桜が咲く夜に

後編






 相反するように助けを求める切実な声が聞こえてくる。
 憎いと叫ぶ女の声。
 助けてと叫ぶ女の声。
 これは、一人の声なのだろうか。
 それとも二人の声なのだろうか。
 判らない。
 だけれど、確かに二つの声が相反する叫びを上げている。
「助けて・・・って言っている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 麻衣は、自分の身体をぎゅっと抱きしめながらうめくような声で呟く。
「何かが、言っているの・・・・助けてって・・・・・聞こえないの?」
 麻衣の問いに青年の眉が寄せられる。
 彼はまったく声が聞こえないわけではない。実際に憎悪にゆがめられている声は聞こえているのだから。なら、なぜ助けを求める声が聞こえないのだろうか?
「僕には救いを求める声は聞こえない。憎悪や恐怖に歪んでいる、負の声しか聞こえない」
 淡々とそう継げた言葉に麻衣は目を見開く。
 なぜ、声が聞こえる能力があるのに、聞こえる声と聞こえない声があるのだろうか。
「同じ声か?」
 青年はそれ以上言わず麻衣に問いかける。
 麻衣もそれ以上聞くことができなかった。
 能面のように調った綺麗な顔に、問いかけることができなかった。
 なぜ、聞こえないの?
 という問いは、喉の奥でくぐもって言の葉としてつむぐことができなかったのだ。
「・・・・・判らない・・・・・・・・・・」
 声質を声で判断する事はできなかった。
 よどんだ声で憎しみを訴えてくる声。
 掠れた声で救いを求める声。
 違うようにも聞こえ、同じようにも聞こえる。
「だけど、あそこから・・・・聞こえてくる」
 麻衣はふらふらと吸い込まれるように木へと近づく。
 声はここから聞こえてくる。
「近寄るな」
 青年が止めるのも聞かず麻衣は木に近づき、手を伸ばす。
 そして、次の瞬間まるで雷に打たれたかのようにその身体を硬直させる。

『出して』

 低い掠れた声が麻衣から漏れる。
「憑かれたかっ」
 青年の唇から舌打ちが漏れる。
「馬鹿か、うかつに近づくものがいるか」
 その目は虚ろで、青年を映していなかった。何も宿さない空虚さしかなかった。先ほどまでは表情同様に生き生きとし、くるくると変わる感情を映し出していたのだが、まるで無機質な石ころのようにただ、あるだけの瞳に青年は眉をひそめる。
 麻衣は、唇を動かし言葉をつむぐ。
 高く澄んでいた鈴のような声音は、まるで地の底から響くような低く、昏い声となって音を出す。
 完全に麻衣は何物かに支配されていた。青年はとっさに、指笛を吹く。
 ひゅるり・・・と高い音が響き渡ると麻衣の口から悲鳴が漏れる。

『あぁぁぁぁぁぁぁぁ』

 麻衣は両腕で自分を抱きしめると、苦悶の表情を浮かべ膝をつく。
 とっさに倒れかかる麻衣を鳴瀧が抱き留める。

『だ―――――――――して』

 麻衣はいや、麻衣の中に入っている何者かはそう呟くと、両目を閉ざした。
 唐突に麻衣の首が後ろにのけぞる。
 青年はその白い首に手を伸ばし、脈を探る。弱々しいが鼓動ははっきりと打っていた。
 麻衣の身体を抱きかかえるとその場からいったん離れる。今はここから離れて彼女の体から隔離させなければ、負担を大きくさせるだけだろう。
 木に背を向け歩き出した青年の耳に、かすれるような小さな声が聞こえてきた。



『タス・・・・・・・・・・・・・・ケテ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 ひどく弱弱しい、掠れた声がかすかに麻衣の唇から漏れたのだった。













 麻衣はゆらゆらと揺れながら、昏い闇を下りていった。
 ああ―――夢だ。
 麻衣は幼い頃から見る夢だと言うことに気が付く。
 そこには、見えない者が見えるのだ。過去であり、未来であり、そして死者の気持ちが。
 できれば、見たくない。麻衣はぎゅっと目を閉じたかった。だが、いくら目を閉じても光景は見えてしまう。
 死者の声など本当は聞きたくはない。
 聞いても自分は何もできないのだ。助けを求める声にこたえることができないのだ。だが、その声を無視する事はできない。聞こえるものを聞こえなかったことにはできない。そのため、この力をうまく制御できることができなかった幼い頃、心を壊しかけた。
 それを恐れた両親は、大陰陽師として名高かった晴明に救いを求めたのだった。隠居生活をしていた晴明だが、まだ幼き麻衣を哀れと思ったのか、それとも何か思うところがあったのか判らないが、麻衣に力を制御する方法を教えたのだった。それから、むやみやたらと声を聞くことがなくなったのだが、時折何かのふしに過去を見てしまうことがある。
 一度乱してしまった力は、自分の力で元に戻せない。ただ、終わるまで見続けるしかないのだ・・・・・・・・・・・


