をとめの姿
  しばし 留めぬ


    

 階を足早に戻り御簾をめくると奥には幾重もの袿をかぶりながらも朗らかに笑いながら、いかに自分がどうやって男の魔手から逃れたかを意気揚々とかたる麻衣の姿と、そんな麻衣の様子にかえって気遣ってしまっている様子の涼子が部屋の奥まったところにいた。
「んもう、何もなかったんだから涼子ねーさまが心配することないってば。
 まぁ、ちょっとこうみっともない姿になっちゃったけど、未然に逃げられたんだし。大騒ぎすることないってば。まぁ、鳴瀧の顔見たら気が緩んで泣いちゃったけどぉ」
 鳴瀧が姿を現すと、涼子はすっと立ち上がって部屋から出て行くそぶりを見せる。鳴瀧は今まで麻衣の傍にいてくれた涼子に軽く頭を下げる。涼子もすっと頭を下げて礼を返し、頭を上げる前に鳴瀧に囁く。麻衣はいつもとなんら変わりない様子だが、実はさっきから身体が小刻みに震え続けていると。
 その言葉に鳴瀧は視線を麻衣に向ける。鳴瀧が姿を見せたことで本当の意味で漸く安堵が出来たのだろう。ほっとした顔つきだが確かに身体が小刻みに震えているのがわかる。鳴瀧が無言のまま麻衣に近づくと、涼子は音も立てず部屋を出て行く。
 鳴瀧は麻衣の前に静かに腰を下ろすと、うつむいている麻衣の頬にそっと手を伸ばす。その瞬間麻衣の体がわずかに竦む。
「麻衣――もう、気を張る必要はない」
 いつもと変わらない抑揚の欠けた声に、麻衣はためていたものを吐き出すかのように深く息を吐くと、再びにっこりといつものような笑みを浮かべるのだが、その瞬間今まで張り詰めたいたものが緩んだのか、ぽろぽろと涙が両目からこぼれだしてきた。
 麻衣自身涙に驚いているのか、あれ、とつぶやきながら手で必死になって涙を拭う。
「泣く必要なんて無いのに…何で…」
 震える声でつぶやきながら必死になって涙を拭う麻衣に腕を伸ばす。かすかに体に力が入っているものの麻衣は拒むことなく、鳴瀧に引き寄せられるままその腕に身を任す。
 「怪我は?」
 鳴瀧の問いかけに麻衣はフルフルと力無く首を振って否定する。
 何度か深く深呼吸をすると、麻衣はゆっくりと顔を上げてまっすぐに鳴瀧を見上げる。
「大丈夫。何とか逃げ出せたから、私は怪我をしてないよ」
 無理をしていることは一目でわかった。
 麻衣はいつも通りに微笑もうとし、無理矢理にこわばっている頬を動かそうとするが、それは見事に失敗し泣き笑いのような表情になる。
 いくら平気だよ。と明るい口調で言い放とうとしても声は微かに掠れており、体が未だ小刻みに震えていることが伝わってくる。それでも、自分に心配をかけまいとしているのか、いつもと変わりない状態を必死になって保とうとしている。おそらく、涼子や百合子の前だともっと気勢を張っていただろう。心配をかけまいとしてどんな状況に追い込まれたのをどうやって逃げたのか、武勇たくましく語ったのだろう。
 麻衣が受けた恐怖は本来ならば、男の鳴瀧には想像ができても本当の恐怖はわからない。だが、鳴瀧はその希有なる力によって過去かいま見たことが何度もある。怨霊退治に出かけたときに何度も無理矢理男に手込めにされ、不幸な結婚の果てに命絶えた女性の過去しり、黄泉の国へと送り届けたことがあるからだ。
