罪の苛み








「ナル…終わったよ」
 リンとともにモニターチェックをしていると、背後から麻衣がボードをナルに突き渡す。その声が妙に掠れていることに、ナルが顔を上げると麻衣の赤くなった目とぶつかる。瞼などは腫れてはいないが、明らかに泣いた目と判る。
 麻衣もその事に気が付いているんだろう。ナルの視線を恐れるかのようにふいっと視線を逸らす。
 その事にナルも特に触れず、そのままボードの方へと視線を向けると、言及しなかったことに安堵したのだろう。そっと溜息をもらす音が聞こえた。が、それさえもナルは無視する。
 ボードに視線を向ければ見慣れた文字で、温度、湿度、斜度が書かれているがこれを見た限りでは、今のところ調査の示唆を示すような特徴は現れていない。
「何か、異常を感じたところはあるか?」
 視線を上げることはせず、いつも問いかけることを聞く。
「特に…なかったよ。普通のお家」
「わかった。麻衣、お茶。それと、各務氏が帰宅しているから、こちらへ来て欲しいと伝えてくれ。詳しく話が聞きたい」
 ナルはボードをリンに手渡すと、これまたいつもと同じ台詞を口にする。
 麻衣は小さな声で返事を返すと、そのままキッチンの方へと足を向ける。
「ナル、谷山さんですが…」
 ナルからボードを受け取り、そこに書かれている数字を打ち込みながら、上司である青年を見る。
「松崎さんが来る」
 リンの言いたいことをその一言で封じてしまう。
 それでも、駄目だと判断されればこの調査から外せばいいことだ。麻衣が何を考えているのかは、この件が全て終わってからでいいはずである。今、優先させるべきことは麻衣が不安定になっている理由ではなく、依頼主達を苛んでいる現象の解明。出来ることならば解決だ。
 リンもそれ以上何も言わず、作業に戻る。
 ナルが何も考えていないわけないのだから。
 仕事一筋のワーカーホリックとはいえ、彼が麻衣という存在をどれほど重く思っているか、リンもよく判っているからだ。
 そして、もう一つそれ以上その会話を進められなかったのは、遠慮深げにドアがノックされたからに他ならない。
 仕事から早めに帰ってきた各務は、ナルと対面式に座りより詳しく現象を話していく。
「物が勝手に動き出したのは半年ほど前…引っ越してすぐなんです。
 でも、初めは勘違いとか気のせいかと思うような些細な事だったんです。
 それがその内に、ハッキリと判るようになって…例えば、目の前でいきなりドアが開いたり閉まったり、と言った物になり始めたのはそれから一〜二ヶ月経ってからだったかな。でも、そうしょっちゅうあるワケでもなく、私が見たのは月に二〜三回程度でした。妻の方は週に何度か見ているようなことを言っていましたが。その内、妻が白い靄のようなものを家の中で見ると騒ぎ出したんです」
「白い靄?」
「ええ。私は見たことないのですが、白い靄が家中を彷徨いていると。初めはすごく曖昧な形をしていたらしいんですが、段々人の形…女性の姿になっていくと言い出して」
「それはいつぐらいからですか?」
「先月ぐらいからでした。
 ご存じの通り妻は妊娠中で、精神的にも不安定なときですから、半ばノイローゼ気味になりまして、どうにかならない物かと思っていた矢先、知人からSPRの事を伺ったので」
 ナルはペン先でメモをトントンと軽く叩きながら、話に耳を傾けている。
「妻が言うにはその女性は、いつも自分を見ていると言うんです。
 自分というか、恨めしげな目で自分の日に日に大きくなっていく腹部を」
「この土地は、今までどのような土地として使われていたかご存じですか?」
「ええ。もちろんです。私の祖父の代からの持ち土地でしたので、そこに家を建てたのですから。
 ここに家を建てるまでは祖父の家があったんです。築三十…四十年ほどの、木造建築です。戦後10年ほどしてから経てた家のはずです。祖父が亡くなってからはしばらくの間は空き屋同然になっていたのですが、特別これといった事件はおきていません。ちょうど、引越しの話が出ていて、こちらに移り住むにはちょうどいい立地にあるので、取り壊して家を建てたんです」
「以前お住まいだった所では、このような現象は一切起きていなかったんですね?」
「はい。ここへ引っ越してきてからで――――」
 各務はそこで不自然に言葉を区切る。
 甲高い空気を切り裂くような悲鳴が辺りに響き渡ったからだ。
 呆然としている各務を取り残して、リンとナルは立ち上がると悲鳴が聞こえた方、リビングへと足を向けた。ナル達が部屋に入ると、腰を抜かし真っ青な顔でガタガタと震える美智子と、美智子同様真っ青な顔色で立ちつくす麻衣の姿が、同時に視野に入る。二人が見つめる先には白い人の形をかたどっている靄が立っていた。
 俯いたままのその靄はゆっくりと腕を伸ばすと、美智子を真っ直ぐに指を指した。
「ひぃっ」
 悲鳴が口を出、そのまま後ずさる。
 リンがとっさに口笛を吹く。澄んだ高い音が辺りに響くと、白い靄はかき消えるように姿が揺らぎ出す。
 完全に消えようとする間際、低い地を這うような音が届く。

