誰が為に啼く鐘

















 ドイツに着いたのは現地時間で午後の六時を過ぎたころだった。麻衣たちは空港からタクシーでフランクフルトの市内に向かい、伯爵が用意してくれたホテルで一泊した後、翌日の朝にフランクフルトを発つことになっていたため、せめて調査が始まるぐらいの前日は羽を伸ばそうと、綾子がいいはり一向はドイツ名物をたべることにした。
 もちろん、ナルが不機嫌を隠さず仕事だと言い張ったものの、押しに弱いことをすでに把握されているため、結局はドイツ初日の夜は軽く羽を伸ばすことになったのだ。
 といっても、すでに調査体制に入っていたナルとリンは、精進状態に入っており肉類や魚類、アルコールを一切口にする事はしなかったので、芋料理など野菜をメインに、綾子は遠慮なくドイツの黒ビールやらワインを飲み、ジョンはそれに付き合う程度、お酒があまり好きではない麻衣は鉱泉水などを飲みながら、ドイツ料理での有名どころであるツヴィーベル・ズッペ(タマネギのスープ)、血のソーセージやアイシュバイン、ザゥアークラウトなどを遠慮なく食べる。綾子はビールのつまみはこれがいいのよ、といってさらに赤カブ、大根の塩漬け、8つの字のパンやそのほかの名物料理ヴァイスヴルスト(白ソーセージ)や、レバーのスープなどを注文していく。
 フランクフルトには週末になるとリンゴ酒電車というのが運行され、リンゴ酒とプレーツェル(パン)つきのリンゴ酒電車が、ザクセンハウゼンの街を一周しており、調査が終わったら乗ってみたいなどといって、ナルの眉をしかめさせたりしていた。
 どうやら、綾子は退屈だといっていた飛行機の中でかなりガイドブックを読み込んだようだ。
 巫女だというのに、服装もだが食生活からなにもかも、聖職者といった風情を感じさせない。とにかく、綾子やジョンがいたおかげで、安原がこの場にいなくても非常に賑やかな夕食は終わり、翌日が早いということもあって早々に部屋に引きあがったのは、早いと言っても打ち合わせや何やらを終えて、0時を回ったころだった。











 翌朝は夜が開け切る前に起床。当然レストランなどどこも開いていないため、朝食はルームサービスで済ます。そして、いまだ夜が開け切らないうちにメンバーはホテルを発ったのだった。
 フランクフルトから目的地まではやたらと遠い。なにせ、古城のある場所はオーストリアとの国境近いアルプス山麓にあるのだ。
 この地帯にはあの有名な白鳥の城として名高いノイシュヴァンシュタイン城などもある。
 観光客ならば、皇帝街道やロマンティック街道、途中では有名なドナウ川もあるからそこでクルージングなどをしたりして、ゆっくりと数日かけての移動をするのだろうが、そんな悠長なことをいってはいられないため、一度ライン・マイン空港へ戻り、国内線でフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港へ向かい、そこからは車で目的地へと向かうため、ほとんど始発といっていい時間の飛行機でフランクフルトを発った。
 伯爵家の執事と名乗る老齢の男・・・・アレックス・ドレインが二台のベンツで空港まで迎えに来たのが、午前8時を少し過ぎたころ。飛行機の到着と共に到着口でナルたちを待っていた。彼に案内されて空港を出ると黒塗りのベンツが二台並んで止まっている。
 一台目のベンツにリンとナルが、二台目のベンツに麻衣、綾子、ジョンが分かれて乗り込む。
 機材などはイギリスから直接、問題の古城に送り込まれることになっているため、大変な思いをしてイギリスからドイツ、辺境の地にあると言われる依頼人の古城に運ぶ苦労を味会わなくてすんだのはせめてもの救いといえただろう。
 どうせ、古城に着いたら今までの重労働など問題にならないぐらいの、重労働をさせられるのだから、このぐらいの楽はさせてもらいたい。
 とりあえず、それぞれの着替えなどを入れたバッグなどをトランクに詰め込み、一路オーストリアの国境近くへと向かったのだった。
 それから、どのぐらいの距離を走行したのか麻衣にはわからないが、見ているだけで楽しめる風景から、ただ延々と木々が生い茂る森の中に進み、さらにそれは山道へとかわる。
 今、ドイツのどの辺にいるのかまったく土地勘のない麻衣達には見当もつかない上に、運転手はドイツ語しか理解できないので、意思の疎通も図れなかった。
