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 オフィスを勢いよく飛び出した真砂子は、ヒールの音を響かせながら道玄坂を足早に降りていく。
 心臓がばっくんばっくん早鐘を打ち、息が乱れるのも気にせず駆け下りていく真砂子を、何人かがちらり、ちらりと見ていくが、真砂子はまったく気がつかず、スクランブル交差点までいっきにたどり着く。
 赤信号でようやく足を止めた頃には、肩が激しく上下するほど息が上がっていた。
「真砂子? なにどうしたのよ。そんなに息乱して」
 地下鉄の出入り口から姿を現した綾子の声に、真砂子は弾けるように顔を上げる。
「真砂子・・・?」
 綾子は綺麗に整えられている柳眉を軽く潜めるが、すぐに何もなかったかのように笑みを浮かべる。
「なーにそんなに急いでいるのよ。
 これから事務所行くんでしょ? 何かあったんなら話聞くから、麻衣のお茶でも飲みに行きましょ。モロゾフのチーズケーキ買ってきたの。皆で食べない?」
 綾子の問いかけに真砂子は、どう答えるべきか逡巡してから口を開く。
「麻衣は今、ナルと一緒にイギリスに行かれてるのでおりませんわ。それに、お誘いは嬉しいのですけれど、あたくし用がありますので・・・松崎さん?」
 真砂子は言い捨てるとさっさと歩き出そうとしたのだが、その腕を綾子は掴んで引き留める。
「麻衣がいないならオフィス行っても仕方ないわね。じゃぁ、その辺でお茶してかない? 何でもないって顔してないわよ。
 お姉さんが奢ってあげるから、行くわよ」
 半ば無理矢理に綾子は真砂子の腕を取ると、返事を聞かずに歩き出す。
「松崎さん!」
「なによ。たまにはいいじゃない。
 それ着てるって事は仕事ないんでしょう? 何があったのか知らないけれど、そんな泣きそうな顔してるのほっておけるわけないじゃない」
 綾子にずばりと指摘され、真砂子は息を飲む。
「麻衣がいないなら、したかった話も出来なかったんじゃないの? あたしでいいなら聞くわよ」
 綺麗にウィンクを返され、真砂子はかすかにだが笑みを浮かべた。
「んじゃ、さっさと移動しましょ。
 こんな吹きさらしの所で立ち止まっていても寒いだけだし」
 綾子が真砂子を連れて入った場所は、駅から少し離れた場所にある瀟洒な喫茶店だった。席は七割方埋まってはいるが、客層がOLやサラリーマンなどで、店内は話し声は聞こえるものの、静かで落ち着いた雰囲気を保っていた。
「で、何をそんなに思い詰めた顔してるの」
 オーダーをすませた綾子は、早速とばかりに問いかけてくる。
 前置きもいっさいなしの問いかけに、真砂子は面食らってしまうが、かえって遠回しにきかれるよりもよほど良かった。
「あたくし、思い詰めたような顔してます?」
「思いっきりしてるわよ。
 オフィスで何かあったの? 麻衣とナルがいないって事はオフィスには、安原君とリンさんがいるぐらいでしょう? まぁ、他にいてもボーズとかジョンぐらいよね。ナルがいないのに依頼引き受けるとは思えないし。
 安原君、とうとう我慢しきれなくて何かしでかした?」
 運ばれてきたカップに指をひっかけ、口元に運びながらさらりと言われた言葉に、真砂子は一瞬意味が判らなかったが、音を立てて勢いよく立ち上がると、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「安原さんは、そんな方ではありませんわ!」
 店内の視線がいっきに向けられたことに気がついた真砂子は、慌てて腰を下ろす。
「大声出さないでよ、麻衣じゃないんだから。それにそんな事くらい判っているわよ。ナルじゃあるまいしあの理性の固まりの少年が、不埒なことするなんて毛頭思ちゃっいないわよ」
「ナルじゃあるまいし・・・って、ナルも理性の固まりじゃありませんの」
 滝川と似たような事を言っていることを知らない綾子は、軽く手を左右に振って、ケラケラと声を立てて笑う。
「理性の固まり? 麻衣に関しちゃそうも言い切れないでしょう。なんだかんだ言ってもあの天才博士も色恋沙汰となったら、年相応になるってことよ」
「?」
 色恋沙汰に関してもナルは年相応には見えないのだが、綾子から見れば年相応なのだろうか? 真砂子が首を傾げるのを見ながら、綾子はクスクスと笑う。
