Only Color
「ジングルベール、ジングルベール、鈴がなるぅ〜〜」
麻衣は、一人だだっ広いリビングでクリスマスツリーをデコレーションしながら鼻歌を口ずさむ。
閑散とした室内は充分にエアコンは効いているというのに、なぜか肌寒さを覚えさせる雰囲気があった。
充分に暖かい室内。ざっくりとした手編み風のセーターに、男物の上着を羽織っているのだからこれで寒いはずがない。それでも、寒さを感じさせるのはきっと、薄暗い音もない部屋で明かりもつけず、ただ一人いるからかもしれない。
口ずさんでいるクリスマスソング以外音は一切しない。
日は半分ほど沈み、空は藍色とえんじ色のグラデーションが鮮やかだ。東の空から徐々にその色を濃くし、今では西の際が微かにえんじ色に染まっているだけである。その、空の移り変わりがこの高層マンションからでは、ハッキリと判った。
明かりも付けることもせず、麻衣はクリスマスツリーの飾りを終えると、電源を入れる。ツリーに絡ませている電飾が、色とりどりに輝きながら室内を仄かに照らす。その時にはすっかりと日が暮れ、辺りは闇に包まれていた。
麻衣は、ぼんやりとツリーを見ながら膝を抱え込んで座る。
その口元には笑みが刻まれていた。寂しげな微笑は彼女が普段浮かべることとのない笑みだった。
「すっごいひさしぶりだな……」
ポツリと漏れた言葉だ。
こうして、一人でクリスマスを迎えるのは本当に久しぶりだった。何年ぶりだろう。
当初は、一人で迎える予定ではなかった。
最初はナルと一緒に22日には日本を発って、イギリスでクリスマスを迎えるはずだったのだが、渡英する二日前にマーティンからの電話があった。
ルエラが風邪をこじらせてしまったため、今年はクリスマスを祝うことは無理だから日本で迎えたらどうかという話だった。
ナルはわざわざクリスマスを過ごすためだけに、イギリスへ帰ることを渋っていたためマーティンの言葉にここぞとばかりに、便乗しようとしたのだが、麻衣は見舞いに行くべきだと言い張ったのだ。
例え、風邪であろうと病気には変わりなく、心細くなるはずだ。
その上ルエラはナルが戻ってくることを楽しみにしているはずである。
次いつ帰ってくるか判らない息子なのだ。
せめて、クリスマスぐらい顔を見せてあげた方がいいと言い張った。
幾ら麻衣が言ったところでナルが一度行かないと決めたことを、早々覆すことはないのだが、さすがに麻衣が半べそをかきながら訴えると依怙地になることはできなかった。
「幾ら風邪でももしかしたら二度と逢えなくなるかもしれないんだよ?
親孝行したくても、出来なくなっちゃうかもしれないんだよ? たかが風邪だなんて言ってちゃ駄目だよ。
風邪は万病の元と言われるぐらいに、怖い病気なんだからね。
甘く見ていると取り返しの付かないことだって在るんだから。
それに、病は気からって言うんだから、ナルの顔を見たらきっと良くなるよ。
そのナルが顔見せなくてどうするの?ナルが行ったら、風邪の病原菌ぐらい尻尾巻いて逃げちゃうよ! だから、ちゃんとナルはルエラのお見舞いをして上げるの!!」
と訴えかけると、半ば無理矢理に予定通りに帰国させたのだ。
だが、麻衣はその帰国に付き合うことはしなかった。
ただでさえ自分が行くと気を使わせてしまうのだ。
風邪で弱っているときにわざわざ押し掛けて負担を大きくしたくはなかった。
滝川達といつも通り楽しいクリスマスを過ごすからと笑顔で見送ったのが、一昨日のことだ。
ナルのことだから別に麻衣が一人でクリスマスを迎えようと、いつもの仲間達と迎えようと気にはしないだろうが、そう言っておけば麻衣不在のことをルエラやマーティンに聞かれても困らないだろう。
だが、実際には麻衣は滝川達にナルだけが帰国したことをあえて告げていない。
