南東の離れ小島に位置する舜国。その国は、女王と漆黒の麒麟によって治められていた。治世すでに・・・年がたち平和でのどかな国である。
 まるで、夫婦のように仲むつまじい二人。民たちは、この女王と麒麟を何よりも国の自慢と思っていた。だが、同時に珍しさでもぴか一だと思う。
 麒麟が珍しい漆黒というだけではない。
 誰もが心を和ませる春王(しゅんおう)と呼ばれる女王の春のような柔らかな笑顔だけでもない。
 何よりも珍しいと思うのは、
 慈悲と慈愛を卵の中に
わざと忘れてきたと女王に言わしめる麒麟と、無能で役立たずと麒麟に言わしめる女王の二人だ。
 二人のいさかいは今日も続く。
 それは、王宮ではありふれた日常。
 まったく、麒麟に相手にされない女王の雄たけびが、今日も今日とて平和な王宮に響く。
「ナルのおたんこなすぅ〜〜〜〜〜!!!」
「もう少し、まともな語彙を覚えるんだな」
 ナルとなぜか呼ばれている舜麒はまったく、女王の相手もせず仕事にいそしむ。
 そう、これは最もありふれた光景である。
 一見、いつもけんかをしているように見える二人。
 だが、それはもっとも気兼ねなく自然体でいられる二人。
 最初から、この二人は変わらずだった。


 のほほん・・・・と、彼らとともに苦楽をともにしてきた・・・いや、彼らとはまた違った苦楽を味わってきた、腹心たちは主上自ら入れてくれたお茶を飲みながら、二人を見守る。
 余計な口を挟むものはいない。
 馬ならぬ麒麟にけられてしまうからに他ならない。
 なんだかんだ言いながらも、冷酷非常で慈悲と慈愛を忘れてきた、麒麟は誰よりも主上のことを思っているのだから。




 そんな二人の、出会いの物語である・・・・多分・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・













呼び名













 天帝が作りたもう十二の国の世界。一人の王がその国の平穏を左右する不思議な理によって成り立つ世界。世襲制ではなく国民の中からただ一人の人間が神獣よって選ばれる。一見したところ良き方法とも思えるが、国の命運はただ一人国王のみにかかっているのだ。
 さて、十二ある国の一つ「舜」国。この国は、虚海に囲まれた四つの孤島の一つ南東に位置する。この国に今王はいない。四十年ほど前に天命を失い、神獣の麒麟を失道によって失った後崩御した。それから十数年間王を選ぶ麒麟が生まれることがなく、その間に国はどんどん荒廃していった。
 妖魔があふれ天候が荒れ狂い、農作物は育たず干ばつが続き、民達は貧困にあえいでいた。
 長い長い闇の時代が続き、やがて、麒麟が生まれ王が誕生するのを今か今かと、民達は待ち望んでいた。
 だが、麒麟が王を選ぶことがないままさらに、二十数年が過ぎようとしている。























