誰が為に啼く鐘








「話を聞くのは賛成だけど、中に入らない?
 このまま、ここで話し込んでいたら風邪引いちゃうわよ」
 日が沈みますます気温が下がってきたのだろう。大気を吹き抜ける風はますます冷たさを増していき、鳥肌が先ほどから立って消えない。両肩を抱え込むように手で腕をさすりながら、震えた声で意見を述べる綾子に反対するものは誰も居なかった。
 とりあえず、場所をベースに戻して話を麻衣から聞くことになったのだが、自分の力で立とうとした麻衣は膝に力が入らず自力では立てなかった。
 ガクガクと笑ってしまって、立とうとしてもくにゃんと力が抜けてしまうのだ。
 再び冷たい石畳の上に、座り込んでしまった麻衣をナルは何も言わず抱き上げる。
「なんで、立てないの?」
 不思議そうに未だに震えている足を見ながら呟く。
 もともと、夢やサイコメトリーをした後は視た内容によっては、酷い倦怠感や疲れが残っていたりするが、ここまで酷いことはめったにない。数分前まで自分がどんな状態になっていたか判らない麻衣は、感覚的にはいつもと同じなのだろうが、無呼吸状態がたびたび続き、身体がまるで死体のように硬直していたのだ。筋肉が悲鳴を上げてもおかしくはない。
 だが、麻衣は疑問を解消するよりも、ブラットをみて悲鳴を上げる。
「ブラットさん!? なんで外に出ているんですか!?」
 先天的に色素が欠乏し、紫外線に対する防御能力が著しく弱いため、外に出れないといっていた青年が、なんの防護もせず城塔に姿を現しているため、麻衣はナルの腕の仲でじたばたと暴れる。
「ああ、夜間は大丈夫なんですよ。
 こうして、夜の間少しだけ外に出て外の空気を吸うのが日課なんです」
 にっこりと微笑まれながら言われ麻衣はなるほど・・・と納得する。
 確かに夜ならば、彼の天敵とも言われる紫外線はない。いや、太陽光を反射して輝く月からは確かに多少なりとも注がれるのだが、身体に有害なレベルに達するほどではないという。ただ、彼の従妹であるレディー・ジェニファーは夜間であろうと、外には出れないと言うが。
 場所をベースに移り、麻衣はソファーの上に下ろされる。痙攣するように小刻みに震えていた体は治まっているが、いつものように身軽に動き回れるほど体力がすぐに回復するわけもなく、代わりに綾子が人数分のお茶の用意をしている間、なんとなくついてきてしまったという感じのブラットはナルに近寄る。
 マークやミラー・キャリーはもう少し鐘を調べたいといって、城塔にとどまっていたがブラッドは麻衣のことが心配だったのだろう。
「医者に彼女を診せなくて大丈夫なんですか?
 この、城には医者も看護婦も医療機器も一通りそろっているので、診てもらった方が良いのでは? 放っておいて大丈夫といえるような状況ではないと思うのですが・・・・・なにか、病気を患っているのでしたら医者に話してくだされば、それなりの処置がこの城でも充分に出来ますし。
 今は大丈夫と思って甘く見ていると、取り返しのつかない事態になりかねません。いくら、設備が整っているとはいえ、限界もありますから」
 先ほどの麻衣の様子を見て、大病でも患っていると思っているのだろうか、ブラットは心配げに麻衣に視線を向けナルへと医者に見せる事を進めるが、ナルは当然その申し出を却下する。確かに麻衣が倒れたのも、無呼吸状態になったのも病気だと判っていれば、医者にも見せるが、あれは医者に見せたからといってどうにかなる問題ではないのだから、医者に見せる必要など最初からなかった。
 そもそも、精密検査をしたとしても、健康優良児の太鼓判を押されるだけであろう。
 なにせ、病気を患っているというわけではないのだから。
「ご心配していただくようなものではありません」
 ナルの返答はひどくそっけないものだ。
「婚約者の体調が心配ではないのですか?」
 無碍に扱われたことにむっとしたのだろうか。眉を潜めやや剣呑とした声にナルは疲れたようなため息を漏らす。何も知らないからこそ、口出しをするのだろうが、こちらの事情をまったく知らないのだから口出しは一切しないで貰いたいと思ってしまう。
 口出しをされたくないのならば、最初から麻衣の能力について説明していれば、納得するだろうが、面倒さと時間を無駄にする事を厭い、最初から説明する事を省いているのだから、ブラットの反応は仕方ないものでもあったが。