元々今年はイギリスで過ごすつもりだったため、滝川達もそれぞれ自分達の予定を入れている事を知っていた。
滝川はクリスマスライブをしたあと、そのまま打ち上げを兼ねたクリスマスパーティーで朝まで飲んだくれると言っていた。綾子は家族と南の島へバカンスへ出かけており、既に一週間前から日本にいない。真砂子は番組の撮影があり、その後クリスマスパーティーに参加するような話だった。安原は大学の仲間達とクリスマスパーティー。リンも久しぶりに実家に戻り一族とクリスマスを過ごすというような話だった。ジョンは当然教会でクリスマス・ミサを行っている。
麻衣が一人だと言えば、滝川辺りがライブと打ち上げに麻衣を招いただろう。ジョンもミサの参加を勧めたかも知れない。だが、麻衣は二人ににその事を言うことはなかった。
下手に気を使わせたくはなかったのだ。
やはり、仲間内での打ち上げに部外者を招いたら、色々と気を使わせてしまうことが分かり切っている。
皆がこのことを聞いたら、水臭いといって悲しむかもしれないが。
それでもあえて一人でクリスマスを過ごしてみようと思ったのは、ほんの気まぐれからからかもしれない。
いつもは滝川達同様お祭りやイベントが好きだから、こういう日を一人で迎えるのは何だか寂しくて嫌いだったのだが、今日はなぜかそれほど寂しいと思わない。
なぜだろうと小首を傾げてしばらく考え込むと、これかなと思い当たる物を見つけだす。
すっかりと自分の体温で温められている大きな上着。
深い藍色の上着はナルがよく着ている物だ。
だからだろうか。ナルの馨がこのセーターから僅かに薫ってくる。
この服を着ているとナルの腕の中にいるような気がして、一人で過ごしているような気がしない。
今も傍らにナルが居るような感じがして落ち着くのだ。
まだ、服の温もりに頼っている辺りを考えると、本気で一人が平気とは言えないかもしれないが。
そう言えば、あの夜もこうして過ごしたことを唐突に思い出す。
麻衣が初めて一人でクリスマスを迎えたのは、母が死んだ年のクリスマスだった。
下宿先で迎えたたった一人のクリスマスイブ。
今までは母親と共にささやかなクリスマスを過ごしていた。
どんなに忙しくても必ず早くに帰ってきてくれて、前日から漬け込んで置いたローストチキンと、数々のごちそう。
小さいながらもホールケーキを用意してくれて二人で食べた。
そして、クリスマスプレゼント。
誕生日とクリスマスだけは奮発してくれていたお母さん。
だが、中学三年生の時はたった一人だった。
一緒に祝ってくれる母はいなかった。
一応夕飯やケーキは下宿の大家をしていた担任の家族と一緒に過ごし、それなりに楽しかった記憶もある。
だけれど、一人部屋に戻ったとき酷く寂しかったのを覚えている。
ぽっかりと心の奥に穴が開いてしまったような感じで、ただ寂しかった。
不憫だと思った担任が、大家のおばーちゃんがクリスマスプレゼントを用意してくれていたというのに、母が居たときと同じように賑やかなクリスマスを迎えられたのに、寂しくて寂しくて…気が付いたらなぜかボロボロと泣いていた。
涙腺が壊れてしまったかのように、涙が溢れて止まらなかったのを覚えている。
その時タンスの奥から、母親がよく冬になると来ていたカーディガンを身に纏ったのだった。
すでに、温もりなどするはずもないのに、まだこのカーディガンは母親の温もりを残しているような感じがして、例えそれが錯覚にしろ傍らにいるようなきがしたのだ。
それが、一人きりになって初めて迎えたクリスマスの夜だった。
その翌年は、友人達とバカ騒ぎしていた。
まだ、今のメンバーともプライベートで会うほど仲も良かったわけでもなく、ナルとリンは正体不明だったため、いっしょにクリスマスパーティーを開く事もなかった。
その年は恵子の家に泊めて貰い、一晩中語り過ごした。
だから、泣くことはなかったけれど…空虚さが消えたわけではなかった。
