誰が為に啼く鐘








 測定値にこれといった異常がないのだから、メイドたちに聞いた話と照らし合わせたからといって、変化が見られるわけがない。
 この調査は、文句なしに長期戦になりそうだ・・・・・
 そう思ったのは麻衣一人だけではないだろう。ナルは早くもうんざりといった様子も隠しようもなく、眉間に深い皺を寄せている。
 今回の調査は一体どうなることやら・・・・早くも暗雲が立ち込めている気配に、誰もが表情を暗くしてしまう中、遠慮がちにドアがノックされる。
「どうぞ」
 ナルやリンが返事をするわけがないため、麻衣が扉を開けると相変らず全身白い包帯に身を包み込んだジェニファーが立ち尽くしていた。
 薄闇の中炎に照らされて立ち尽くす少女を見た瞬間、麻衣は思わず後ずさりをしてしまう。悲鳴を上げなかっただけ上出来だと褒めてもらいたいぐらいだ。正直言えば腰を抜かすほど驚いたといったぐらいである。
 なんの考えもなく扉を開けたのは、メイドか執事あたりが用事でもあって来たのかと思ったのだ。
 まさか、伯爵令嬢自身がドアをノックしたと思わず驚いたこともあるのだが、何よりもそのインパクトありすぎる姿が度肝を抜かす。明かりの乏しい中、目と口と鼻の部分以外包帯で身を包み込まれている姿を見て驚かない人間がいるわけがない。
 心臓は恐ろしいほど早い勢いで鼓動を打ち、今にも口から飛び出さんばかりにバックンバックン言っている。
「あ・・・あの、もしよろしかったら、ご一緒にアフタヌーン・ティーでもどうかしらと思って・・・・・・」
 しわがれた声がゆっくりと空気を震わせる。
 容貌が判らないせいもあり、ますます彼女の年齢が想像しにくい。何度聞いてもその声は老婆のように掠れてしまった声に聞こえるのだ。
 大病を患ったと聞くが、それは声さえもおかしくしてしまったのだろうか。
 それとも生まれつきの声なのか・・・・とてもではないが、聞ける話題ではないが気になるところでもあった。
「お仕事を・・・・お邪魔してしまいますか?」
 どこか、まだオドオドとした雰囲気があり、フレンドリーな性格をしているとも思えない。
 なんとなく来客に気を使って無理をして声をかけてきているような気もするのだが、せっかくのお誘いを無碍に断るのも悪いような気がしてしまい、麻衣はどう応えるべきか迷って上司であるナルを見る。
 お茶に呼ばれたからとはいえ、ほいほいとお招きに預かるわけにも行かない。
 なぜならば、そこにどんな思惑があるのか定かではないとはいえ、自分たちは正式に依頼を受けて調査に赴いたのだ。たとえ、今すぐにすることはなくても勝手な行動を取ることは出来るはずがない。
 一応上司であるナルの許可がなければ、仕事が特になければベースに待機しているのが常であるのだが、お茶会への招待にはナルはまったく興味なさそうな顔だが、ふと考え込むように視線を下げると、麻衣と綾子の二人についでに5階への立ち入り許可を貰って測定をして来いとのたまってくれたということは、そのままアフタヌーンティーに突入しても構わないということなのだろう。
『あ、ナル。せっかくだからこのお城の別名を令嬢が知っているかどうか聞いてみる?』
 そうそう、令嬢と会話を交わせる機会などなんどもないだろうから、麻衣はついでに聞いてこようか?と問いかけるのだが、ナルは今は聞かなくて構わないとだけ答えた。
『・・・・ああ、別名とか、この城に何か名前があるかどうかぐらいは聞いておいてくれ。
 ただし、具体的な名前は出すな』
『OK。後、何か見たとかいろいろと聞いてみるね』
 麻衣はとりあえず、にっこりと笑顔を浮べて返事を令嬢に返したのだった。
「では、一緒に参りましょう。
 わたくし、お二人にお話を伺いたいと思ってましたの」
 自分から1度声をかけて勇気が出たのか、だいぶ和やかな声になって麻衣と綾子を促す。
「わたくしのお部屋には、先にミス・キャリーがいらっしゃいますわ。女性だけで楽しくおしゃべり致しましょう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 綾子と麻衣・・・正確に言えば、綾子は眉間に眉を寄せて黙り込んでしまい、麻衣はすでに疲れたようなため息を漏らす。令嬢に他意があるのかないのか判らないが、ミス・キャリーと楽しくおしゃべりが出来るとは到底思えない二人だった。