 そこに、間違いなく年齢差と経験の差という物をかいま見た気がし、真砂子は面白くなさそうに不機嫌そうな顔を作る。
「まぁ、ナルのことはいいわ。麻衣が迷惑してないみたいだし、周りのあたし達があれこれ言う事じゃないしね。で? 何があったの?」
「・・・・・・なにも、ありませんわ」
 そう、何もないのだ。
 ただ少しばかり驚いてしまったに過ぎない。
 それなのに、いきなりオフィスを飛び出してきてしまったのだ。安原が気を悪くしてなければ良いのだが。
「真砂子、一つ聞きたいんだけどいい?」
「なんですの?」
 考えに没頭していたため、綾子に声をかけられると、驚いたように肩を震わせて顔を上げる。
「答えたくなければ、答えなくてもいいんだけどね。
 あんた、まだナルのこと好きなの?」
 脈絡もない問いに真砂子は面食らうが、間をおくことなく首を左右に振って綾子の問いを否定する。
「ナルのことはもう整理は付いてます。
 でなければ、麻衣と一緒にいられるわけありませんわ」
 一見恋人らしくはない二人。特別ベタベタするわけではないがさりげない行動、会話に二人の親密さを伺わせるものは十分にある。
 気持ちの整理が付いておらず、今だにナルに片思いをしていたとしたら、そんな二人の傍にいられるような自信は真砂子にはなかった。
「じゃぁ、安原君の事は?」
「・・・・・・判らないんですの」
 初めはしらを切るつもりだったが、正直誰かに話を聞いて貰いたいという衝動もあったため小さな声で呟く。
 困り果てたような、今にも泣き出しそうな顔をしながら。
「ナルの時はこの人の傍にいたい。この人と付き合いたい。と最初からはっきり意識していました。どうしても一緒にいたくて、卑怯な事もいたしましたわ」
 真砂子だけはナルと出会って少しした後に、ナルの正体を知っていた。それを盾にとりデートを迫ったのは、もう何年も前の話だ。
「ナルにはその気がないのは判っておりましたけれど、不承不承ながらもデートに応じて下さって、とても嬉しかったですわ。
 でも、ナルと一緒にいると常に気をはっておりましたわ。街を歩けばどうしても周囲の視線を集めてしまいますもの。ナルの隣にいておかしくないように、人目を常に気にして、ナルの気を常に気にして・・・今思うと、子供じみたことばかりしておりましたわ。
 必死になって自分を繕って、年よりも上に見せようとして、少しでもナルに釣り合うようにと・・・今思うと無様なほどきっと背伸びをしていたと思います。麻衣のように自然体でナルの隣にいることは、あたくしには出来ませんでした。
 でも安原さんと一緒の時は逆に肩の力がぬけますの。穏やかな時間で、周りの視線を気にすることもなければ、気取る必要もなく、心地良く感じるんです。
 でも・・・・・・」
「高揚感がない?」
「判りません。
 穏やかで安心して、一緒にいる時間を楽しむ事ができますわ。でも、それは麻衣や松崎さんといる時と同じような感じでもあるんですの。
 お二人と一緒に出かけると、とても楽しいですわ。周りの視線もまってく気になりませんし、とても楽しい時間ですのよ。それと同じように感じてしまうことがあります。
 そう、考えたらあたくしは・・・・・・」
 麻衣や綾子と一緒にいるようなものだと安原が聞いたらさすがにショックだろうか? 普通に考えたら哀れだろう。惚れている相手に、女友達と一緒にいるようで和むなんて言われたら、自分なら立ち直れない。思わず安原が気の毒に思い、遠くを見てしまう。
 その視線はそのまま無意識に、辺りへと動く。店内にはビジネスマンやOLが多いが、カップルの姿もちらほらとあった。
 楽しく談笑するカップル。
 一つのケーキを二人でつっついているカップル。
 なにか、神妙な顔で話し合っているカップル。
 パンフレットを二人で見ているカップル。
 雰囲気は違えど、幸せそうな顔をしている彼ら。
 街を見下ろせば、行き会う人たちのいったい何割が恋人や伴侶がいるだろうか。そのうち何人が心の底から幸せだと思えるカップルなのだろうか。
「ねぇ、真砂子。恋って人の数だけあるわよね」
「?」
 綾子が何を言いたいのか判らず、真砂子は軽く瞠目する。
「恋の数だけ恋人同士がいるわよね」
「・・・・・・ええ?」
「なら、同じにはけしてならないんじゃない?