「こんな、山奥に城なんてあるのかな?」
 道幅は車が漸く一台通れるぐらいのもの。左右に生い茂る木々は枝葉を伸ばし、アーチのように道を覆っており、太陽さえもろくにみえない。ただ、生い茂った葉の影からきらめく陽光が判るぐらいであり、全体的に薄暗い気配を漂わせている。山道と形容したくなるほど道も急勾配で、あまり舗装状態もよくないようでやたらとガタガタと揺れる。高級車として有名なベンツではなくいつも東京で乗っているバンだったらそろそろお尻が悲鳴を上げていたかもしれない。
「こんな、ところにあるんじゃベルサイユ宮殿のようなお城は期待できないわねぇ・・・期待できるとしたらノイシュヴァンシュタイン城ってところだけど、あんなのが二つも三つもあるわけないし・・・・」
 がっかりといった様子も隠そうともせず、綾子はぼやく。
「お城というよりも砦として使われはったものじゃないどすか?」
 苦笑を浮かべながら言うジョンに綾子も同意する。
「古城って言うから期待していたのに、どうやら見当違いだらけね。てっきり、ロマンチック街道沿いとかライン川沿いにあるのかと思っていたわ」
 綾子はどっと溜息をつく。なにせ、綾子達は目的の場所さえ知らなかったのだから、言葉のイメージだけで想像を膨らませても仕方ない。ドイツには古城は点在しているが日本人の貧相な発想では古城といえば無意識に、ロマンティック街道やライン川沿いにある古城を連想させてしまう。
「ライン川沿いなら、有名なローレライも見れると思ったんだけど」
「綾子、観光じゃないんだよ? ナルがいないからいいけどさ」
「いないから言っているんでしょ。私だって言う相手考えているわよ」
 どう考えても綾子が相手を考えて愚痴ったとは思えないが、あえてその突っ込みはしないでおく。でないと五月蝿くて叶わないからだ。ただ、麻衣はそのことには触れなくても先ほどジョンが言った言葉が気になった。
「砦も古城って言うの?」
 砦といったらやはり、戦争の際防御として成り立つ建物をイメージするため、どうしても古城といったような感じがしない。麻衣はあまりお城といったものに興味がなかったため、ほとんど城といったものがどんなものかわからず、古城といったら世界的に有名なきらびやかなものたちを想像しており、全てを一緒くたに考えていた。
 もしくは、日本の戦国時代に築かれた城を連想する。
「それらの城は砦から発達していったのよ。
 安原君なら詳しく説明できるかもしれないけれど、もともとは防御用の施設として築かれはじめた物らしわ。倉庫や篭城目的ね。それが、だんだん権力の象徴としてのものになったのよね。ルイ14世が作ったベルサイユ宮殿なんてその最たるものなんじゃないの。
 それを真似して19世紀にバイエルン国王になったルートヴィッヒ2世が、国庫を傾けてまで作ったのが、ノイシュヴァンシュタイン城、ヘレキムーゼ城、リンダーホフ城の三つ。ヘレキムーゼ城はベルサイユ宮殿を模して造ったらしいわよ。ちなみに王様がその城に滞在したのはたったの一晩。
 ベルサイユ宮殿よりも長い鏡の間で過ごしたらしいわ。蝋燭を灯して一晩中行ったり来たりしておしまい。
 だけど、まぁそんなふうに浪費が激しかったから、幽閉されて自殺とも他殺とも事故死ともとれるような謎の死を遂げちゃった王様だけど、さらに国庫を傾けて築城を始めたノイシュヴァンシュタイン城はいまだに未完で、おそらく完成されないんじゃない?国税がそこをつきるとかなんとか・・・・理由はわからないけれど、作られてはいないみたいよ。」
 おそらく、ガイドブックなどを丸暗記したと思われる綾子の説明の後に、ジョンがさらに知っていることを教えてくれた。
「麻衣さん、もともとドイツでは城をさす言葉はたくさんあるんどすよ。
 Festung(フェストング)と言えば、古代の城壁のことにならはります。軍事を目的とした中世の堡塁もこれに含まれるどす。
 Burg(ブルグ)は一般的な城や城館で、Schloβ(シュロス)は宮殿的な城館を指し召すことが多くて、Hohen(ホーヘン)の語源は高いとか、山のようなって言う意味がありますさかい、そこに作られた城壁をさすようになったといわはります。Stein(シュタイン)には、意思とか岩という意味があるさかい城を表すようになったゆうますし、Residenz(レジデンツ)が宮殿の意味で、Hof(ホッフ)が宮廷といった豪華な建物に使われるようになったということどす」