 そのときの恐怖は、紛れもなく自分に伝わってくる。
 人ごととは思えないほどの、恐怖。
 女性が男に対する恐怖のあまり、「男」という物に嫌悪を覚えたことすらある。
「強がるな」
 麻衣に向かって鳴瀧は言うが、麻衣は首を微かに傾げる。
「やだな…強がったなんかいないよ。
 だって、本当に何もなかったんだもん。強がる必要なんて無いでしょ?」
 何もなかったとしても、あの男から与えられた恐怖には代わりは無いというのに、麻衣は何もなかったのだから怖がる必要はないのだと言い放つ。
「麻衣…僕の前で強がる必要はない」
 再度鳴瀧が言うと麻衣は、顔をくしゃりとゆがめる。
「だから、強がってないって言っているのに―――何で、信じてくれないの?」
 信じるも何もない。
 今の麻衣を視て誰が素直に強がっていないなどと思えるだろうか。
 まして、こうして自分の腕にいるというのに未だに麻衣の体には余計な力が入っている。こんなことは過去一度もなかった。
 初めて肌を重ねたときでさえ、緊張に体をこわばらせていたが、その時とて時が経てば経つほどに体からは力が抜けて自分にその身を任せていたというのに、今の麻衣は完全に委ねきっていない。
 鳴瀧はこれ以上言葉を重ねても互いが一方通行になるだけだということがわかっているため、言葉にせず今まで優しく包み込んでいた麻衣を、力強く自分の腕の中に閉じこめる。
 その瞬間麻衣が、息をのみ無意識のうちに逃れようともがき出す。
「逃げるな」
 その耳に口を近づけ囁くような密やかな声で、それでいながら逃げることを許さない強い意志を宿して、短く一言告げる。
 びくり――その声にさらに麻衣は体を硬直させる。
 鳴瀧はそのことをあえて無視し、麻衣の髪に手を埋めさらに己に引き寄せる。痛いぐらいに抱きしめられ、麻衣は思わず腕の中から逃れようともがき出すが、暴れれば暴れるほど鳴瀧の腕に力が入ることに気が付き、麻衣はようやく抵抗らしい抵抗を止めて、ゆっくりと身を任せはじめる。
 初めは、怖かった。
 鳴瀧だとわかっていても男の人の腕の中にいると思うと、怖いという衝動から逃れることはできなかった。
 だけれど、自分を抱き込む腕は守るように背に回されているだけで、けして荒々しいものではない。
 この温もりも知らない温もりではない。どこかほっとする温もりに、慣れ親しんだ香りにゆっくりと体から力が抜けてゆく。恐る恐るその胸に頬を寄せれば、聞こえてくるのは優しい鼓動。
 ようやく腕の中で力を抜きはじめると、鳴瀧は腕の力を少し緩め麻衣の髪を優しくすいていく。
 優しい色合いを帯びている栗色の髪をは、なめらかに鳴瀧の指を通す。
 『気味の悪い栗色の髪』藤浦の少将が言った言葉が脳裏に浮かび上がる。この髪のどこが気味が悪いというのだ。艶やかな栗色の髪は、指に優しく絡まりこの上なく手触りがよい。光を受ければ綺麗な金色(こんじき)の色に染まり、麻衣の表情をいっそう輝かせる。
 百合子に劣る?