その次の年ぐらいからだっただろうか。
あのメンバーで、何かことがあるたびにバカ騒ぎするようになったのは。
皆が皆それぞれ予定が在るはずなのに、なぜかその日だけは見事に開いていて…考えなくても判る。
皆たった一人で過ごさなければいけない麻衣に気を使って、その日をわざわざ開けてくれたのだ。
「何げに考えてみると、一人でクリスマス過ごしてないんじゃん」
それから、毎年だ。
皆と一緒に過ごしたのは。その次の年には皆とバカ騒ぎした後ナルのマンションに居たわけだし……本当に一人で迎えたクリスマスが今日が初めてだということに、今更ながら気が付く。
「私って恵まれているよね。おかーさん」
ポツリつとぶやいた言葉は、微かなと息と共に空気にかき消える。
本当に何て恵まれているんだろうと思う。
一人で迎えて当たり前の身上なのに、今までただの一度も一人っきりでクリスマスを過ごしたことがないのだ。今年だってナルと一緒にルエラ達と家族のクリスマスを過ごす予定になっていたのだ。
やっぱり恵まれている。
クスクスと笑みが漏れる。
皆に愛されていると思うのはこういう時だ。
常に、誰かが気にかけてくれると言うことは、どこかくすぐったさを覚えるけれど、それでもやっぱり嬉しい。肉親が居なくなってしまって、この世にたった一人と思ってしまったけれど、皆の優しさがあるから一人じゃないって思える。
自然と笑みが漏れるのは、そう実感できるから。
無理な笑みとか、苦笑とかではない、幸せだと思えるから浮かんでくる笑みは、部屋の空気を柔らかく変える。
赤や緑に光を放つクリスマスツリーに照らされて、麻衣は本当に幸せそうな笑みを浮かべている。
きっと、クリスマスを一人で過ごしたと言ったら皆呆れるだろう。
そして、水臭いと言うに違いない。
滝川辺りはそんなに俺は頼りにならにのか?といって嘆くかもしれないし、安原辺りは越後屋特有の笑みを浮かべながらジンワリと、攻め寄ってくるだろう。ジョン辺りならば、教会のミサに起こししてくだはってもよろしかったどす。というだろうし、綾子辺りはばっかねぇ。といって呆れ果て、真砂子ならばきっと声をかけてくれればつまらない局の打ち上げを抜け出せましたのに…と愚痴っただろう。
リンは何も言わないだろうが、ナルを避難するような目で見たかもしれない。リンだけじゃなくきっと皆が皆、ナルを責めるだろう。ナルには何の落ち度もないのだが、そんなことなど関係なく。
無条件にナルを責めて自分の味方になってくれるのが簡単に想像できる。
そして、ナルは不機嫌なオーラを発しつつも何も言わず、彼らの言い分を相手にすることなく聞き流しているのだろうけれど。
そんな有様が浮かんで思わず笑みを漏らす。
「明かりもつけずに何をしている」
ふいに聞こえてきた声に、麻衣はぱちくりと瞬きを繰り返す。なぜ、この部屋に彼の声が聞こえるのだろうか。
幾ら自分で納得していてもやはり寂しくて、その為に幻聴でももたらせているのだろうか?
と思っているとパチンとリビングの明りが付けられる。
暗闇に慣れた目には眩しくて、目を細めてしまう。
「何で…いるの?」
今頃はイギリスにいるはずのナルが、コート姿のまま背後に立っていることに気が付いた麻衣は、呆然として呟く。
「追い出された」
「は?」
ナルはコートを脱ぐとソファーの背もたれに放り投げ、麻衣にお茶を所望する。麻衣はワケが分からないままナルの言うとおりお茶を用意した。
「追い出されたってどういう事よ」
「そのままの意味だ」
手渡したナルの指先は氷のように冷えていて、麻衣は驚く。
元々体温はかなり低いのだが、その指先は幾ら今帰ってきたばかりとはいえ恐ろしいほど冷えていた。
ナルのことだ成田からタクシーで帰ってきているはずだが、まさか電車で帰ってきたというのだろうか?