 ナルに恋したように、安原君に恋をするとは思えないわ。
 だって、あの二人性格が全く違うじゃない。性格が同じとか違うとかそういう問題でもないわよね。全くの別人なんだから、同じような気持ちにはならないわよ。
 出会ったきっかけも違うし、そこまでに至る過程も違うんだから」
「判っておりますわ」
 そのぐらい綾子に言われなくても判っている。
 安原はナルと違う。
 一緒にいればいるだけ、それが良く判る。
 ナルがしてくれなかったことを、安原はしてくれる。
 自分が動かなくても、自分が誘わなくても、自分がリードしなくてもすべて彼がやってくれる。
 あの人は一度も自分には微笑みかけてはくれなかったが、彼は自分だけのために微笑みかけてくれる。
 あの人は、けして自分からは触れてはくれなかったが、彼はその手を優しくさしのべてくれる。
 あの人はけして、自分から話を振りかけてくることはなかったが、彼はいつも飽きさせることなく楽しい話題を振ってくれる。
 あの人がしてくれなかったことを、彼は当たり前のようにしてくれるのだ。だから、楽な方へと逃げようとしているのではないのだろうか。そう思えてならない。
 もしかしたら、ナルを思う気持ちにケリをつけたのだと思いこみたいだけなのかもしれない。いまだに未練があるから、楽な方へと無意識のうちに逃れたいだけなのかもしれない。
 そう、思ってしまう自分がいる。
 本当に、彼の手を取って良いのだろうか。
 彼に心が向き始めているのか。
 何も判らない。
 自分のことだというのに、何も判らない・・・まるで、目を何かで覆われて目隠しされてしまったかのように、見えるはずの物が、判るはずの物が判らないのだ。
「あたくしは麻衣がナルを呼ぶように、安原さんのことを名前で呼べませんわ・・・」
 今だに「原さん」「安原さん」と他人行儀で呼び合う間柄で、恋人同士だと言えるのだろうか。いや、友人としてさえ距離が開いているように感じる。
「別に、呼び名なんて何でもイイじゃない」
 何をつまらないことをと言わんばかりの口調だ。
「あたくしは、麻衣のようにすべてをさらけ出す事なんて、出来ませんわ・・・」
 今度こそ呆れたようにため息をつきながら、綾子はバックからシガレットケースをを取り出し、細いタバコを唇に銜えるとその先にライターで火を付ける。
 チリチリと紅い火がともると、細い紫煙がゆっくりとくゆり出す。その煙を真砂子の方に流れないように吐き出すと、煙の行方を目で追いながら口を開いた。
「別に、麻衣のように・・・麻衣とナルのようになる必要なんてないわよ。あの二人の関係は誰もまねできないわ。
 あんな風に一途に思って、思われる関係って素敵よね。それも見ていて重く感じるような想い方じゃなくて、第三者が自然とそう感じるってのは難しいと思うわ。確かにあたしも羨ましいとは思うし、あんたが憧れる気持ちも判るけど、真砂子は真砂子らしく安原君と向き合えばいいのよ。
 それも、また誰にもまねできない関係よ?
 同じカップルなんてこの世のどこにも存在しないわ。
 ねぇ真砂子、安原君と恋がしたいの? それともナルに抱いた恋心を忘れるために恋がしたいの? もしくは誰でもいいから恋がしたいの?」
 綾子の言葉が容赦なく真砂子に突き刺さる。自分が抱いている疑問を改めて他人の口から言われると、背筋に冷たい物が流れる。
 もしも、ただナルを忘れるためだけに恋がしたいのであれば、真剣な思いを向けてくれた安原に対して、酷いことをしてしまっている。
 俯いてしまった真砂子を眺めていた綾子の口元に苦笑が浮かび、綺麗にマニキュアが塗られた指先が伸ばされ、そっと真砂子の頬に触れる。
「泣くような問題でもないと思うけれど?
 答なんて簡単に出せるものじゃないわよ。ゆっくり時間をかけていかないと、間違った答えを出すだけよ」
 灰皿の上に置かれたタバコの灰が、ポトリ。と銀のプレートの上に音もなく落ちる。
「でも、あたくしはもう半年も安原さんに答えておりませんわ」
「半年ぐらいなによ。そのぐらい待たせたって罰は当たらないわよ。いい女はね男を焦らせてなんぼよ。だいたい、半年やそこらで人の気持ちがどうにかなるものでもないでしょう? そのぐらい安原君だって判っているわよ」
 綾子が何を言っても真砂子はすでに俯いて、首を横に振るばかりだ。これ以上何を言っても、真砂子をどんどん依怙地にしていくだけだろう。
 なんでこう、自分の周りには頑固な人間が多いのだろう。
 灰皿に置いたタバコを再び銜えながら、綾子は知らずウチにため息をついてしまう。あまりこの子達の前ではタバコは吸いたくなかったのだが、思わず手を伸ばしてしまったほど、自分には手に負えないかもしれない・・・そう思いながら、綾子もまた思案にふける。
