思いがけない贈り物













 
  それを見つけたのはまったくの偶然だった。
 空気さえも凍てつくほど寒い毎日。
 暦上は如月を過ぎ弥生を迎えていた。遠い江戸や京の地ではそろそろ春の息吹を感じていてもおかしくは無い。桜にはまだ早いが梅は満開になり、桃あたりは綻び始めているだろうか。身を縮ませるような冷たい風にも柔らかなものを感じ取る日もあるだろう。
 だが、この地には春の訪れを欠片も感じる事はできなかった。
 大地を白く染め上げる雪も厚く積もり溶ける気配を伺わせない。
 それどころか、今も雪が舞う日の方が多く、油断すると一歩も外に出られないほどの吹雪にもなりかねず、身を寄せ合ってその日を精一杯生き抜く毎日が続いている。
 それでも、少しずつ・・・少しずつ、厚い雲の狭間から陽の光を感じる日を感じる事が出来るようになると、冬の気配が少しずつ遠ざかっているような気がしてくる。
 実際にはまだ一月は、厳しい季節が続くのだが・・・
 だが、そこだけはまるで区切られたかのように一足早い春を迎えたかのようだった。
 斎藤は白く棚引く呼気を吐き出しながら、しばらく時間を忘れたかのように見続けていた。





思いがけない贈り物





 千鶴ははぁと冷たく悴んでいる手に息を掛ける。
 夏でも水は冷たいが冬場となればそれは冷たいを通り越して痛く感じるほどだ。
 白い指先は真っ赤になり感覚が鈍い。
 息を吹きかけて擦り合わせても一度鈍くなった感覚はなかなか戻らない。それでも、人並み外れた治癒力があるから皹などはできず、白く滑らかな肌を保っている。
 千鶴は指先を擦り合わせながら、この時ばかりは鬼の回復力に感謝する。
 この地へ連れてきた事は間違いだったか・・・と、生活の厳しさに時折斎藤が気に病んでいることを知っているから、少しでも彼が気に掛ける事が少なくなるならば、鬼の力だろうと何だろうと持っていて良かったとしみじみと思う。
 自分は斎藤と共に居られるのならばどんなに厳しい生活だろうと、後悔などしたことは一度もないのだが。
 もう一度指先に息を吹きかけてから包丁に手を伸ばそうとするが、かたん・・・と聞こえて来た音に振り返って千鶴は目を見開く。
「一さん!?」
 仕事場から帰宅した斎藤が雪塗れになっていれば、驚かずには居られない。
 その様子を見る限り濡れるに任せて帰ってきたとしか思えない。
 肩にふりつもった雪を払いのけている間に、千鶴は手ぬぐいを手に取って駆け寄る。
「また、傘も差さず蓑も被らずに戻られたんですか?」
 千鶴の咎めるような視線に、斎藤は苦笑を浮かばせながらすまないと言うが、千鶴は呆れたように溜息を一つ零す。
「いつも思うんですけれど、どうして蓑を羽織らないんですか?」
 この季節に降る雪は湿気をかなり含んでいるため、肩や髪に触れた端から体温で溶けて冷たい雫を垂らしていた。
 この地ではまだまだ当分冬だ。こうして雪が降るのは珍しいことではないのだが、にしてもなぜ斎藤は傘はおろか蓑すら羽織ろうとしないのだろうか。
 雪対策をまったくしないから、衣も髪も濡れて身体が恐ろしいほど冷えている。
 とにかく早く乾いた物に着替えてもらい、髪を乾かさなければ風邪を引いてしまう。
「向こうを出た時にはまだ雪は降っていなかった」
 その言葉に千鶴は瞬く。
「どちらかに立ち寄られていたのですか?」
 雪が降り始めたのは半刻ほど前だが、斎藤の勤め先とこの家の距離は斎藤の足で四半刻ほどの距離しかない。
 雪が降る前に向こうを出たのなら、途中で雪が降り始めたとしてもびしょ濡れになる前に帰宅できたはずだが、なぜここまで濡れネズミになっているのだろうか。
 すっかり冷え切っている手の平を千鶴は両手で包み込んで、そっと息を吹きかける。
 この程度では直ぐに温もりを取り戻さないと判ってはいるが、そうせずには居られないほど手が冷え切っていた。
 いや、手だけではない全身が恐ろしい程冷えている。
 いくら極寒の地とはいえ、雪の中歩いて帰ってきたとは思えないほど冷え切っている。
「立ち寄ったと言うわけではないのだが、途中で、思いにもよらない物を見つけて時間の経過を失念してしまった」
 斎藤の答えに千鶴はますます訳がわからなくなって来ているのだろう。
 柳眉を寄せて何か斎藤の気を引くような物がこの近辺にあったかと考えて居るようだが、思い当たる物を見つけられなかったのか、さらに問い返してくる。
「思いにもよらないものですか?」
 己の手にはぁと息を吐きかける千鶴を、斎藤は愛しげに見下ろしながら告げるが、千鶴は斎藤が雪が降っているのを忘れるほど何に気を引かれたのだろうか?そちらの方が気になって仕方ない。
 それはなんですか?という思いを込めて、千鶴は斎藤を見上げる。
 だが、斎藤は笑みを深めるばかりで、千鶴に答えを教えない。
「一さん? 何を隠しているんです?」
 何かを隠している。
 それは、妻の直感というべきか、女の直感と言うべきか。
 斎藤の様子からして悪い話ではなさそうだが、一人楽しそうな様子が千鶴としては面白くない。
 夫の全てを知りたい。