「ナル、手…冷たいね」
麻衣はカップを持っていない方のナルの手を取ると、暖かい自分の手で包み込みそっと息を吐きかけこすり合わせる。
人の温もりが早く伝わるように。
早く、この氷のように冷たい手がぬくもるように。
ナルはいつもと変わらない表情でそれを眺めていたが、心持ち穏やかな表情で麻衣の淹れた紅茶を飲む。
暖かな液体が喉を通り内から身体を暖めてくれるのが判る。仄かに薫のはブランデー。アルコールも入っていることで、さらに血液の循環がよくなり胃から熱が伝わってくる。
そんな、さりげない気遣いが紅茶から感じられる。
せっせと、自分の手を温めている麻衣を見下ろしていた視線がふいに窓の外に向けられる。
「雪が降っているからな」
「え?」
ナルにつられるように麻衣も視線を外に向ける。
そこには、確かにちらちらと雪が降っていた。
いつの間に降り始めたのだろうか。粉雪だから積雪する事はないだろうが、まぎれもなく初雪だ。
闇に覆われイルミネーションに輝く街並みを飾るように、粉雪が空から舞い降りてくる。
「うわぁ…雪だ……ホワイト・クリスマスだ」
麻衣はナルの手を握りしめたままその顔に、笑みがぱぁっと広がる。幾つになっても子供らしさが抜けない麻衣は、小さな子供のように雪を喜ぶ。
都会で雪など降って良いことなど何一つないというのに。交通網は麻痺し、路面は凍結し歩きづらいったらありゃしない。麻衣に言わせれば情緒の欠片もないと憤慨するだろうが、ナルにとって雪は情緒の欠片でも何でもなく、ただの水分が固まっただけに過ぎない自然現象の一つでしかなかった。
たかだか雪が降ったぐらいで騒ぐ気持ちなど理解できないのだが、毎年毎年雪が降ってははしゃぐ麻衣にナルは既に何も言わず、ただ呆れながら見ているだけだ。
「ナル、そう言えば何で追い出されたの?」
雪を見ながら麻衣はふと、今は遠いイギリスにいるはずだったナルがどうして日本に戻ってきたのか理由をまだ聞いていなかったことを思い出す。
「クリスマスにお前を一人日本に置いてくるとは何事だと、ルエラが激怒して叩き出された」
言外にお前が行かないと言うから、とんぼ返りを余儀なくされたといっているようにも聞こえなくはない言い方だった。が、麻衣はキョトンと不思議そうに首を傾げている。
それだけで、本当にナルがわざわざとんぼ返りしてきてくれたのだろうか。
ナルのことだから見舞いの必要がなくなったとなれば、ここぞとばかりに研究所に籠もって好き勝手しそうに思えるのだが……
麻衣はしばらくナルを凝視していたが、ふんわりと柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがと。ナル」
握っていた手を離して麻衣はナルの首に手を伸ばす。
手だけではなくナル自身が冷たい冷気に包み込まれているようだ。ヒンヤリとした空気がナルから伝わってくる。
麻衣はその空気を暖めるようにナルに抱きつく。
ナルがクリスマスをイベントとして重要視しているとは思えない。
元々、イベントとしてその日を楽しむのは日本ぐらいだ。キリスト教国から見るとその日は、恋人として過ごすより家族ととともに迎えると言われる日だ。ナルから見ればそれさえも煩わしく、どうでもいい日に違いないのだろうが、それでも本来ならばこうして日本ではなくて、イギリスで両親の元で迎えるべきだったのだ。
それを、幾らルエラに言われたとは言えわざわざ日本に戻ってきてくれた事が、麻衣にとってはなによりものクリスマスプレゼントになった。
だけれど、もう一つだけ我が儘言っていいかな。
今なら何を言っても聞いてくれそうな気がするのだ。
麻衣はナルに抱きつきながらしばし思案した後、駄目もとで口にしてみた。
「ナル、川崎の方にねイルミネーションで有名なところあるの。
市役所道りだったかな。もう少し遅く…夜になったら見に行かない?けっこう混んでいるみたいなんだけれど、夜になるとそんなに混まないって聞くし。
けっこう穴場なんだよ? 少し手前は繁華街だけど市役所道りにはなにもないから閑散としているし。
