燃え尽きぬ恋




 カメラのスィッチを入れる前に出現してしまったために、記録できなかったとナルに言った時、わざとらしいほどの溜息をつかれたがブリザードの直撃だけは避けられた。その事に密かに安堵を覚えたことはしかたないかもしれない。
 一通りのことを説明し終わると、皆はにわかには信じられないと言わんばかりの表情だ。確かに麻衣や滝川とて、自分達が実際に見ていなければすぐには信じられないかもしれない。いや、実際に見ていたとしても信じられない。この場合より正確に言えば、信じたくないと言う方かもしれないが。
 綾子や真砂子などは、まさかと思っていたことが現実にそれも、よりグロテスクな姿でいると知ると、顔色を真っ青にして「そんな物見るのはごめんだわ」とヒステリックに叫いている。
「で、これがそれが落とした物か?」
 麻衣の掌に納まっている青緑の鱗を受け取ろうとナルは指を伸ばすが、麻衣はばっとそれを掌で包み隠してしまう。
「麻衣…」
「視ない…よね?」
 ナルに取られまいとするようにぎゅっと握りしめて、背後に腕を隠しながら麻衣は上目遣いで、ナルを見上げる。
「視ないって約束してくれる? まだ、これがどんな存在か判っていないのに視るなんて、危険だよ。誰がどう考えたって危険の方が可能性高いんだから視ないよね?」
 約束してくれなきゃ渡さないと言わんばかりに、強気の発言にナルは何も言わない。何も言わないところをみると、きっと、後でこっそりと視るつもりだったに違いない。情報が皆無と言っていいような状態だ。そう言うときはナルは危険も省みず、情報を収集するために、視ようとする。
「そうだな。ナル坊とりあえず今は視るのはやめておいた方がいいぞ。
 アレが、今までのようにただの霊体か、わからんからな。
 迂闊なことをして泣くのは麻衣だからなぁ。今はやめておけ」
 滝川はするなとは言わない。たとえ、言ったとしてもナルはやると言ったら麻衣が泣こうが喚こうが、やるに決まっているのだ。
「ナル、私も賛成しかねます」
 リンも静かながら反対する。
 もちろん、ジョンや綾子や真砂子も賛成できないと告げる。
「安原さんの手に入れた情報次第だ」
 ナルはこれ以上妥協できないと言い切り、それでも麻衣は不服そうに手渡すのを躊躇っていた。
「麻衣」
 有無を言わさない視線で睨まれようとも、麻衣はなかなかひるまない。ひるまないがナルがそれ以上妥協するはずが無いことは、よく判っている。次に妥協するのはこちらの方だ。
「勝手に…一人で勝手に視ない?」
 それが麻衣が歩み寄った妥協案である。
 誰でもいい。自分でなくてもいい。もしも万が一ナルがサイコメトリーするなら、誰かがリンか滝川が傍にいるときにして欲しい。万が一のことを考えれば誰がいたとしてもきっと何もできないかもしれないが、どこか知らないところで苦しまれるのはいやだ。
「――そうしよう」
 ナルも麻衣がこれ以上妥協しないことを知っているのか、諦めたように最後の言葉を口にした。
 それを聞いても麻衣はしばらく迷っていたが、漸くそれをナルに手渡した。
 お世辞にも綺麗とは言えない鱗だ。
 何の変哲もなく、なぜこれだけが消えず残っているのか、不思議だ。
 質感は硬くざらついている。触っても雪のように溶けることはなかった。陽に透かしてみても特に何も変化は起きない。魚の鱗にしては特大過ぎるし、蛇の鱗と言うにしても比べ物にならないほどの大きさだ。
 生物的なことに関して誰も造詣は深くないため、該当する生物をあげられる者はいなかった。麻衣はこれは蛇女の残したものだと言ったが、生物学者がみたらどんな見解を述べるか。この場にいる者は誰もそんなことには興味を持たなかったが。