 何が劣るというのだろうか。
 くるくるとよく変わる表情は愛らしく、声音は澄んだ鈴の音のように軽やかに響く。澄んだ鳶色の双眸は宝玉のように生き生きとした輝きに満ち、自分とは正反対なまでに躍動感にあふれ、人に優しい春風のような暖かさを与えてくれる麻衣のどこが劣ると言うのだ。
「怪我は本当にないんだな?」
 耳元で囁かれた言葉に、麻衣は静かにうなずき返す。
「無いよ…」
 だが、そういって顔を上げたときに鳴瀧は眉をしかめる。怪我は無いというのだが、唇の端に血がにじんでいるのが見えたからだ。鳴瀧は白い指を伸ばし麻衣の唇をそっと拭う。
「舌でもかむつもりだったのか?」
「そんなことするつもり無かったよ」
「なら、なぜ血がにじんでいる」
「血?」
 麻衣は不思議そうに鳴瀧を見上げていた。自分は怪我などしていないのだから、血など滲むはずはない。血を流したのは自分ではなくて――そのことを思い出したせいか、麻衣の顔色がさっと青ざめる。
「麻衣?」
「何でもない!」
 悲鳴を上げるように否定すると、唇を何度も激しく手でこすり出す。今度こそ間違いなく麻衣自身の唇から血が滲んでしまうほどに。強くこすりつけていた。
「止めろ。血が滲んでいる」
 鳴瀧はとっさにその手を取って止めさせるが、麻衣は鳴瀧の腕を振り払ってまた唇を何度も拭おうとする。それでも、止めさせるために今度はきつく手首をつかむ。その瞬間混乱している麻衣から、映像が流れ込んでくる。
 暴れながら、もがきながら逃げようとし、必死になって自分の名を叫んでいる麻衣の顔が、瞬く間に脳裏に写り込んでくる。
 暗闇に引きずり込まれ、抵抗もむなしく押し倒されると、叫び声をあげないように無理矢理に口づけてきた男が脳裏に浮かんでは消えていく。
 その映像に無意識のうちに鳴瀧は唇をかみしめる。
 手首をつかんだまま鳴瀧の動きが止まってしまったことに、麻衣はいぶかしみその顔を見上げる。自分を見下ろしていながらどこか遠くを見ているその双眸に、麻衣は視られたことに気が付く。有能な彼は時折時間を越えて過去を見ることさえあるのだ。だからこそ、鳴瀧は性格に怨霊の本質を理解し、鎮めることが出来るゆえに、晴明さえもしのぐのでは?といわれるようになった。
「やぁっ―――嫌いに―――嫌いにならないで―――――――」
 涙をぽろぽろと流しながら、今までこらえてきた物を吐露し出す。その声に鳴瀧ははっと我に返る。
「お願い…鳴瀧…嫌いにならないで―――」
 賢明に今まで何事もなかったように振る舞っていたのは、男に口づけされてしまったがために、自分に嫌われるのではないかと思う懸念からなのだろうか。
「お願い…お願い…だから………」
 鳴瀧から離れて今にも土下座をせんばかりの勢いで、必死になって言葉を紡ぐ麻衣に鳴瀧はため息をもらしてしまう。
 そのため息に麻衣はよけいに身を震わせる。
「気にするな――といってもお前は気にするな」
 鳴瀧も麻衣の性格は知りすぎているほど知っている。誰が気にするなと言っても麻衣は、そのことに煩わされていくだろう。
 あの男は、本当にとんでもないことをしでかしてくれたものだ。
 あのまま、他人の手に委ねるべきではなかった。
 自分が思っていたよりも深く、麻衣を傷つけたことに、鳴瀧は憤りを隠せないでいたが、今はあの男に対する怒りよりも、麻衣の方をどうにかしなければならない。
「嫌いにならないから安心しろ」
 自分の膝の上に座らせるように麻衣を抱きかかえあげると、涙に濡れている頬を片手で包み込み、赤くなってしまっている目尻にそっと口づけ、麻衣が怯えないように優しくふれる。
「本当?嫌いにならないでくれる?誰かわからない人に触られちゃった私でも、嫌いにならない?イヤにならない?」
 堰が切れたように問いかけてくる麻衣に鳴瀧は苦笑を漏らす。
 その程度で嫌いになるようならば、これほどまでに心を煩わされることはないだろう。そのことがわからないと言うのだろうか。そもそもそのような軽い気持ちですんでいるならば、麻衣にこれほどまで捕らわれることもなく、こうして二人で同じ部屋で同じ時を過ごすような関係にすらならなかったはずだ。
「麻衣――お前は今までと何も変わらない。そのことでお前が気に病む必要はどこにもない。