「常敬殿(じょうけいでん)ってなんだか無駄に広いよねぇ」
 麻衣は落ち着きなくきょろきょろと見渡す。
 雲海の上に建つきらびやかな建物。生まれてから一度も見たことがないような絢爛豪華な建物だ。天井は高く声がよく響く。廊下は鏡のように磨かれ薄汚れた自分がしっかりと写っている。すれ違う人もなく、静かな時間がゆっくりと流れていた。
 貧困にあえぎ妖魔をおそれ、その日の生活にも事欠く日常が嘘のように静かで平穏に満ちた空間。
 雲海から微かに透けて見える下界を見下ろして、麻衣は自分がほんの少し前にいた世界とここのギャップに、戸惑いを隠しきれない。
「こっちだ」
 前を歩いていた黒衣に身を包んだ青年は、抑揚の欠けた声で麻衣に短く指示する。麻衣はその声に肩を軽くすくめると、ぱたぱたと後を付いていく。
 薄汚れた衣服の自分がなぜこんな場所に来るようになったのか、未だに信じられず夢を見ているようだ。
 漆黒の髪と瞳の信じられないぐらいに整った容貌の青年。
 彼は人ではない。
 だからといって、半獣でもない。
 世界にたった十二人しかいない神獣――この国の慈悲と慈愛を司る舜麒。金の髪をもって生まれてくるのが多い中で、彼は珍しいことに黒髪だ。聖なる獣の姿になったとき、その姿はビロードのように美しい黒麒麟の姿へと転変する。
 だがしかし、慈悲と慈愛の生き物だという割には愛想のかけらもないよなぁ…と麻衣はその背中をじっと見ながら思う。
 声はまるで氷のように冷たい。表情は無表情というよりも冴え冴えとしすぎて、近寄りがたくさえ感じる。貧しい自分を見下すようにその闇色の双眸は自分を見つめていた。
 だが、確かにこの青年は自分の前で膝を折り頭を垂らしたのだ。
 いかにも渋々、致し方ないと言った感じでは合ったのだが、それでも確かに彼は口上を述べた。
 二度と言わないからしっかりと聞いておけ。
 という、何とも偉そうな言葉の次に吐かれた言葉を聞いたとき、正直言って腰を抜かすかと思った。
 その出来事が起きてほんの数刻後、自分がこうして舜国の要である常敬殿にいることが未だに信じられない。
 麻衣はこの日もいつも通り朝早くから起きて、乾いた大地にも強いと言われる作物を一生懸命に育てていた。両親はすでにいない。父は麻衣がまだ幼少の頃無理がたかり病に倒れ他界した。父亡き後、麻衣を養っていくために母は朝早くから夜遅くまで働きづめ、そして、麻衣が十五を迎える前に妖魔に襲われそうになった麻衣をかばって、母は逝った。
 それから、すでに三年が過ぎようとしている。
 一人細々と生まれ育った邑で小さな小さな荒れ地を耕して、とにかくその日その日を生き延びていく生活をずっと続けてきた。当然手は荒れ、身にまとう服もぼろ切れ同然。全体的に薄汚れた格好をしていたが、村人全員が似たり寄ったりなので、誰も気にしない。
 いつの日か王様が立ち、国が安定すれば、おなかいっぱいにおいしい物も食べられるし、綺麗な洋服も着れる日が来る。合い言葉のように村人達は励まし合っていた。といっても、麻衣にはおいしい物をおなかいっぱいに食べれると言ってもピンとこない。なぜならば、生まれてからこの方おいしいものと言う物など、食べたことがないからだ。
 日が高く昇るにつれじりじりと照りつけるように強い日差しが、容赦なく降り注がれていく。北の方にある国で王がいなくなると、寒さに震え凍え死ぬと言うが、南東に位置するこの国では干ばつによる被害が全国各地に広がっている。
 水は何よりも高価な物として売買され、農作物を育てるのに必要な雨など、滅多に降らない。川などなにそれ?というような状態が続き、そのうちこの国から民という民がすべていなくなるのではないだろうか。そう思わざるえないような状況が続いているのだ。
 だが、麻衣は生まれたときからその環境にいるため、今更何とも思わない。生きている間に何とかなってくれればいいのになぁ…なんて暢気なことを考えつつ、その日を精一杯に生き延びていた。
 父が、母が守ってくれた命である。
 粗末にはできない。
 不毛の大地としか表現できない地を、華奢な腕で耕す。
 風に舞う土埃にせき込みながら、ふと顔を上げた。
 何か陰が近寄ってくるのだ。
 空から襲ってくる妖魔もいる。出たのならば、村人に知らせて自分も速く逃げなければ。とにかくどこにいるのか見定めようと上空に視線を向けたとき、麻衣はぽかぁ…んと間抜けにも口を開けたまま立ちつくしてしまう。
「妖魔―――だよね?」
 問いかけても誰も返事を返さない。
 確かに上空を駆け下りてこようとする物は、見たことはないが妖魔だった。だが、その背には一人の青年がまたがっている。
 このじりじりと焼けるようなあつい日差しの中、全身を黒衣に身を包んだ青年だ。黒髪が風にたなびいているのまではっきりと判る。
 目を見張るような美貌を持った青年だ。
 日の下で働いたことなどないのだろう。その白い肌を見れば一目瞭然である。
 妖魔は音もなく静かに舞い降りた。黒衣の青年はとん…と静かに降り立つと無言のまま麻衣に近づく。
 逃げるべきなのだろうか…?やはり
 呆然としていると青年は麻衣を上から下まで眺めるように視線を数度動かす。
 氷の刃のように冷たい視線に思わずたじろいでしまうが、ふぅ…となんだか非常にむかつくため息を付かれてしまう。
 いったい、何なのだ。
 人の顔を見るなりにため息を付く人間がいるだろうか。
 確かに、この目の前に立つ男から見れば、自分なんて掃いて捨てるほどいる程度の容貌だ。着ている物も貧しくて汚いし、月とすっぽんどころではないと思う。だが、ため息はないだろうが。ため息は。
「あの……何かようですか?」
 胡散臭げな視線で麻衣は青年を見上げると、青年はため息とともに第一声を発した。麻衣が今までに一度も聞いたことがないような、玲瓏とした響きを放つ声。
