暁降













 漸く空が白み始めてきた頃、不意に意識が覚醒する。
 ゆっくりと瞼を開けてみれば夜が明け始めてきたのか、カーテンの隙間から微かな光が室内に差し込んでいる。だが、当然まだ夜は明け切ってはおらず、このまま気持ちよく眠りの世界に戻ろうと毛布を引き上げる。その際軽く寝返りを打ったのだがベッドの軋み方に違和感を覚え、麻衣は閉じかけた瞼を再び開けた。
 そして、案の定と言うべきだろうか。
 隣に居るはずの人影は影も形もない。
 それどころか、そっと腕を伸ばしてみれば温もりが宿った形跡もない。
 すなわち、一度もベッドの潜り込んだ形跡がないのだ。
 夜明けが近いと思ったのは気のせいなのだろうか?
 もそもそと手を毛布の中から伸ばし、ナイト・テーブルに置いてある目覚まし時計に手を伸ばす。
 霞む目をコシコシと軽くこすって時刻を見れば、6時少し前。春が目前に迫っているせいかだいぶ夜明けが早くなってきたようだが、あの男は貫徹をするつもりなのだろうか。
 不健康になろうとも、寝不足になろうとも自分の知ったことではない。
 とにかく自分はまだまだ寝たりないのだから、目覚ましが鳴るまでもう少しベッドの中を堪能していよう・・・そう思い、カタンと時計を元の位置に戻したのだが、僅かに開いたカーテンの隙間から柔らかな日差しが差し込み顔を照らす。
 真夏の朝日のように眩しさに目が眩むという事はなかったが、暗さに慣れた目にはそれでも少しきつく感じた。
 数度瞬きをした後、何気なく視線をカーテンの外へ向ける。
 ぼんやりとした視界に映るのは高い空。
 高層部にあるため視界を遮る物はなにもない。低層マンションならば、木々や電線などが視界に入ったかもしれないが、ナルの居住空間はそう言った類の物は見えない。
 手を伸ばせば届くと錯覚してしまいかねないほど、空が近くにあるように感じる。
 群青色に染まっていた空が、徐々に・・・時間が経つ事に色合いを変えていく。
 濃紺から紫紺へ・・・・そして、少しずつ・・・・赤みをましていく。
 空気が澄んだ冬の空は星空がよく見えるのだが、夜明けも綺麗なのかもしれない・・・・
 滅多にこんな時間に起きていることがないため、夜明けの経過をこうしてジッと見つめることなどなかったが、改めてこうしてみると刻々と変わりゆく空の色合いに意識が全て奪われていきそうになる。
 ナルはよくこの時間帯まで起きている。だが、この自然の織りなす光景に視線を向けた事があるだろうか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 自分で自分に問いかけた疑問に浮かんだ答えはno。
 ナルが外を見るとしたら、完全に日が昇り朝となった時刻に、徹夜してしまったことを気づかされるぐらいだろう。
 なんてもったいないことをしているんだろうと思ってしまう。
 日々変わる色合いを堪能できる時間帯に起きていながら、暗い書斎に引きこもり、ただひたすら分厚い本を読み続けている陰湿きわまりない生活ばかりを送っているから、時折性格が陰湿になっていくのだ。
 たまには清々しい朝を迎えても良いはずである。
 眠気は何処へ行ったのか麻衣は勢いよくベッドから起きあがる。
 暖かな毛布の中から、冷え切った空気に身体が触れると一気に鳥肌が立つが、ショールを方に纏うと軽い足音を立てて寝室を出て行く。
 行き先はまっすぐナルの書斎でも良かったのだが、その前にキッチンによって暖かな紅茶を入れる。
 ケトルにお水を勢いよく注ぎ、コンロへ。
 バイト業務を聞いてきた友達に、お茶くみも業務内容の一つだと答えた時、面倒くさくないかと聞かれたことがあった。
 確かに慣れない頃お茶を入れるのを面倒に感じたことがある。
 ケトルにお水を入れてお湯が沸くのを待つ時間が暇に感じたり、お茶葉を入れて蒸らして待つ時間が面倒だったり、美味しいのか不味いのか言ってくれず、不満が募ったり・・・・初めは、そう楽しみなんて何もなかった。言われたから入れたのである。だが、気が付けば注文を受けるのも、自ら率先して入れるのも当たり前になり・・・楽しくさえ感じるようになったのはいつの頃か。
 今じゃお茶を入れるのは好きだと言える。
 誰かの為に入れられるのは非常に楽しい。
 美味しいと言って和んで貰えれば、もっと最高に嬉しい。
 一番、和んで貰いたい人はなかなか態度や言葉に出してはくれないが・・・それでも、短くない時間が過ぎたからだろうか。彼なりの和み方が伝わってくるような気がする。
 今日はどうだろう?