 だが、そんなことには気が付かず、令嬢は二人を促して歩き出す。その後を追いかけるように再びボードやら温度計やらを持って、えんやこらさと階段を上っていく。
 一番前を伯爵令嬢、その後を麻衣、綾子と続いていく。
 この急勾配な階段をしゃべりながら上るのは辛いため、自然と無口になってしまい、踏み外さないよう足元を見がちになる視線を麻衣はあえて上げる。
 ゆったりとした衣服は、その全身を包み込んでいた。
 まるでネグリジェの上にナイトガウンを羽織っているようにも見える。
 足首は愚かつま先まで隠れてしまいそうなほどの長いすそを、片手で持ちゆっくりとした足取りで登っていく。文字通り目と鼻と口以外包帯で覆われているため、髪の色すら定かではない。
 大病を患い免疫能力が激しく低下してしまったため、包帯を巻いているという話だから、皮膚に何か問題でもあるのだろうか。
 もしかしたら、そのため髪の毛もすべて刈り取ってしまったか抜け落ちてしまったのかもしれない・・・・どちらにしろ、そう自分と変わらないであろう女性が、肌をさらすことが出来ない状態というのは酷く辛いだろう。
 まして、そのためこんな辛気臭い城に閉じこもってなければいけないのだから・・・・・
 どれほど長い間いたとしても、慣れるとは到底思えない。
 腕時計に視線を向ければ、今が午後の一時を少し回ったごろだというのがわかる。
 今頃外は暖かな日差しに照らされて、木漏れ日の下を散策したらきっと気持ちがいいだろうと思える時間帯だ。だが、この暗く閉鎖されてしまった城内では、今が何時なのか、午後なのか午前なのかさえもはっきりとわからない。このまま、長期間ここにとどまることになったら間違いなく、体内時計がバカになるに違いない。
 令嬢とのお茶会が終わったら、前庭にでも出てみようかと思ってしまう。いくら野犬が危険とはいえ、敷地内までは入ってこないだろう。でなければ、城塔を最上階まで登るだけでもいい。少し、太陽の光を浴びて、新鮮な空気を思いっきり吸いたかった。
 たった、一日この城にいるだけでえらく息が詰まってしまう。
 状況が定かではなく、いつまで続くかわからない調査に、早くも嫌気がさしてきてしまっていることに、麻衣は軽くため息を着いてしまうが、すぐに前を歩く令嬢に気が付かれなかったかだろうかと視線を向ける。依頼人の前であからさまなため息はしていいものではない。だが、令嬢は気が付かなかったようだ。
 とにかく、重くなりがちな足を動かして何とか五階まで上りきると、前回のように門番にも止められることもなく、スムーズに廊下の奥まで進むことが出来た。すれ違いがてら威圧するような目で睨まれたが。
 伯爵たちのプライベートエリアーともなれば、さぞかし豪華なのかと思ったのだが、他の階となんら変わりない内装が続く。特にこれといった華美な装飾もなく、やはり等間隔で吊るされている明かりが、揺らめきながら廊下を照らしているだけで、これといった目新しいものは見つからない。
 それどころか、空気穴の銃眼すらさらに小さくなり、外の光が内まで届くことはなかった。
 徹底して、外の光を中に入れないようにしているのが判るが、一部屋一部屋は比べ物にならないぐらいに大きいのだろう。ドアの数が他の階と比べると半分ほどしかない。半ばほどまで廊下を歩いただろうか。令嬢が足を止めると一つのドアをゆっくりとあけた。ここが、令嬢の居室なのだろうか。
 かすかな軋み一つ立てず滑らかに開くと、室内はより一層暗かった。
 明かりも必要最低限というべきだろうか。自分たちの部屋や廊下よりも薄暗いため、麻衣も綾子も思わず足を止めてしまう。
 そのことに気が付いた令嬢は振り返ると、申し訳なさそうに二人を見つめる。
「ごめんなさい。わたくし眼のほうも弱いんですの。短時間なら平気なんですけれど、長い間いる場所になると廊下でも明るく感じてしまって目に痛いんです。ご不自由をおかけするかもしれませんけれど、お許しくださいませね」
 いったい、どんな大病を患ったというのだろうか。
 色素の薄い無機質なガラスのような眼差しで見られると、なぜか知らないが寒気のようなものを感じてしまう。
 薄暗いだけではなくてさらに、温度も低いようだ。部屋に入ったとたん鳥肌が肌の上をすべるように立つ。無意識に暖炉の火を探して視線をさまよわせると・・・・火の明かりすら駄目だというのだろうか。チロチロと申し訳なさそうに炎が付いているだけで、とてもではないがこの広い室内を暖める効果を持っているとは思えない。