 土を掘る音が聞こえる。
 古い桜の木の下に大きく掘られた穴。暗い・・・暗い穴は、まるで地獄の底にまで通じているように見えるが実際は、人一人が埋められるほどの深さでしかなかった。
 男はその中に女を無造作に放り投げた。まるで、ゴミでも捨てるかのようにぞんざいな扱いで。その女の首には細い紐が巻き付いていた。目はカッと見開かれ、口はだらしなく開き舌が異常なほど長く出ている。膨張とした顔からは、生前どんなに美人だったか想像することは難しかった。
 苦悶の表情を浮かべた彼女を隠すように、土が駆けられる。
 冷たい土がどんどんどんどん、彼女を覆い隠してしまう。
 
 ――ひどい。

 彼女の最後の声が聞こえてくる。
 悲鳴が、怨みの声が。

 年月が経ち、古木の根が彼女の身体に巻き付く。

 ――苦しい。出して。ここから出して。

 朽ちた身体を古木が撒く。
 彼女は叫ぶ。
 苦しいと。出してと。
 そして、憎い。
 女御が。
 帝から自分に手を出したのだ。けして、自分から帝に言い寄ったわけではない。
 それなのに、女御は自分から帝を奪ったとなじり、男をやとって自分を殺した。
 憎い。
 その声に絡まるように助けを訴えてくる声。

 
――タスケテ

 この憎しみに染まりたくない。この憎しみから助けて欲しいと訴えるもう一つの声が響く。
 全てを持っている女御が。
 例え、帝の寵愛を自分如きが一時たまろうと、女御に勝てるわけがないのに。女御の地位は不動ものだというのに。
 それなのに、自分の命ばかりか実家さえも没落させた、女御が憎い。












 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、
タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、

 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、
タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、
 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、

タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、









女御が憎い








タスケテ、










 これは、殺されてしまった女の声。
 そして、それに絡み合うように悲鳴を上げているのは・・・・・・・・・・・桜の声。
 






 オネガイ・・・コノヨドンダオモイカラ、タスケテ・・・・・・・・・・・・・・
 モヤシテ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・モヤシテ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・トキハナッテ
 カコノオンネンカラ、トキハナッテ


 










