を潜める。
 朝晩の冷え込みは、江戸で言うならば晩秋のものだろう。
 その中裸体を晒して呆然と泣いている千鶴を見て、一は何があったのかと視線で問うが、千鶴は一を見続けたまま身じろぎ一つしない。
 手にしていた刀を引き戸にかけ、一は千鶴の傍に近づきその両頬を両手で包み込む。
 いつからこうしていたのか判らないが、すっかりと冷え切っており、外にいた自分よりも冷たかった。


「何をして・・・・千鶴?」


 呆然としていたかと思うと、千鶴は唐突に一に抱きつく。
 確かに感じる温もり。
 耳朶を打つ力強い鼓動。
 夢や幻ではなく、確かにいまここにいる・・・自分の腕の中に。
 儚く消えてしまったわけではなく、共にあった事が夢だったわけでもない。


「何があった?」


 彼女の身に危険が迫るような事はこの地にはない。
 もし万が一不逞な輩が忍び込んだとしても、自分の目をかいくぐって忍び寄ることが出来る者など早々いない。
 物理的に・・・肉体的に、彼女を追いつめるようなものはないのなら、残った選択肢は精神的なものとなる。
 一はそれを問うために問いかけるが、千鶴はゆっくりと首を振る。


「何でも・・・ないです」


 だが、何もないだけで泣きながらこの空気の冷たさのなか裸体で座り込んでいたというのだろうか。
 何もない。と言われて素直にそうか。と答えられるわけないのだが、幼い子供が親とはぐれた直後のように、しがみついてくる千鶴に、それ以上強く問うことはできなかった。


「どこに、いたんですか?」


 代わりに千鶴の方が問いかけてくる。


「形をさらっていただけだが?」


 ソレがどうかしたのか。と言わんばかりの口調。
 一は当たり前のように答え、千鶴はその答えに「あ」と小さな声を漏らして数度瞬きをする。
 その瞬間、かっと頭に血が上るような気がした。
 そうだ。新選組の頃からの習慣で、一は毎朝必ず居合いの形を半時ほどなぞっていた。
 何も脅える必要などないことだというのに、なぜあんなに不安に陥ったのだろうか。
 いや、そもそもなぜその事を失念してしまったのだろうか。
 今まで別段不安に思ったことなどなかったのに・・・・
 ただ、目を覚ましたとき傍にいなかっただけだというのに。
 布団に触れたときはもうすでに冷たく、まるでそこには最初から誰もおらず、自分一人で休んでいたと言わんばかりの状況だったから。
 いつもは、一が起き出して身支度を調えている間か、外で刀を振るっている間に目を覚ましていたのだが、今日に限って目を覚ますのが遅かったのか、刀を納め汗でもぬぐっているときに目覚めたのだろう。
 そのため、夜の静寂のように静まり返っているように感じたのだ。


「あの・・・・もしかして、私寝過ごしてしまいましたか?」


 まだ夜は明けてないため、かなり朝早いように思うのだが、この空気の冷たさから考えれば、陽が昇るのも徐々に遅くなってきているだろう。


「寝過ごした。とは言わないだろう。俺と共に起きるのが早すぎるぐらいだ。
 もう少し休んでいても構わない」


 刀を振る自分に合わせて起きる方が、早すぎる目覚めだ。
 だから、けして寝過ごしたという事にはならないのだが、千鶴は申し訳なさそうに俯くいたまま首を振る。


「すぐに朝餉の支度をしますね」


 一から離れて身支度を急いで調えて、朝餉の準備を・・・と思ったが、己の背に回った一の腕の囲いは外れる事はなかった。


「一さん?」


 戸惑ったように千鶴は一を見上げる。
 うっすらと眦が赤くなってはいるが、泣いていた名残はすでになく、不安に脅えるような表情ももうない。
 だが、微かに残っている涙をぬぐうように、一は身を屈めその眦に口づける。


