The Season

      花が咲いた場所












 柔らかな日差しが室内を包み込んでいた。
 The saeson。
 イギリスがそう呼ばれ一年で一番美しいと言われる季節。
 緑が色鮮やかに世界を彩る季節。
 彼は、窓際に置かれたロッキング・チェアーに座って彼女が愛でていた庭を見る。
 自然と眼が彼女の姿をそこに探してしまう。
 もう、いないというのに――
 庭はおろか、この世界に彼女の姿はどこにもないと言うのに。
 遠い日別れてしまった、片割れの元へ旅立ってしまったばかりだというのに。
 心は、こんなにも彼女を求めていた。
『お父さん? 食事の支度できたけど食べれる?』
 自分そっくりの容姿をした、娘が背後からそっと声を掛けてくるが、彼は応えない。
 漆黒の髪に優しい闇色の瞳。
 外見は自分にそっくりだというのに、中身は亡き人そっくりで、片割れを彷彿させる娘。
『お父さん、少しは食べて?』
 彼女が昔よく言った言葉と同じことを、娘は口にする。
 だが、彼は応えない。
 娘は諦めたのか、ため息を付くと部屋を出ていった。
『博士は?』
 娘の夫となった男が問いかけるが、娘は無言で首を振る。
『だめ、お母さんが亡くなってからずっとあんな調子なの。
 お母さんも自分が亡くなった後のこと、随分気にしてたけど――』
 深いため息。
 男は娘の肩に腕を回しそっと抱きしめる。













 なぜ、彼女がいないのに自分は息をしているのだろう。
 なぜ、失ってしまったのに生きていけるのだろう?
 瞼を閉ざす。
 脳裏に浮かぶのはいまだに褪せることのない彼女と過ごした日々。
 初めて出会ったのは、まだお互いが十代半ば。
 そして、そこから共に過ごしたときの長さ――常に彼女は傍らにいた。
 天真爛漫なまでに、いつ間でも変わらない笑顔を浮かべて。
 逝くその時まで、彼女は微笑みを浮かべていた。
『―――ありがとう、ナル』
 彼女は掠れた声で呟いた。
『―――幸せだった。ずっと…そして、これからもずっと……………』
 彼女は泣き顔では絶対に逝かないと、ずっと昔から言っていた。
 そして、その言葉通り笑顔を浮かべて静かに逝った。
 雪の降る日の朝。
 涙は出なかった。
 不思議と、心は静かだった。
 永遠に失ったというのに、同時に永遠に手に入れたと思った。




 ただ、ぽっかりと胸のうちに空洞が出来て、塞がることが無かった。
 




 眼を閉ざす。
 そうすれば、記憶の中に。夢の中に彼女を見れるから―――





























「なに、ナル居眠りしているの?」
 その声にナルはハッと目を覚ます。
 目の前には無邪気に笑う愛しい人が居た。
「麻衣?」
 掠れた声が口から漏れる。
「ん?」
 麻衣は不思議そうな顔で、ナルを見下ろしている。
 辺りを見渡すと、見慣れた部屋。
 渋谷のオフィスの所長室。
 そこのイスに座っていた――どうやら、眠ってしまっていたようだ。
 随分イヤな夢を見た――
 強張った身体から力を抜く。
「お茶入れたけど飲む?」
「ああ―――」
 麻衣はにっこりと微笑むと手に持っていたカップをナルに手渡す。
 ナルは麻衣から受け取り、カップに口を付ける。
 毎日飲んでいるというのに、久しぶりに飲む気がした。
「また、夕べ遅くまで仕事してたんでしょ?
 駄目だよ。ちゃんと睡眠と食事はとらなきゃ。私がいないとすぐにサボるんだから」
 麻衣の小言を聞くのも久しぶりのようなきがする。
「ナル? 何笑ってんの?」
 言外に不気味だよっと言って、麻衣は変なのもでも見るかのような視線でナルを見下ろす。
「いや―――ひどく、久しぶりのようなきがして」
「は? 何が?」
 麻衣は意味が分からず首を傾げる。
 昨日もオフィスであったばかりだよ?と、続ける。
 そう言った矢先だというのに。
「全てが」
 ますます謎なことをナルは口にした。
 唐突なまでに。
「そう、夢を見たんだ」
 ひどく饒舌だった。
 いつにないナルに、麻衣は手を伸ばす。
 額に触れてみるが熱はない。
 ナルはそんな麻衣の腕を取って、掌にそっと口づける。
「な…ナルっっっ!」
 麻衣は瞬間湯沸かし器のように真っ赤になって、手を引こうとするがナルの力に叶うわけがなく、逆にナルに手を引っ張られる。勢いに負け麻衣はナルの上に倒れ込むが、ナルに支えられる。
 くるりと身体を反転させられ、気が付いたらナルの膝の上に座ってナルと向かい合っていた。
 ナルは麻衣の華奢な身体を抱きしめる。
 まるで、その存在を確かめるように。
 優しく。ふわりと。腕に抱き込む。
「なぁるぅ?」
 いつもと明らかに様子の違うナルを麻衣は不思議そうに見上げる。
「夢を見た」
「うん」
 麻衣はされるがままになる。
 いつもと変わらない無表情のナルが、なぜだか心細い顔をしているように見えたから。
 ナルは麻衣の身体を抱きしめ、肩に額をくっつけるようにして顔をうずくめていた。
 ナルの細い髪が頬をくすぐる。
「僕は年を取っていた」
 ナルの言葉に麻衣は想像力をフル稼動させる。
 だが、どうしてもナルの年老いた顔を想像できず、麻衣は断念する。
「だけど、麻衣がいなかった」
 ぽつりと漏れた言葉。
「僕は一人だった――お前は、ジーンの元へ逝ってしまっていなかった。
 前から言っていたように、笑顔を浮かべて、麻衣は逝ってしまった」
 ナルの言葉に麻衣は苦笑を漏らす。
「私は、ここに、いるよ?」
 ナルの背に腕を回して麻衣はその耳元に囁く。
「なぜ、ここにいるんだろうと思った。
 僕は、一人で、どうしてここにいるんだろうと」
 麻衣はぽんぽんっと、まるで小さな子をあやすようにナルの背中を軽く叩く。
「なぜ、麻衣はいないのにいるんだろうと――――――」
 心が沸き立つようなことをナルは口にする。
 麻衣は嬉しい反面、困ったような顔でナルの髪を撫でる。
 小さな子供みたいなナルを。
「大丈夫。私はナルを置いてどこにも行かないよ?
 ナルを一人にしたら、本に埋まってミイラ化してるよ、きっと」
 わざとふざけたような口調で麻衣は言う。
 ナルから少し身を放して、ナルの頬に両手を添える。
 真っ直ぐに正面から、その漆黒の双眸を見つめる。
 鳶色の柔らかな眼差しが、そらせられることなく一対の宝石を見つめる。
「私は、ナルが嫌がったって、ずっと側にいるんだから。
 そう、決めたの」
 麻衣の強気な言葉に心が救われていく。
 ひどく、渇いた焦燥感が消えていく。
 癒されていく。
「ああ―――」
 ナルも麻衣の頬に両手を添える。
 二人はどちらからともなく、顔を寄せ合いそっと口づけをする。
 柔らかな唇を覆うように、重ね合う。
「もう、ずっと側にいるよ?
 ナルはもう、一人じゃないよ? もう、一人じゃないから―――」
 わずかに離れた唇から、吐息と共に漏れた言葉。
 ナルは艶やかな笑みを刻む。
 ジーンのように柔らかな笑みではないけど、とびっきりの笑顔だと麻衣は思う。