 何もかも分かち合いたいというのは究極の我が儘だと思うが、それが素直な感情だ。
 かつての自分なら嫌われたくはないという思いや、負担になることを怖れる思いの方が強く、斎藤が隠している事に気がついても、それを正面切って尋ねる事は出来なかっただろうが、今ではそんな遠慮は無用の物だという事を知っている。
 むろん、守らなければならない境はあるだろうが、今の会話の流れからして遠慮をしなければならないようなそぶりの話ではなく、聞いてはいけないような類の話でもない。と言うことだけは判っている。
 案の上、斎藤の表情は実に楽しげだ。
 それどころか、千鶴の不満そうな顔を見てますます楽しげな笑みを浮かべる。
 それが、よりいっそう千鶴には面白くない。
「明日の楽しみにしていて欲しい」
「今じゃダメなんですか?」
 なぜ今教えてくれないのだろうか。
 不満が素直に顔に出たのだろう、宥めるように斎藤の唇が千鶴の額に触れる。
「一さん!」
 こんなことでは誤魔化される気はありません!!
 そう強く主張するような呼び声に、斎藤は喉の奥で笑みを零すと少しだけ答えを口にする。
「明日、お前に見せたい物がある」
「見えたいもの? それは何をですか? 龍之介さんが絵を送ってくださったんですか?」
 いつかの時、龍之介が描いた絵を斎藤はとても嬉しそうに見せてくれた。
 だが、あの時は手元に届いたら直ぐ見せてくれたもので、こんなに焦らされることはなかった。
「絵じゃない」
「ならなんですか?」
 他に斎藤が見せたがるようなものが思い浮かばず、千鶴はぐっと眉間に皺を刻んで問いかけるが、それ以上斎藤は千鶴に答えを言わない。
「それは案内してからの楽しみだ」
「・・・・・・一さん一人だけご存じだなんてずるいです」
「それは、最初に見つけた俺の特権だ」
「やっぱりなんか、ずるいです」
 小さな子供のように頬を膨らませて不満を訴える千鶴の頬に、唇に触れるだけの口づけを落としていく。
「ですから、誤魔化される気はありませんって・・・!」
 言っているでしょう!と続けるはずだった言葉は、斎藤にふさがれて音にならない。
「もちろん、誤魔化す気など無い」
 何も知らなければこうも気にはならなかっただろう。
「口づけで誤魔化そうとしています!」
 だが、何かを隠している。と知ればどうしても好奇心はおさえられない。とはいってもどう考えても斎藤が今それを千鶴に告白してくれるような気配を見せることはまず考えられなかった。
「あいにくと、口づけをそんなつもりで使うつもりはない」
「なら・・・・って、一さん!?」
 唇に触れていたかと思うと、頬に触れ耳朶を含まれる。
 軽く肩に掛かっていた腕はいつの間にか腰と背に周り、しっかりと抱き寄せられていた。
「夫が妻を求めるのに、ごまかしは必要無いだろう?」
 耳朶を含まれながら囁かれた言葉に、千鶴は顔を真っ赤にして酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせる。
 夫婦となってもう幾年月か経とうと言うのに、あいかわらず素面の時は新妻の時のような初々しさを見せていた。
 が、さすがに何時までも物慣れない新妻というわけではない。
 しばし、視線が慌ただしく右を見たり左を見たりするが、いきなり身体を仰け反るとむぎゅっと両手を斎藤の顔に押しつける。
「ごまかそうとしてます」
 このまま流されたりはしません!と言わんばかりにきりっと眉を吊り上げて睨み付けてくる千鶴に、斎藤は苦笑を漏らしながらも自分の唇に押しつけられた手のひらをぺろりと舐める。
「は、はじめさん!?」
 ひゃっ!と声を上げて名を叫びながら手を斎藤から離す千鶴に、斎藤は喉の奥で笑みを殺しながら、仰け反っている千鶴を深く胸に抱き寄せる。
「時を窮するような深刻な問題ではないことは判ってます。でも・・・」
 いや、逆にだからこそ内緒にされるのが面白くない。
 ただの我が儘だと判ってはいるが。
 千鶴の気持ちは斎藤も判らない訳ではない。
 自分が千鶴の立場ならおそらく何としてでも話を聞き出そうとするだろう。
 昔の自分なら、放っておくようなたわいないことでも。
「すまない。明日まで待ってほしいんだが・・・駄目か?」
 別に秘するような事ではないことは判ってはいるが、どうしてもそれを千鶴に言う事はしなかった。
「・・・・・・・一さんは、本当にずるいです」
 むっと眉間に力を入れていた千鶴は深く溜息を零すと、ぽふんとその胸に顔を押しつける。
 そんな顔をされて言われたら、これ以上だだをこねる事ができないではないか。
「明日には絶対に教えてくれますか?」
「ああ、約束だ。明日天気が崩れてなければ共に来て欲しい所がある」
 天気が崩れてなければ・・・ということは、天気の状況次第でそれは教えられないと言う事になるのだろうか。
 千鶴は斎藤が何処に自分を連れて行きたいのか・・・やはり聞き出したい気持ちはかなり強かったが、今はぐっと堪える。
「約束ですよ?明日一緒に連れて行ってください」
 千鶴の言葉に、斎藤は微笑を深める。


