燃え尽きぬ恋




 安原は、漸く一冊の本を見つけることができた。
 史実とは言い切れない、この地の伝承や童話を綴った古い本である。図書館の片隅それもジャンル的に見ても見当違いの場所に埋もれるようにしておいてあった、小さな文庫サイズの本である。
 手がかりらしきものがなにも見つけられなかった安原は、誘われるようにその本を手に取った。目次にざっと目を通すと興味の引くものはすぐには見つけられなかった。短い話が幾つも書かれている短編集のような本らしい。
 ページをぱらりとめくり、視線を走らせているとその視線がとまる。
「――――これだ」
 おそらく、ほかの人間が見ればただのありふれた昔話として流してしまうような内容。だが、どう見てもこれが安原の捜し求めている内容としか思えなかった。

 安原はそのページにざっと視線を通すと、確信を得るためにさらにほかの本を探し出す。一つ、キーワードとなる話しが見つかれば後は、簡単だ。
 安原はいくつかの書物に目を通し、必要と思われるものをコピーにとるとほタクシーを呼んで、寺へと戻る。
 タクシーの中でノート型パソコンのキーボードを打ちながら、データーの詳細を纏め上げていく。あまり、時間はないのだ。悠長にホテルに戻ってデーターをまとめていては手遅れになりかねない。
 だが、不意にタクシーが止まった。
 緩やかにスピードを落としてとまった。
「なんだ・・・これは」
 運転手の愕然とした声が安原の耳に届き、安原は漸く顔を上げ軽く目を見開く。
 寺へと続く細い山道には蛇があふれていた。
 道いっぱいにあふれていたわけではないのだが、それでも尋常ではない数である。どう考えても蛇をよけてタクシーを進めることはできない。通ろうと思えば蛇をタイヤで轢き殺していかねばならないことは、一目瞭然である。
「お客さん、この先の寺に用事があるんでしたよね?」
 君の悪そうな視線を蛇に固定したまま、運転手が声をかける。
「ええ。できれば、進んでもらいたいんですが・・・・・・・」
 いくら人ではないとはいえ、無数の蛇をひき殺したいと思うわけがない。運転手はこれじゃ、進められないといって先を進むことを拒んだ。
 安原はタクシーを降りて歩いて寺へと戻ろうと思ったが、この尋常ではない自体が寺のふもととはいえ外まで伸びているのである。うかつに、蛇たちの中に足を進めることは危険だ。
 まして、自分では襲い掛かってくる蛇から、身を守る手段はない。滝川から手渡されている護符にも、限界はあるだろう。

 安原は携帯を取り出すと、短縮番号を押した。

 



 町に降りていた安原から連絡が来たのは、朝の十一時頃だった。寺の麓へ来たのだが辺り一面蛇だらけでどうしても近づけないという連絡だ。
「こちらも同様に、蛇で囲まれていて一歩も動けない状態です。
 昼すぎに一度原さんによる浄霊を試みます。それが失敗に終わったときは除霊に切り替えるつもりです」
 ナルの指示で安全を確保するために、ホテルに引き戻ることになった安原は、タクシーに乗ったまま調べられた限りの情報を報告した。

 幾つか調べた中で、ようやく真実とおぼしき事件が発見されたのだ。
 この土地を納めていた武家にたった一人の姫君がいたらしいが、婿となる男に婚儀前に浮気され、元々妬心深かった姫は乱心し、諫めようとする身内や家臣を次々と殺し、男にまで斬りかかったというが、男自身の手によって逆に殺されてしまったという。
 そこまでは、麻衣が夢で視た内容と全く同じであった。