 静かで抑揚の欠けた声だというのに、はっきりと響く声音。
「一度しか言わないから聞き返すな」
 会って間もない人間に言う言葉だろうか?
 うっとりと聞き惚れてしまいかねない声だというのに、麻衣はその言葉にかっとなり青年に向かってまっすぐに指を指す。
「挨拶もできないの!?
 どこの誰か判らないけれど、初めてあった人には自己紹介と挨拶をするのが礼儀でしょ!! お母さんに小さい頃そう教えてもらわなかったの!?」
 毎日陽にさらされても黒くなることのない白い肌を、怒りに紅潮させて麻衣はきっぱりと言い放つ。対する青年は面と向かって告げられた言葉に唖然とし、次に呆れたようなため息をもらした後、皮肉げな笑みを浮かべた。
「そういうお前は、人に向かって指を指してもいいと教わったのか?」
 逆に言い換えされ、麻衣はむっと黙り込む。
 確かに人に向かって指を指してはだめ。と幼い頃母に言われたが…だがしかし、挨拶もしないで命令口調で告げるような男に言われたくはない。
「礼儀を知らない人に礼儀を尽くすようになんて育てられていないもん」
 先に無礼を働いたのはそっちだと言わんばかりの態度をとる麻衣に、青年は鼻で笑う。
「同感だな。僕も礼を欠く人間に礼を返す気はない」
 最初に名前も名乗らなければ、挨拶もしない人間に言われたくない言葉である。
「あのね、私は貴方の事なんて知らないの! 誰に用事があるのか知らないけれどね、挨拶はするべきでしょ!!」
 麻衣が一気にわめくと、青年は今度こそ心底呆れたというようなため息をもらす。
「僕が誰か判らないのか?」
 その言葉に麻衣は唖然とする。
 判るも話からないもない。どこの世界に初対面の人間を知っている人間がいるというのだ。
 だが、待てよ…もしかしたら、忘れているだけで面識があるのかもしれない。
 こみ上げてくる怒りを必死に飲み込んで、そう自分に言い聞かすと、麻衣はもう一度目の前に立つ青年を見上げてじっくりと観察する。何かを思い出すかもしれない。
 背は自分より頭一つ分は優に高い。すらりとした体躯で細身だが貧弱な印象は受けない。おそらく自分と同じで日には焼けない体質を連想させる白い肌。漆黒の髪は艶々のさらさらで羨ましいぐらいである。漆黒…というより深い闇色の双眸ははっと息をのむほど深い色合いで、吸い込まれそうな錯覚さえしてくる。文句を付けるのが難しいほどの整った顔立ち……どう考えても、こんな美形と知り合いになるような機会もなければ縁もない自分と、この青年が顔見知りの間柄…とは思えない。いくら自分でもここまで整った顔立ち、物心が付いてから以降に会ってからなら忘れるわけがない。
「えっと…昔どこかであったことがあるとか?」
 麻衣は可愛らしく小首を傾げて問いかける。
 だが、返ってきた答えは・・・・・
「初対面だ」
 と、非常にあっさりしたもの。
「あ、なんだ初対面か―――って初対面!?
 なら、判るわけないでしょぉ!? どこの世界に初めてあった人間の氏素性を知っている人間がいるって言うのよ!!」
 再び眉をつり上げて怒鳴る麻衣に対し、青年はうるさそうに眉をしかめる。
「お前は自国の麒麟も知らないのか」
 ほとほとあきれ果てたようなため息を漏らしながらつぶやかれた言葉に、麻衣はぱちくりと音が聞こえそうな勢いで瞬きを繰り返す。
「きりん―――?」
 キリン…首の長い動物のことだろうか?
 イヤそんな馬鹿な。この国でキリンといえば……………
「キリンってあの麒麟!?」
 きーんと耳を突き抜けるような甲高い声にますます青年は眉をしかめる。
「それ以外に何の麒麟がある」
「何で、どうして、麒麟がこんなところにいるの!?」
 麻衣は国で王の次に偉いと言われる麒麟の襟首をつかむと、首を絞めんばかりの勢いで問いかける。その行動には麒麟に対する敬いというものを感じさせない。だが、麻衣本人はそのことに気がつかず、また、麒麟本人も気にしている様子はなかった。不機嫌そうに眉をしかめていたが。
「お前は馬鹿か。麒麟が来た用事といえば一つしかないだろう」
 当然である。あらためて言われる内容では確かになかった。麻衣は少しは落ち着いたのか青年の襟首をつかんでいた手をパッと離す。
「そっか…そうだよね。麒麟が来る用事っていったら王様を迎えに来たって事だよね…何だそんなこと―――って、王様がこの里にいるって事!?」
 つくづく勘の鈍いというか、察しの悪い娘だな。といわんばかりの視線を麻衣に向ける。が、麻衣はその視線には気が付かず、里長の息子かな?それとも二件先のお姉さんかな、いやいや、物知りの長老様かな?などと、腕を組んで誰が王様になるんだろう?と首を傾げていた。
 漏れる言葉の数々に青年は微かなめまいを感じる。
 本当に鈍いというか、馬鹿というか…
「で、誰?」
 好奇心いっぱいという文字を顔にでかでかと書いて、青年に問いかける麻衣に一別を向けると青年は軽く息を吐いた。
「一度しか言わないからよく聞け」
「うんうん」
 麻衣はコクコクと激しく首を上下に降る。
 ようやくこの国に王が起つのだ。それを、いち早く自分が知ることができるのはなんと幸運な事なのか。麻衣は誰の名がその形の良い唇から漏れるのか非常に楽しみにして待っていた。
 青年はゆっくりと行動に移った。麻衣よりも高い位置にあった頭は今は腰の位置にまで下がっている。
「あの―――?」
 名前を聞きたいだけなのに、なぜこの人(でカウントしていいのだろうか?)は、膝をついているのだろう? 麻衣は首を傾げながら青年を見下ろす。
 青年はその場に膝をつくと、静かな声音で言葉を紡いだ。
「御前を離れず、忠誠を誓うと誓約する」
 うっとりと聞き惚れてしまうような玲瓏な声音が紡いだ言葉は、麻衣が期待した名前ではなく―――