「うへぇ〜〜〜そんなに、名前があるの?」
 とてもではないが覚えきれない数に麻衣が、お手上げとばかりに手を軽く上げて根を上げる。
「でも、それで大体城の役目がわかるのよ。
 これから行く城の名前はなんて言うの?」
「うえ?・・・・なんだったかなぁ、なんとかシュヴャルツといっていたような気がするけど。私はあまり話し聞いていなかったから良くわかんない」
 麻衣の頼りにならない言葉に綾子は呆れたように溜息を漏らす。
「シュヴァルツは日本語にすると黒になるわね。麻衣も一度ぐらい聞いたことあるでしょ? シュヴァルツ・ヴァルトって言葉、あれは日本語に直すと黒い森になるの。これからいく城にシュヴァルツと着くんだから、黒いお城なんでしょうけど・・・なんで黒い城なのかしらね。縁起がいいとは思えないけど」
 使われている石が黒い色をしているからかもしれないなどと、話をしていると不意に森を抜けて視界が広がる。ずっと続いていた道はなだらかになものになり、がたがたとした揺れもとりあえず収まりを見せた。
 三人は漸く目的地に着いたのかと、あたりを見渡すが城らしいものは何も見えない。
 道路を挟んで右側には広いとは言い切れないが、畑が広がっており、何人かが畑で作業をしているのが通り過ぎる窓越しに見えた。そして、道路を挟んで左側にはぽつん・・・ぽつん・・・ぽつん・・・と十数件の家屋が見える。どうやら、ここは小さな村か集落のようだ。
 流れさる車窓から見える家はどちらかというとこじんまりとしているが、まるで童話の中に出てくる家のようなつくりで、メルヘンチックに見える。どれも家は木で作られており、とんがった三角屋根、窓は小さく外に向けて開くような形をしており、そよそよと揺れるカーテンが時折、窓の外で風に煽られてひらめいて入れる。
 見かける人たちも、服装がずいぶん懐かしいというか珍しいと思ってしまうほど、古めかしいタイプ。女はゆったりとしたエプロンドレスというようなものになるのだろうか? くるぶしぐらいまでのびたスカートはウェストで軽く絞られているものの、ふんわりとひろがっており、頭はスカーフのようなもので髪を覆っている。肩から船がたの編み籠をぶら下げて、なにやら木の実のようなものを摘み取っている姿を数人見かけた。
 男たちも上はワイシャツのようなものだが、よれよれになりそうな生地に見える。それをだぼっとしたズボンの中に押し込んでいた。男たちは畑仕事をしていたり、その辺で休憩を取ってパイプを吸っている者もいたのだが、彼らは皆通り過ぎてゆくベンツをじっと見つめていた。
 いくら徐行運転をしているとはいえそれなりのスピードで通り過ぎるベンツに乗っている自分達と目などほとんど合うわけがないのに、彼らと麻衣はしっかり目があった気がした。
 敵愾心むき出しといっていいようなほど強い視線。
 このような山奥にある小さな集落。あたりには観光客を呼び込むようなものなど何一つない。そのようなところに訪れる人間などめったにいない事は簡単に予想できる。こうして、見る限り目に付く人間は老齢のものが多い。若者も若干混じってはいるが若いといっても中年の世代だ。自分達と同世代は時間にも寄るだろうが目に付かない。
 日本でも問題になっているが、過疎化と村の高齢化がここでも切実な問題になっているように思えるが、そのようなところに訪れる人間などまれなのだろう。だが、彼らが自分達を見る視線は、ものめずらしいものを見るものではない。
 厄介者といった感が拭い去れず、自分達はここの住人にはけして歓迎されているわけではないということが、彼らのその鋭い視線だけで充分に判った。
 車はさらに森を進み始めたのだが、今度はさらに険しい山道になり、左側にも木々は生い茂っているのだが、急な斜面になっており、下が見えない。窓に張り付いて外を見下ろしてみると、どうやらこの下には川が流れているようだ。かすかに水が勢い良く流れる音が聞こえる。
 落ちたらひとたまりもなさそう・・・・と思いながら、今まで通ってきた道を振り返れば、通り過ぎてきた村が見えるかと思ったのだが生い茂る葉が邪魔をしていて見る事は出来なかったが、いまだに彼らがじっと自分達を見ているような気がするのだ。もしかしたら、今頃そこかしこで噂をしているかもしれない。
「少年の懸念は的中していそうね」
 麻衣の感じたものは綾子も感じたのだろう。
