図書館の怪談



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 郁は食堂を出ると空を見上げる。
 朝からシトシトと降り続いている雨は、いつの間にか本降りになり当分やむ気配がない。思わずため息を零しつつ、特殊隊庁舎に向かうべく傘を広げて外に出ると、むわっとする熱気と湿度に顔を顰める。せめて雨が降っているときぐらいもう少し気温が下がってくれてもいいと思うのだが、今日も変わらず温度と湿度は不快指数MAXを示していた。
 夏はけして嫌いではないが、雨の日の湿度の高さだけはどうにも好きになれない。
 気が滅入るのは雨のせいだけではないだろうけれど。
「柴崎のやつ、絶対わざとだろうなぁ・・・」
 たまたま仕入れたばかりの話。といってたが、おあつらえ向きに雨に関する怪談ときたものだ。
 夜勤向けの話ではなかったのは、自分に夜勤がなかったからだろう。せめてもの救いは女子寮絡みの話ではなかったからか。
 女子寮の話じゃなかったのも、あとが面倒な事になることを考えて避けた可能性もあるが・・・トイレに関する話なんぞされた日には、夜中に一人でトイレに行けなくなる。
 いやもう、しばらくは夜間のトイレとかドキドキ間違い無しだ。お風呂だって人気のない時間帯には入りたくない。
 そういえば、特殊隊の女子シャワー室は自分一人しか利用者がいない・・・・うううう。雨が降っているから気が滅入るんだ。
 ブツブツ悪態をつきながら、明日にはこんな鬱々した気分を吹き飛ばすほどの快晴になることを祈りつつ、足早に庁舎を目指して歩いていくと、傘が雨を弾く音に混ざるようにかすかな音が聞こえてきた。
 反射的に立ち止まって周囲へと意識を向けると、子供の泣き声のようにもネコの鳴き声のようにも聞こえる。
「・・・・・・まさかねぇ・・・・」
 よぎったのは先ほど聞いたばかりの柴崎の話。
 おあつらえ向きに雨と来ている。
 だが、所詮は誰かの作り話。
 子供が母親とはぐれただけかもしれないし、ネコがみーみー鳴いているだけかもしれない。
 猫ならば支障は無い。だが万が一の可能性を考えて、とりあえず、音の発生源だけでも確認しておこうと声が聞こえたとおぼしき方へと足を向けるが、周囲を見回せど、シトシトと雨が降っている周囲にはネコの姿もなければ、子供の姿もない。
 やっぱり気のせいか。
 怖い怖いと思うから雨音が泣き声に聞こえただけだろう。
「だいたいお化けなんて居るわけないし」
 幽霊の正体見たり枯れ尾花。そんな諺が脳裏にうかぶ。
 気合いを入れるために、両頬をバシバシと叩いて、念のためもう一度周囲をゆっくりと見渡す。
 子供が親とはぐれている可能性もなきにあらずだ。
 向かっていたのは特殊部隊の庁舎だが、そちらの方から子供の泣き声が聞こえて来ることはまず、怪談話といっても考えられない。可能性があるならば、背を向けて居る図書館が有力候補なのだが、背後からは聞こえて来ない。聞こえて来る方向は・・・・視界に入るのは一般利用者の駐車場。
 館内の人入りが少ないだけあって、駐車場も二割程度しか埋まっていない。
 だが、そちらの方から泣き声が聞こえてくるような気がする。


  もしかして、子供を車に残して本を返しに来ている親でもいるのかな?


 たまにいる。
 赤ん坊を車の中に起きっぱなしにして本を返却し、ついでにちょっと新しく借りる本を物色している間に、車の中で子供が熱中症になって救急車騒ぎになるという事が、毎年何件か発生していた。
 本を返すだけなら赤ん坊連れでも困らないが、本を物色するとなると赤ん坊が居ると周囲に気を使うため、落ち着いて探せない・・・そんな事を言っていた親がいたことを柴崎から聞いたことがある。
 館内放送やポスターなどで、赤ん坊を車内に置き去りにしないように呼びかけてはいるが、効果はどれほどのものなのか。
 むろん、テレビで話題になるパチンコほど頻発している訳ではないが、けしてゼロにはならない。
 特に曇っていたり天気が悪い日に多い気がする。
 曇っているか、雨が降っているから大丈夫だろうと思うのだろう。
 また、雨の中子連れで図書館に行って、濡れた物で子供が本を駄目にしないか神経を使うからという理由で、子供を置いて用事をすませようと考える親もいる。
 だが、曇っていようと雨が降っていようと夏の暑さは容赦がない。逆に湿度が高くなれば汗も気化しにくいため、熱が体内に籠もり熱中症になりやすくなるというのに、太陽が姿を現していないだけで問題無いと思う人間がいるのもまた事実だ。
 せめて、冷房を付けておいてくれればいいが、何かのはずみで子供がスイッチに触れてしまって冷房が切れてしまうこともあるのだから。
 だから、夏の間は駐車場も警邏範囲にはなってはいるのだが、今はちょうどこの辺りを巡回しているグループはいなかったはずだ。
 郁は、音が聞こえる方を探りながら、車の中の様子を一つ一つ見ていく。