「う…………嘘でしょぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜!?」


 すっとんきょんな麻衣の絶叫が静かな里に、響き渡ったのはその後すぐのことだった。
 それが、黒衣の青年…この国の麒麟である舜麒と、春王に選ばれた麻衣という娘の出会いであった。








                         ※     ※     ※










 麻衣は王としてのお披露目も終え、ようやく一息を付くべく部屋に戻るなりどっとため息を付いた。ここ連日なれないことばかりで実に疲れた。
 なにせ、世界がほんの一瞬で百八十度変わってしまったのだ。
 いきなり王になれと言われたかと思ったら、すぐに王宮へと来いというのだ。いくら貧しくて私物がほとんど皆無と言ってもいい状況だが、まったくないというわけでもないし、里を離れるなら今までお世話になった長や、近所のおじさんやおばさんやおばーちゃんやおじーちゃんや、おにーさんやおねーさんや庄屋さんや……等々に挨拶だってしたいし、十八年間住んでいたお家だって綺麗にしたいし、お母さんやお父さんに報告してお墓参りだってしたいし…心の準備だってしたいというのに、この男は今すぐ来いといって一歩も引こうとしなかった。
 誰も逃げも隠れもしないんだから、数日ぐらい時間くれてもいいというのにである。
 一言そういったら、
「何を悠長に構えている。今国がどんな状況にあるのか、判っての言葉か。その頭は飾りか。飾りにしろもう少しましな作りにして置くんだな」
 である。
 飾りとしても役に立っていない頭だよ。
 どうせ、自分より上なんていないと思っているに違いない。
 確かに見た目もすっごくいいし、頭の回転もきっといいのだろう。なにせ国の要の一人舜麒である。馬鹿でつとまるわけもないし、育ちや生まれがすこぶるよいのだ。いわゆる「えいさいきょういく」という物をうけているはずである。自分とは出来が違って当然ではないか。
 そもそも、自分は今まで勉強一つまともにしていないのだ。月とすっぽんどころの差でなくて当然ではないか。
 自分が一番なんて自惚れんのもたいがいにしろっていうんだ。
 ああいうのをなんと言うんだっけ?
 麻衣は確か前に近所に住むおにーさんから面白い話を聞いたのだ。そのおにーさんは海客で麻衣が聞いたこともないような話をいっぱいしてくれた。二年前に流れてきたばかりだというのに、一年ほどで会話をマスターしてしまった頭のすこぶるよろしい、笑顔の怪しげなお兄さんだ。時折後ろに先がとがったしっぽがちらついているようにさえ見える。海客にも半獣っているのかな?と首をかしげることもしばしばだ。
 その中にあった話の中で……
「なるしすとだ! 自分が一番で自分が好きって言ううぬぼれの局地の人間のことを!!」
 のどの奥に引っかかっていた小骨がようやくとれたようで、麻衣はにんまりと笑みを浮かべる。
 お兄さんがいた世界での神話だという。その話に出てきたナルシストはまさに、あの男のことではないか。こっそりと、ナルシストってあだ名をつけちゃる。だけれど、ナルシストとは実にいいにくい。
 麻衣はしばらく、うなったあとで舜麒にあだ名を「ナルシストのナルチャン」と決めたのだった。もちろん本人にじかに言うつもりはない。言っても、彼には通じないだろうから。こっそりと、自分の中で呼ぶつもりでいた。









