The Season


    花が咲く場所















 柔らかな日差しが室内を包み込んでいた。
 The Season。
 イギリスがそう呼ばれ一年で一番美しいと言われる季節。
 緑が色鮮やかに世界を彩る季節。
 彼女は、光がゆったりとそそがれる書斎のコンピューター・チェアーに腰を下ろして、主を失ってしまった部屋に視線を配る。
 吐息が漏れる。
 もう、いないというのに――
 書斎はおろか、この世界に彼の姿はどこにもないと言うのに。
 遠い日別れてしまった、片割れの元へ旅立ってしまったばかりだというのに。
 心は、こんなにも彼を求めていた。
『お母さん? 食事の支度できたけど食べれる?』
 彼にそっくりの容姿をした、娘が背後からそっと声を掛けてくるが、彼女は応えない。
 漆黒の髪に優しい闇色の瞳。
 中身は自分にそっくりだというのに、外見は亡き人そっくりで、彼の人の片割れを彷彿させる娘。
『お母さん、少しは食べて?』
 彼の人に向かって彼女が昔、よく言った言葉と同じことを、娘は口にする。
 だが、彼女は応えない。
 娘は諦めたのか、ため息を付くと部屋を出ていった。
『夫人は?』
 娘の夫となった男が問いかける。
 娘は無言で首を振る。
『だめ、お父さんが亡くなってからずっとあんな調子なの。
 お父さんも自分が亡くなった後のこと、気にしてたけど――』
 深いため息。
 あの、無表情な父が気にしていたこと。
 母は、残されることをひどく嫌ってたことを――
 男は娘の肩に腕を回しそっと抱きしめる。
































 なぜ、彼がいないというのに自分は生きていけるのだろう?
 彼女は霞む視界でうず高く積まれた本の山に視線を向ける。
 いつも、ここに座っていたのは自分ではなく彼の人。
 失ってしまったのに、もう、触れることが出来ないのに、なぜ、自分はここにいるのだろう。
 瞼を閉ざす。
 脳裏に浮かぶのはいまだに褪せることのない彼と過ごした日々。
 初めて出会ったのは、まだお互いが十代半ば。
 そして、そこから共に過ごしたときの長さ――常に彼は傍らにいた。
 一人が嫌いで、寂しがりやの自分を気遣って――傍らにいてくれた人。
 感情表現が下手で、常に無表情だったけど。
 誰よりも、優しかった人。
 だから、彼の代わりにいつも笑っていた。
 彼が笑わないから、彼の分まで彼女は微笑みを浮かべていた。
 彼が逝くその時まで、彼女は微笑みを浮かべていた。
『―――ありがとう、ナル』
 彼女は掠れた声で呟いた。
 彼の耳に届いているか、判らなかったけど。
 それでも、聞いて欲しくて。
 呟いた。
『―――幸せだった。ずっと…そして、これからもずっと……………』
 彼女は泣き顔では絶対に見送らないと、ずっと昔から言っていた。
 亡き母を泣き顔で見送ってしまったから、大切な人は笑顔で見送りたいと昔から言っていた言葉通り、彼女が一番大切な人が旅立とうとしているとき、彼女はとびっきりの笑顔を浮かべていた。
 その鳶色の双眸に涙は浮かんでいたけど。
 そして、その言葉通り笑顔を浮かべて静かに見送った。
 雪の降る日の朝。
 彼は静かに彼女に見送られて息を引き取った。
 涙は出なかった。
 不思議と、心は静かだった。
 永遠に失ったというのに、同時に永遠に手に入れたと思った。


