誰が為に啼く鐘









 誰が為に鐘は鳴る・・・・麻衣に憑いた霊は、それを呟くとまた同じ唄を歌い出す。短調で暗いメロディーラインは子供が好んで歌う唄とは思えない。
「ジョン」
 これ以上は聞き出せないと判断したのだろう。ナルの指示に従ってジョンは祈りを捧げ、持っていた霊水で麻衣の額に十字を書き、その身体から出て行くことを命じる。
 それは、あっけないほど抵抗もなく麻衣の身体から出て行く。
 腕に急にかかる重みを抱き留めたままジョンを見ると、『もう、大丈夫でおます』と満面の笑顔で答えたのだった。
 念のためということで麻衣にクロスをかけ、再び十字を切ると、ピクリ・・・と麻衣の瞼が震え、ゆっくりとその両目が開く。
 ぼんやりと視線があたりを彷徨い、最後にナルを見て唇を動かす。ひどくだるいのか、唇は動くものの声が出ない。
「男の子・・・・四歳ぐらい・・・・男の子が唄っていた・・・・・」
 寝ぼけた声が空気を震わせる。だるいのか、それともまだ意識がぼーっとしているのか、焦点は定まらず虚空をぼんやりと見ながら、託宣のように麻衣は呟くとまた瞼をおろしそのまま落ちるように眠ってしまう。
 すーすーと起こすのが気の毒なぐらい気持ちよさげな寝息が、シンと静まりかえった空気を振るわせる。
 ナルはため息を一つつくと、綾子に明かりをつけるように指示をする。綾子はマークから燭台を受け取り、明かりを次々とともしていく。真っ暗な闇に慣れた目には薄暗さを伴う明かりでさえもまぶしく感じ、しばしの間誰もが眼を細めていたが、すぐに明かりになれ皆が自然と麻衣へと視線を向ける。
「な・・・なんなのよ。なんで、そっちに降りるのよ。
 あたしが呼んでいたのよ? 普通はこっちにくるもんでしょ!?
 なんで、そんな小娘におりるのよ!」
 ヒステリックな声が静寂を打ち破る。
 一人椅子に座ったまま、握りしめた拳を小刻みに振るわせている。
 麻衣をにらみつける瞳はランランと光り輝き血走っている。まるで、目の前で獲物をかっさらわれ怒り狂う獣のような顔だ。あまりにも麻衣が無邪気な表情で眠るため、よりいっそう彼女の形相がすさまじいものに見える。
「俺もそれは気になるな。
 呼んでいたのはこちら側だ。博士は元々これを狙っていたのか?
 この城に掬う霊達が姿を現しやすい場を作らせておいて、美味しいところを横からかっさらう。
 一時間も俺たちは呼びかけていて呼び出すことが出来なかった。
 だが、彼女は唐突に霊を呼び出せたように思える。何も知らない人間が見たらどちらが有能でどちらが無能に見えるかな?」
 ミラーほど怒りを露わにしているわけではないが、マークとしても面白くはないのだろう。挑発するような台詞を並べナルに弁解を求めるが、ナルは呆れた表情を隠せないでいた。
「馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しいですって!?」
 火に油とはまさしくこのことを言うのかもしれない。いや、かもではなくそうだろう。
「誰が呼び出せたかなどどうでもいいことだ。
 そもそも、麻衣が呼び出す予定ではなかった。麻衣のことを優秀な霊媒師とでも言いたいのかもしれないが、こいつは無能者だと言っておこう」
「無能者? 自分の婚約者を捕まえて無能者とおっしゃるのですか?
 彼女は特にこれと言ったスタイルも呼びかけもせず、呼び出せたというのに無能者呼ばわりしたら、一時間かけて呼び出せないでいる我々はいったいどうなるんでしょうかねぇ」
「誰が見ても麻衣は無能者でしょう。
 呼ぶはずのない状況で憑依された。それは、突然取りつかれたと言ってもいい。プロがふいをつかれることを、あなた方は有能というのですか?
 あいにくと、僕の中では無能扱いをさせて頂いています。プロであるならば呼び出せることはもちろんのこと、必要外では憑依されないよう常に気を引き締めているのが当然です。
 これは、それを怠りました。
 それだけの結果です。
 今回はたまたま害のない存在だったから、あなた方は暢気に麻衣を有能と言えますが、もしも麻衣に取りついた霊が我々に害意を持っている存在だったら? 例え明確な害意でなくても構いません。彼女に取りついたまま離れようとしなければ? 浄霊するのにもっとてまどりましたし、誰かが怪我をしたかもしれない。もちろん、意識して卸すことよりも強引に乗っ取られることの方が負担が大きくかかります。