「蛇女ね…まるで、道明寺の清姫伝説みたいよね」
 麻衣が淹れてきた紅茶のカップを手にとって、一息を付くと綾子はポツリと呟く。
「確かに、そんな感じだな」
 滝川も知っているのか同意する。真砂子も知っているのか、「連想できますわね」と呟く。が、外国人であるナルやリン、ジョンを始めとし、日本人ではあるのだが麻衣にも何のことを指しているのか判らず首を傾げている。
「道明寺の清姫伝説にも蛇女が出てくるのよ。出て来るって言うより、男にふられた清姫が、男を追いかけ続けて最後、蛇に変化してしまうんだけれどね…そう言えば、その清姫が追いかけた男って言うのも、安珍っていう僧侶だったわよね?」
 綾子の言葉に室内は静寂に包まれる。
 嫌な、符号が重なっているとこの場にいた全員が思ったのだった。
「詳しい話を知っていますか?」
 ナルの質問に応えられたのは綾子である。詳しいといっても昔話としてそう言う話を知っているのであって、元がどんな話だったのかまでは綾子自身も知らない。
 それでもいいから聞かせてくれとナルが言うため、その話とはこういう話だと、綾子は簡単に語った。

 安珍という僧侶は旅の途中、とある屋敷に一宿を借りた。彼は熊野権現へお参りに行く途中だという。その屋敷には清姫という美しい姫がいた。その清姫は安珍に一目惚れしてしまい、その夜安珍の寝床に押し入る。ようは女性から夜這いをかけたって事だ。だが、安珍は修行中の身だからといって姫からの誘いを断った。その事に清姫は深く傷つき悲しんだため、つい旅の目的熊野権現にお参りがすんだら一緒になろうと、その場凌ぎの嘘をついてしまう。
 清姫はその約束を信じて安珍が再び訪れることを待っていたのだが、安珍はとうとうこなかった。彼は約束を守るつもりなど初めから無かったからだ。目的のお参りが済んだ後そのまま、彼女の屋敷を通り過ぎてしまった。清姫はその事実を知って怒り狂い、安珍を追って追って、その道中で怒りのあまりに、その身を大蛇に変えてしまったという。安珍は清姫から逃れるために、近くの寺…道明寺に駆け込んで、住職にわけを話しかくまって貰う。その隠れ先が釣り鐘の中だった。本来ならばきっと上手くしのげたはずだったのだが、運悪く草履が半分ほどはみ出していた。それを見つけた清姫は鐘に巻き付いて口から火を吐いて、鐘ごと燃やしてしまった。
 その後、清姫は近くの川に入水し、行方不明となり果てた。鐘に隠れていた安珍は、焼死体となって発見されたという。

「これは、能楽の世界では娘道明寺という名前で、演目されているわ。女の執念と妄執を表しているようね」
「ぼく、今回で遅れましたか?
 この寺には道明寺と似たような話が伝わっているんですよね。どうやら、皆さんも既にご存じのようですが」
 ちょっと、出遅れてしまいましたか? とそれでも爽やかな笑みを浮かべながら問いかける。その笑顔を見る限りだとそこそこの情報は掴めてきたようだ。
「とりあえず、我々が掴めているのは大蛇が出るという程度です」
 ナルはさらりと「程度」と言ってくれるが、果たしてそれが本当に「程度」如きですむのだろうか。実物をみた麻衣と滝川は同時に目を合わせて苦笑いを浮かべてしまう。二人の心境を言葉に表すのならば、二度とみたくないと言ったところだろう。
 ハッキリ言って、ただの大蛇を見るより気持ちが悪い。
「少年、俺と麻衣が見ているが、大蛇っていっても下半身だけだ。上半身は人間の女を維持している。それはそれは、恨めしげな目で睨まれた」
「現物が出たんですか? うわぁ…見たくないなぁ」