 ―― 許さない

 たった一言。それだけを残して、それは完全に消えた。
 ナルは腰を抜かしている美智子の方に近寄り、片膝を突く。すると、彼女の着ているマタニティーが湿っていた。恐怖のあまり破水でもしたか。と危惧がよぎるがすぐに鼻を突くアンモニア臭に破水ではなく、失禁の方だと言うことに気が付いた。
「各務さん。奥さんは神経が高ぶっているようですから、二階の方で落ち着くまで休ませて上げて下さい」
 振り返ると、やはり青い顔で呆然と立っている各務に声をかけるが、初めてみる事態に各務も判断力が無くなっているんだろう。ナルの呼びかけにすぐ反応を返せないでいた。
「各務さん」
 再度、ナルが名を呼ぶと弾けたように視線を美智子に向け、駆けより妻の安否に漸く気が回る。立つことさえままならなくなっている美智子を抱き上げ、その場から逃げるように出ていくと、漸くナルは麻衣の方へと足を向ける。
 麻衣は今までのことが目に映っていなかったかのように、まだ白い靄があった辺りを見ている。
「麻衣、何があった」
 ナルの呼びかけにも応えず、ただそこを見ている。
「麻衣」
 やや強い呼びかけにも反応しない。ただ、壊れたステレオのように「違う、違う」と繰り返している。
「何が違うんだ」
 辛抱強くナルは問いかけるが、麻衣には届いていないのか一向に応える様子がない。
「麻衣!」
 パシッ
 乾いた軽い音が辺りに響く。
 さすがのリンでさえも目を僅かに見開く。ナルが麻衣の頬を軽くとはいえ叩いたのだ。
 麻衣はゆっくりと数度瞬きをして、ナルを見リンを見る。
「正気に返ったか」
 呆れたかのような口調だが、麻衣はふいっとナルから視線を反らす。
「何があった。説明しろ」
 わざわざナルが尋ねなくても、麻衣の方から報告する。当たり前の方なのだが、今の麻衣にとってそれは当たり前ではなかった。硬く、貝のように口を閉ざしている。
「―――何も、無い」
 わけがないのに、麻衣は「何もない」と言い張る。
 いつも、どんなときでも真っ直ぐに、相手の目を見て物を言う麻衣がナルから視線を逸らして、力のない声で呟く。頭を左右に振って「何もなかった」と。
「リン、今のデーターの解析を」
 そう指示を出してリンをリビングから追い出すと、その場には俯く麻衣とナルだけになった。リンは麻衣の様子も気がかりだが今の第一優先は調査であり、麻衣のことはナルに任せてその場から出ていく。
「麻衣、何もないわけがない。それは、お前が充分に判っているはずだ。報告の義務を放棄するのか?」
 ナルに言われなくてもよく判っていることだ。
 目の前で起きたことがあるならば、いちいち言われなくても自ら報告すること。それは、現象にたいしてもそうだが、ほんの些細なことでもだ。何が危険に繋がるか判らない仕事をしているのだ。情報は一つでも多い方がいい。それがすなわち安全に繋がるのだから。だが、麻衣は自らその義務を放棄している。
 なぜ、そこまで頑なになっているのか、当然ナルにも判るわけがない。麻衣が言わない限り誰にも判らないことだった。
「報告する気はないのか」
 気が短いナルらしくない確認の声が聞こえるが、麻衣はうんともすんとも何も応えずただ、フローリングの床を見ている。
 諦めたかのようなと息をナルがもらすと、一言告げた。
 それは、麻衣が今までの中で聞いた声の中で、最も無機質な声。
 冷たくもなければ、鋭くもない。
 無機質としか、言いようがない声だ。
「判った。もういい」
 思わず身体が震えてしまうのはなぜだろうか。別に恫喝されたわけでも、冷たい声で一刀両断されたわけでもなく、心が凍ってしまいそうなほど身体が竦んでしまう。
 次の言葉は聞きたくない。
 本能でどんな言葉が紡がれるのか判っていた。
 それを防ぐ方法はある。すぐに口を開いて全てを言えばいい。そうすれば、きっと溜息に変わるだけだろう。それだけですむはずだ。
 判っていても、口は動かず声は喉を出てくれない。
 本の数秒。だが、最も長く感じた時間が過ぎ、聞きたくはなかった言葉が彼の唇から漏れる。
「だが、仕事をする気がないなら出て行け。
 足手まといを雇うつもりも、役立たずを雇うつもりも僕にはない。邪魔者は不必要だ」
 ナルはそれだけを言い残すと、リビングを出ていった。麻衣の言い訳も何も聞く気がないと、ハッキリとその背が拒絶していた。