混でないって言う話しだし。それに、イルミネーションとしても有名だし。この辺のイルミネーションの一位とか二位とかになったらしいよ。
本当は表参道の方が綺麗で有名なんだけれど、数年前から表参道の方のイルミネーションはやっていないんだよね。まぉ、今もやっていたとしてもすっごく混むことで有名だからナルに連れていって何て言わないけどさ。川崎の方ならいいでしょ? そんなに遠くないし。
それから、みなとみらいの方も行ってみたいなぁ・・・・・」
駄目?と間近にある美貌を見つめながら麻衣は問いかける。
そして、最初は予想通りの芳しくない返事。
「僕は長時間飛行機に乗りっぱなしだったから、疲れているんだが?」
たぶん、疲労はかなり溜まっているのだろうことは容易に想像できる。
片道約13時間。空模様が荒れていたらもっと時間が掛かるはずだ。
まして、昨日今日の間に往復したのだ。この二日間ほとんど飛行機の狭い空間の中にいたのだから、どんなに体力のある人間であろうとも疲労は蓄積されるはずである。
「だと思うけれど…せっかく一緒にクリスマス過ごせるんだし…行きたいな。駄目?」
しばらくの間お互い見つめ合ったまま時間が過ぎる。ひたすらじっと麻衣に見つめられ続けナルはふっと溜息をつく。
「疲れをお前がとってくれたら考えても言い」
何だか、非常に曖昧な発言を言ってくれる。
麻衣は眉間にむむむむ〜〜〜〜と皺を刻みながら、言葉の意味を考える。
ナルの疲れをとって上げたら考えてくれると言うのだ。もしかしたら、考えた末に結局は行かないなんて言われかねない危険性も含んでいる。
だがしかし、疲れをとる。マッサージでもしろという意味だろうか?
麻衣はしばらくナルをジッと見つめる。麻衣の反応を楽しげに待っているようなきがするのは気のせいだろうか。
「マッサージでもする?」
取りあえず浮かんだことを聞くがナルに一笑される。
どうやら違うらしい。では、どうやって疲れを取り除けるというのだろうか。
麻衣はナルから離れて一人考え込もうとするが、ふとナルの腕が伸びてきて抱き上げられると、その膝の上に座らされる。
「ナル?」
ナルがいったい何を言いたいのか判らず小首を傾げると、さらりと髪が流れ白い項が露わになる。ナルはスッと動いてその首筋に唇を這わす。
「ナ…ナル!?」
ここまで来ればナルがどういう意味で言ったのか判らなくはない。だがしかし、それで疲れがとれるかと言えば…逆である。
「ちょ…これじゃ、疲れがとれるどころか余計に疲れるんじゃないの!?」
麻衣はナルの顔を引き剥がしながら慌てて叫ぶ。
「それは、お前次第だな」
「だからどうしっっっっ」
まだ、叫こうとする麻衣の唇をナルは強制的に塞ぐ。
ヒンヤリとした唇に一瞬身を竦ませるが、すぐに麻衣の温もりを宿し始めたばかりか、さらに麻衣の熱を奪うように激しく口づけをしてくる。
ナルから無理矢理離れようとしていた麻衣だが、結局は自分から身を預けるようにナルの胸に体重をかけると、自らも求めるようにナルの首に両腕を回して自分の方に引き寄せる。
指がナルの髪に絡み、ナルの指が麻衣の細い身体を強く抱きしめる。
一人で迎えるはずだったクリスマスを、大切な人と迎えられるのだ。何を拒絶することが在ろうか。
寂しいとは思わなかったけれど、やはり寂しかったのかもしれない。
こうして、ナルの腕の中にいるとジンワリと身体の奥から温まっていく。
先ほどと同じなにもない部屋。
二人の口づけ以外何の音もないというのに、この部屋から肌寒さを感じさせるような気配などもうどこにもない。
二人は絡み合うように深く重ね合わせ、舌を絡み合わせる。
全てを奪うように。
何も考えられなくなってしまうまで、どちらの口腔内か判らなくなるほど絡ませあい、そのまま二人は崩れるように床の上に倒れ落ちる。
ふぁさ…と肩まで伸びた麻衣の髪が床の上に広がる。
赤く色づいた互いの唇を離すと、ナルは間をおくことなくその首筋に唇を寄せる。
ナルによって生み出される熱を感じながらも麻衣は、言うべきコトは言って置かないとなし崩しに流されてしまうと、これ以上熱に溺れない内に口を開いた。