 さすがというべきか何と言うべきか、やはり今一つ動じているようには見えない安原だ。だからこそ、その昔所長代理もできたのだろうが。
 安原が言うにはここの寺に残っている言い伝えとは、僧侶を入れてはならないと言うことである。その理由というのが、幾つかパターンはある物の最終的には同じ結果になるというのだ。
「一番広く人々に伝わっているのが、一人の旅の僧侶と恋仲に落ちた姫君がいたらしいんですよ。その姫君は歌子姫とおっしゃいまして、僧侶に騙されているとも知らず寺に金を寄進し、色々と便宜を払ったらしいのですが、全てがその僧侶に着服されたあげく、その僧侶は都の姫君と婚姻するために還俗し、その姫君を捨てて上京しようとしたらしいのですが、姫君が真実を知り騙され裏切られた怒りから、その身を蛇に変えて僧侶を絞め殺した…その場所が、この寺らしいんです。
 他には、恋人を僧侶に殺されてその復讐をするためにその身を蛇に変えたとか、復讐を目的にした話から、相手にされず袖にされてプライドをずたずたにされた、容姿自慢の姫君が今で言うところの逆切れみたいのをして、僧侶を殺してしまったとか…まぁ、恋愛がらみの末というのが伝わっています。ちなみにどのパターンでも姫君の名前は歌子姫です」
 なにぶん小さな町に残る伝承だ。そう言う話が昔からあると言うことは判ったのだが、それがいつの頃からか、何を元として出来た伝承なのか、ハッキリとした形で残っていないため、全てが曖昧だった。
 数度この寺が焼失しているという点でも、文献などが消失され時代特定することに問題が出ている。ただ、かろうじて焼失を免れたこの日記をから推察されるに、この伝承の元となるような事件は、明治元年前に合ったと思われる程度だ。
 ナルが黙りこくって何か考えるように目を伏せているのを、麻衣は不安げに見つめる。安原でもこれと言った情報をつかむことは出来なかった。彼は引き続き調べてみるとは言っていたが、おそらく確定的なことを掴むことは出来ないだろう。
 そうなれば、ナルが執る手段は「アレ」しかない。ナルの力ならばどんな時代を経ていようとも関係なく、正しい…正しすぎる情報をつかむことが出来る。でも、それにはナルの身体にどんな危険が及ぶか判らない。
 ナルが視るぐらいなら、自分が夢で見た方が安全だ。
 確かに、同調することは多々あるが、実害はナルのように起きたことはない。
「ナ―――」
「ナル、一度降霊をやってみてもよろしいでしょうか?」
 今まで静かに話を聞いていた真砂子が、ふいに口を開いた。その言葉によって麻衣は開きかけた口を逆に閉ざしてしまう。
「うまくいくか判りませんけれど、このままでは身動きが取れなくなるかもしれませんでしょう? 浄霊するにしても、何も情報が判らなければ動けませんわ。あたくしが、この方のお話を聞いてみます。
 一度、憑かれていますからたぶん、上手く接触することが出来ると思うんですの」
「危険だと思いますが?」
「元々は、あたくしが皆さんを巻き込んでしまったんですもの。少しでも、役に立ちたいんですの。今のままではあたくしただの役立たずですわ」
 ニッコリと、何の気概もないような微笑みを浮かべて真砂子はキッパリと言い切る。
 ナルは溜息をついて、承諾した後に降霊をするのに適した時間などを調べるために、リンや滝川と話し合い始めた。
「真砂子…大丈夫なの?」
 一度ミーティングが終了を迎え、麻衣は真砂子の元に駆け寄る。
 一度憑かれているのだ。再びその身体に同じ存在を降ろすのは、無理がないだろうか。
「大丈夫ですわ。あたくしもプロですのよ?