 はたり…

 床を見続ける麻衣の双眸が見る見るうちに潤み、涙が溢れ頬を伝う間もなく床の上に落ちていく。
 

 はたり…はたり……はたり………………

 
 不協和音のように、涙がこぼれ落ちてゆく。














 各務の個人的な過去を洗っていた安原は、それを見たとたんうなり声を上げてしまう。
「う〜〜〜〜〜む。これが原因…だろうなぁ〜」
 早く報告すべき事なのだろうが、詳細も調べてからの方がいいだろう。だが、この件に関して個人で調べられることは、やはり限度がある。こういうときはやはり頼れるべき公の機関だ。
 と言うことで、安原は携帯を取り出すと番号をプッシュする。
『東京地検特捜部です』
 僅かツーコールで聞き覚えのある若々しい声が聞こえてきた。
「SPRの安原ともうしますが、広田さんをお願いいたします」
 相手には見えないというのに、安原は越後屋スマイルを浮かべて。
『――――――――――俺だ』
 随分間があって、漸く相手が応えてくれた。
 もちろん、その事にはすぐに気が付いていた安原だが何事もなかったかのように要件を切り出す。それを聞いた広田は思わず息を呑む。
『それは間違いないのか?』
「間違いならいいんですけれど、この場合の偶然はどうやら悪い方での偶然になりそうなんですよね。それが、万が一にでもいい方の偶然だろかどうかを、確かめたいんでお願いできますか?」
『判った…だが、調書をそのまま渡すことは出来ないから、俺が読んでまとめたことを渡す。それでいいか?』
「それでいいですよ。お願いします」
 数時間で用意すると言うことで会話を切ると、安原は携帯の通話を切った。