 あの程度の男に触れられただけで、お前の本質は何も変わらない。変わるわけがない」
 優しい声音とは言い切れない、冷め切った口調はいつもと変わらないが、それでもふれてくる手のひらは暖かく、繰り返される口づけは、何よりも優しく言葉を語ってくれる。
「ふぇ……怖かったの…鳴瀧以外の人に触られるの――やだったの………
 鳴瀧以外の人と…鳴瀧以外の人と………………」
 そっと、それ以上言葉を発する必要はないというかのように、鳴瀧は麻衣に唇を重ね合わせる。あの男が無理矢理口づけて言葉を封じたように、鳴瀧も言葉を封じる。これ以上麻衣があの男のせいで傷つかないように。
 甘く優しく…言の葉を封じる。
 音として出せば、言葉に捕らわれ、よりいっそう麻衣は傷つくだろう。
「言葉にする必要はない。お前はこれ以上傷つく必要はない」
 ふれるほど近くで囁かれる言葉に、麻衣は顔を崩すと腕のばして鳴瀧の首にしがみつく。そして、ようやく声を張り上げて泣き声をあげた。小さな子供のように泣く麻衣を胸の中に深くかき抱きながら鳴瀧は密かに安堵のため息をもらす。
 こうして、感情を素直に表に出し、うちに秘めたままにしなければ、やがて忘れられるだろうと。
 下手に秘めたままにしておけば、その方が傷は深くなる。本人でさえ気が付かないほど深くえぐれ、そこからやがて膿が広がり壊死をしていく。
 そのとき麻衣の持つ、素直さや純粋さも穢されてしまうだろう。
 そのときになって、初めて麻衣はあの男に穢されたといっていい・・・・だが、それは未然に防げたのだ。
「忘れるんだ――」
 感情をすべて表に出して、忘れてしまえばいい。
 秘めることは麻衣には似合わない。
 その声は徐々にかすれ小さな物になり、静かな呼気だけがあたりに響くようになるのにそれほど時間を要しなかった。すっかりと自分に身を預けてしまっている麻衣は、泣き疲れてしまったのかしがみついたままの状態で眠りについていた。
 本当に小さな子供のようだ。と思いながらも麻衣を抱え直す。このまま寝所へと運び横にさせた方がいいと言うことは分かっていたが、今宵は麻衣を手放す気にはなれなかった。
 壁際に移動すると麻衣を抱えたまま鳴瀧は、自分の腕の中で静かに寝入っている麻衣を見つめていたが、ふとその視線を階へと転じる。
「何のようだ」
 麻衣を起こさないように潜められた声には、明らかな怒気が宿っている。御簾越しには自分の部下である榊と友人の瀧沢の気配に挟まれて、殺しても殺したり無いと思う男の気配を感じたからに他ならない。
「――是非とも、お詫びの言葉を姫君にのべ――」
「結構。二度と麻衣の前にその姿を見せないでいただこうか。
 不愉快だ。早々にこの場から離れていってもらおう」
 すべてを凍てつかせるような声音に、藤浦の少将は息をのむ。だが、ここで素直に引き下がれるわけがない。なんとしても謝罪を受け入れてもらって、この件を流してもらわなければ、明日から自分は宮中の笑い者にされてしまう。
 そう思っているのが鳴瀧にも伝わったのだろう。どこか、押さえたような笑い声が静かに空気をふるわせる。
「自分が行った行いには、最後まで責任を持っていただこう。
 貴方はその覚悟があってこそ、この愚考を行ったのだろう? そう、光源氏が父である帝の怒りに触れる覚悟を持って藤壷宮の元に押し入ったように・・・・それともあなたは、そのような覚悟もなくただ、本能がままに動いた愚かな柏木の中将だったとおっしゃるのか?」
 嘲笑を浮かべながらの例えに、藤浦は何も言い返せない。正直に言ってしまえば、失敗したときのことや露見したときのことなど何も考えていなかったのだ。今までがそうだ。ことが露見したことなど一度もない。
 青白い顔で冷や汗を流しながら、自分の両脇を挟む二人の青年をおろおろと見るが、自分に向けられるのは冷たい視線ばかりだ。助けなど求められないことを悟り、藤浦の少々はさらに躍起になって叫ぶ。
「それでも、是非とも、麻衣姫に謝罪を!!」
 御簾を捲りあげて無理矢理にでも部屋に入って行こうとする藤浦を、榊と瀧沢が両脇から押さえ込む。と同時に、鳴瀧の恫喝が響く。
「二度と麻衣の前に姿を現すなと言ったはずだ!