 それに、ナルや麻衣が視るより負担は在りませんもの。
 麻衣のことですもの。ナルが視るなら自分が夢で視るって言い出すつもりだったんでしょう?」
 さすがに付き合いが長いだけあって、麻衣が考えていたことなど真砂子には見抜かれていた。確かに、ナルが視ると言い出すぐらいなら自分が夢で見た方が、負担や危険は少ない。そう思ってはいた。
「だけど……」
 それでも不安は消えない。
「リンさんも、滝川さんも、ブラウンさんもおりますもの。多少の危険なんて大丈夫ですわ。それよりも、麻衣お茶の支度でもなさった方がよいのではなくて? ナルの指が先から頻繁にカップに伸びていますわ」
 真砂子に言われるがままに視線を向けると、確かにナルのカップには紅茶がほとんどはいっていない。皆のも見渡すとほとんどからだ。何となく真砂子に話をそらせられてしまったような気もするが、麻衣は皆にお代わりをいるか聞いて、台所へと下がっていった。
「真砂子、無理するんじゃないわよ」
 今まで黙って二人の会話を聞いていた綾子が、口を挟む。
「あたくし、麻衣と違いますもの」
 自分の力というものを把握して動くつもりだと、暗にほのめかして艶やかに告げる。確かに麻衣ほど猪突猛進な事はしないだろうが、いざとなれば彼女もまたかなり大胆な行動に出ることを知っている綾子は、肩をすくめた。



 どこで降霊会をするのがいいかしばらく話し合ったのだが、真砂子が鐘の傍の方がよりハッキリと意志を感じ取れると言い張り、鐘の近くに決まった。場所を滝川が清めリンが決壊を張る。
 麻衣達は真砂子と鐘を囲むような形でビデオカメラ、サーモグラフィー等をセッティングし直していく。ナルはモニターのチェックをしながら機材の微調整を進め、ジョンはいざというときのために、聖別した十字架を真砂子に手渡す。もしも危険だと思ったらこの十字架を握りしめて下さいと告げて。
 着々と準備は進み、逢魔が時とも言われる夕方、降霊術が始まる。
「歌子姫…いらっしゃいますか? もしも、あたくしの声が届きましたらお声を聞かせて下さいまし。何か、辛いことがありましたらおしゃって下さいませ…歌子姫?」
 真砂子はその場に正座をして、両手を胸の前に逢わせて数珠をこすり合わせながら、小さな声で囁きかける。今にも消えてしまいそうなほどか細い声。
 何度か呼びかけていると冷たい空気が漂い始めてきたようなきがする。画面の一つに視線を向けるとサーモグラフィーに反応があった。鐘の辺りから真砂子に向かってうねるような形で温度が変化しだしている。そして、それはやがて真砂子の周囲の温度さえも下げ始めているのだ。
 息を呑んで見守っていると真砂子の身体が揺らぐ。その揺らぎは段々大きな物になり、呼びかけていた声が完全に途絶える。身体から力が抜けてしまったのか、前にのめり込むような形で倒れ込むが、それでも真砂子は何の反応もしない。ただ、真砂子を中心に温度がかなり下がっているのが判る。
「降ろせたようだな……」
 ポツリとなるが呟く。
 男が話しかけると刺激が強くなるかもしれないと言うことで、綾子が真砂子に声をかけた。
「歌子姫?」
「――――――」
 綾子の呼びかけに真砂子は何の反応も示さない。先ほどと変わらず前のめりにかがみ込んだまま、微動だにしない。
「歌子姫ですよね?」
 慎重に綾子が声をかける。その声に促されるように真砂子は上体を起こし、ゆっくりと振り返る。
「うっっっっ」
 思わず綾子は呻き声を漏らす。
 綾子だけではなく麻衣ですら呻き声を漏らしてしまう。
 オフィスの時と同じ真砂子の両眼は人の目ではない双眸をしていたのだ。白目は完全に黄色くなり、縦に黒い瞳孔がほっそりと入っている蛇独特の双眸が、綾子を視る。その後、その視線は動いて麻衣に止まる。
 綾子と麻衣を交互に見た後、ゆっくりと進み始めた。