 ただ、ぽっかりと胸のうちに空洞が出来て、塞がることが無かった。
 




 眼を閉ざす。
 そうすれば、記憶の中に。夢の中に彼を見れるから―――


































「何、居眠りをしている」
 冷たい硬質めいた声に麻衣は、ハッと目を覚ます。
 目の前には呆れた表情でナルが立っていた。
 辺りを見渡すと、通い慣れた渋谷のオフィスだ。
 ソファーの上でお茶を飲んでいるうちに、うたた寝をしてしまったようだ。
「起きたか。なら、お茶」
 いつもの如く代わり映えのしないセリフを吐くと、ナルはソファーの上に腰を下ろして、分厚い洋書をめくりだす。
「ナル?」
 ひどく掠れた声が麻衣の口から漏れた。
 ナルは視線だけわずかにあげる。
「なんだ?」
「ナル、だよね?」
 麻衣の言葉にナルはわざとらしくため息を出す。
「頭ばかりか目まで悪くなったのか?」
 その言葉に麻衣は、にっこりと笑う。
 バカにしたというのに、怒るでもなく笑い返す麻衣を見て、ナルはわずかに眉をしかめる。
「熱でもあるのか?」
 その言葉に麻衣は首を振る。
「平気。今お茶入れてくるね」
 麻衣はにこやかな顔で立ち上げると、給湯室に姿を消した。
 やかんを火に掛け、麻衣は紅茶を棚から取り出す。
 今日は、とびっきりにいいお茶を使おう♪
 鼻歌が出そうなほど、踊り立つ心。
 イヤな夢を見た。
 本当にイヤな夢だ。
 哀しい夢。
 ナルが、居なくなる夢。
 一人残される夢。
 だけど、ここにはナルが居る。
 麻衣は紅茶を持ってナルの元へ運ぶ。
 その前に置くとナルは、無言でカップに手を伸ばし口元に運ぶ。
 いつもと変わらない光景。
 麻衣は、その端正極まりない横顔を穴が開くほど凝視する。
「僕の顔は鑑賞に堪えられるのか?」
 ナルの言葉に麻衣は勢い良く頷き返す。
「すっごく、久しぶりになる見る気がするんだ」
 麻衣の言葉にナルはわずかに首を傾げる。
 彼女は久しぶりと言ったが、毎日オフィスで顔を合わしている。
 今では殆ど同棲状態と言っていい状況だ。
 顔を合わせていない時間の方が、少ないぐらいであるというのに。
「うん。ナルとこうやって話するの、すごく久しぶりって気がする」
 麻衣の不可解な言葉にナルはため息をもらす。
 不可解なことばかり言うのは今に始まったことではないが―――
 ナルは読んでいた洋書を閉ざす。
「夢を見たの」
 麻衣はナルを凝視したままぽつりと呟く。
「私ね、おばーちゃんになってた」
 ナルは何も言わず話を聞く。
 開かれることのない本が、話を聞く姿勢でいる証。
「だけどね、ナルが居なかったの。
 どこを探してもナルいないの」
 麻衣はひどく寂しげに言う。
 あまりにも寂しげな様子に、ナルは自然と両腕を伸ばしてその細い身体を抱きしめる。
 麻衣はその広い胸に頬をすり寄せ、ぽつりぽつりと呟き始める。
 ぽつりと漏れた言葉。
「私は一人だった――ナルは、ジーンの元へ逝ってしまっていなかったの。
 私はね、笑顔で見送ったの」
 麻衣の言葉にナルは苦笑を漏らす。
「僕はここにいるが?」
 麻衣の耳元にナルはそっと囁きかける。
 漏れた吐息がくすぐったくて、麻衣は微笑を零す。
 今にも泣き出してしまいそうな声。
「なぜ、ここにいるんだろうと思った。
 私は、一人で、どうしてここにいるんだろうと」
 ナルはぽんぽんっと、まるで小さな子をあやすように麻衣の背中を軽く叩く。
「なぜ、ナルはいないのにいるんだろうって――――――」
 心が沸き立つようなことを麻衣は口にする。
 ナルは嬉しい反面、困ったような顔で麻衣の髪を撫でる。
 小さな子供みたいな麻衣を。
「僕はお前を置いてどこにもいかない
 大切な者を置いて逝くほど度量は広いつもりないから」
 ナルの言葉に麻衣は嬉しそうに笑みを零す。
 ナルから少し身を放して、ナルの頬に両手を添える。
 真っ直ぐに正面から、その漆黒の双眸を見つめる。
 鳶色の柔らかな眼差しが、そらされることなく一対の宝石を見つめる。
「私は、ナルが嫌がったって、ずっと側にいるんだから。
 そう、決めたの。
 だから、ナル離さないで。離れていかないで」
 麻衣は渇いた心を静めるために、言葉を紡ぐ。
 願いを口にする。
「ああ―――」
 ナルも麻衣の頬に両手を添える。
 二人はどちらからともなく、顔を寄せ合いそっと口づけをする。
 柔らかな唇を覆うように、重ね合う。
「ずっと側にいて。
 独りはイヤなの もう、一人はいやだから―――」
 わずかに離れた唇から、吐息と共に漏れた言葉。
 ナルは艶やかな笑みを刻む。
 ジーンのように柔らかな笑みではないけど、とびっきりの笑顔だと麻衣は思う。


