図書館の怪談



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 郁の後を追って特殊部隊庁舎に戻った堂上だったが、そこには先に戻っているはずの郁の姿はなかった。
 事務室の自席には荷物の類がなにも置かれておらず、まだ戻ってきていない事が判ったが、自分より先に食堂を出ていながらまだ戻って来てないなると、どこかで誰かに掴まったか、それとも戻ったとたん隊長に雑用でも押しつけられたかどちらかだろう。
 そう思っていたが、無線機の前で笠原を呼びかける副隊長の声が聞こえ、足早に無線機の方に近づく。
「笠原がどうかしたんですか?」
「ああ、一般駐車場で幼児の迷子を保護したと笠原から連絡が入ったんだが、途中で無線機の調子が悪くなったようだな、連絡が取れなくなったんだ」
「笠原と連絡が取れなくなったんですか?」
 その程度の事で、副隊長の緒方が難しい顔をするだろうか? いくら郁と言う人間がドジやそそっかしいやおっちょこちょいで出来て居るとは言え、一般駐車場で幼児の迷子を保護したぐらいでは、問題が起きようがない。だが、それ以降一向に郁から連絡がはいらないまま既に10分近く経過していると言う。
 その言葉に堂上の眉間にぐっと皺が深く刻まれる。
 迷子を保護したのならば、図書館の受付の方に幼児を連れて行いくのがセオリーのはずだが、受付の方に郁が幼児を連れていった形跡がなく、医務室や警備室にも迷子保護の連絡は入っていない。
「親を捜すにしても、ずぶ濡れの幼児を連れてこの雨のなか歩き回るとはおもえんしな」
 緒方が窓から外へ視線を向けながら、難しい顔をして言う。
 雨脚は朝の小雨からいっきに強くなっており、まるで水のカーテンのような状態だ。
 先ほど気象庁から東京23区西部・多摩方面に大雨洪水警報が発令された為、急な増水に注意をするように、図書館でも警戒発令が出たばかりで、さらに雷の音も響き始めていた。
 小雨だからと足を運んでいた利用者達もこの雨で足止めを喰らっている状態だ。
「まぁ、行き違いになっているだけかもしれないがな」
 迷子の保護で、問題になりようがない。
 それは堂上も判ってはいるのだが、窓硝子を滝のように流れる雨を見ていると落ち着かない気分にさせられる。
「笠原と連絡が取れなくなってどのぐらいの時間が経ちますか?」
「八分と言ったところか」
 通信が入った記録に改めて視線を落としながら緒方は言う。
 小柄な柴崎ならばともかく、笠原なら幼児の一人や二人抱えて余裕で走れる。成人した男を担いで走る訓練を受けて居るのだから、酷い天気ではあるが、待てど暮らせど連絡が来ないと感じる程、ロスは生じないはずだ。
 幾ら武蔵第一図書館の敷地が広いとはいえ、幼児を抱えてこの雨の中を移動するにしても、一般駐車場から図書館まで八分も要するほど距離はない。
 時間は刻一刻と過ぎて行く中、どこにも連絡がないというのはやはりおかしい。
 トラブルが起きようも無い事は判っているが、さすがにこの状況には違和感がある。これがまだ天気が良ければ・・・せめて、幼児を連れて歩くのに抵抗がないほどの雨脚なら、母親を捜しているのだろうと考えられるが、傘など意味を成さない状態の天候なのだ。
 この雨の状態の中を幼児を連れて彷徨い歩くとは思えない。
 母親を捜すにしても、一度幼児を安全な所に移動させてから、単身で雨の中母親を捜しに飛び出すぐらいの知能はあるはずだ。
「少し様子を見てきてくれないか?」
 状況に疑問を感じるのは堂上だけではない。
 郁一人ならばともかく、幼児が保護された報告が上がらない状況に不安を覚え始めたのだろう。堂上に駐車場まで一度様子を見に行くように指示を出す。
 堂上は緒方の指示に否の返答はむろんなく、雨合羽を手に取ると事務室を飛び出した。
 その後ろ姿を見送ると緒方は念のため、昼休憩中の小牧と手塚にも連絡を取り、館内に郁の姿があるか、また迷子の幼児が保護されているかの確認の指示を出した。





