 柔らかな香りをくゆらせるダージリンをカップに注ぎ、麻衣は書斎へと今度こそまっすぐ足を向けたのだった。










 ドアが開く音によってナルは顔をあげる。
 そこにはショールを羽織ったパジャマ姿の麻衣が、ちょこんと顔を覗かせた。
「紅茶入れたの。こっちで飲も?」
 書斎まで来たのならば運べばいいものの、麻衣はそれだけを告げるとまたひょっこりと頭を下げてしまう。このままナルは無視をしてしまおうかとも思ったのだが、エアコンの効いている部屋にずっと居たからだろうか。喉が微かにいがらっぽく乾きを感じてもいた。そもそも最後にお茶を飲んだのは麻衣が眠る前・・・すなわち0時前後。かなり長い間何も飲んでいなかったことに漸く思い至る。
 夜更かしはナルにとって苦痛ではないのだが、麻衣が寝てしまうため昼間のように自動的にお茶が配給されない点があるが、だからと言ってそれを麻衣に求めるのは筋違いではあるのだが。
 喉の渇きを自覚したことによって、漸く視線を時計に向けてみれば6時前。
 どうやら、うっかりと時間経過を失念してしまったようだ。
 そう気が付いた反面、麻衣がこの時間に起きているということ自体に珍しさを感じる。
 きっちり睡眠を取るタイプの麻衣が何の用事もないのにこの時間まで起きていることはまずあり得ない。例外は調査の時ぐらいだろう。それでも切羽詰まった状況にならない限り、徹夜をすると言うことはない。そもそも、一度眠った麻衣が起きる必要もないのにこの時間に起きるとも思えないのだが・・・珍しいこともあるものだと思いながら、ナルは立ち上がり麻衣が待つリビングへと足を向けた。
 薄暗い室内を照らしているのは人工的な明かりと思えば、室内を照らす明かりは付いておらずまだ薄暗さが辺りに漂っている。それでも、夜にはきっちり閉めていたカーテンが全開になっているからか、顔を覗かせ始めた朝日がゆっくりと室内を照らし始めているようだ。その中で麻衣は膝を抱え込むようにソファーに座って、紅茶をゆっくりと啜っている。
「おっはよう〜、それともこんばんはの方がイイ?」
 嫌みで言っているのかもしれないが、ナルにとって見ればどちらでも構わないことだった。
 ソファーの上に何も言わず腰を下ろすと、テーブルの上に載っているカップに手を伸ばす。
「ありゃ。珍しい。本持ってこなかったの?」
 お茶に誘ってもたいがいセットのように分厚い洋書が付いていると言うのに、この時のナルは手ぶらで現れたのだ。
「ちょうど終わった」
 返ってきた答えは何ともあっけないもの。
「そっ」
 いつものことだが会話はやはり続かないが、麻衣は特に気にしない。
 確かにもっと話をしたいと思う時もあるのだが、今はどちらかというと何も喋らずお茶をただ飲んでいるそんな時間が心地よく感じる。
 こんな時はそう・・・おしゃべりに弾むよりも、心地よい沈黙に寄りかかっているほうが心地よく感じる。
 ベッドの中で毛布にくるまる温もりとは違う、間近に感じる人肌の温もり。
 それが、惰眠をむさぼるよりも心地よく感じてしまうのはなぜだろう。
 目を閉じているわけでもなく、意識が微睡んでいるわけでもない。
 それでも・・・まるで、フワリと意識が離れて微睡んでいるかのように身体が酷く軽く感じ、ずっとこんな時間が続けばいいなぁとぼんやりと思うのだが、隣に座っているナルは今何を思っているのだろう? 先ほどまで読んでいた洋書の内容を頭の中で反芻しているのだろうか? それとも新しい論文の構築? まだ読み出していない本の内容へと意識が向かっているのだろうか?
 ゆったりとソファーに腰を下ろし、静かにお茶を飲むナルを盗み見るように横目で見つめる。
 一睡もしていないというのに白磁の肌にはクマ一つなく、体毛が薄いせいか髭すら生えておらず肌は傍目にもなめらかさを保っている。その肌の上にそっと落ちる影。
 意志の強い瞳は今はそっと伏せられ湯気のくゆる紅茶に視線を落としているせいか、少し柔らかくさえ感じた。すっと通った鼻梁。薄く引き締まった唇がほんの僅か開きカップの縁に口を付け、ゆっくりと紅茶を飲んでゆく。
 暖かな紅茶を飲んでいるせいか、いつもより唇の血色が良くなっているように見えるのは気のせいなのだろうか?それとも徐々に明るさを増していく朝日に照らされての錯覚だろうか?
 いつしか食い入るように麻衣はナルの口元へと視線を向ける。
 怜悧冷徹な言葉を吐く唇は今は音を出すことはなく、ただ淹れた紅茶をゆっくりと飲み干してゆく。
 不自然に感じない程度にその身体からは力が抜け、自然な形でソファーの背に寄りかかっている所を見ると、今この時点で何かに思考が囚われていないのが何となく判る。
 もしも意識が何かに囚われているのならば、その双眸は紅茶に落とされることなく、どこか遠くを見ていただろう。身体から力が抜けることもなく、悠然と座っていながらもその細身の身体には力が入り、常に意識が先へ先へと進もうとしていただろう。だが、今の彼には余計な力が入っているようには見えない。
 今は少なくともリラックスをしている・・・・それを確信させるかのように、唇がカップからゆっくりと離れれば、僅かな吐息が漏れる。
 まるで、キスが終わった後に、ゆっくりと長く吐き出される吐息のように。
 力の抜けた吐息が唇から漏れる。
 薄くとも柔らかな唇は、紅茶によって温もりを宿しているのだろう。
 一見冷たく感じるその唇。
 だが、キスをすると驚くほど熱を持っていることを知っている。
 身体の上を触れていく唇が、どんなに熱いかを知っている。
 指で触れたらどんな感じなのだろう?
 唇で触れると熱く感じるが、指で触れても熱く感じるのだろうか・・・・・・・・・・?