「ちょっと、麻衣いないじゃないのよ」
 巫女と言われて誰がすぐに信じるだろうか。そう思わせる派手な美女が応接間のドアを開けるなり、開口一番言った。
 ナルは視線を上げず、リンが僅かに振り返る。
「リビングにいませんか?」
 先ほどナル一人が戻ってきてまだ、そう時間は経っていない。リンは今だ麻衣はリビングにいるものと思っていたから、ここへたどり着くなり綾子にリビングへと向かうように頼んだのだが、綾子は肝心の麻衣はリビングはおろか家のどこを見てもいないという。
 モニターを慌てて変えてみても家の中はおろか、庭も映してみるが確かに麻衣の姿は見あたらない。
「ナル、谷山さんに何を言ったんですか?」
 責任感の人一倍強い麻衣がそう簡単に姿を消すはずがない。まして、今のような調査中ならなおさらだ。必ず、外に出るなら一言言い残して行くはずだ。
 例外としては、ナルと言い合いになったあげく感情が高ぶって外へ飛び出すと言うことならありえるだろうが、あいにくと怒鳴り合う声はここまで聞こえては来なかった。
「仕事をする気がないなら、出て行けと言っただけだ」
 あまりにものストレートな言葉に、リンも綾子も溜息をつく。
 綾子としては安原から聞いた話でしか、事情は知らない。
 すなわち、麻衣の様子が変だ。依頼人を知っているようなのだが、その事をひた隠しにしているようだ。その事で酷く不安定になっており、いつもの彼女らしくない。依頼人を気遣う余裕すらなくしているようだ。等々である。
 麻衣とてもう子供でもないし、この仕事をし始めて数年が経っているから、そこまで気遣う必要はないのではと思ったのだが、あの様子では各務夫妻と何か過去がある。と安原は言い切っていた。
 カンでしかないと言っていたが、観察眼の鋭い安原である。
 一概に無視は出来ない。
 元々、急ぎの仕事もなかったと言うこともあり、助っ人にはせ参じたわけなのだが…どうやら間に合わなかったようである。
 一番安原が危惧していたことが当たってしまったかもしれない。
 すなわち、ナルの無情な言葉に麻衣が深く傷つく…
 仕事であり、これはプライベートではないのだから公私混同している状態ではないが、場合によっては仕事の鬼の言葉は麻衣を再起不能にさせるのではないか?そんな危惧を安原が抱いてしまうほど、今の麻衣は不安定に見えたらしいのだが………
 一足遅かった模様である。
 いったいどんな表情をすればいいのか、綾子は困ってしまう。
 ナルの方を見れば、相も変わらずの無表情。だが、それでも機嫌が悪いと言うことだけは隠しようもないが。
 気にはなっているが、今は仕事を優先させている。と言ったところだろうか。
 だが、しかし、仕事が終わった後でも変わらないだろうが。
 重い、何とも居づらい沈黙が漂う中、遠慮がちなノック音の後にゆっくりとドアが開かれる。
「すみません、美智子が……」
 酷く怯え興奮して手がつけられないと、訴えてきた。
 ナルはファイルをテーブルの上に戻すと、各務の後についてベースを出ていってしまう。
「あ…あたし、ちょっと麻衣を捜してくるわ」
 ベースの隅には麻衣のリュックがおいてある。と言うことは、何も持たずに出ていったわけなのだから、そう遠くへは行けないはずだ。
「お願いします」
 無表情なリンに綾子は軽く肩をすくめると、身を翻して出ていってしまう。
「きっと、この子を奪いに来たんだわ!!」
 美智子は大きく膨れているお腹を、必死にさすりながらナルに訴える。
「あの人は、私が憎いのよ。
 私が、あの人から全てを取り上げてしまったから!!」
 泣き叫びながら訴えてくることに、ナルは眉をひそめる。
 誰かに恨みを買っている覚えがあると思われる、言葉の数々。だが、彼らの話に今までそれらしきことは出てきていない。何か、隠しているのだろうか?
「落ち着いて下さい。
 今は何も出ていません。貴方に危害を加える物は何もないです」
 ナルは、掌を彼女の眼前に突きだして、ゆっくりと抑揚をつけて語りかける。
 ナルの掌を見ていた美智子の瞳が、とろんとしたものになっていきだんだん、ゆっくりと重たげに瞼が閉ざされ、やがてゆっくりと長い寝息に変わっていく。
「少し休んだ方がいいでしょう。
 出来るだけ早く原因究明をしたいと思いますが、今美智子さんは誰かの恨みを買うような覚えがあるようなことを言っていましたが?」
 考えてみれば、先ほど各務から話を聞いている途中のままだったのだ。
 各務は今の美智子の発言で聞かれると思ったのだろう。ためらいがちだが意を決したように口を開いた。
「妻は、六年ほど前病院へ行く途中で人身事故を起こしたんです。
 その時跳ねてしまった被害者の方が、亡くなってしまったので……おそらく、その方を指しているのだと思うのですが……もしも、アレが本当に幽霊だとしたら、彼女なんでしょうか?」
「女性なんですか?」
「はい、女性でした。三十代後半の女性です。妻が、その事故が原因で流産してしまい、妻自身の身も危険だったため、法的手続きなど全て弁護士にやって貰ったので、被害者の遺族の方を直接知りませんが……」
「六年前…のいつ頃ですか?」
 各務の言葉に嫌な符号ばかりが重なる。
「冬です。雪が降りしきっている日でした。
 反対車線を走行中だった車が、スリップをおこしこちら側に乱入してきたため、それを避けようとハンドルを切ったさい、運転を誤り歩道に乗り上げ歩行中だった女性を跳ねてしまったんです。
 打ち所が悪く、女性は数時間後に息を引き取ったと伺いました。母一人子一人だったそうです。それが、よりいっそ妻の罪の意識を苛むようで、恨まれても仕方ない。憎まれても仕方ないと、自分を責めていました。元々神経の細いほうでしたから、罪の意識に耐えきれずノイローゼに……今では、ほとんど当時のことを覚えてはいません。医者が言うには自己防衛らしいのですが……」