 そして、それでこの話がここで終わるのならばこれが、この時代まで話として残るわけがなかった。家臣や身内を殺したとあるが、どこまでが本当でどこまで誇張された作り話かはわからない。いくら、残虐な事件だとしてもその時代の話が現代まで続くとは思えなかった。
 だが、この話はここでは終わらなかったのである。
 それから、平穏が戻るはずだったが、ある夜を境にこの小さな村は災厄に包まれたという。ある夜とは、男の浮気相手に娘が生まれた時からだ。
 姫が死んで数ヵ月後の話である。
 初めは数匹。やけに蛇を見るなと思う程度だったが、年月が経るに連れて男の家の周りに無数の蛇が出没するようになったという。周りだけではなく村中に蛇が這い回った後が見られるようになったのだ。数年も経たないうちに男を捜し回る女の声が、夜中に響き周るようになった。初めはなにか引きずったような後が村中に残り、それはやがて大蛇のようなものがうねった後へと変化していく。呼び廻る声に、身体を引きずるような跡に、自分を捜している姫の亡霊が現れていることを知った男は、恐怖に震えた。
 死に瀕しているとは思えないほどの力で、自分の足を掴んだ姫。逃げるようにその場から離れていった自分を捕まえようとするために、蛇のように這いづっていた姫を思い出させていた。
 村人の話を思い出す。
 人相の変わり果てて身元不明の女の死体を。
 山に埋められた女のことを。
 哀れな女に神の御慈悲があることを祈って、蛇神山に埋められた女のことを。村を守護してくれるという蛇が住まう山。そこに埋められたと思われる、自分を憎んでいる女のことを。
 男はわかっていたのだ。
 変わり果て身元のわからなくなった女が、自分の妻になるはずだった女であり、この手で殺した女だということを。
 判っていながら彼はそのことから目を閉ざしていたのだ。
 変わり果ててなお、求めるように腕を伸ばし、目を見開いていたという女の死に様を聞いて、その妄執の深さに恐怖を覚え、耳を閉ざし目をそむけたのだ。
 認めたくなかったから。
 領主である武家の姫が乱心をしたための、たたりではないか。
 姫を裏切った僧侶であった男を、神は許していないのではないか。村に不穏な空気が漂い始めたころ、男は女房と娘を伴ってこの村から離れる決意を決めたのだ。
 このまま、この地にいるのは危険だと察したからだ。
 下手をすれば、人身御供にされかねない。
 そんな、不穏な空気が村中にあふれていた。
 夜逃げ同然に村を飛び出し、この噂のない遠い地を目指して三人は、逃げる決意を決めた。だが、すでに時は遅かった。
 山道を蛇が邪魔する。
 まるで、この村から追い出さないとするかのように山道という山道は蛇に覆われていた。
 男は、このままでは確実に殺される。
 そう思い、山にある寺へと逃げ込んだのだった。
 それが、この寺だという話だ。
 姫の存在に怯えた男と女房は住職に頼み込み、何とかかくまって欲しいと必死になって願い出たという。哀れな女の魂を救うためにも、住職は成仏するように仏に祈願し、浄霊を促したのだが、姫には通じなかった。
 全然違う僧侶だというのに、姫の目には自分を裏切った男に見えたのだろう。愛しい男を抱きしめようと腕を伸ばしたのだが、その異形な姿となっている姫に住職は怯え「化け物」呼ばわりをしてしまったという。
 その言葉に姫は鬼のような形相になり、住職をその長い胴で絞め殺してしまった。
 すでに、その時彼女に許嫁だった男と、それ以外の僧侶を判別することは出来なくなっていたというのだ。その後も、姫の怒りをとき、静めるために幾人者僧侶が犠牲になったという。姫の長い胴に絞め殺され、壁にたたきつけられ、中には使役されている毒蛇にかみ殺されてしまったがために、命を失った者もいたのだ。
 このままでは、自分ばかりか娘や女房の命まで危ないと悟った男は、一人姫の前に姿を現したという。
 姫は、男に問うた。
 自分だけを愛してくれるか?と。
 だが、男は否と応えた。誰がお前のような化け物を愛するかと。毅然とした態度で言い放ち、そして刃をまた向けたという。
 愛されない哀しみに、姫は泣き叫び男の身体をその蛇と化した胴で巻き殺したという。最後背骨がへし折れる寸前に男の振り上げた刃が、再び姫の喉を切り裂き姫は声を失った。同時に男も永遠に失ったという。
 姫は男を頭から丸飲みした。
 愛されないのならば、せめて全てを自分から奪った女から奪ってやると。声にならない声で叫びながら、姫は男を丸飲みした。それで、全てが納まるかと思ったのだが、姫の壊れた心は荒れ狂い、さらに人を襲おうとしたらしいが、高名な僧侶の手によって姫は鐘の中へ封じられたという。
 姫の声が出ないように、鐘も音をなくし、長い間この寺にあったというのだが、いつしかそれは伝説となり人々の記憶から薄れていったという。
 ただ、それ以後姫の眠りを覚まさないようにこの地に僧侶が入ることを禁じたという話だけが残ったのだ。
 この寺の初代尼僧が歌子姫から許嫁を奪った女であり、彼女がどうやらその記述を書き残していたようだ。それが、さらに長いときを経て伝承という形で現代に残った。
「望みのものが手に入れば、消えるんじゃないの?」
 ナルから話を聞いた綾子があっけらかんと問いかける。欲しい物があってさまよい出ているならば、それさえ手に入ってしまえば満足して、成仏するのではないだろうか。確かに、今までそれで幾つも解決してきたのだが、歌子姫がそれで本当に満足するのか。
 生きているときに裏切られ、死んでからも彼女の希望は裏切られていたのだ。
 さらに、長い年月がたち、想いが凝り固まってしまっている彼女が、願いがかなうというだけで成仏できるとは思えない。
「結局は男を丸飲みしても、欲しい答えが聞けなかったから成仏しきれないんでしょ?なら、それさえが手に入れば迷わず成仏するんじゃない?
 霊なんて複雑だけれど、単純なものよ。
 特に一つの思いに囚われているものは、それだけのためにこの地に留まっているようなものだもの。それさえ叶ってしまったら、この地にいる理由がなくなるわ」
 綾子の言うとおりそれが一番穏やかに済みそうな方法だ。万が一すでに、得たいと思っている答えが聞けたとしても成仏できなければ、強制送還するしか手段が無くなる。その準備を平行して行いつつ、浄霊を試みることに決まった。
 一概に綾子の言うとおりとは言い切れないのだが、この場合その願いさえかなえば、誰も危険な目にあわず解決する可能性は高い。
「リン…人形の準備をしておいてくれ。
 原さん、呼び出しをお願いします」
 ナルの静かな声が、今後の方針を決定させた。