 王として即位して早くも一月の月日が流れようとしていた。この間めまぐるしく時間が過ぎて行き、自分の時間を持つ余裕がまったくない。息をつく間もないほど寸刻みのスケジュールをこなしていくのがやっとだというのに、王としての役目を果たすためのしきたりだの、礼儀作法だの、帝王学だのを覚えていかなければいけないのだ。
 どんな人間だろうと根を上げるに決まっている。だが、根をあげることも出来ないでいた。王が立ったからと言ってすぐに国が豊かになるわけではない。一ヶ月前と今で何が変わったかと言えば、何も変わっていないのが現状だ。だからこそ、麻衣は必死になって己が今現在できることを必死でやっていたが、何事にも限界という物はある。
 麻衣の教育係は主に舜麒である青年が担っていた。麻衣も覚えが悪いほうではない。どちらかというと乾いた砂が水を吸うように吸収していくのだが、それにも限度はある。普通ならば、優秀な生徒で通るだろうが、教師が普通ではなかった。
「まったく、こんなことも覚えられないのか。
 お前の頭は人間のものか? 妖魔の方がまだましだ」
 相変わらず歯に衣着せぬ毒舌に、麻衣のこめかみが引く引くと引きつる。
「あ〜の〜ね〜。私はほんのちょっと前には字すら書けなかったの!!
 いくらなんでも、あんたが望むようなペースで理解できるわけがないでしょ! この世の人間が全部、あんたみたいに利口だと思わないでよね!!」
 この一月幾度となく、麻衣の居室からは絶叫が響き渡る。初めははらはらしていた女官たちもすでになれたもので、様子を伺いにくるものはいない。
「よく判っているじゃないか」
 さも当然といわんばかりの態度に、麻衣はきぃ〜〜〜〜〜っとうめき声を上げる。
「あんたみたいなナルシストが麒麟だなんて何かの間違いだぁ〜〜〜〜!!!麒麟って慈悲と慈愛の生き物だって聞いているのに! 詐欺だ!! ウソツキィ〜〜〜〜!!!」
 やけくそになってわめいた言葉に、舜麒は眉をしかめる。聞きなれない・・・いや、聞いたこともない単語が混じっていたからだ。話の展開から考えるに自分のことを言っていると思えるのだが・・・・・・
「ナルシスト? 何だそれは」
 舜麒の疑問に麻衣はしまったと、あわてて口を閉ざすがすでに遅し。たった今、大声でわめいたばかりである。
「なまりか? 使うなとは言わないが公の場所では使うな。王がそれでは国の恥となるだけだ」
 自分の知らない単語は下町の言葉ということで片付けたのだろう。ナルのその言葉に麻衣は、さらにカッとして「違うぅ〜〜〜〜!!!」と叫ぶ。
「ナルシストって言うのはね、あんたみたいに自惚れ屋のことを言うんだいっ!!
 あんたなんて、舜麒なんて字よりナルシストのナルチャンで十分だぁ!! 決めた!!あんたのことはナルって呼ぶから!!」
 ぜぇはぁぜぇはぁ・・・と肩で荒く呼吸を繰り返しながら宣言した麻衣に、ナルと呼ばれた舜麒は眉をひそめるが呼び名などどうでもいいらしい。さらりと聞き流してしまったのだ。
 麻衣は、むかむかとさらに苛立たしさを覚えるのだが、まるで暖簾に腕押しとばかりに相手にされないため、はぁ・・・と深く息を吐くと、少し気分を落ち着けるために、お茶を自ら入れて一気に飲み干す。
 この一月かけてだいぶ上達したと我ながら思うお茶に、ほっと心を和ませたのもつかの間。無常な声が背後から響く。
「お茶を飲んで一息つくのもいいですが、その前に勉強していただけますか? 主上? まだまだまだまだ覚えていただなければ困ることが、山のようにあるのですが?」
 にっこりととしか形容できない笑みでありながら、口元が笑っていないというなんとも背筋に寒い笑顔を浮かべながら言うナルに、麻衣はむっと唇を尖らせる。
 今まで「麻衣」としか呼ばれたことのなかった彼女にとって、「主上」とは自分を呼んでいる言葉とは思えないのだ。自分を見てもらえていないようでいて、非常にいやなのである。
 そのため、麻衣は自分のことは名前で呼ぶように言っているのだが、臣下がそれを聞き入れてくれるわけがなかった。唯一の例外は目の前の青年である。
「主上じゃないもん。麻衣だもん」
 子供のような態度をとっているという自覚はあったが、麻衣は今はいない両親がつけてくれたこの名前が好きだった。母は海客で十五の時流れ着いた先が父のいた邑だった。やがて二人の間に自分が生まれ、母は二度と帰れない故郷の名を付けてくれたのだった。本当の意味は知らない。だが、同じ海客であるおにーさんが教えてくれた話によると、蓬莱の世界で使われている言葉の一つの中に、「マイ」という音には『私の』という意味があるらしい。
 『私の子』大好きな両親にそうつけてもらえたような気がして、他の子達とは音が違うがこの名前がとても大好きなのだ。
「お茶を飲んだら始めるぞ、麻衣」
 まるで、迷子が強がるような目でにらみつけてくる麻衣に、軽くため息をつきながら青年は告げた。彼女が望む名を。
「は〜〜〜い。あ、ナルもお茶飲む?
 私、少しは上達したよ。女官たちもみんなおいしいって言ってくれるんだ♪」
 主上自ら入れたお茶を誰が不味いと言えるだろうか? 言えるとしたら目の前の不遜な態度を隠そうともしない、王の半身とも言える漆黒の神獣だけである。
 開き直って自分のことを『なる』という呼び名にするつもりの麻衣に、彼はため息を軽く漏らすと貰うと言った。
 