 ナルの疑惑がハッキリとした形になったのは、その夜戻ってきた安原の報告書を読んだときだった。
「六年前、各務美智子さんがハンドルを謝って跳ねてしまった女性は、谷山さんのお母さんに間違いないです―――――――――」
 

 各務は妻が跳ねてしまった女性の名前も顔も覚えていなかったのだろう。仕事も忙しく、全てを弁護士に任せたと言っていたから。
 ただ一度、通夜には顔を出したという。その時、各務は麻衣の顔を見ているはずなのだが、六年も前だ。顔など覚えていないだろう。まして、後ろめたい思いの方が強くたった一人残されてしまった、少女を正視できなかったに違いない。
 そして、出来るだけ嫌なことは忘れたかった。だから、記憶の忘却にまかせ、全てを過去のこととして区切り忘れてしまった。だから『谷山』という名前にも反応しなかった。
 当事者である美智子は、退院後一度だけ焼香をしに行ったらしい。だが、その後体調を崩し、ノイローゼとなり、ノイローゼが良くなり始めた頃には、その当時の記憶そのものがかなりあやふやになっているようだ。と各務は言っていた。
 だから、麻衣に反応しても思い出さなかったのだろう。
 麻衣が不安定な理由。
 各務家の者達に対する、いつにない態度。
 理由が判れば、答えなど簡単に見つかる。