「ミスター、これからことのいきさつを麻衣に説明してもらいます。少々黙っていてもらえるでしょうか?」
 どちらが雇い主なんだかわからない態度に、さすがに柔和な態度を取ってきたブラットも不機嫌そうな顔をするが、麻衣がオロオロとナルとブラットを見ていることに気がつき、呼吸を整えるように息を付くと、説明を待つとだけを伝え、綾子が淹れて来たお茶を受け取る。
 ベースから出て行く様子がないところを見ると、最後までしっかりと話を聞くつもりの様子だが、そのことにナルは何も言わず視線だけを麻衣に転じる。
「麻衣、説明をしてもらおうか?」
 綾子から受け取ったお茶には手をつけず、早速とばかりに麻衣に話を振る。
 麻衣はホットミルクで冷えた身体を温めると、考え込むように乳白色の液体に視線を落とす。
 令嬢の部屋から出た後の事を、思い出すように・・・ポツリ、ポツリと話し始める。
「レディー・ジェニファーとお話をした後、少し気分転換がしたくなって城塔に登ったの・・・・特に変な感じとかしなかったから、一人でも大丈夫だろうなぁ・・・と思ったから、綾子には先にベースに戻ってもらったの。
 あ、綾子は一緒に行こうかって言ってくれたけど、ちょっと、一人になりたかったから先にベースに戻ってもらったんだから、綾子に文句は言わないでね」
 単独行動を自分がしたがために、綾子までナルに小言を言われる事を懸念したのだろう。黙っているナルに弁解するように麻衣は慌てて告げたが、ナルは特に何も反応を返さない。
「一日中お日様の光の射さない城の中に居て、ちょっと息苦しさがあったから外に出たくて・・・・・なんか、こう鬱々とした感じで、胸の中がど〜〜んと重くなっていくような気がしたの。
 ずっと、暗いところにいると時間の経過も判らなくなるし、なんだか植物のように光合成がしたい!って感じかな・・・・・・」
 麻衣の軽口にもナルは無反応。
 先を促すような視線に麻衣は、何か一言ぐらい言葉を挟んで欲しそうな顔でナルを見上げるが、ナルは口を開く様子はまったくなく、無言の圧力に耐えかねたかのようにさらに話を続けていく。
「・・・・・・・・・・・とにかく外に出たくて・・・・モヤモヤとしたものが内に溜まっているのが嫌で、城塔に向かったんだけど、階段を上って外に出た瞬間目を奪われたの。景色がすっごく綺麗で、夕焼けのグラデーションに圧倒されて、それを見ていたら自分が小さなどうでもいい些細なことで悩んでたんだなぁ・・・と思ったんだ」
 そこまでを一気に話すと麻衣は、温くなってきたホットミルクの残りを飲み干す。
 蒼と橙のグラーデション。太陽が沈みかけ、月が姿を現し始めた黄昏時。
 空気がどこまでも澄み、空はとても高く澄んだ色を広げていた。
 自然が織り成す雄大な景色に、心を奪われるのはほんの一瞬あれば充分だった。
 思考のすべてを奪われてしまうような気がしてしまうほど、その色合いは印象深く未だに瞼の裏に焼きついている。
「なんか、わけもわからずモヤモヤとしたものも消えていて、まるでずっと真っ暗なトンネルを歩いていたけれど、急に明るいところに出て目が光にくらんでいるような状態かな・・・・?
 すっごくすっきりとした気分になったの。特に、何があったわけでもないけれど、まぁ考え込むことでもないかなぁって。で、なんとなくもっと近くで見たいっていう気がして、塀の傍まで近づいたんだ。ちょっと寄りかかるつもりで手を伸ばしたら、塀が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 麻衣はカップをもっていないほうの手をそっと伸ばす。今は目の前にナルがいるから、まっすぐに腕を伸ばせることは出来ない。ナルのワイシャツを握るような形で腕を伸ばす。あの時伸ばしたのもこんな感じだったはずだ。
 ただ、手に触れるのは人の温もりではなくて、冷たい石の硬質感の筈だった。
 塀に軽く寄りかかるつもりで手を伸ばし、重心をずらしたのだが、塀は長いときの間雨風にさらされ続け脆くなっていたのだろうか、一部が音を立てて崩れたのだ。
 初めは小さな塊。腕だけが、壁を突き破るような形で宙に出てしまう。それだけでは、崩れた勢いは止まらず、体当たりするような形になってしまった麻衣を支えきれず塀は崩れた。
 完全に重心をずらし、塀に寄りかかる体制でいた自分の身体は、支えをなくして城塔に飛び出した・・・・・・・・・・・・・





