第一話







 麻衣達はこの日調査を終え、村の花火大会を見て帰ることに決めた。
 当然黒衣の青年は不機嫌極まりない顔だが、最愛の恋人と癖のある笑顔を満面に浮かべた越後屋に押し切られる形で、渋々と了承することになった。
 麻衣と綾子、真砂子はどこで調達したのか、浴衣に着替えている。麻衣は紺の布地に淡い色で描かれた朝顔の浴衣。綾子は臙脂の布地にハイビスカスの花柄。真砂子は麻衣同様紺の布地だが花火の柄が描かれている。
 滝川なんぞは目尻をさげて彼女達の、浴衣姿を誉めまくっていた。特に溺愛する娘を。ナルと言えば素直に誉めることもせず、無言で眺めて終わり。こうして、着慣れない浴衣のためにいつもより歩くのが遅い麻衣に会わせて、歩いている分まんざらでもないのかもしれないが。
 下駄を履いてからん、ころん、と音を立てながら舗装された道を歩いていく。
「本当に日本人は、風流というか風物的なことが好きなんだな」
 ナルが呆れた口調で言う。
 麻衣は「そう?」と小首を傾げながら、ナルを見上げる。
「でも、外国の人だってよく分からないお祭りしているでしょ?
 スペインだとトマト祭り?だっけ大量のトマトをぶつけ合うの。確かカボチャをどれだけ遠くまでとばせるかって言うのをアメリカではやっているらしいし、どっかではオレンジを使っているみたいだし、アレって、食べ物の無駄だと思うけれど、こういうお祭りは無駄にしてないよ?」
 ナルにとっては国など関係なく、お祭りというそのものが無駄なことなんだろうけどね。と麻衣は言わなくても判っていたが。
 旅館を襲った数々の怪奇事件。蓋を開けてみればほとんどが思いこみや勘違い、機械類の不調は単なる古くなりすぎた故の寿命。そして、ほんの一部のみが心霊現象だった。それも、先祖を大切にしていない旅館の主に祀ってくれぇ〜〜〜という先祖のお願いであり、たいしてデーターも取れずナルは非常に不機嫌である。そんなナルの側に平気でいられるのは麻衣だけで、他のメンバー達は君子危うき〜と言わんばかりに、あまり近寄らず適度な距離を保って歩いている。
夏の遅い闇が濃くなり、月がゆっくりと昇っていく。大地はまだ昼間の熱が冷めることなく、熱気を発散させていた。
 色とりどりの提灯が、浴衣や涼しげな服を着た人々を柔らかく照らす。人々はうちわで扇ぎながら、屋台を覗きつつ一方へ向かう。
 緩やかな流れの川辺には大勢に人があふれていた。地元の人間。観光客。
 今日は花火大会。
 天気は良く晴れ、程良い風もある。花火を見るのに絶好の天気といえよう。
 色とりどりの花火が夜空を彩り、人々の歓声が沸き立つ。
 麻衣も空を見あげて嬉しそうに眺める。
 誰と見るよりもナルが側にいるだけで、心が嬉しくなってくる。
 麻衣は無意識のうちにナルの腕に自分の腕を絡める。ナルは麻衣をちらりとみるが、麻衣は花火に夢中なようでナルの視線には全く気が付かないようだ。
「っと、ごめんなさい」
 右も左も人混みで溢れ帰っている。向かいからやってきた男を避けきれず、麻衣は肩をぶつけ反射的に謝る。が、男は麻衣をチラリとも見ることもなく、そのまま歩み去っていく。
 男は何かを呟きながら森の方へと向かっていく。
 「神」がどうのこうのと言っていたようだ。良く聞こえはしなかったのだが、何気なく視線でその男を追っていったのだが、麻衣は不意に首を傾げる。
 すぅ…っと男の姿が空気に溶け込むように消えたようなきがしたのだ。
 その場に足を止め、思わず背後を凝視する。が、そこには溢れんばかりの人がいてその男の姿をもう一度見つけることはできなかった。麻衣は首を傾げながらも、人混みで見失っただけだろうと思い、止めていた足を歩みだそうとしたが、再び麻衣は背後を振り返る。
 何か気になるようなことでもあったのだろうか。
 ナルもつられるように背後を振り返るが、そこには家族連れや恋人同士、友人同士で花火を見に来た村の住人や、観光客ぐらいしかいない。
「麻衣?」
 ナルが麻衣の名を呼ぶと、麻衣はナルを見上げる。
「ねぇ、すすり泣く声聞こえない?」
 麻衣は辺りを見渡しながら問いかける。
「いや」
 そもそも、観客の歓声と花火の轟音の方が大きくて、すすり泣くような声など聞こえるわけがない。
「聞こえるよ―――こっちの方から」
 麻衣はするり…とナルから腕を外すと、まるで誘われるかのように歩き出した。その足取りは夢を見ているような歩き方で、ふらふらとしているため非常に危なっかしく見える。
「麻衣!」
 ナルは慌てて麻衣の後を追う。
 リン達に一言声をかけていこうかと思ったが、リン達とは少し距離が離れている。彼らのもとに声が届くと思えず、ナルは麻衣を見失わないために何も言わずその場を離れた。