「すみません。先に部屋の測定させてもらっていいですか?」
 のんびり座ってお茶をもらって話をする前に、やる事をやっておかなければ小言を食らうことになるかもしれない。なにせ、いつ、お呼びがかかってえんやこらさどっこいさと、再び一回まで降りなければいけないのか判らない。そのとき測定がまだです。なんていった日には皮肉の一つや二つや十や百覚悟しなければいけなくなる。
「あら、さっそく仕事? 日本人って本当に働きアリだったのね」
 一人優雅にカウチに寝そべってお茶を飲んでいたのは、ミラー・キャリーだった。いったい、自分がなぜここに呼ばれたのか判っているのだろうかと疑問を抱いてしまうほど、くつろいだ姿である。
 さすがに、ネグリジェの上にナイトガウンのみといったカッコウではないが、とてもではないが調査をするような人間の服装とは思えない。
 太ももまでしかないようなスーパースペシャルミニなタイトスカートの上に、へそが見え隠れするようなボディーラインぴったしなTシャツの上に、ナイト・ガウンのようにだっぷりとしたセーターの上着を羽織っている・・・・寒いんだか、暑いんだかわけのわからない格好だが、言えるのは唯一つ。よほど、自分のボディーラインに自信があるのであろう。これでもかっと言うぐらいに、強調されているような気がするのはきっと気のせいではないだろう。
 これで、いったい誰を誘惑したいんだか・・・・・ちらり、と綾子を見るとしっかりと互いのファッションをチェックし、互いに馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
「綾子、やっちゃお」
 いつまでたってもにらみ合いをしていそうな二人に終止符を打つように、我関せずといった様子の麻衣が声をかけると、ツンといった感じに綾子はキャリーから視線をそらせ、麻衣を手伝い始めた。その様子を令嬢は不思議そうに眺める。
「なにをなさいますの?」
 興味津々といった声に麻衣はなれた様子で応える。
「お部屋の測定をさせてもらうんです。広さとか、傾度、室温や湿度といったものです。他の部屋と比べてみて異常があるかどうかとか、今後の調査の基本データーとして採取させてもらいます。
 基本値を図っておくと、何か現象が起きたときの判断基準の一つになりますし」
 この手の質問はよくされるため、気にするようなことではないのかもしれないが、麻衣は少し首を傾げてしまう。
 自分たちが来る前に、すでにSPRの人間が入っているというのに、いまさら聞くとは思わなかったからだ。
「これは、デイビス博士独自の調査方法なんですか?」
「独自って・・・・えっと・・・・・・・・・・・・私は、ナ・・・博士の下でしか働いたことがないので、他の調査のチームの人たちがどんな方法で調査をしているのかが、よく判らないんです」
 これは、ナル独自のやり方とは思えないのだが、令嬢の様子を見る限りだと彼女はこういった調査情景を見たことがないのだろう。身体の弱い令嬢に遠慮をしてこの部屋だけを測定してないのかもしれないし・・・・例外を作ってしまえば、数値がどこまで正しいか判断が難しくなるところだが、ありえないわけではない・・・・・また、面倒だからといって初めからやってない可能性もある。
 なにせ、朝麻衣達が行動をおこしてから数時間はたつのだが、その間一度も彼らが調査らしき行動をとっているところを見てないからだ。
 いったい、彼らはここへ来てから何をやったのだろうか。
 麻衣だけではなくて綾子も同様の疑問を抱いたようだ、ミラーの方へちらりと視線を向ける。
「優雅に寝そべっているけど、あなたは調査をなさらないの?」
 自分たちが動いているのに、同じように調査に来ている彼女が動いてないのが面白くないのだろう。棘のある言葉に対しミラーは鼻でクスリと笑うと、ようやく上体を起こす。といっても長い足をこれ見よがしに組んで、ソファーの上にふんぞり返るように座りなおしただけだが。
「あたしは、優秀な霊媒師だもの。
 あなた方のように、せせこましく動く必要なんてないわ。
 それに、霊媒師のあたしがなんでそんな地味なことをやらないといけないの。
 あたしが動くときは霊が現れたとき。現れなければ、あたしが動く必要はないでしょ」
 確かにそうかもしれないが、チームとして組んでいる以上、それなりにやることはあると思うのだが・・・・・
「なら、その優秀な力でもってさっさと、この城を霊視して招待を突き止めてさしあげたら?