 身体を切る冷たい風に、麻衣はカタカタと身体を振るわせる。





 眼前に迫り来る地面が見える。
 周りの景色は目にも留まらない速さで流れていく。
 伸びた木の枝が皮膚を裂くが、痛みを感じる暇もないほどの短い時間・・・・・・・・・・・
 悲鳴を上げるほどの時間もなかった。
 いや、何が起きたのか判らなかった?






 no ソレハ違ウ 確カニ 落チテイクノハワカッタ







 ダッテ・・・・・・・・・











「麻衣」
 バッと手のひらが伸びてきて麻衣の視線を覆うように手をかざす。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ナル・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 いつの間にか詰めていた息を、そっと吐く。
 鼓動が高鳴り頭がガンガンするほどの勢いで耳鳴りがする。
「記憶に、引きずられるな」
 顔を上げると表情一つ変えていないナルが自分を見下ろして立っている。
 心配をするでもなく、慌てるでもなく、いつもと何も変わらないナルが。
 あまりにもいつもと変わらないから、逆に波立っていたものが平静さを取り戻す。
 早鐘を打っていた鼓動は、ゆっくりとした一定のリズムに変わり、頭がガンガンするほどの耳鳴りはいつの間にか消え、せわしなくなっていた呼吸は、静かなものへと変わる。
 一度大きく息を吸い、深く吐き出す頃には自分を完全に取り戻せていた。
「私、落ちたの・・・・塀が崩れて、身体が宙に放り出された・・・・・・・・地面が見る見る近づいて・・・・・・・・・」