「It isn't left any more―――Eternally」

 ナルは呟いて再び麻衣の唇に自分のを重ねた。
 麻衣の吐息を、全てを奪うかのように。











       ※             ※            ※
















『おじーちゃん、ご飯食べないの?』
 茶色の髪、鳶色の双眸をした、小さな女の子がちょこちょこと近づく。
 ロッキングチェアーに腰を下ろした、漆黒の老人を見て小首を傾げる。
『マリア、何しているんだ?』
 漆黒の髪に漆黒の瞳をした少年が、小さな女の子の名前を呼ぶ。
『おにーちゃん。おじーちゃんお寝むしちゃったみたい』
 妹の言葉に少年は祖父の元に、近寄る。
 祖父はいつもの無表情ではなかった。
 滅多に見ることの無かった笑みを口元に刻んでいる。
 実に久しぶりに見る笑みだと思った。
 祖母が亡くなってから、全くといえるほど浮かべなくなってしまった笑み。
『おじーちゃん、笑っているね』
 不思議そうに妹は祖父の顔を見上げている。
 少年は、はっとした。

「It isn't left any more―――Eternally」

 祖父から漏れた言葉。
 そして、浅く長い吐息――――そして、沈黙。

『お母さんを呼んでこよう』
 少年は妹の手を取った。
『おじいちゃんはもう、眠りについたんだよ』
 妹は笑顔を浮かべたままの祖父を不思議そうに見つめる。
『おばあちゃんに、逢えたみたいだね』
『おじいちゃん、おばあちゃんに逢ったの?
 いいな、マリアも会いたい』
 妹の言葉に少年は苦笑を漏らす。
『いつか―――あえるよ。
 おばあちゃんにも、おじいちゃんにも』
 少年の言葉に妹は訳が分からないと言わんばかりに首を傾げた。
『いつか―――遠い未来に――――――』






















「なーる」
 麻衣は楽しげにナルの首に抱きつく。
「ごめんね。一人にして」
 その耳元に唇を寄せて、囁く。
「でも、もう一人じゃないよ」
 くすくすっと楽しげなそれでいて、寂しげな笑みが浮かぶ。


「ああ……………一人では、無いな」


ナルは麻衣の身体を強く抱きしめた―――






 二度と離さないために――――――――――

 
















 ☆☆☆ 作者の戯言 ☆☆☆

 緊急アップです。
 ただいま、天華お仕事中です。一体何やっているんでしょう?
 いいんです暇だから。
 でも、同僚の方、上司の方、済みません。天華はけっして、お仕事をサボっているわけではないのですが、お仕事ないので遊んでいます。
 と、言うわけなので突然アップさせてしまったお話です。
 まだ、『恋執』終わらせていないと言うのに……
 待っている方いましたらごめんなさいです。(居るのか、そんな奇特な人)

 ナル・ヴァージョン。
 これは、ナルが息を引き取るとしたら?
 を、想像したときこんな絵が浮かんできたんです。
 麻衣が死んで2〜3ヶ月後といった感じでしょうか。
 後を追うようにナルも息を引き取ったという――そのナルのお出迎え。
 似たような雰囲気で麻衣・ヴァージョンもあります。
 そちらも良かったら読んでみて下さいね。
 
 それでは、この辺で失礼します。


                               2001年 3月頃UP
                                   拝――天華       













 と言うような話を、今から三年ほど前に書いていました(笑)
 マンスリーで再アップしてもう再アップするつもりはなかったんですが、「鏡越しのキス」を読んで下さった方でそっちの後書きに書いていたこの話が読んでみたいという方々が思っていたよりも多かったので、意を決しての再々UPとなりましたー(笑)
 まぁ、私的願望って事で、二人の最後を書いていましたが、今読み直しても結果は変わらないので、死にネタの再UPなのです。




                                                  2004年 3月 13日 再々UP


                        

麻衣Ver