                   ※       ※      ※

 陽気な空気が闇に漂う中、そこからわずかに離れた人気のない森の中から、青年のすすり泣く声が漏れてくる。
 悲哀に満ちた声に誘われるかのように、麻衣は歩いていった。
 道を外れフラフラと森の奥へ誘われるように入っていく。
 緑の濃い匂い。
 静かな世界に響き渡る音は、虫の鳴き声と草を踏みしめる自分の足音だけ。
 声が聞こえる。
 悲しい声が。
 愛しい者の名を呼び続ける声が。
 鼻を突くのは花のあまりにも強い香気と、嗅いだこともないような強い腐臭…それなのに、麻衣は顔をしかめることもなくその場へとたどり着いた。
 森が突然開けそこには一面を覆いつくすほどの曼珠沙華の花が群生しており、真っ赤にその空間を染め上げていた。禍々しさえ感じさせる赤い花の群。
 死を象徴するとさえ言われる花の群。
 その根には毒が含んであり、生きとし生ける者の命を奪う死の華。
 麻衣は誘われるようにその場に、近づく。
 泣き声が聞こえるというのに、その姿は見えない。
 どこにいるのだろう?
 首を巡らしていると、背後から自分の名を呼ぶナルの声が聞こえてきた。
 振り返ろうとして、頭を動かしたときくらり―――と意識が傾く。
 ――やばい。
 と思ったときはすでに遅く、視界を赤い華が覆う。
 毒々しいぐらいに真っ赤な華……
 遠くなる意識の片隅で、麻衣の名を呼ぶナルの声が聞こえた気がした……