 下手をすれば命にも関わる場合があるでしょう。
 それを有能といい、うらやましがるのならば、あなた方は早々に調査を止めた方がいいと僕は言わせてもらいます。
 そんな甘い考え方でやっていれば、いずれ判断を間違って命を落とすだけでしょう」
「僕がめでたい男だとでも言うのか?」
「そう聞こえるならそうだろう」
 虫が好かない男だが、さすがに哀れに思えてくる。元々ナルに正面から挑んだとしても、けちょんけちょんにけなされて再起不能になるだけなのだが、それを判っていない方もバカなのだが、ナルもナルである。ここまで正面切ってけなせるのはさすがとしか言えない。
「ちょっと、有能とか無能とか言い合うのはいつでもできることよ。
 先に麻衣を休ませてあげなさいよ」
 この場の剣呑な雰囲気など全く知らない麻衣はいい気なものだと綾子は心底思う。だがしかし、気持ちよさげに眠ってはいるもののやはり顔色は良くない。頬に触れてみれば幾分いつもより体温が下がっているようにさえ思える。
 麻衣を抱きかかえているナルならばとうの昔にそのぐらい気が付いているはずだが、相変わらずいっこうに慌てることはない。
 城塔で麻衣が倒れているのを見ても慌てることなく、冷静に対処したぐらいだ。
 この男が我を忘れて慌てるところを一度は見てみたいと思うのはきっと自分だけではないはずだ。
「あたし、先に部屋に戻って部屋の準備をしておくわ」
「必要ない」
「必要ないって・・・部屋を暖めてあげた方がいいでしょうが」
「麻衣はベースへ運ぶので必要ない」
「は?」
「麻衣には話を聞くことがある。ベースで寝かせておけば問題はない」
 ナルに慣れている綾子でさえ一瞬言葉をなくす。
 疲れ切って眠っている部下をベッドでゆっくりと休ませることもせず、目を覚ましたらすぐに話を聞く気でいるのだ。無能者と呼ぶのはまだ判るが、気遣いのなさには呆れてものも言えない。
 まして、相手が自分の婚約者ともなれば、もう少し気を遣ってもいいと思うのだが、休むだけならばベースでも十分だと言い切るその仕事バカぶりには、呆れを通り越して感心してしまう。
 ただし、綾子個人としてはこんな思いやりも気遣いもない男を婚約者には選びたくはないが。
「ヘル・ドレイク。後ほど話を伺いたいことがあります。時間の都合はつきますか?」
 麻衣を抱えて立ち上がるとナルは執事に向かって問いかける。
 今まで口を挟むことも、慌てふためくこともなく、すべてを黙ってみていたドレイクは氷のような眼をナルに向けると、慇懃無礼なまでに礼儀正しく答える。
「これより二時間ほどかけて、私は城内の見回りをいたしますので、その後でよろしければディビス様のお部屋に伺わせて頂きます」
 二時間後ともなれば日付線を越える時間帯になるが、ナルから見ればなんの問題もない。仕事が終わったらベースまで来て欲しいことを告げると、麻衣を抱えて部屋を出て行こうとするが、ミラーの叫び声に足を止めることになる。
「待ちなさいよ!
 人の仕事を邪魔しておいて、その言いぐさはなんなの!?
 一言あってしかるべきじゃないの!? あんたのおかげで降霊会はめちゃくちゃになってしまったじゃないの!」
 オリヴァー・ディビスに認めてもらうために躍起になっていたのだが、この展開にミラーは頭に血が上り、その相手のナルにくってかかる。
 だが、ナルはいっこうに表情一つ崩さない。
「一時間やって成果がないならば、あと何時間やっても無駄でしょう。失礼」
 自分の努力を無駄と言われて憤らない人間がいるだろうか? いるとしたらよほど自分に自信がないか、相手の言うことなどに惑わされないか、もしくはよほど度量が広く寛容な人間ぐらいだろう。
 だが、あいにくとミラーはどれにも該当はしない。
 意味もなく自分に自信を持ちながら、相手の言葉に左右され、カンに障ることを一言でも言われれば激情する。どちらかといえばミラーはそのタイプであり、今にもナルに飛びかからんばかりの表情でにらみつけるが、ナルは言うことはもうないとばかりにドアを開けて薄暗い廊下へと出て行く。
「なんなの・・・なんなのよ! あの男は!! 人を虚仮にするにも限度ってものがあるでしょ!?」
 女のヒステリーは非常にやっかいだ。同じ女である綾子は、一荒れも二荒れもしそうな気配を察しし、リンとジョンを連れてさっさと部屋を出て行くことに決めた。彼女をどうするかは、同じチームの二人がどうにかすればいいことである。