 ぴちょん、ぴちょん、ぴちょん


 雫が垂れる音に、自分の足音が重なって響く他は、表の通りを車が走り抜ける落としか聞こえて来ない。
 普段は気にならない、雨音や自分の足音が気になるのはどうしてだろう。
 戦闘中だってここまで緊張しない。
 傘のグリップを握る手が妙に汗ばんでいるのは、この湿度のせいか、それとも・・・・
 駐車場の隅から隅までみたわけではないが、車の周囲は一通り回った。
 それでも、子供の姿は見つからない。
 やっぱり気のせいか。
 隊舎に帰ろう。
 そう思って振り返ったとき、郁は反射的に足を止めて、息を呑む。
 いつからいたのだろうか。
 この雨の中傘を差さずに立っている女の子が一人ぽつんと立っていた。
 うつむき加減でシクシクと泣いて居るようだった。
「ど、どうしたの・・・?お母さんとはぐれちゃったの?」
 その状態に思わず気を飲まれた郁だったが、女の子を目の前にして放置する事はできない。
 急いで駆け寄ると女の子に傘を差し向け、ポケットから規定の白いハンカチを取り出して、女の子の顔や頭を軽く拭う。
 ハンカチ程度でずぶ濡れの女の子を拭えきれる訳ではないが、タオルが無い以上仕方ない。
「とりあえず、図書館に行こうか? 夏だけど風邪引いちゃうよ?」
 どれだけこの雨の中彷徨っていたのか、女の子はびっくりするほど冷たかった。
 早く渇いた服に着替えさせないと、幾ら夏でもこのままでは風邪を引くのは時間の問題だ。
 だが、女の子は微動だにしない。
「どうしたの? 図書館でお母さんを探してあげるよ?」
 館内放送で迷子のアナウンスをすれば、すぐに母親が姿を見せるだろう。
 だが、女の子は首を左右に振って、あっちと指をさす。
 それは、図書館とは逆方向だった。
「図書館の外から来たの?」
 どこか別の所で迷子になって、人がいそうな図書館に入り込んでしまったのだろうか?
 郁は腕時計に視線を落とす。
 早めに食堂を出てきた為、昼休憩はまだ20分ほど残っていた。
 小さな女の子が雨の中歩いて来れた距離だ、母親もこの近辺で女の子を慌てて捜している可能性が高い。20分もあれば親を見付けて戻ってくるには十分な時間だ。
 だが、気がつけば雨脚はかなり強くなっており、このまま幼児を連れ回すには問題がある。図書館の受付での保護が一番良いが、距離的には警備室の方が近い。そちらで保護して貰いその間に探しに行く了承を得るべく、郁は無線を使って、特殊部隊のベースへと連絡を取る。
「こちら、笠原士長です。本部応答願います」
『こちら、特殊部隊本部。笠原士長なにか問題でも起きたか?』
「外から迷子の女の子が一般駐車場に紛れ込んでしまったみたいです。三歳児程の小さな子なので、親御さんが直ぐ傍にいると思われますので、少し外を見てき・・・・待って!」
『笠原? 笠原どうした。何か問題が・・・・・』
 そこで、急にガーガーとノイズが走り郁は思わず眉を顰めて、耳からイヤホンを外す。
「笠原です、応答願います!」
 そう呼びかけても応答はない。
 激しくなっていく雨の影響で故障したのか、そノイズ音がいっそう酷くなり、相手の声が全くと言って良いほど聞こえなくなる。
 本来ならば指示を仰がなければならないのは判っているが、まだ幼い子供を一人放置して隊舎に戻るわけにはいかない。
 逡巡したのはほんの一瞬。 イヤホンを胸のポケットにつっこむと女の子を追うように駆け出した。








                                   続く 





☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
さぁて更新しようと思ってから始めて気がつく。
郁の報告先って特殊部隊の本部じゃなくて、直属の上官である堂上じゃないのか・・・・?と今さらながら思ったのだけれどもう遅い。
だって、この後の流れも本部経由で書いてしまった。
もう今さら堂上への報告って訳にはいかない。
これ以降の話を書き換えねばならなくなってしまう・・・ってなわけで、この流れで進めてます。
なので、堂上素通りってのは見逃してください(笑)




                        2012/09/02
                    Sincerely yours,Tenca