                 ※          ※           ※

 男は泣いていた。何か大切な者をその腕に抱え込みながら。
 腕に抱きしめるのは冷たい躯。
 呼吸を止め血が流れなくってからどのくらいたつのであろうか? 青年は彼女の名前を呼び続けていた。
「逝かないで・・・・千尋・・千尋・・・・・・・」
 麻衣はどこかぼんやりとした意識の中でそれを見ていた。
 何かの事故にあったのだろうか。
 彼女の衣服は泥にまみれ、血で汚れていた。
 だが、そんなことよりも―――
 麻衣は思わずそこから目をそらす。
 とてもではないが正視していられるような状態ではない。
 青年が抱きかかえる少女は見るも無惨な姿となっていた。どんな容貌をしていたのか、今の彼女を見て判るわけがない。
 全身を小さな虫が全身に集り喰い千切られ、蛆がわき、腐乱した匂いが辺りに立ちこめ、腐敗に伴うガスが体内に溜まり身体が膨張し、肌の色は土気色を通り越し黒く変色し、肉が腐り崩れ……腐敗臭が辺りに充満しているというのに、青年は愛しい者の頬を優しくなで、その額にそっと口づけを落としていた。
 彼はどのぐらいの間、そうしているのだろうか。
 真冬ではなく真夏の炎天下に晒され続けているのだから、そう何日も経っているとは思えないが一日や二日ではないはずだ。
 青年自身もげっそりとやせ細り、顎がくぼみ目だけがギロギロとしているように見える。
 それ以外の言葉を忘れたかのように、少女の名前とおぼしき言葉を紡いでいたが、その声さえも枯れ細り弱々しい声になっていた。このままでは少女の後を追うように、青年も衰弱死していくのでは?そう思ったとき風がゆっくりと吹き始める。今まで全く無風状態だったのだが、やがて枝が撓るぐらい強い風が吹き付け、唐突に静まる。
 あまりの風の強さに麻衣も目を閉ざすが硬く閉じていた目を開くと、全身黒ずくめの男がいつの間にか青年の前に立っていた。
 黒ずくめ…男は確かに全身を黒い服で覆い、髪も目も黒いというのにどうしてか、赤いイメージを沸き起こさせる。
 青年は男を見上げ息をのむ。
 どこか陰鬱とした表情の男だ。無駄に伸びた髪が男の顔を隠し、男がどういった表情をしているのか青年の視界から隠していた。どこか、浮世離れしたような雰囲気の男に青年は無意識のうちに息を呑む。
 男の出現で辺りの気温が数度下がった気がする。霧が立ちこめ視界が悪くなり、麻衣は肌寒さに鳥肌がたち思わず腕をさすってしまう。
 どこからか薫ってくる微かな匂い。月下美人の花のように強い香りが、霧にのって流れてくる。それよりも強く薫るのはむせ返るような生臭く鉄臭い臭い…血臭だ。
 男は青年に向かって何かを囁いた。
 何を言っているのか麻衣の所までその声は届かない。
 息を呑んで男の言葉に耳を傾けていた青年は、必死になって何かを頼んでいた。哀願するような眼差しを向けられ、切実に何かを願っている。
 何かを願っていることは伝わってくるのだが、何を願っているのか肝心なことは麻衣には判らない。
 表情一つ変えない男は、青年を見下ろしていた。
 その手には銀の光を反射させるナイフが握られている。男はそれを青年に手渡した。そして、彼に最後の一言を告げる。その瞬間再び強い風が吹き抜ける。枝が激しくしなり騒然とした音に、全てをかき消し男もろとも飲み込もうとする。
 落ち葉でもないのに緑の葉が風に舞い、視界を緑に染めようとする。赤と緑の紺トランスに視界がチカチカとちらつき、気持ちが悪くなる中男の声が響く。
 冷たい氷のグラスをならしているような、高く澄んだ声。
   ――よ。望みを果たすがよい
 姿を消した男の声が風に乗って微かに聞こえてくる。
 いつの間にか夜明けがちかづいていた。たちこめる朝霧を柔らかな陽光が照らす。小鳥達のさえずり。いっせいに鳴き出す蝉。まるで止まっていたときが一気に動き出したかのように、周りに音が響きだし、生ぬるい風が流れ出す。
 死の華といわれる、赤い曼珠沙華の華が朝日を浴びてよりいっそうまがまがしい赤に染まる。どこからか香る花の匂いが、一瞬強く風に乗って流れてくる。青年はその匂いに誘導させられたかのように虚ろな眼差しで、左手を少女の亡骸の上に翳し、男から受け取ったナイフを煌めかせた。鋭い切っ先が青年の左手を切り裂く。鮮血が溢れだし少女の上に流れ伝い零れる。甘く強い花の香りと、むせるような生臭い血臭に刺激されたかのように、少女の瞼が痙攣する。
 ゆっくりと目を開けようとする腕の中の女性。太陽が彼女を照らす。陽が当たった箇所からどす黒く変色した肌が、柔らかな血の通った肌の色に戻る。爛れた皮膚は滑らかさを取り戻し、虫がたかった後も綺麗になくなり、異臭は消え去っていた。今の彼女を見て誰が死体を連想するだろうか。
 麻衣は信じられないモノを見るかのように、その双眸を大きく見開いていた。
 どうして、なぜ、彼女の時が戻ろうとしているのか。
 そして、青年は驚く気配もなく待っているのか。
 その目が開くのを。
 青年が確信していることを麻衣はなぜだか判った。