「何が、お前を不安にさせたのか判らない」


 飾ることのないまっすぐな言葉。


「だが、一人で泣くぐらいなら、俺を呼べ」


 なぜ、不安に感じたのかを聞かない。
 なぜ、一人で声を殺して泣いていたのかも聞かない。
 理由を本当に判っていないのか、それとも判っていてあえて何も言わないのか・・・その凪いだ双眸からは判らない。
 が、理由などきっとどうでもいいのだ。
 ただ、一らしい一言に千鶴は淡い笑みを浮かべる。
 なんと現金なのだと思うのだが、こうして傍に温もりを感じるだけで、身はおろか魂まで凍てつかせるような寒さが、遠くどこかへ行ってしまったような気がし、何をあんなに不安に思ったのかもう判らない。
 いや、もう全てどうでも良いことなのだ。
 この温もりが傍らにあるのならば・・・


「もう、大丈夫です。
 ただ・・・寒かったので寂しかった  だけです」


 暖かな胸にそっと身をすり寄せて甘えるように囁く。
 

「寒くなるとお前は寂しくなるのか?」
「人肌が恋しくなりませんか?」
「特に思ったことはないが」


 今まで強く己を律して生きてきた人だ。
 寒いからってどうこう思うことはなかったのだろう。
 自分も今まで特に人肌が恋しいなど思ったことはなかった。
 もちろん、暖を欲するが凍てついた空気に空虚感も寂しさも感じたことはなかった。


「一さんは、暖かいですね」
「お前が冷えすぎてるだけだ」
「そうですか?」


 温もりを求めるように、さらにすり寄る。
 胸に顔をよせながら、ならこのまま・・・
 唇だけで微かに呟くと。


「暖めてください   


 こうして、抱きしめていてくれたらすぐに貴方の温もりが移るから・・・・
 そういう意味で言ったに過ぎない。
 だが、千鶴のその言葉に一は驚いたように軽く目を見張ると、ゆっくりと一瞬で詰めた息を吐き出す。


「珍しいなお前がそんなことを言うなんて」


 いったい何が珍しいのだろうか?
 不思議に思って顔を上げれば、まっすぐに自分を見つめる深い双眸に吸い寄せられるかのように、目をそらすことができない。
 

「確かに冷えた身体を温めるには手っ取り早い上に、夜明けまで時間はまだある  か」
「は?」


 思わず色気にはほど遠い声が漏れる。
 なんだか良くわからないが、思いっきり何かが食い違っているような気がする・・・と思ったときには、視界がぐるりと周り、すっかり冷え切ってしまっている布団の上に横になっている状況で、一は覆い被さるように自分の上にいて、幾ら頭の回転が追いついてこない状況でも、ようやく千鶴も理解をする。


「あ・・・あの・・・・・」


 自分はただ、あのまましばらく抱きしめていて欲しかっただけなのだが・・・・触れるだけの口づけから始まるそれに、それ以上何も言うことはできず。
 それどころか、少しずつ早まる鼓動に、上げられて行く熱に、言葉を紡ぐことも出来なくなり、寂しさを感じる余裕など無いほど、言葉ではなく直に伝えられる思いを全身でただ受け止める。






















「結局、一さんにはお見通しされているんですね  



















 再び目を覚ましたときには、陽も高く登っており、今朝の時同様に傍らに一の姿はなかった。
 その代わりというように、一筆したためられている。
 出仕してくると。


 千鶴は苦笑を浮かべながらも、幸せそうに笑みを零して、胸に抱きしめる。








 


 
☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆


 さくっとかけるのは、史実やゲームのストーリーを意識しなくてすむ、ED後かしらね(笑)
 目を覚まして、外で刀を振るう一をぼんやりとみながら「ああ、なんて色っぽいのかしらん」と
 うっとりと見惚れるというパターンと、寒くて目を覚ましたら、傍らで一君が眠っていて、出てい
 る肩が寒そうだわ。と上着をかけようとするというパターンの三つが浮かんで、なんとなく書いていて
 このパターンで落ち着いた次第。


 どうやら、斗南での生活はどっかのお家に居候していたようなのだけど・・・まぁ、その辺はさくっと無視し(笑)
 小さなお家・・・長屋?よりきっとマシと思われるけれど、で、静かに平和に暮らしていることでしょう。