 
 
 
 太陽がちょうど真上に来た頃、真砂子は本殿から一歩外へと歩みだした。麻衣や綾子は室内の中からモニター越しにその様子を見ている。下手に彼女達が姿を見せたがために、歌子姫を刺激することを恐れてだ。
 万が一のことを考えてリンとジョンが真砂子の側に付いている。

 ナルと滝川は歌子姫の視界となるところで待機だ。
 昼になっても寺を囲む蛇たちは姿を消すことなく、その場でとぐろを巻いて寺を囲っていた。ここまで多量の蛇を目の当たりするのは生理的に拒絶を感じ、吐き気を感じるが真砂子はグッと堪える。
 大きく深呼吸を繰り返し、心を落ちつかせる。
 恐怖に飲まれていては成功するものも成功しなくなってしまう。
 無に近い状態に心を落ち着かせなければ、危険がより高くなるのだ。
 目を閉じ深呼吸を繰り返し、そっと握り締めていた数珠の感触を確かめると、ゆっくりと言葉を刻む。
「歌子姫…いらっしゃいます? おりましたら、姿を見せて下さいませ」
 真砂子がそっと辺りをうかがいながら声をかける。
 しとやかな声が辺りに響き渡り続ける。
 その声に応える返事はない。それでも、真砂子は何度も歌子姫を呼ぶ。
「歌子姫? お話がありますの。よろしかったら姿を見せて下さいませ」
 真砂子が必死になって呼びかけるが変化は見られない。その様子をモニター越しに見ていた麻衣だがふと、サーモグラフィーの画面に変化が現れたことに気が付く。
『気を付けて。真砂子の斜め右の方で気温が下がってきている』
 緑色の画面が青く変化している。ちょうど、蛇が蛇行しているかのような線を描きながら、ゆっくりと真砂子の方へと近づいてきている。
 真砂子の右斜め前。それは鐘がある方角だ。
「歌子姫、何を望んでいらっしゃいますの?」
 ゆらり…ゆらり…と空間がゆらぐと、歌子姫が姿を現した。黒く長い髪が顔と上半身をかくし、長い胴へと絡まっている。陰鬱な表情は真砂子を凝視している。
 綾子や麻衣を見るように憎しみに満ちあふれていない。ただ、何者か定めるかのようにジッと見ている。
「あたくしに、教えて下さい。何をなさりたいの?」
 真砂子は掌の数珠をぎゅっと握りしめると、歌子姫に囁きかけた。
『わたくしは、あの御方の心が欲しい』
 声帯を震わせた声とは微妙に違う音が、彼女の口から漏れる。どこか、シューシューと空気が抜けるような音がするのは、彼女の喉がぱっくりと切り裂かれているからだろうか。
「あの御方というのは、歌子姫の許嫁だった方の心ですか?」
『そう。わたくしは、あの御方の心が欲しい。
 わたくしだけを見て欲しい。それ以外には何も望んではいない。
 ただ、それだけなのだ。それ以上のことは何も望んでいないのに、なぜあの方はわたくしを見ず、余所の女ばかり見てしまうのであろう。
 なぜ、わたくし一人を愛して下さらぬ。
 なぜ、他の女を愛する。
 わたくしは、あの方だけをお慕いしていたのに。なぜ、あの御方はわたくしだけを愛して下さらなかった』
 絶望に、哀しみに彼女は叫ぶ。
 切々と訴え続ける。
『憎い。わたくしを視て下さらぬあの御方が憎い。
 愛しているのに、こんなに愛しているのに、なぜ、わたくしを愛して下さらない』
 愛しているから憎いと、彼女は叫ぶ。
 髪を掻き毟りながら、血の涙を流しながら、彼女は叫ぶ。