 枝が折れる音。身体に走る鋭い痛み、それから・・・・・・ああ。息がすごく詰まった。




「痛いっていうよりも息が詰まって呼吸が出来なかったの」
 かすれた視界の中見えたのは藍色を深めていく空。それから、誰かの顔が脳裏を掠める。あれは、誰だろうか・・・風に乗って聞こえる、誰かの叫び声。
「声・・・誰かの叫び声が聞こえた・・・・顔は、わからない。
 目が霞んで息が詰まって・・・よく見えなかったから。
 ただ、すごく悲しかった・・・・切なかった・・・・・・ううん違う。初めはこれで自由になれると思った。これで、何もかも自由になれるんだって・・・・この先にあるのは、束縛からの解放。だから、怖くはなかった・・・でも、悲しかった。おいて行く事が・・・苦しかった」
 一つ一つ呟かれる言葉は、ランダムなもので曖昧なものだった。
 当然かもしれない。死に行く瞬間の過去を視たとしたのならば、意識が朦朧としていて、はっきりとモノを見たり聞き分けたりすることは出来ないだろう。
「あ・・・そーいえば、誰かに謝っていた・・・・・ような気がする」
 切り裂かれるほどの痛みが全身を間断なく襲い、意識はすでに半分以上闇の中に沈んでいた。感覚もなくなりただ、静けさを感じる中手を伸ばして、祈るように・・・・・何かを呟いていたような気がする・・・・・
 だが、何を呟いていたのか。誰に謝っていたのか、あの嘆きの声は誰だったのか、考えようとすると頭に痛みが走って考えをまとめることは出来なかった。
 ズクズクとうずくような痛みがこめかみから走り、思考を妨げる。
「今日はもういい」
 これ以上聞くのは無理だと思ったのか、ナルは麻衣から話を聞くのを止めて、ブラットへ身体の向きを変える。麻衣が一体何を言っているのか釈然としない様子の彼に、ナルはなんの説明もせず問いかける。
「ミスター、あの城塔から過去に人が自殺、事故、他殺どんな理由でも構いませんが、墜落死した者がいるという話を聞いたことはありますか?」
 唐突なまでに振られた話にやや面食らいながらも、ブラットは考え込むように目を伏せるが、軽く首を振る。
「僕は伯父とこの城に移り住むまでは、この城のことは知りませんでしたし、特にこれといった話を今まで聞いたことはないので、あの城塔から死者が出るような事故や事件があったかは判らないですが、中世からある城であり、砦目的で作られた城です。
 過去、この城内で死んだものは数え切れないほどいるでしょうし、戦争に敗れたときにはあの塔から身投げした者も数え切れないほどいるでしょう。書庫にある史書を紐解けば何か判るかもしれませんが、今すぐに思い当たるようなことは僕にはありません。
 それがなにか今回の一連の騒動と関係あるんですか?
 それに、鐘があの時なぜ鳴ったんですか?」
 矢継ぎ早の質問が続き、ブラットは最後に麻衣へと視線を向ける。
「なぜ、彼女がそんなことを言い出したんですか? 彼女はあそこで、気を失って倒れていた・・・・呼吸停止の状態で・・・彼女は霊媒師かシャーマンなんですか?」
 麻衣の能力を知らない以上、ブラットの疑問も当然だろう。
 ナルの闇色の両目と、ブラットの赤い目が重なりある。どちらも視線をそらされることない。沈黙が重く・・・いや、痛いほど続く中、ナルが当たり前のように告げた。
「僕の部下である以上、ある程度の芸は出来て当然です」
 よりにもよって『芸』と来たか・・・・・
 あまりにものいいように、麻衣の頬がヒクリと引きつっても当然だろう。いや、麻衣だけではなく綾子もそれが婚約者に対する言葉かと言わんばかりに唇が引きつり、リンに至っては貴方は・・・・と言わんばかりにため息をつき、ジョンはどう反応していいものか判らず、乾き笑いを浮べている。なんとも寒々しい空気が流れても当然だろう。
 その上、自分の部下なら出来て当然だと言い切る方も、方である。まさか、こんな答えが返ってくるとは思ってもいなかったのだろう。ブラットは面食らった様子でナルを見ている。
「・・・・・・・・・・・皆さん、能力保持者だと?」
 自分の部下である以上と言うならば、麻衣だけではなく他の面々もそうだというのだろう。
「当然でしょう。無能者(むのうもの)を部下に持って、調査が出来ると?」
 皮肉げな笑みを浮かべて挑発的に言い放つナルを見ていた視線は、綾子やジョンに向けられる。リンの能力は事前から知っていたのだろうから、対象外だろうが、協力者という説明しか聞いていなかったブラットは彼らの能力に関してまったく知らないのだから、この反応も当然かもしれない。
 なにせ、SPRに属しているからといって『能力保持者』とは限らないのだから。いや、逆に籍を置いているもので『能力保持者』である可能性のほうが遥かに少ないかもしれない。だからこそ、調査のたびに協力者という形で、能力者たちに協力を仰ぎ、調査に協力してもらうことは多々あることなのだから。
 綾子やジョンはSPRに在籍しておらず、確かに外部からの協力者に過ぎないのだが、過去幾たびもチームを組んでおり、さらに日本で行動しているせいか、外部、内部といった感覚は非常に薄い。また、誰もそんなことに拘らないからかもしれないが、非常に珍しいことではあるのだろう。
 メンバー8人中、1人を覗いて何らかの能力を持つようなチームは。いや、残り一人とて霊能力やサイキックといった能力には縁もゆかりもないが、別の意味で抜き出た能力があり、調査を潤滑に薦めるためには不可欠な存在である以上、チーム8人がそれぞれ生かせる能力を持っているというのは非常に珍しい現象なのだろう。
 今まで比べる相手が居なかったため、誰も特に思わなかったが。
 だが、こうしてブラットの反応を見ると、SPRだからといって必ずしも参加者が全員能力者だとは限らないんだということが、麻衣にも判った。
 ブラットは釈然としない様子で、ナルや麻衣達を見る。
 自分の質問に答えられていないのだから当然だろう。
「麻衣が話したことは、情報の一つにしか過ぎません。それの真偽についてはこれから、調べることになるので今は答えられません。
 鐘が鳴り響いたことですが、その件についても現在調査中です」
 ナルはこれ以上話すことはないと言わんばかりに、口を閉ざす。
 確かにこれ以上の説明は無理だろう。いや、ナルのほうこそもっと確かな情報が欲しいはずだ。今のままでは何も判らない。
 麻衣が過去を垣間見ている間に鐘が鳴ったということに関連があるのか、それとも偶然に過ぎないのか・・・・いや、ただの偶然とも考えられないのだが、この二つを関連付けるようなものは何もない。
 ただ、鐘のある城塔から誰かが過去に飛び降り、その後に鐘が鳴り響いたというのは考えられるが。
 黙したまま思考を巡らせ始めたナルに問いかける事を諦めたのか、ブラットは詳しいことが判り次第説明をしてほしいとだけ告げると、部屋を出て行くべくドアへと足を向けるが、部屋から出る前に麻衣へと視線を向ける。
「ミス・タニヤマ。具合が悪くなったときは遠慮なく城のものに言ってください」
「あ、ありがとうございます」
 具合が悪くなるも何も病気ではないのだから、少し経てば回復するのだが、せっかく気遣ってくれたのである。それを無碍にするような麻衣ではない。にっこりと笑顔を浮べて礼を述べると、ブラットは静かにドアを閉めて出て行った。





 



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