 視線を流れる外の風景に固定したまま呟く。
「安原さんの懸念って?」
 安原とはほとんど話さないまま、イギリスで一度別れてしまったため、安原が何を懸念していたのか聞いてはいないのだ。
「ここら辺てたぶん、伯爵の持ち土地のような気がするんだけど、伯爵って大の有色人種嫌いなんでしょ?なら、その影響が村人達にも繁栄していてもおかしくないと思うのよ。それでなくても、主の機嫌を損ねるような発言は出来ないだろうし。
 言葉の壁もあるけれど、少年は伯爵のお膝元では有力な情報は得られないだろうっていってたわ。
 どう考えてもここの村人達が、英語が堪能に話せて、フレンドリーな性格をしているようには私には見えなかったわ。こう、厄介者が来たっていう気配が、ひしひしと伝わってくるわね」
 またたくまに集落を通り過ぎ、いまは背後に見えるだけの光景となったにもかかわらず、重い視線が伝わってくるようだ。
 麻衣は情報収集を安原のように専門的に行わないため、そこまで考え付かなかったが確かに安原の言うとおりである。英語は使えてもドイツ語は理解できない。それこそトラベル会話の本を片手に、簡単な意思疎通を図ろうとしてなんとか挨拶程度ができるぐらいである。
 安原がいつも調べ上げてくるようなことを、この異郷の地でさらりとできるはずがない。それは、いくら安原とて同じことだ。
 ナルとてまるっきりドイツ語が判らないわけではないとはいっていたが、それは文献を読む上であって、会話となると別問題らしい。ただ、城の住人は英語も堪能だということを事前に聞いていたため、麻衣は安原が懸念したことを思いつかなかったのだ。
 おそらくナルはその点も考慮していたのだろう。だからこそ、安原が向こうで出来る限り情報収集してからこちらに来るように指示をだしたのだと、今更になって思い至る。
「なんかさ、今回ってすっごくやっかいじゃない?調査そのものって言うより環境が」
 伯爵は大の有色人種嫌いでナルのことを毛嫌いしており、その影響はおそらく城で働く人間ばかりではなく、村人まで広がっていると思っていい状況であり、さらに辺鄙極まりない場所の、古いお城。
「電気は通っているの?」
「自家発電機があるって。一応補充はしておいてくれるみたいだけど、あまりきたいしないほうがよさそうだよね・・・・」
「電線がないものね。どの程度の自家発電機が用意されているのかしら」
 二人は調査をまだ、初めてもいないというのになんだか重労働を終えたばかりのようにどっと溜息をつく。
 そして、そのタイミングを見計らったかのようにジョンが声を出した。
「見てください。お城のようなものが見えはりましたよ」
 斜め右前方に黒いものがちらり・・・と葉の陰から見える。
 初めは時々見えていたものが、徐々にその一角を示し、やがてその全貌が麻衣たちの前に現れた。
 車は門の手前で静かに止まり、運転手がドアを開ける前に自分達で開けて外に出てしまう。
 よく映画や漫画で見るような、どっしりとした石造りの城門が目に付く。厚い木で作られた城門扉は、歓迎するように左右に開いていたが、上を見上げたら落とし格子がが鋭利な光を反射させているように見え、自分達を脅しているようにさえにも感じた。それは、もしかしたら日本ではまず見たことのない雰囲気に飲まれたからこそ、感じたのかもしれないが。
 先に、着いていたナルとリンは執事に案内されるように、門をくぐり始めたため麻衣たちもその後に続く。荷物はどうやら運転手が城の中にまで運んでくれるようだ。
 石畳を少し歩いて城門の前で立ち止まる。半円形のアーチはずいぶん高かったが、明かりがないためかひどく暗く先があまりはっきりと見えない。その上空気がやたらと冷たいせいもあって、ぞわぞわとした寒気が足元から漂ってき、車を降りた瞬間からあたりに漂う濃厚な緑の香りと、トンネル内の壁に群生しているのだろう、コケの香りに意識が一瞬くらり・・・とする。
 綾子は久し振りの濃い緑の雰囲気に、先ほどまでの不満は消えたのか深呼吸を何度か繰り返していたが、麻衣から見ればここは濃すぎた。
 身近に感じたことのない大自然に圧倒されているのか、それともこの重々しい気配を漂わせる重厚な造りの城に圧倒されているのかわからなかったが、麻衣はココの気配に自分は呑まれていると・・・・漠然とだが感じたのだった
 








 

 








 Go to next→