 ベースに戻るなりナルはリンに降霊会のビデオを再生する指示を出す。麻衣は寝椅子に寝かされており、毛布の代わりにナルの上着が掛けられている。こういう面を見れば優しく見えるのだが、本当に優しかったならベッドで寝かせているだろう。
 モニターには赤外線カメラで録画された映像が映っているため粒子が粗い。シンと静まりかえっている室内に、マークの声だけが響いていラップ音一つ聞こえない。
 揺れる蝋燭に照らされて映る綾子の顔は、少々眠そうだ。小さくあくびをかみ殺しているところまではっきりと映っている。綾子だけではない。初めは緊張しこわばった表情をしていたブラットも反応が出ないまま過ぎる時間に飽きているのか、軽くため息をついている。
 対するミラーは目を閉じて霊が降りてくるのを待っているのだが、その表情にははっきりと焦りが浮かんでいるのが見ても判る。唇をぎゅっとかみしめ、眉間の間にはくっきりとしわが刻まれている。
 心中かなり穏やかではなさそうだ。これでは、呼べるものも呼べないのではないだろうか?
 代わり映えのない時間をいつまでも映していても仕方ないため、ナルはリンに早送りをさせる。
 麻衣はコンコンと眠っていた・・・・目覚める様子もなく、穏やかな寝息に皆の意識が麻衣から自然とそれる。
