 伯爵は、あたしたちが事件を解決するよりも、あなたたちが解決したほうがたいそう喜ばれるんじゃないかしら?」
 相手にしなければいいものを、綾子もまた突っかかる。
「もちろん、あたしたちは全力をつくして調査をするつもりよ。
 でも、伯爵からあなた達の実力を見極めたいから、しばらくは何もしなくていいとおっしゃられたのよ。
 どこの馬の骨かわからないあなたたちと違って、あたしたちは伯爵にすでに認められるほどの実力の持ち主ですもの。実力を見せるために汗水たらして働く必要なんてないわ。
 あたしたちが、ゆっくりとしている間にせいぜい頑張ることね。でないと、イギリスに戻ったときには博士の席がなくなっているかもしれないわよ?」
 クスクスと楽しげに言うからには、相当自分に自信があるのだろう。
 麻衣は彼女がどれほど高名な霊媒師なのかまったくしらないから、彼女がどれほど自信ありげに言ってもそれが真実とは到底思えなかった。そればかりか・・・・・このやり取りには、なんだか非常に懐かしいものを感じてしまう。
 思わず、デ・ジャヴかとも思ったのだが・・・・・・
『ああ・・・そうか』
 ぽふっと、手を叩いて何かを納得したかのように麻衣は突然日本語で呟く。
 意味が判ったのは綾子だけで、キャリーも伯爵令嬢も意味が判らないといった顔をする。
『何がそうかなのよ。
 人事のように言っているけど、麻衣は悔しくないの? こんな色気しかないような女ごときにバカにされて』
 麻衣よりもよほど綾子のほうが頭に血が上っているらしい。日本語でまくし立てるが逆に麻衣の方があっけらかんとしている。
『いや。だって実際の実力がどんなもんかなんてわからないじゃない。
 実際の時に役に立つかたたないか。実力が本当にあるのかないのか、それだけでしょ。いくら本人が何を言ったって、今のところは真実味なんてないんだしさ』
『そりゃーそうだけど・・・・あんた、だんだん考え方ナルに似てきたわね』
 苦虫を噛み潰したような顔で呟く綾子に対し、麻衣は軽く首をかしげて『そ?』と聞き返す。
『それになんだか、懐かしいものを見たって感じ』
『懐かしいもの?』
『ん。綾子と真砂子と初めて会ったときのことだよ。
 ほら、私の高校の校長に呼ばれて集まったのが最初でしょ?
 あん時さ、皆初対面で互いの実力とか能力なんて全然判ってなかったからさ、今のやり取りと似たようなことやってたじゃない。
 ナルのこともすっごいバカにしててさ』
 楽しげに言う麻衣に対し、綾子は憮然とした表情になる。
 綾子ばかりではなく、真砂子や滝川も初対面のときの事を言うと、どこか居心地の悪そうな顔になるのだ。唯一の例外はあの当時から態度がまったく変わらないナルとジョンぐらいではないだろうか。
『昔のことは掘り返さない。
 今は、みんなの実力を認めてるし、信頼できるものだって思ってるわよ』
 でなければ、何年も一緒に仕事などしてないだろう。そもそも、実力を認めていない人間をあのナルが協力者という形で仕事を依頼するわけがない。
「ちょっと、何をこそこそとわけのわからない言葉で話してるのよ。
 さっさと仕事を終えなさいよね。せっかく、レディー・ジェニファーがお茶を用意してくださっているのよ」
「わたくしは待つことは大丈夫ですわ。こうして、お仕事をなさっているのを見ているのも新鮮ですもの」
 おっとりとした様子で口を開いた令嬢に、キャリーは一瞬顔を歪めるが、すぐに取り直したように笑顔を浮べる。
 まるで、その様子は女王さまに取り入ろうとしている家臣のようにも見え、思わず麻衣と綾子は失笑してしまう。
 もちろん、口は動かしても手は休めていない。ナルの下で働くならば同時進行が出来て当然だ。このぐらいできなければ、とうの昔にお払い箱になっていたはずである。
「お待たせしました」