『お前らか、わたくしからあの御方を奪ったのは』
 嗄れた声が空気を震わせた。
 真砂子の声ではない。醜く嗄れた老婆のような声が空気を震わせる。真砂子はゆっくりと立ち上がり、麻衣と綾子を恨みがましい目で睨み付ける。
『お前ら如きが、このわたくしからあの御方を奪ったのか』
 反射的に麻衣も綾子も激しく首を振って否定するのだが、真砂子には…歌子姫には、二人が恋敵にでも見えているのか、憎らしや…と呟くと一歩近づく。麻衣も綾子もつられるように一歩下がってしまう。
 恨みの迫力と言うべきだろうか。禍々しさに気圧される。
 蛇に睨まれた蛙状態とはこのようなことを言うのかもしれない。そんなことを考えられるのならば、余裕はあるのかどうか…冷や汗が背中といわず全身を流れ伝う。
『けして赦さぬ、お前らをけして赦さぬ』
 さらに低い声が地を走る。
「ま、まってよ、歌子姫。
 私達は貴方の恋人を盗っていないってば」
 麻衣はうわずった声で言うのだが、歌子姫は麻衣の言い分を聞こうとはしなかった。見苦しい言い訳など聞きたくないと叫ぶと、さらに歩み進む。すすっと足が動く。ゆっくりだが確実に間合いを縮めようとしている。
「人の話を聞きなさいよね!」
 綾子も負けじと叫ぶが、歌子姫がぎっと睨むと綾子は息を呑んで思わずジョンの背後に隠れてしまう。
「あ、あたし達にはちゃんと恋人が居るわよ!!」
 綾子の悲鳴に歌子姫の眉がぴくりと動く。足を止め、見定めるかのように麻衣と綾子を見る。
『わたくしから、あの御方を盗んでおきながら恋人が居るなどと、うそぶくのか』
「だから、あたし達は貴方から男なんて盗っていないわよ!!
 恋人がいるのに、何で人の物盗らなきゃいけないのよ!!!あたし達はそんなに見境のない餓えた女じゃないわよ!!!」
 思わず皆、綾子は年がら年中「いい男」「いい男」と言うから餓えているんじゃないのか?といいたかったが賢明な彼らは、一言も口を開かなかった。
『恋人が居るというのならば、どこにいるというのだ』
 歌子姫の言葉に綾子はうっとつまる。
 麻衣は別に困らない。すぐ隣に立つナルが恋人なのだからこの人が恋人です。と紹介してしまえばいいのだ。だがしかし、綾子には恋人はいない。少なくとも麻衣を始めとしこの場にいるメンバー達は綾子に恋人がいると言うことを聞いたことはないのだ。
『まず、小娘。お前の恋人はどこにいる』
 小娘と呼ばれて麻衣は、むっと頬をふくらめる。一応三週間近く真砂子より年上なのである。自分より一応年下に小娘呼ばわりされたくはない。だが、中身は歌子姫であり彼女から見たら小娘なのかもしれない…と、自分に言い聞かせる。
「こ、この人だよ」
 ナルの腕をグッと掴んで、麻衣は自分の前にナルを出す。歌子姫は品定めするかのように、ナルを上から足先までジロジロと見る。何度も視線が舐めるようにナルの上を行き来し、ナルは不機嫌そうにしかめ面をしている。
 だが、取りあえず納得してくれたのか彼女の視線はナルから、綾子の方へと移動する。
『年増、お前の恋人はどこにいるというのだ』
「と……年増ですってぇ〜〜〜〜〜〜〜〜」
 麻衣のようにすんなりと聞き流せなかった、綾子は呻き声を漏らす。確かに、年増呼ばわりされるぐらいなら、小娘の方がいい…と思わず思ってしまう麻衣であった。滝川達は思わず「ぶぶぶっ」と失礼にも吹き出している。
『年増だから、誰にも相手にされていないのか? だから、わたくしからあの御方を盗んだのか』
 さらに年増と連呼する歌子姫。さすが幽鬼、綾子の形相に怯えもせず堂々としたものだ。
「い、いるわよ!!」
 綾子はきぃ〜〜〜〜と叫ぶと、グイッと隣にいる男の腕を引っ張り寄せる。
「ぼ、僕ですか!?」
 と、さすがに驚いたのは越後屋安原だった。
『年増の相手にしては、いささか若い気がするが?』