 麻衣が目を開けると、心配そうな様子で緑子が麻衣をのぞき込んでいた。
「麻衣ちゃん大丈夫?」
 麻衣は一瞬何処にいるのか判らなくて、辺りを見渡す。
 その場には、緑子と涼子がいて、御帳台の向こうにはあの青年がいた。
「あ…わたし……………」
 麻衣は辺りを見渡す。一体なぜ自分がここで寝ているのか判らない。不思議そうに見渡すと青年が近づいてきた。
「覚えていることを話てくれ」
 いきなりのことにわけが判らず、救いを求めるようにあたりに視線をめぐらせる。一体何があったのか・・・・記憶がまだうまくまとまらなくて、何を言うべきなのかが判らない。
 麻衣の混乱がわかったのか、青年は一言一言ゆっくりと言葉をつむいだ。
「お前は、霊に取り憑かれた。その記憶も視たんじゃないのか?」
 その一言に、麻衣はギクリと身を強張らせる。見鬼の能力の事は皆知っているはずだが、人の過去まで見える事は涼子にも言ってないことだった。これは人に知られてはいけないもの。なぜか無意識のうちに麻衣はそう自分に言い聞かせ、誰にも言わずにきていたことをなぜ彼は、知っているのだろうか・・・・
「麻衣ちゃん、怖がらなくていいのよ。
 鳴瀧もね、あなたと同じ力を持つの。見鬼の力は弱いけれど、過去視の力はあるのよ。もう、お互い自己紹介はすんでいるとおもうけれど、彼が安部の鳴瀧よ。麻衣ちゃんが霊に取り付かれて倒れてしまったのだけれど、ここまで運んでくれたわ。
 晴明殿のところで、知り合っていたのならわかるでしょ? あなたのもっている力は彼らにとっては当たり前なもので、ぜんぜん不思議な力じゃないの。だから、怯えなくて大丈夫」
 緑子が安心させるように、麻衣に囁く。
 麻衣は不思議そうに面々を見渡す。人の過去まで見れると知って、なぜこの人たちは平気で自分に接してくれるのだろうか?
「ばかね、私にまで隠し事することないでしょ? 麻衣がどんな不思議な能力を持っていたって、麻衣には変わりないんだから。これからは、何でも話なさいよ。水臭いんだから」
 涼子は隠していたことに対して怒っているようだが、この能力を気味悪がっている様子はない。
 そのことに麻衣は、ホッと力を抜く。
 もう、一人で抱え込まなくてすむのだ。そう思うと長い間凝ってた何かが、溶け出すような感じがした。
「で、何を見たんだ?」
 麻衣が落ち着いたのを察したのだろう。鳴瀧が話すように先を促す。そして、促されるままに麻衣は見た夢を鳴瀧達に話しだした。
「夢を媒介にしてみるのか」
 鳴瀧は自分とは違った手法で過去視をする、麻衣に興味を覚えたようだった。
 その様を見て、緑子は微かに口元に笑みを浮かべている。
「咲く前に手を打った方がいいな」
「そうね。あの木はもう何年も蕾を付けていないヤツだったんだけど、蕾を付けているって事はそろそろ咲くわね」
 何がいけないのだろうか?
 きょとんとしていると、鳴瀧が馬鹿にしたような口ぶりだが教えてくれた。
「花が咲くと同時に今まで木に凝っていた怨念までもがその木から飛び立つ。そうなれば、この怨霊は自由にこの地を彷徨い、仇なものと化す。さらに、花から飛び立った怨念は疫病となり宮中を中心に都中に広まる。
 それいぜんに、最近この局では怪死する女房が多い。おそらく、感受性豊かな女房達が、この怨霊の影響を受けたのだろう。お前は案外丈夫なんだな。影響を受けてはいるようだが発狂死していない」
 顔色は悪いが、思いの外麻衣はしっかりしている。鳴瀧は暗に褒めたのかもしれないが、麻衣は素直に受け止められなかった。ぶすっと頬を膨らませるが、そのことにいつまでもこだわって入られなかった。
 あの、助けを求める声の持ち主が漸くわかったからだ。
「桜の木が助けを求めているの。
 苦しんでいる・・・・怨念に引きずり込まれて、嫌でも呪詛の基にされて・・・・・自分を燃やしてって・・・訴えていた・・・・・・・・・・・・・・・すごく、辛そうな声で・・・・・悲しそうな、苦しくなるようなこえで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 知らずうちに麻衣の両目から涙があふれ白い頬を流れ伝う。
 切ないほど苦しい声だった。
 自ら燃やしてくれと訴えるほど、桜の木は呪詛に染まってしまっていた。
 呪詛をばら撒いてしまう前に、燃やして欲しいとあの木は訴えていたのだ。
 それ以外助かるすべはないからと。
 緑子は麻衣を慰めるように抱き寄せると、その視線を鳴瀧へと向ける。
「鳴瀧、後は頼めるかしら?」
 彼女の言葉に鳴瀧は無言のまま立ち上がる。
 なみだ目でそれを見ていた麻衣は、自分も行くと告げる。
「駄目よ。まだ、麻衣ちゃん顔色が悪いわ」
「そうよ、あんた今まで霊に疲れていたのよ。ゆっくりと休んでなきゃ駄目よ」
「行きます。桜の声を聞いたのは私です。最後まで、見届けてあげたいんです」
 一度こうと言い張ったら梃子でも意見を変えない麻衣である。緑子や涼子がなだめすかせ、泣き落としに出ても麻衣は頑なになっていくと言い張る。
「僕は、木の始末にかかる。
 もしも、再びお前に霊が取り付いたとしてもすぐには対処できないが?」
「それでもいい。一緒に行く」
 あふれてくる涙を両目でごしごしと拭い去ると、麻衣は立ち上がる。若干立ちくらみをしたもののすぐに、めまいは取れる。
「一緒に行く」
 睨み付けるような視線に、鳴瀧は溜息をもらすと好きにすればいいといって、さっさと一人出て行く。
「じゃぁ、行ってきます」
 麻衣はなおも引きとめようとする二人の腕をすり抜けると、先に出て行った鳴瀧の後を追うように出て行く。
 麻衣は鳴瀧の邪魔にならないように彼の下方に立って、事の次第を見守っていた。
 鳴瀧は桜の木を中心に足を引きずるようにして何かを呟きながら歩く。
「天逢、天内、天衝、天輔、天禽、天心、天柱、天任、天英」
(テンポウ、テンナイ、テンショウ、テンポ、テンキン、テンシン、テンチュウ、テンニン、テンエイ)
 後で教えてもらったのだが、反閇(へんぱい)と呼ばれる術で、悪星を打ち破り吉意を呼び込む歩行術で、結界などに使用されるらしい。
 鳴瀧が動きを止めると同時に一斉に桜の蕾が開花し始めた。
 ざざざ、と音を立てて一斉に開花しだすが、鳴瀧は口元にかすかな笑みを浮かべてその様を見ている。
「無駄だ、もう結界は完成しお前の呪詛は広がりはしない」
 風もないのに枝がしなり、毒々しいほどの花びらがいっせいに散るが、その花びらは鳴瀧の歩いた場所よりけして外には飛び散らなかった。まるで見えない壁でもあるかのように、その空間で唐突に燃え上がり跡形もなく消えていく。
 確かに、広がらないだろうが、それでは桜の木は救われない。
 麻衣は思わず鳴瀧を見るが、鳴瀧は麻衣には視線を向けず、ゆっくりと右腕を持ち上げた。その指は不思議な形に結ばれていた。
 そして、静かに言葉をつむぐと同時にその手を動かす。
「臨める兵 闘う者 皆陣破れて前に在り」
 けして声を張り上げたわけではない。
 どちらかといえば、囁きにも似た声だったが、はっきりと大気を震わせそして、最後の詠唱と共に振り下ろされた指先から目を射抜くほどの強い閃光が闇をも打ち払い、そして桜の木を切り裂いた。
 音を立てて真っ二つに切り裂けた桜の木は、次の瞬間激しい轟音と共に火をたてた。














ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ



















 耳を覆いたくなるような女の声に、かすかに礼を述べる声が重なったのを最後に、麻衣に聞こえる声はなくなった。
 ただ、燃え盛る炎に照らされる赤い花びらが、まるで血の涙のように思えたのだった・・・・・・・・・・
「何を泣く」
 声もなく、静かに涙を流しながら燃えさかる桜の木を見つめていると、いつの間にか隣に鳴瀧がたっていた。
「御所って怖いところだね・・・」
 なぜか、口を出たのはそんな言葉だった。
「一番この世で厄介なものって人かもしれないね・・・・・・・・・」
 麻衣の独白に答える声はない。
 だけれど、麻衣が泣き止むまで鳴瀧は傍にいてくれたのだった。
















「僕は負の声しか聞こえない。お前が手伝う気があるなら、僕の助手をしないか?」
 後日、麻衣は自分の元に訪れた鳴瀧を唖然と見つめる。普通、人に他の見事をするときは下でに出るものではないか?「気があるなら?」聞き間違いであろうか。大体こういうときは「自分は負の声しか聞こえないから手伝って欲しい」と言うものだと思うのだが・・・・・・・・・・・・・・・
 腹が立つよりも先に、あっけにとられて言葉が出ないとはこのことを言うのかもしれない。
 こんな、えらそうな人間の下で働くのは目に見えて苦労する・・・とわかっているのだが、口から出た言葉はぜんぜん違うもの。
「ただ働きはいや。お給金出る?」
 麻衣は深層の姫君ではない。両親はすでにないため働かなければやっていけないのだ。
「役に立つのならそれなりに」
 やっぱり、頷くべきではない・・・と思ったのだが、提示された金額に思わず・・・・・
「いつから?」
 と答えている自分が心底情けなかった・・・・・・・・・

 今は静かな闇夜の瞳を凝視しながら思わず溜息が漏れる・・・・・
 なんで、力を使う時だけ目の色が金色になるのか知りたいだけ・・・。どうして、負の声しか聞こえ内の下記期待だけ・・・それに、この気味の悪い力が役に立つのなら、いいことではないか。
 なんと、自分に言い聞かせながらも麻衣は、鳴瀧の助手をすることになったのだった。







☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
はい、この話も書き換えてみました。が、事件そのものは前回アップしたものと変わりありませんねぇ(苦笑)とちゅうから、元の文章に手を加えた形になっただけし・・・・・だけれど、ちょっとした今後の種をばら撒いてみましたv
それが、日の目を見る日が来るかはまた、別の問題となりますが(笑)

しっかし、相変わらず予定通りに登場人物が出てくれないものだ(笑)