 何だかんだ言って、仲のよさそうな二人がどんな国を築いていくのかはまだ、誰も知らない。
 ようやく、王と名の陽が昇ったばかりであり、民達が待ちわびた長い夜が明けたばかりなのだ。この朝(ちょう)がどんな歴史を歩むかは、これから刻まれていくのだから。













 追記



「不味い。お前は満足にお茶も淹れられないのか」
 今日も今日とて、臣下が主に向けると思えない言葉が、『ナル』という呼び名・・・すなわち字(あざな)をつけられた舜麒から、向けられるのであった。








☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 UPするものがないから、苦肉の策(爆)
 えっと、2002年5月4日にコピー本として発行した『呼び名』でございます。ここまで読んで頂けたら判るかと思いますが、十二国記の設定に、GHのキャラを当てはめてみたというパラレルでございます。たしか50部ぐらいしか刷ってないので、ほとんどの人が初お目見えかと・・・WebにUPしたことあったかなぁ? 確か、以前なんかの記念で先着何名様って感じで配布したことは合ったかもしれないけれど・・・記憶は定かであらず(^^;ゞ
 たぶん、今現在サイトに来てくれている方達はほとんどしらないんじゃないかなーということで。


 この話は当時、かれこれ3年近く前にやっていたチャットから生まれた話でした。と、原稿の後書きをみると書いてありました(笑)ナルが麒麟といういかにもミスマッチな感じがツボにはまったような気が?(笑)慈悲と慈愛はどうしたというつっこみは、卵の中に忘れてきたって事で(笑)
話の舞台は舜国にしてます。原作では今現在欠片も出てない国なので、王様の呼び名がまったく判りません(笑)なので適当に春王などとしちゃいましたー。原作で舜国が出たら、その時改めてこっそりと直しているかと(笑)
次があるかは、果てしなくナゾですが・・・・まぁ、こーんなパターンも楽しんで頂ければ幸いかとv こういうお遊びが出来るのもサイトならですな(笑)