 堂上が、食堂から隊舎に戻る時はさほど強くなかった風も強くなっており、雨が風に流されて視界をさらに遮るような状態になっていた。
「まるで、台風だな」
 この雨の中移動するものの姿はほとんど見あたらない。
 よほどの事がなければ、この雨の中わざわざ外に出ようなど思う人間はいないだろう。
 だが、雨が降ろうと槍が降ろうと警備の手は緩められない。
 一度だけ巡回中の防衛隊員とすれ違ったとき、郁を見かけなかったかと声を掛けてみたが、午前中に館内にいるのをみたきり、一度も見かけたないという返答が返ってきただけで、望んだ答えは返ってこなかった。
「笠原士長がどうかされましたか?」
「いや、たいした用件ではないんだが・・・・」
 たいした用件でもないのに、この土砂降りの中上官が部下を捜しに?と言わんばかりの訝しげな眼差しを向けてくるが、防衛員達は堂上にその質問をぶつけてこない。
 彼らが特殊隊である以上、自分達が立ち入ってはいけない領域の案件でもあるのだろうと思ったのだろう。それ以上の問いかけが重ねてされる事はなかった。
「この雨の中足止めをさせて悪か・・・その、傘どうした?」
 もう行って構わない。と言おうとしたが、その手に持っている傘に堂上は気がつく。
「はっ、一般駐車場に転がっているのを見かけたので拾った物です。開いた状態で放置されていましたので、そのままですと危険ですから」
「見せて貰っても良いか?」
「? はいどうぞ」
 防衛隊員はその傘を堂上に手渡す。
 受け取った堂上はおもむろに傘を開いてみる。
 捨てられていたというのならば、風に煽られて骨でも折れたのかと思ったのだが、骨が折れている形跡もなく、破れているわけでもない。
 この雨の中傘をさしても意味は無いかも知れないが、捨てる理由も見あたらない。
「一般駐車場でこれを?」
「はい」
「人の姿はあったか?」
「いえ、この雨ですから駐車場には利用者の姿は見あたりませんでした。数台まだ駐車していましたが、雷も鳴ってますから、館内に居る利用者には外に出ないように注意が業務部から出ていましたし、この雨脚ですからね・・・・弱まるまで、館内で様子を見られているのではないでしょうか。何かありましたか?」
「いや、すまないがこの傘を特殊部隊庁舎まで届けて貰ってもかまわないか?」
「通り道ですから構いませんが・・・」
 たかが、利用者が置いて行ったとしか思えない傘がいったいなんだといのだろうか。
 ますます不可解な顔をするが、自分の上官ならいざしらず、特殊部隊の士官に疑問をぶつける事は出来なかったのだろう。
 改めて指示された内容を復唱し引き受ける。
「すまないが頼む」
 堂上は手にしていた傘を防衛員に手渡すと、すぐにきびすを返して一般駐車場へと向かって走り出す。
 防衛員が駐車場で拾ったという傘は、最近郁が気に入って使っている傘だった。
 桜の小花が散らされており、憂鬱な雨の日でも少しは華やかになるからと嬉しそうに語っていたのは一ヶ月ほど前の梅雨始めだったか。
 今日もあの傘を持っていたのを覚えている。
 それが、無造作に駐車場に捨てられていたとは考えられない。
「だいたい、幼児を保護しただけでなんで傘を放り投げる事態になるんだ?」
 堂上は眉間にぐっとさらに皺を刻みながら、人気のない駐車場へと駆け込んだが、そこには防衛員が言っていたように郁の姿はなかった。
 ほとんど車が止まっていない駐車場はほぼ全面見通せる。
 周囲は雨音しか聞こえず、なにか問題が起きたようには見えない。
『堂上、こちら小牧』
 行き違いになっただけか。
 そう思ったとき、無線から小牧の声が聞こえてくる。
「こちら、堂上。笠原は見つかったか?」
『いや、こっちには笠原さんは来ていない。庁舎の方にもまだ戻って来ていないようだよ。その様子だと駐車場にも笠原さんはいないんだね?』
「ああ、人っ子一人いない。図書館の方にも庁舎の方にも戻っていないとなると、この雨の中では考えられんが、外に出たのかも知れんな」
 苦々しい声で言う堂上に、さすがにそれはないでしょう・・・と小牧が言う。
『幼児を連れて? いくら笠原さんが無茶無謀な事ばかりするとはいっても、幼児を連れているんだから一度どこかに保護させてから、外に出るでしょう』
 幾ら郁が脊髄反射で動くとは言っても、必要最低限の順位は間違わないはずだ。
 そもそもこんな雨の中幼児を連れて歩くのは、足手まといになるだけだ。自分一人で母親を捜した方が身軽で早いということぐらい、普通なら考え着くだろう。
 それは、小牧ですら断言出来る。
「何かあったのかもしれん。防衛員が笠原の傘を駐車場で拾っている」
『笠原さんの傘を? その言い様だと捨てるような状態じゃなかったってことだよね?』
「特に折れてもいなければ、破れてもいない」
 それは、すなわち捨てるような状態の傘では無かったと言うことだ。
 それに、例え折れていたとしても、壊れたからと言ってその辺に無造作に放り投げるような性格をしていないことぐらい、二人とも知っている。
 どちらかといえば、落ちている傘を拾ってゴミ箱に捨てに行くのが郁と言う人となりだ。
 その郁が傘を放り出すと言うことは、そうせざる得ない状況に陥ったという事にならない。
「俺は、念のため周囲を探しに行ってくる」
 闇雲に探しても見つかるわけではないが、ここまで探しても郁はおろか、幼児の姿すら見つからないとなると、二人が図書館の敷地内にいる可能性はどう考えても薄かった。
『判った。隊長に報告したら俺達もそっちへ行く』
「すまない。よろしく頼む」
『別に謝るような事じゃないでしょう』
 堂上の言葉に小牧は苦笑を漏らす。
「俺は駐車場を出て右側を見に行く」
『了解。俺は左側を。手塚には路地の方に行ってもらう』
 探しに行く方向をそれぞれ決めると、無線を切り堂上は駐車場を出て路上へと飛び出す。










                       続く 



                         2012/09/09
                  Sincerely yours,Tenca