 二人でどうしても見たかったもの。
 それは・・・・・・・











「さ、桜  ですか?」









 白い雪に染まる世界に、艶やかに咲き誇る赤い華。
 それは、自分が知る桜とは少し違う。
 だが、桜のように千鶴には見えた。
「ああ、どうやらここらへんには早春に咲く桜があるらしいとは聞いていたんだが、昨日帰り際に偶然見つけた」
「春とは名ばかりで、まだこんなに寒いのに・・・・」

 はらり・・・

 風に揺られながらも花を咲かす枝に向かって手を伸ばすが、その手は桜には届かない。
 まるで、今にも届きそうで届かない春のようだ。

「この地で我らが知る桜が咲くのは今しばらく先だが・・・・・・・」

 千鶴が届かない桜の枝に斎藤は手を伸ばすとそこから一枚の花びらを静かに切り離し、いつかの時のように千鶴に手渡す。

「お前と桜を見たかった  


 斎藤の言葉に千鶴はふわりと笑みを浮かべる。
 いつかの日か共に見た桜はとても切なく、心が訴える痛みの意味をあの時はわからなかった。
 あの時はもう二度と、こうして共に桜を見る事が出来るとは思わなかったから・・・

 だが、あの切なさは今へと続く大切な糧でもあった。

 千鶴は簡単に握り潰してしまえそうな花びらをそっと大切に手のひらに包み込む。
 これも、自分にとっては大切な宝物になるだろう。
 そして、どんどん増えて行くに違いない・・・

「一さん」

 隣に立って優しげな微笑を浮かべながら桜を見上げる斎藤を見上げて、千鶴は斎藤の名を呼ぶ。

「来年も、花びらを一枚下さい。来年だけじゃなくて、その翌年も・・・さらに翌年も。ずっとずっと、桜が咲くたびにいただきたいんです」

 すべて大切な宝物にしていくから。
 あの時貰った桜の花びらと同じように。

「きっと、これからも色々な事が変わっていくと思うんです」

 初めて桜の花びらをもらったあの時から、いったいどれほど移り変わっていっただろうか。
 
「だけれど、変わらないものもずっと守っていきたいんです・・・」

 時を止めることはできない。
 変わりゆく時代に合わせて、自分達も変わっていかなければならないだろう。
 だけれど、変わらないものも守って行きたかった。

 生き様や
 志。

 そして、いつまでも共にありたいと願う想い。

 千鶴の言葉にされなかった想いに斎藤は微苦笑を浮かべる。
 その約束を守れる保証はない。
 この身に残された時があとどれほどのものなのか、判らないのだから・・・
  
 だが、斎藤は誓いの言葉を口にする。

「約束しよう   

 千鶴は斎藤の言葉に嬉しそうに笑みを浮かべる。
 何時終わるか判らない約束。

 だが、きっとその約束は破られることなく永遠に続く約束。

 例え、この身が灰となり骸を残すことなく、彼女の元を去る日が来ようとも。


「桜が咲く限り・・・」


 思いを風に乗せて、彼女の手のひらに。

 

 
 


 







☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆

二人が見ている桜のイメージは緋寒桜です。
んが、この桜・・・名前だと北国系に咲く花なのかな・・・とおもったら思いっきり南国。
ええ、南国中の南国。沖縄の野生種らしいんですのよ!
関東南部ぐらいでも咲くみたいだけれど・・・・
どーかんがえても北国にはさかねぇ・・・・

なので、緋寒桜といおう名称はあえて出さず、イメージのみ先行型で(笑)


それにしても思いっきり時期はずれな話でございますな。
当初は三月にUPしようとしてただなんて考えても見てもいないですよ。
気がついたら今になったというだけです。
はい。


時の流れてなんて無情なんでしょうね。
容赦なく雪崩のようにあっちゅーまに流れてしまいました。

その間忘れていたなんて言わない。

たぶん

なにはともあれ、思いっきり時期はずれな花見の話ですが少しでも楽しんでいただけたら幸いです。





 10周年企画にてUPした話になります。






Sincerely yours,tenca
初掲載:2011/10/24
再UP:2012/05/29




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