 触れたい・・・・な。


 衝動的にそう思った。
「麻衣?」
 躊躇うことなく伸ばされた指先は、カップから離れたばかりの唇へとそっと触れる。
 いきなり触れられたのだ。ナルでも驚くだろう。
 柔らかな感触。滑らかな唇は、カップを持って温まっていた指先よりもさらに暖かく感じる。
「何がしたいんだ?」
 声を紡ごうとも指を離さないため、吐息が指先をくすぐる。
「・・・・・・・・・・・・・・・触りたいなって思ったの」
 唐突に何を言い出すのかと言うかのように、しかめられる眉。
「ナルの唇。柔らかいね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・暖かいし。好きだなぁ・・・・・・・・・・」
 うっとりと呟く麻衣を見つめて目を細めたナルは、麻衣から視線を外さないまま自分の唇に振れ続ける指先をそっと舐める。
 その瞬間、ビクッと麻衣は手を引っ込めようとするが、ソレよりも早くナルが腕を掴んで放さない。




 自分の白い指先を、
 赤い舌先がチロリと姿を覗かせて、
 掠めるように触れていく。
 白い歯が時折軽く指先を噛み、
 ジンとした痺れを残していく・・・・・・・・・・・・・・・・・




 自分に視線を固定したまま、繰り返すナルの行動に、麻衣は息を吸うことを忘れてただ見つめ返す。































 詰めていた息を吐き出せたのは、足下にカップが落ちた音によって。
「な・・・・・・・・・・・・・・・いきなり何するかなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 全身から力が抜け脱力していると、ナルが口元だけ笑みを作る。
「先に手を出してきたのはお前のほう」
 確かにそうだ。
 文字通り手を・・・指を伸ばしたのは自分の方だったが。
 ソファーの背に脱力して寄りかかっていると今度はナルの指が伸びてきて、髪を梳いていく。
「今後の予定は?」
「ん? まだ時間有るからもう一眠りしようかなぁ・・・・・・・・・眠くなって来ちゃった。
 ナルはこのまま寝ないで起きているの?」
 髪を触れるナルの感触が気持ちよく、瞼をゆっくりと閉ざしながら呟くと、思いにもよらないほど近くから返事が返ってくる。
「まだ、時間があるならちょうどいい・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 吐息が頬を掠めるほど近くで聞こえた声に、閉じていた瞼を勢いよく開ければ至近距離にある、ナルの顔。


「はい?」


 間抜けな声に返る声はどこか楽しげな音。
「煽ったのはお前だ」
 単刀直入に言われた言葉に、返す言葉を見つけられない麻衣。
「こ・・・こういう清々しい朝はねぇ〜〜〜〜」
 身を引こうと慌てて起こすが、すでに遅し。
 少しずつ明るさと光の強さを増していくのを、麻衣はナルの背中越しに見ることになったのだった。














☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 初っぱなのチャレンジはこんな感じにしてみましたー♪
 モーニング・コーヒーではなく夜明けの紅茶となっておりますが、細かいところはやっぱりつっこんじゃーいけません(笑)
 さて、お色気は漂っているでしょうか?
 初っぱななので、清々しく行きたいと思い清々しい時間帯を選んでみました(エッヘン)
 果たして春前の時期6時前で空が白じんで来るのかは、最近その時間に起きていることがないので今一つ定かではないんですけれど、白み始めている時期と思ってくださいませー(笑)
 オチがちょっとギャグチックというか定番なコースなのですが、まぁ最初って言うことでお見逃し下さいませv






Sincerely yours,tenca
2004/03/05




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