「ナル…イルミネーション、見に連れていっ…てよね」
頬を赤らめうわずった口調ながらも、麻衣は誤魔化しは利かないぞと言わんばかりの視線でナルを見上げる。
ナルといえば麻衣の肌の上を彷徨わせている手を休めることなく、肌に口づけをしながら、それでも仕方ないと言いたげな声で告げる。
「混んでいたらすぐに戻るぞ」
麻衣はその言葉にとびっきりの笑顔で応える。
今年は素晴らしいクリスマスになりそうだ。
ごちそうもケーキも何もないけれど、それでもこうして大切な人と迎えられるのならば、何よりも嬉しい。
再びジンワリとした熱に侵食され始めた頭で麻衣は視線をナルから窓へとずらす。
まだ12月だというのに粉雪から本格的に降り始めている雪。
止めどもなく、後から後から降り続けている。
あの、遠い日。母の命を奪ってしまった雪だけれど。なぜか、嫌いになれない。
どうして、嫌いになれないのだろう。
一人で見るのは寂しいからいやだけれど。独りぼっちになってしまった様でいて、全てをその雪に奪われてしまうような気がして怖いけれど。それでも嫌いにはなれない。
「どこを見ている」
うっすらと上気した顔を上げながらナルが問いかけてくる。
麻衣はその声に引き戻され再び視線をナルに戻す。
強い意志を宿した闇色の双眸が、真っ直ぐにいるように自分を見ている。
その双眸には普段は浮かばない欲を宿して、自分を見つめている。おそらく、ナルのこの瞳は自分しか見たことがないはず。
誰にもこんなナルを見せたくはない。
そんな、小さなとは言えない独占欲が沸き起こる。
自分だけのナルでいて欲しい。
誰にも見せたくはない。
そんな醜い感情を押し隠すように麻衣は微笑みを浮かべて、ややうわずってしまう声でナルを呼びキスをねだる。
すぐにナルは上体を起こしてキスをしてくれる。
惑うような深い口づけ。
互いに閉じているだろう瞼を麻衣は少しだけ開けて、これ以上ないほど至近距離の彼を見つめる。
幾度見ようともけして見飽きることのない端正な顔。その顔は滅多なことでは表情を変えない。
こうしていても、その表情は変わることないけれど、白皙のような肌は赤く色づき、呼吸が速くなり、互いの体温を分け与えるように体温が上昇し、何よりもこうして最も近くで、最も深くで、その温もりを感じられる瞬間が麻衣は好きだった。
腕を伸ばして骨張ったナルの肢体を抱きしめる。
彼を支えられる存在になりたい。
たよって貰える存在になりたい。
いつも、いつも自分ばかりが彼の存在に頼ってしまっているような気がする。
背伸びをして駆け足をしても、届かない先に行ってしまおうとする彼をとどめさせるために、手を伸ばす。
身体を開き押し入ってくる灼熱に朦朧としながら、麻衣はナルを抱きしめる。
なまめかしい音も互いの熱を帯びる息づかいも、何もかもが雪に飲まれていってしまうような気がする。
全てが包み込まれて、何もかもその中に押し包まれ、純白に染め変えられてしまいそうな気がする。
それでも、自分が染まるならこの色がいい。
全ての者に祝福される純白ではなく、ただ一つの色。
願うのならば、その色だけに染められたい。
何よりも優しくて、静かな色・・・・
深い…深い…闇の色がいい。
「うわぁ…ナル、綺麗だよね」
街路樹に取り付けられた電飾だと言うのは判っているのだが、それでも暗闇に浮かび上がるその光景は、綺麗としか表現が出来なかった。
特にうっすらと雪化粧され未だに降り続ける、その光景は普段の都心の景色とは思えない。まるで、どこか雪山かどこかに迷い込んでしまったような気分にさせてくれる。
麻衣は心を奪われたようにうっとりと、通りを飾るイルミネーションに心を奪われていたが、ナルはそんな麻衣だけを見ていた。
ほんの少し前まで自分の腕の中で、自分だけの色に染まっていたはずの麻衣は、今はまた何者にも染まらない無地に戻ってしまったかのようだ。そして、ここでイルミネーションという陶酔の色に染まっているようなきがする。
自分だけの色に染めるにはどうすればいいのか。