 一通り測定が終わったのは、なんだかんだ言って30分後のことだった。居間だけしかやっていないというのに、やたらと時間がかかってしまった。寝室は隣の部屋なのだが今回は立ち入りを許されなかった。寝室は無菌室状態に近いため、その部屋にはいる前に一度、小部屋でシャワーを浴びて滅菌着に着替えなければ、入ることが出来ないらしい・・・・・・そのため、明日の午前中改めて訪問して測定するという約束を取り付けて、令嬢の部屋の測定は終わりとした。









 令嬢が用意したのは手軽につまめる、サンドイッチやキッシュ、クッキーなどといったものと、味わい深いダージリンだった。メイドがやるのかと思えば、令嬢自らが席を立ってカップにお茶を注いでくれた。
 この室内には、自分たち四人しかおらず一見人目を気にする必要がなさそうだが・・・・はたして、本当に人目がないのかは疑問であるが。
 まず、最初に麻衣はいくつかの質問を令嬢に向けた。
「えっと、先に質問させてもらってもいいですか?」
「?かまいませんわ。わたくしでお答えできることでしたら」
 裏を返せば、答えられないことでなければ答えないと言っているようにも聞こえるが、とりあえず今はその辺はさらりと聞き流す。
「この城に滞在中、不思議な体験を経験されたりしたことは?」
「・・・・・・・・・・・・・わたくしは、特に心当たりはございませんの。
 父も、バトラー(執事)も、使用人たちも幾人か見たものがいるとおっしゃってますけど、わたくしもお兄様・・・従兄弟のブラットも特に人影を見たとか、すすり泣く声を聞いたとか、物が勝手に動いたとかといったようなことは経験しておりませんわ」
 令嬢の部屋のドアの前に立っているのを目撃したという人間もいるのだが、令嬢自身は過去一度も見たことがないらしい。
「この城は造りが頑丈そうにみえても、意外と隙間風とかがございますの。ですから、風が通る音が女のすすり泣くような声に聞こえることもございますけど・・・・でも、わたくしには風の音としか感じられませんでしたわ」
 霊の存在を否定しているわけでもなさそうだ。口調にバカにしたような響きとか、否定的な色合いは見られない。ただ、事実だから述べているといったような口調だ。
「もうしわけありません。父からは調査には協力して差し上げなさいと申し付けられておりますのに、わたくしではお役にたてるようなことがなにもございませんわ・・・・・」
「いえ、全員が全員体験することもない場合がありますから、レディー・ジェニファーのお話も大変貴重な参考になります。
 あと、この城って名前とかあるんですか?」
「城の名前?」
 唐突過ぎただろうか、不思議そうに問い返してきてしまった。
「ええ。由来とか歴史とかご存じないですか?
 こういう古いお城ですと歴史が深そうですもの。いったいいつ、どんな事件があったのか。なにがあったのか歴史を紐解いていくと、不可思議な現象を解決する糸口に繋がることもございますの。ですから、調査の参考として私たちは、その土地の過去も調べることにしてますの」
 綾子がにっこりと営業スマイルを浮べながら言うと、令嬢も納得したようだ。なるほど・・・・と呟きながら少し考え込む。
「いえ・・・・・わたくしは特に聞いておりませんわ。
 ただ、わたくしの母の遠縁が代々継いできていた城だとしか伺っておりませんの。
 たぶん、城の図書室に古い蔵書がありましたから、そちらのほうにならこの城の史書のようなものがあるかもしれませんわ。
 もしも、よろしかったら、バトラー(執事)に申し付けておきますから、後で図書室をご覧になります?」
 もちろん、図書室にあるのはドイツ語やら英語ばかりだろう・・・・・自分たちが読めるような本は一冊たりともないとは思えるのだが、その辺りはナルが率先して自分で調べそうだ。ジョンもその巻き添えになるだろう・・・後は、リンと合流を果たした安原だろうか。どう考えても自分たちにお鉢が回ってくるとは思えないため、麻衣と綾子は笑顔で肯き返した。
 







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