 これ以上僕を怒らせるな!!
 命が惜しければ早々に立ち去れ!!!!」
 滅多なことでは感情を表に現さない鳴瀧の叫びに、藤浦の少将は腰を半ば抜かす。情けなくもその場に尻餅を付かずにすんだのは、自力でこらえたのではなく、両腕を榊と瀧沢に押さえ込まれていたからにならない。
 そして、鳴瀧の叫び声に、麻衣の瞼が震えゆっくりと目を開く。
 まだ、不安定なまなざしが鳴瀧を見、その視線の先を追って階へと向けると、二度とみたくない男の顔に行き渡り麻衣は、今度こそ恐慌状態に陥りかけるが、鳴瀧が麻衣の両目を自分の手で覆うと、再び階へと視線を向けた。
「瀧沢殿、榊殿。その男は陰陽寮に侵入してきた不審者として検非違使に引き取ってもらえ」
 先ほどの恫喝が嘘のように静かな声音だが、それでもにじみ出る感情を押し殺せないように、漆黒の双眸は怒りの色に染まっていた。
 藤浦もこれ以上鳴瀧や麻衣に取り繕うとする気力は無くなったのだろう。引きずられるままその場から去っていく。
 鳴瀧はこれ以上邪魔者が乱入してくるのをさけるために、奥の自分の部屋へと足を向ける。もちろん、麻衣を抱きかかえたままの状態でだ。
 書物がいくつも積み重ねられ、乱雑としていそうだが鳴瀧らしくこざっぱりと片づけられている部屋に入る。
 小さな子供のように怯えている麻衣を宥めるように、何度も何度もその頬に額に、唇に優しく触れていく。
「あの人―――どうなるの?」
 時間がたち落ち着いたのか、恐る恐る鳴瀧へ視線を向けながら戸惑いがちに問いかける。
「検非違使が裁く。あの男が何の目的でここへやってきたか、どういうかによって罪状が変わる。素直に夜這い目的で忍んできたといえば、問題にはならないだろうがあの男の面目は丸つぶれ、まぁ二度と大きな顔をして宮中を歩けないだろう。言わなかったとしても、夜中に用もなく陰陽寮の奥深くまで侵入してきたんだ。何らかの咎を受けるだろう」
「――私、何にもなかったんだよ?」
 例え肉体的には傷つけられていなくても、心を傷つけられているのだ。それだけでも、十分な罪になる。
 だが、やはり麻衣と言うべきだろうか。自分のせいで罪に問われると思うといたたまれないのだろう。
「別にお前が責任を感じる必要はない。
 あの男はそれだけの愚考を行ったに過ぎない」
 あの男に心を砕く麻衣に、いらだちを止められない鳴瀧。ゆっくりと麻衣を床の上に押し倒すと自らもその上に覆い被さる。
「鳴瀧?」
 若干恐怖に体をすくめている麻衣を見下ろしながら、鳴瀧はゆっくりと唇を重ねてゆく。先ほどのように優しくかすめるような口づけではなく、深く吐息を奪うように重ねてゆく。暖かな温もりを求め、麻衣の口腔深く舌を絡ませてゆく。
 抵抗するかのように鳴瀧を押し返そうとする麻衣の腕を片手で押さえ込むと、単衣の下に手を潜り込ませる。
 今宵はゆっくりと休ませた方がいいとはわかってはいる。
 性的な意味合いを持ってふれるのは、今の麻衣にとっては恐怖の対象にしかならないとも。
 だが、一度生まれた衝動は消せるものではなかった。この衝動が八つ当たりめいたものだとわかっていても、歯止めが利かない。他の男にではなく自分だけをその視野に納めるように。
 それでも、若干の理性が残っていたと言うべきだろうか。麻衣から唇を離すと、未だに戸惑いを隠せないでいる麻衣を見下ろしながら告げる。
「僕が怖かったら言え」
 止められるかどうかは保証できないが、それでも無理強いだけはするつもりは無かった。
 麻衣はしっとりと情欲に濡れだしている鳴瀧の漆黒の双眸を見上げながら、ふるふると首を振る。