※    ※    ※    ※




















 鐘が鳴り響く。
 厳かにどこまでも・・・どこまでも・・・
 この村では珍しいことではない。月に何度もそれは音を鳴らす。
 時刻を知らす鐘でもなく、寿を知らせる鐘でもなく・・・・ただ、一つの目的のためにその鐘は音を響かせる。
 低く‥‥暗く。
 少年はこの日、森の中に木の実を拾いに行っていた。母が好きな木の実がたくさんなっているところをこの前見つけたのだ。自分一人だけの秘密。誰にもその事を教えてはいない。
 なぜならば、その木の実がなっていた場所は本来ならば入ってはいけないと言われている場所だったからだ。大人達に知られては叱られてしまう。お尻を叩かれて、夕食を抜きにされてしまうだろう。
 だが、それでも少年は木の実を一つ一つ、布袋の中に入れていく。
 いぱいい、いっぱい入れて入れに持って帰って待つのだ。
 母が、戻ってくるのを。
 領主に呼ばれて母は今城に行っている。大切な用事があるのだと父は言っていた。その用事が終われば戻ってくると・・・その用事が終わるのを指折りに数えて待っているのだが、父はなぜか毎日くらい顔で城を見ては、鐘が鳴らないことを喜んでいる。なぜ、鐘が鳴らないことに安心するのか、まだ幼い少年には判らない。
 ただ、神に祈るように母が早く帰ってくることを祈りながら、木の実を拾うだけだった。
 どれほど時間が経っただろうか。木の実が入った袋がずっしりと重くなり出した頃、葉を踏みしめる音が少年の耳に届いてきた。見つかったのかも知れない。少年は恐怖におののきながら、その小さな身体をさらに小さくして、茂みの陰に隠れる。
 気が付けば辺りには夕闇が迫り、今まで木を揺らす風の音しかしなかったというのに、微かに鐘の音が聞こえる・・・・父のため息が、嘆きが聞こえた気もしたがそれは空耳だろう。
 少年は息を潜めて人の気配が消えることを待つ。
 この場所には何度も来たことはあるが、自分以外の人の姿を見たのは初めてだった。
 ザ・・・ザ・・・ザ・・・数人が枯れ葉を踏みならして、目の前を数人が歩いていく。
 先頭を行くのは身なりの良い服装をした壮年の男。だが、貴族といった出で立ちではない。屋敷を取り仕切る執事といった風情の男だ。その後ろに続くのも男達だ。くたびれた服装をしている者達が目立つ。壮年の男の後に続くのはずた袋を担いで歩く二人の男と、スコップを持った男が二人。それだけだ。
 いったい何を担いでいるのか。細長い袋は重そうでそれを担ぐ男達の額にはうっすらと汗が浮き上がっているが、それが、なんなのか判らない。薄汚れたそれは所々黒いものが生地に染み付いている。それは、昨日今日ついたものではなく、それなりの年月が経ちどす黒いものに変色しているような色だ。
 イヤな臭いがあたりに漂う。
 覚えがあるような気もするが、それよりも遙かに強烈なその臭いに、胃の中にある物がこみ上げてくる。深く深呼吸することも出来ず、何度か唾液を飲み込むことで吐き気を堪えると、ゆっくりと彼らの後を追う。
 いったい、こんな薄暗い森の中に何をしに来たのだろうか。
 このまま引き返した方がいい。何も見ず、知らないままにしておけば、再び平穏な時間が過ぎていく。だが、それでも少年は好奇心の方が勝った。彼らの後に付いていけば、なぜこの場所まで入ってはいけないのか判ると思ったからだ。
 かれらは、歩きやすいとは言えない森の中を1時間近く歩くとようやく足を止めた。
 そこは、森の中でも特に陰湿な雰囲気を漂わせていた。他とどこが違うのかと言われると難しい。だが、明らかに他の場所よりも葉が生い茂っている。高木ばかりではなく、このあたりには低木の数が多いのも、よりいっそう暗く陰湿なものに見せているのかもしれない。うっそうと生い茂った木々が、枝をあっちこちらに伸ばし、葉を茂らせ太陽光を遮っているせいか、ジメジメとし土が異常なほど軟らかく足首までが土の中に簡単に埋もれてしまう。
 その土を掘るのはたやすかった。
 壮年の指示によってスコップを持っていた二人の男が穴を掘る。
 何を埋めるための穴なのだろうか。成人が入れるぐらいの穴が開くと男達は掘るのを止めて穴の中から外にはい出る。
 二人の男がはい出ると、今までずた袋を抱えていた男達が前に出た。肩に担いでいた袋を前に卸すと、その口を堅く縛っていた紐をほどいて口を下に・・・あの中に逆さまにひっくり返す。
 とたんに、ずるり・・・と中から何かが出てきた。
 それは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


















「ムッタァァ〜〜〜〜〜〜!!」


















 唐突に叫ばれた声に、ナル達は同時に振り返る。
 今まで眠っていたはずの麻衣が、上体を起こして目を見開いて泣き叫んでいる。
「麻衣」
 ナルが近寄るが麻衣はそれを認識することが出来ないで居た。
「いやぁ! ムッタァ! ムッタァァァ!!」
 まるで幼子が母を呼んでいるように泣き叫んでいる。
 『ムッター』とはドイツ語で『母』を示している。
「麻衣・・・麻衣」
 両肩を掴んで数度揺らす。首がガクガクと前後にのけぞっていたのだが、ナルが頬を強めに叩くと麻衣はピタリと喚くのを止めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ・・・・あぁ・・・・・」
 喚くことは止めたが涙が止まるわけではなかった。
 













 Go to next→