【原さん、これ以上語りかけることは危険です。彼女に道を示せますか?】
 ナルの声がインカム越しに聞こえてきた。
 真砂子はもう少し、彼女の訴えを聞いて上げたいと思ったが、確かに自分の感情に再び流され始めてきている歌子姫の傍にいることは、危険だった。
「歌子姫、お心を沈めて下さいませ。
 叶いますわ…貴方の願いは。心を静めて光を見て下さいませ」
『光など見えぬ!』
 両手で頭を抱え込み、苦痛を訴えるような声で叫ぶが、真砂子は再度光を見るように促す。そして、リンから手渡されていた人形を歌子姫に向かって放り投げる。その人形は彼らが見る視線の中で、その姿を変えてゆく。
 ただの木片から、人の姿へと。
 彼女が望むただ一人の男の姿へと。
 裏切らない、彼女が望む言葉を吐いてくれる、愛しい姿へと。
「お迎えがいらっしゃいましたわ」
 真砂子は指を指し示しながら、歌子姫にその姿に気付かせる。
 歌子姫にはどう見えたのだろう。黄色く濁った両眼から涙を流し、震える唇で言葉を刻む。真砂子の耳にもリンやジョンの耳にも、もちろんナルたちの耳にも声は聞こえない。ただ、憎しみに歪んでいた顔に漸く笑みが浮かび上がる。そして、ゆっくりとその人影へと近づいていく。一歩、一歩近づくたびに彼女は変化をする。
 醜い蛇の下半身は人の姿を取り戻し、その身に纏う着物は、婚儀の式の時に着る純白の白無垢。歌子姫は両手を広げて待つ男の腕の中に飛び込むと、柔らかな笑みを浮かべて一筋の涙をこぼす。

 その涙は頬を伝わり地面へと吸い込まれるように落ちてゆく。
 涙が弾けた瞬間、その姿は瞬く間に霞んで…光の中へと消えて逝く。
 しばらく、誰も動けなかった。
「逝かれましたわ」
 真砂子の言葉に、ホッと一同が息を抜く。
 寺を覆うほどいた蛇たちもいつの間にかその姿を隠し、再び寺に平和が戻ったのだった。

 

 

 

 

 










☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 終わりました・・・・といいたいところなんですが、エピローグに続きます。
 それは、次の連休中にはアップしたいと思っています・・・その後のお話になりますね。
 話的には、ナル麻衣度を高くしたいなぁ・・・って思っていますが、まだ書いていないんでどうなるか、私にもなぞです。
 めずらしく、エピローグ書き上げていないんですよねぇ・・・・っていうか、ラストを少し変えてしまったために書きあがっていないということになるんですが。
 今回は、ナル麻衣度かなり低めの話でしたので、最後ぐらいは・・・・と思っています(苦笑)
 今回はいったい誰が活躍したっていえるんでしょうかねぇ?気がついてみたら、ぼーさん後半ほとんど動いてないしさ。やっぱり、複数を動かすのが苦手な私、予想通り最後は動かなかった(爆)
 ぼーさんが、どうなるのか期待してくださった皆様、裏切る形になって申し訳なかったです。
 やっぱり、まだまだ勉強不足さを痛感した天華でした。
 ラスト一話まで、お付き合いくださいませv
 
 ナル麻衣度高くしたいなぁという野望はありますが、話の流れ上期待は禁物です(笑)












Back             Next