 母を奪った彼らに対する、複雑な感情の現れなのだろう。

「ちょっと待ってよ。じゃぁ、ここに出ている幽霊って麻衣のお母さんって言うことになるの?」
 安原の報告を聞き終えると、綾子は髪を無造作に掻き上げながら呟く。一通りこの辺りを捜したのだが、どうしても麻衣の姿を見つけられることはできなかった。日もすっかりと沈みこれ以上捜しても、無駄だと思った綾子は、リンの式にでも捜して貰った方が効率がいいと思い直し、各務家へと戻ってきたのだ。
 それから、安原が重い表情で戻ってきたなりすぐの報告に、しばらく言葉が出なかった。
 もしも綾子が呟いたとおりなれば、麻衣の母親は未だに成仏していなかったと言うことになるからだ。
「そうなるな」
 あっけないほどのナルの言葉に、綾子はガバリと立ち上がる。
「ちょっと、あんた。仮にも自分の恋人の母親がさまよい出ているつーのよ!?
 もうちょっと、言い方があるでしょう!!」
「他にどんな言いようがあると言うんですか?
 仮に、ここに出現しているのが霊として、それが麻衣の母親だったら見逃せと?」
「誰がそんなこと言っているのよ!!
 少しは、麻衣の事を労って上げなさいって、あたしは言っているのよ!!
 自分の母親が死んだ原因の所に来ていて、ただでさえ不安定だって言うのに、さらに母親の幽霊まで出たかもしれないって言うのよ!? 普通でいられるわけないでしょう!!
 仕事馬鹿も大概にしなさいよね!!!」
 綾子は真っ赤になって怒鳴り声を上げるが、対するナルは静かそのものである。
「今は、そんなことを言っている場合でしょうか?
 我々は仕事をするためにここにいるんです。今するべきことは子守ではなく、依頼内容を調べ上げ、結果を出すことです。たかだか従業員のプライベートに関わっている場合ではないでしょう。
 これが、自然現象による物か、人的な物か、それとも心霊的な物か。まだ何一つ判別できていない状況で、あれこれ決めつけて動くのは得策ではないと思いますが?例え、心霊的な物としても、麻衣の母親が原因かどうかも分からない内から騒ぐ必要がありますか?
 まだ、何一つ確定は出来ていないのが、現状です。決めつけるのは早いと僕は思うんですが。
 万が一麻衣の母親が原因だとしても、我々がすることは一つです。
 何か、僕は間違っているとおっしゃいますか?」
 ナルの理論性然とした言葉の数々に、綾子はぎっと睨み付けると、パンパンとわざとらしく手を叩く。
「さっすが、天才博士様。見事なまでに仕事とプライベートを分けていらっしゃる。自分の恋人のことをたかだが、従業員ときたしね。
 なんで、麻衣があんたのような冷血漢を好きになったのか、本当に理解できないわ。
 あたし、今回の仕事はキャンセルするわ。
 あんたと違って、あたしはそこまで割り切れないもの。元々、あたしは麻衣の為に呼ばれたようなものだし、構わないわよね」
「お好きなように」
 ナルは安原から受け取っている調査報告書に視線を落としながら、興味をなくしてしまったかのように簡単に告げる。
「――――――麻衣は、あたしが連れて帰るわ。あんたのような冷血漢の所になんて、返せないわよ!!」
 綾子は声たかだかに言い切ると、バッグを手に持って勢い良くベースを出ていく。その後を今まで静観していたリンが追いかける。
「何」
 ギロリと、リンまで睨み上げる。
 リンは特に何もいっていないが、ナル同様安原の話を聞いても顔色一つ変えていなかった点に関して、同罪なのだ。
「谷山さんは、おそらくこの辺にいるはずです」
 地図のコピーらしき物を手渡す。その一部…ここからかなり離れている小さな公園のような所に、○がついていた。
 しばらく、リンと紙を交互に見ていた綾子だが、溜息をつくと小さな声で礼を述べる。
「いえ、谷山さんのことはお願いいたします」
「しばらく預かるから」
 それだけを言い残すと、綾子は各務家を出ていった。














☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 ふふふふ………ある意味ダークさで言うと、これナンバーワンになるかな?
 今回の、もう一つの野望(笑)甘くないナル。でした(笑)
 いや、うちのナル坊ちょっと甘すぎるかなぁ〜、らしく無さ過ぎるかなぁ〜、と常々思っていたので、何としても『冷血漢』という言葉が合いそうな話にしたくてぇ〜(^^ゞ
 まぁ、正論って言えば正論だろうけれど(笑)
 しかし、当初予定していた話の持っていきかたっと微妙に変化……ここまで、こじれる話でも長くなる話でもなかったのに…………修復は果たして可能か?
 つーか、麻衣の母親についても触れろっと言われそうだなぁ。
 それは、まぁ、今後の流れ次第と言うことで。







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