「――怖くないって言ったら嘘になる…けど、鳴瀧なら平気――だから」
 ぎこちないけれど、ようやくいつも通りの柔らかな笑顔を浮かべながら、麻衣は小さな声でつぶやく。
 その言葉に鳴瀧は笑みを浮かべると、麻衣の体を優しく抱き込み、再び深く唇を重ね合わせたのだった。







「あたし、初めて鳴瀧の感情を出した声聞いたわ」
「わたくしなんて、一瞬気が遠くなりましたわ」
「いやぁ―――正直言って僕も腰が抜けるかと思いました」
「俺は鳴瀧の気持ちがわかるね。アノやろう、許せん。麻衣を傷つけた罪は万死に値するな」
 同じ時刻、別の場所にて事後処理をしながら、彼らはあのときの鳴瀧の剣幕に驚きを隠せないでいた。
 なにせ、あの太陽が西から昇ろうとも感情を表に出さない鳴瀧が、怒りもあらわに怒鳴り声をあげたのである。これを驚かないで何を驚けというのだろうか。
「麻衣も幸せもんよねぇ。あの鳴瀧にあそこまで惚れさせるんだから」
「本当ですわよねぇ。
 それにしても、失礼極まりない殿方ですわ。
 わたくしと、麻衣を間違えるなんて」
 麻衣と見事なまでに間違えられた百合子は、また別の意味で憤りを隠せないでいた。
「きっと、あのときよね。麻衣と二人で少しだけ表に出ていたとき、あんた桜襲ね着ていたでしょ。麻衣は羽の襲ねだったけれど桜紋きていたし、さらに通り名が「桜月」だから勘違いしたんでしょうね。あの男、「桜の君」って呼んでいたんでしょ?」
「でも、少し考えてみればわかると思いますのよ?
 わたくしでは、麻衣に関して流れている噂とは釣り合いませんわ」
 自分を卑下しているわけではけしてない。
 麻衣に関する噂は、悪い意味もあるが、おそらくあの男はいい意味合いの噂だけを聞いて思慕をよりいっそう募らせたのだろう。
 だが、そのよい意味合いの噂でも自分には当てはまらないと言うのに…恋は盲目というべきだろうか。
「下手したら、あんたが襲われていたってことになるわね。
 あんたじゃ、麻衣みたいにうまく切り抜けられなかったんじゃないの?」
 確かにいくら他の姫君より行動力があるとはいえ、麻衣ほどではないと言い切れる。はたして、あのような事態に陥ったとき麻衣のように自力で切り抜けられるだろうか?
「わたくし、当分結婚なんてしたくありませんわ。
 麻衣のように素敵な殿方が現れるまで、独り身を満喫することに決めました。お父様にもはっきりとそう申し上げますわ。もしも、無理やり殿をむかえろというのでしたら、わたくしは出家いたします」
 きっぱりと宣言した百合子が、うまく北の方の座に納まるのは…いつの日になるのやら。
 涼子は苦笑を漏らさずにはいられなかった。
 









☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 おしまいでございますv 平安時代この手のパターンは当たり前だったのでしょうねぇ・・・・今の感覚で考えると言語道断の犯罪にしかなりませんが(笑)
 この時代に生まれていなくてよかった・・・・・なにせ、顔も知らず文だけで恋愛を続けていくなんて・・・・・考えるだけに恐ろしい。
 相手が自分好みならいいけど・・・・そんな人とめぐり合う可能性は、限りなくゼロだろうし。はたして、一般人がどうやって結婚していたかなんて、無知な私には判りませんが(笑)

 平安日常偏どうでしたか? ご感想などありましたら聞かせてくださいましねv

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