麻衣というただ一人の人間と出会い、彼女を知り、より深く誰よりも知った今、何よりも誰よりも心を奪われてしまう時がある。無駄としか言いようのない時間を甘受している自分が確かにいる。
そんなどうでも良いことに煩わされている自分に対し、ナルは思わず苦笑を浮かべてしまう。以前の自分ならばそんな、どうでも良いことに煩わされることなどけしてなかったというのに。
それをたまたま見た麻衣はぷぅっと子供っぽく頬を膨らませる。
「何よ、子供みたいにはしゃぐなって言いたいの?」
「自覚があるなら、少しは気を付けたらどうだ」
全然見当違いなことで頬を膨らませている麻衣だが、ナルはさらに煽るようなことを口にする。
「子供扱いばっかりして」
「子供扱いをして貰いたくなかたっら、淑女らしく振る舞って貰いましょうか?」
ああいえばこういう〜〜〜〜っとその場で地団駄を踏みながらも、麻衣の怒りは周りの光景によって長続きはしない。すぐに外の景色に意識を奪われてしまう。そう言うところが本当に子供のようだ。とナルは思う。一つに事に集中していられないと言うところは、子供特有だ。そんなことを考えているとは知らない麻衣は、くるりと笑顔で振り返る。
「ね、外に出てみない? ちょっと、歩いて見ようよ」
このまま車を走らせていたらあっという間にイルミネーションは終わってしまう。だから、少し車を止めて腕を組みながら歩いてみたかった。
麻衣の無邪気なお願いにナルは溜息を一つ付いたモノの、何も言わず車を止めてくれた。
ドアを開けると思いの外に冷え切っている空気に、思わずふるりと震えてしまう。温まっていた身体が瞬く間に冷えていってしまいそうだ。
「さむ〜〜〜〜い」
そう言ってナルの腕にぎゅっとしがみつく。幾らコートを着ているとはいえ、雪が降っている深夜は足下から冷気が侵入してきて本当に寒かった。
「当然だ」
文句を言うことなく付き合ってくれているとはいえ、やはり不本意なのだろうか。やや険の強い声だが麻衣はさらりと無視してしまう。そんなことを気にしていたらこんな雪が降っている寒空に、ナルを連れ出す事なんて無理に決まっている。
「ふふふ〜〜〜普通の恋人同士みたい」
ナルはあまり人目のあるところで腕を組んだりして歩くことを好まない。だが、こうしてほとんど人気の少ないところでは無碍に振り払われずにすむ。
肩に頭を寄せながら麻衣は空を見上げる。
雪が降っているためどんよりとした雲が空を覆っていた。それでも麻衣は、空に向かって小声で何か囁きかける。それはあまりにも小さな声すぎて、ナルの耳にも届かなかった。ほんの二言三言だろう。麻衣は何か呟くとその視線をナルに向け、クスリと微笑みかける。
空に向かって何と呟いたのかナルにも判らないが、尋ねることはなかったし、麻衣もその事をナルに言うことはなかった。
ただ、麻衣は幸せそうな笑みを零し、ナルもめずらしく柔らかな笑みを口元に刻んでいた。
「メリークリスマス、ナル」
「―――――メリークリスマス」
「あ、いましかたないなって思ったな。心がこもってないぞ」
「それは、お前にヒアリング能力がないだけだろう」
「んにゃ、絶対におざなりだったね!!」
ロマンティックとは少し(?)かけ離れた会話を繰り返しながら、二人は暖かい車の中へと戻っていく。
扉を開けると静かなラブソングがラジオから流れていた。
☆ ☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
データーを見る限り、こんな感じで再upをしてました。 UP;2001年 12月 24日
再UP:2002年 12月 22日〜25日(撤去)
再々UP:2003年 12月 24日〜 1月 4日
初掲載は5年前(笑)
その後、2回再掲載し今回で4度目(笑)
もう、クリスマスネタないのですよ(笑)
なんとなく、更新してないしなーつーことで、2006年に再び再掲載。
ほとんど更新していないサイトにもかかわらず、本年は足を運んでくださってありがとうございました。
来年も当サイトをよろしくお願いいたしますv
良い年末&お正月をお迎え下さいませ
Sincerely yours,tenca