「もう、離さないで―――永遠に」


 ナルは呟いて再び麻衣の唇に自分のを重ねた。
 麻衣の吐息を、全てを奪うかのように。























『おばーちゃん、ご飯食べないの?』
 茶色の髪、鳶色の双眸をした、小さな女の子がちょこちょこと近づく。
 ロッキングチェアーに腰を下ろした、栗毛の老婦人を見て小首を傾げる。
『マリア、何しているんだ?』
 漆黒の髪に漆黒の瞳をした少年が、小さな女の子の名前を呼ぶ。
『おにーちゃん。おばーちゃんお寝むしちゃったみたい』
 妹の言葉に少年は祖母の元に、近寄る。
 祖母は寂しげな表情ではなかった。
 最近見ることの無かった笑みを口元に刻んでいる。
 実に久しぶりに見る笑みだと思った。
 祖父が亡くなってから、全くといえるほど浮かべなくなってしまった笑み。
 それまで、毎日浮かべていた若い頃から何一つ変わらないといわれる笑みが消え、その顔を彩るものはひどく寂しげな微笑に変わっていたというのに。
『おばーちゃん、笑っているね』
 不思議そうに妹は祖母の顔を見上げている。
 少年は、はっとした。



「もう、離さないで―――永遠に」



 祖母から漏れた言葉。
 そして、浅く長い吐息――――そして、沈黙。














『お母さんを呼んでこよう』
 少年は妹の手を取った。
『おばあちゃんはもう、眠りについたんだよ』
 妹は笑顔を浮かべたままの祖母を不思議そうに見つめる。
『おじいちゃんに、逢えたみたいだね』
『おばーちゃん、おじーちゃんに逢ったの?
 いいな、マリアも会いたい』
 妹の言葉に少年は苦笑を漏らす。
『いつか―――あえるよ。
 おばあちゃんにも、おじいちゃんにも』
 少年の言葉に妹は訳が分からないと言わんばかりに首を傾げた。
『いつか―――遠い未来に――――――』
















「なーる」
 麻衣は楽しげにナルの首に抱きつく。
「すまなかった。一人にして」
 滅多に聞けない謝罪の言葉を、その耳元に唇を寄せて、囁く。
「うん。でも、もう一人しないよね?」
 くすくすっと楽しげな麻衣。ナルはその顔に苦笑を浮かべる。


「ああ……………一人にはしない」


ナルは麻衣の身体を強く抱きしめた―――




 二度と離さないために――――――――――

















 ☆☆☆ 作者の戯言 ☆☆☆

  緊急アップ。第二弾。そして同時更新です。
  こちらは、麻衣ヴァージョン。
  どちらも片方が先に死んでいて、迎えに来てもらうという設定―――
  如何でしたでしょう?
  今朝出勤途中の、電車の中で突如ひらめきが起こり、ここまで気分が進むままに書き進めて見ちゃいました。
  天華、話書く時って連想ゲームなんです。
  キーワードからキーワードを浮かべていくんです。
  今回の連想ゲームはこうでした。
  『息を引き取る』 → 『イギリスの季節が綺麗なとき』 → 『ぼんやりとしている』
  → 『回想シーン』 → 『お迎え』 → 『孫登場』 → 『誓い』
  みたいな感じで話がトントン拍子に浮かんだのでした。
  

 サブタイトルは、一希さんから頂きました♪ ありがとうございますv

                              拝――天華














 と言うような話を、今から三年ほど前に書いていました(笑)
 マンスリーで再アップしてもう再アップするつもりはなかったんですが、「鏡越しのキス」を読んで下さった方でそっちの後書きに書いていたこの話が読んでみたいという方々が思っていたよりも多かったので、意を決しての再々UPとなりましたー(笑)
 まぁ、私的願望って事で、二人の最後を書いていましたが、今読み直しても結果は変わらないので、死にネタの再UPなのです。
2001年 3月頃UP
2004年 3月13日再々UP




ナルVer 




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