                   ※          ※           ※



 どこかで呼ぶ声が聞こえる。
 少し怒りを含んだような…それでいて、心配げな声。
 いつまでも聞いていたい声だ。
 冷たくて、感情など声に聞こえるかも知れないけれど、そんなことは無いことを麻衣は知っている。
 硬質めいて聞こえる声に、どれだけの感情が含まれているか、麻衣は知っている。
「―――――な、る?」
 重たい瞼を揚げて、麻衣はナルを見上げる。
 鳶色の双眸がぼんやりと、自分を抱きかかえている漆黒の青年の顔を捕らえる。頭がおもく体もだるい。何がどうなっているのか判らずボーッとしているとナルが麻衣の頬にかかっている髪を、耳にかけながら囁くように問いかけてきた。
「気分は?」
 ナルの言葉に麻衣は二度三度瞬きをして、ゆっくりと辺りを見渡す。
 一面の曼珠沙華が再び視界に入った。
 死の華。
 彼岸の華とも言われる曼珠沙華……
「―――――――気持ち悪い――――――――――――」
 麻衣の言葉の通り、麻衣の顔色は悪い。
 先ほどまで白い肌は花火と祭りのムードで紅潮していたというのに、すっかりと青ざめ脂汗さえ額に浮かべている。
 ナルは辺りを見渡すが、とくにナルには何も感じられない。
 だが、麻衣の様子を見る限りここに何か問題があるようだ。
 麻衣は悪意や邪悪な物に、過敏に反応する。
 ナルは麻衣の華奢な身体を抱き上げると、来た道を足早に戻った。麻衣は気怠げな表情でナルの胸に寄りかかっている。耳の下から聞こえる微かな鼓動に安堵したかのように吐息を漏らせた。
 
 ナルの姿が完全にその場から消えると、まるで曼珠沙華を覆うかのように辺りから霧が漂い、五分としないうちに曼珠沙華の原を覆い隠してしまった。



「ちょっと、捜したわよ!」
 花火は既に終わっているようで、見物客の人はチリチリになっており、その中を綾子がナルに向かって小走りで近づいてくる。
「麻衣?どうかしたの?」
 ナルの腕の中でぐったりとしている麻衣に気が付いた綾子が麻衣をのぞき込む。何があったのか当然の事ながら綾子には判らないが、麻衣に何か起きたことだけはその様子を見て気が付く。
 すぐに、ナル達の姿に気が付いた滝川や安原達も駆け寄ってくる。
「麻衣…どこにいましたの?」
 真砂子が眉をしかめながら、ナルに問いかける。
「森の中に倒れていましたが?原さん?」
 真砂子は袖で口元を覆いながら、眉を寄せている。
「死臭が…いえ、たぶん腐臭のほうかしら。何かが腐ったような臭いが微かにですけれど、麻衣から漂っていますわ」
 表現しがたい匂いが麻衣の身体を取り巻いていた。
 ずっと嗅いでいたら頭が痛くなってしまいそうだ。どこか甘い花の匂いも混じっているから、よけいきつく感じられる。まるで香水のつける加減を間違えてしまったようなきつさだ。それも安くて質の悪い香水を。
「匂い? んなもんしねぇーぞ?」
 滝川が鼻をヒクヒクとさせて匂いを嗅ぐが、当然のことながら匂いなど判らない。それは綾子や安原、ジョンやリン、もちろん麻衣を抱えているナルも同様だ。
「原さんだけに判ると言うことは――リン」
 ナルはリンに問いかける。
 リンは右目を覆っている髪を掻き上げて、目を細めて麻衣をみるが首を左右に振る。
「谷山さんが霊と接触した気配は残っていません」
 麻衣の周囲を取り巻いている気配に、異常は見られない。
 いつも通り清浄な空気が取り巻いているが、微妙に乱れているのが判る。
「とりあえず、麻衣を休ませてあげましょうよ。顔色が悪いわ」
 ナルの胸に凭れるようにして、意識を無くしている麻衣を見下ろしながら、綾子が言った。その発言に反対する声はなく、滝川がナルに変わろうか?と申し出たのだが、ナルがその言葉に了承するはずもなく、冷たい一瞥を滝川に向けるとすたすたと無言で歩き出した。
「なぁ〜、ナル坊と麻衣、いつ頃からつきあい始めたんだ?」
「さぁね。気が付いたらああなっていたわよ」
 滝川は、お父さんは寂しいの…と呟きながらナルの後を追った。
 






☆ ☆☆ 作者の戯言 ☆☆☆
森の記憶が上手く纏まらないために、話を変えて書き直しています。
タイトルも、話も何もかも変えての一からのやり直し…きっとこの方がうまくいくはず…いってくれなければ、私はマジで困る(>_<)
残夏の森は誓夜と恋執の間の話になるのかな?
この話がどのぐらい長くなるか分かりませんが、どうか最後までお付き合い下さいませ。
                         拝――天華







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