 相変わらずの年増呼ばわりに、綾子の額がヒクヒクと痙攣する。が、深呼吸を何度も繰り返して落ち着かせると、艶やかな…失敗しているが、笑みを浮かべながら婉然とした声で言い放つ。
「あたしは、年下好みなのよ。
 ぼーずのような、親父は好みじゃないわ!」
 キッパリと言い放つ綾子。さすがの安原も違うとも、遠慮しますとも、辞退しますとも言えないほどの迫力がある。ただ、黙って事の成り行きに身を任せているような感じだ。女の戦いに下手に口を挟むのは、愚か者がすることだと賢明な安原は知っていたのかもしれない。綾子と歌子姫の不毛な睨み合いは、蛇に睨まれた蛙…ではなく、ハブとマングースの対決のような気がしてくるのであった。
『証はあるのか?』
「証?」
 綾子だけではなくその場にいた物全員が首を傾げる。
 恋人同士か否かの証なんて、何を持って証明すればいいと言うのだろうか。皆がキョトンとしているが、歌子姫は苛立たしげに声を荒げた。
『証がなければ、わたくしは認めぬ!』
 だから、その証は何だって言うんだ。
 全員が同時に思ったのだが、彼らは誰も口に出して言うことはしなかった。
「どんなことでもいいのか?」
 口を挟んだのは、いい加減に痺れを切らしたナルだった。こんなばからしい女の不毛な争いにいつまでも関わっていたくはないのかもしれない。
『かまわぬ』
 歌子姫がキッパリと言い切ると、ナルは麻衣の肩に両手を伸ばしくるりと自分の方に向きを変えた。
「ほえ……………!?」
 くるりと体を回された麻衣は、何をするつもりなのか問うために見上げた瞬間、目を見開く。ナルの冷たい唇が首筋を張っているのだ。いつの間にか服の胸元さえ緩められており、ナルの唇が徐々に下がっていく。
 ジンワリとした痛みと熱さが肌に刻まれていく。
「ナ…ナル!?」
 公衆の面前でのナルの行動に、麻衣は目を白黒させながらジタバタジタバタと暴れるが、ナルの腕に押さえ込まれて逃れることは出来なかった。ギャラリー達は深々と溜息をついている。
「ちょ・・・なるっ!」
 じんわりとした痛みとともに、表現しがたい熱が生まれてくる。麻衣はこれ以上ないほど真っ赤になりながら、何とか逃れようと暴れるのだが、ナルの腕から逃れることができない。もう十分いいのではないかと思うがナルは、さらに首筋に色濃く後を刻むとそのままの姿勢で、歌子姫へと視線を向ける。
「これで証となるか?」
 さらりと問いかけるナルに、歌子姫は頬を若干赤らめながらも頷き返す。
『臆面もせずようやる』
 お前が証を見せろっと言ったんだろうが。麻衣はようやく解放されると乱された服を直しながらつっこみを入れたかった。
『なら次はお前だ』
 綾子はうっとうめき声を微かに上げる。安原はどうします?と言いたげな目で綾子を見下ろしている。まさかあのナルと同じことをするわけにはいかない。幾ら安原でもさすがにそればかりは遠慮したい。
「い、今から見せるわよ!」
 皆が息を呑んで見守る中、綾子は安原の胸ぐらを掴むとグイッと自分の方へとひきよせる。微かな声で「恨まないでよ」と呟くと、その薄い唇に赤いルージュが塗られている自分の唇を重ね合わせたのだった。






☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 最初に一言、私はナル麻衣以外に関しては、どのキャラに関してもノーカップルなので、こういう展開にしてみました。
 ナルに関しては毎度おなじみの行動。馬鹿の一つ覚えとも言えるかもしれないけれど、綾子に関してはちょっと新鮮かな?と思った私。だからといって、別に安原綾子というわけでもないけれど(笑)
 このシーンは次回まで続きますv








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