 真砂子は知らないだろうが、麻衣も一時期は色々と大変だったのだ。今はもうナルという支えがいるから、自分はお役ご免になったようなものだが、代わりに今はナルが色々と苦労していることだろう。まぁ、それが恋愛の醍醐味というものかもしれない。もっとも、ナルの苦労はあの時の自分とは比べものにならないほど楽で、ある意味幸せな悩みに過ぎないだろうが。
「半年の間に、安原君のことを異性として見ていられているのなら、勘違いの恋なんかじゃないわよ」
 異性として見れているのか、見れていないのか。おそらくそこにはまっているのだろう。多少なりとも意識をしているのならば、惹かれていることを認めさえすれば楽になる。一度惹かれていると認識してしまえば、言葉が悪いがなし崩しで事が進んでいくだろう。
 そもそも半年という年月は真砂子が思うほど短くはないと思うのだ。嫌いな相手と半年間一緒に行動することが出来るほど、真砂子は己を抑えるような性格はしていない。それに意識するには十分な時間だと綾子は思っているが、頑なに惹かれていることを拒絶しているのでなければ、そこまで本人が気が付いていないだけかもしれない。
 見えている恋に気が付いていながら手を伸ばすことを脅えているだけか、目を背けているのか、それとも、本当に気が付いていないだけか。
 この恋は勘違いかもしれない。
 果てのない、ある意味答のけして出ない問題にはまってしまった真砂子を見ないで、綾子は独り言のように言葉を続ける。
「間違っても、あんたは打算で恋が出来るタイプじゃないわ」
 前にも同じ事を言ったわねぇ・・・言う相手は、真砂子ではなく麻衣だったような気がするが。麻衣にしろ真砂子にしろけして打算だけで恋ができるほど器用ではないのだから。
 この子達と比べて、自分がどれほど真剣な恋をしてきたか、その面だけを見てしまったら自分は相談相手には向かないないだろう。この子達ほど真剣な恋をしてきたとは言えない。
 ここまで恋に真剣になれると言うことは羨ましいことだ。今の自分にはそんな怖いことは出来ない。若い頃も出来なかった・・・それだけの相手に出会わなかったと言ってしまえばそれまでだが、そこまで真剣に向き合っていたとは思えない。
 恋は楽しいもの。
 そう思っていた自分では、手に入れることは出来ないものなのだろう。
 麻衣は上手く、それを手に入れることが出来た。
 おそらく誰もが憧れる形で・・・あの子は本当に手にすることが出来たと言えるかもしれない。
 真砂子はどうだろうか?
 いつも背筋をピンと伸ばして、まっすぐ前を見据えていた彼女だが、今は親とはぐれて道に迷ってしまった幼子のように、途方に暮れた・・・心細げな顔をしている少女を思いながら、麻衣に言った同じ事を口にした。
「世の中には打算で恋が出来る女は腐るほどいるわ。
 本物か偽物かなんて誰が判断するの? ずっと、恋人関係が続けば本物? 確かに本物に見えるかもしれないけれど、世の中には体だけの関係とか、逆にセックスレスの夫婦とか山ほどいるわよ?
 何をもって本物とか偽物って決めつけるの?
 そんなもの、いくらだって誤魔化しがきくものよ?」
 綾子は半分ほど吸ったタバコを灰皿に押しつけて火を消すと、意地悪げに唇に笑みを浮かべながら、言葉を続けた。
「どうしても試したいなら一つやってみる? 
 真砂子にそこまでの度胸があるならの話になるけれど、安原君と肉体関係を持てれば本物。出来なかったら偽物。そうやって判別する方法もあるわよ? 極論だけど本気でもない相手にそんなまね、あんたにはできないでしょう?」
 綾子が何を言っているのか、一瞬真砂子は判らなかったが、数秒が真っ赤になって勢いよく立ち上がる。
 あまりにも勢いがありすぎたのか、椅子が見事に背後にひっくりかえり、けたましい音を立てて倒れるが、それ以上に反射的に振り上げられた右手が勢いよく振り下ろされる。
「・・・・・・相談に乗って、頬まで叩かれるのは割に合わないと思うけれど?」
 振り上げられた右手は、難なく綾子の左腕にガードされ、意地悪げな笑みを浮かべている頬を叩く事は出来なかった。
「あたくしは、真剣に話をしておりますわ! 巫山戯たことはやめてくださいまし<」
 顔を真っ赤にして、肩で荒く息をしている真砂子を見上げながら、綾子はクスクスと笑みをこぼす。
 その笑みに対し真砂子は、さらに眉尻を吊り上げる。
「こんな事冗談で言うわけないでしょう。
 大げさに言えばそういうことが出来るなら、悩む必要はないでしょうって事よ。簡単に誰とでも関係を持てるような子なら、そもそもこんな事で悩まないでしょうしね。お遊びですんじゃうもの。できないあんたにだから言ったんじゃない。
 極論を言ってしまえば、そこまでの覚悟があるなら、惹かれているって事になるんじゃないの。
 それに、何もいきなりそうしろとは言わないわよ。真砂子が例え覚悟を持ったとしても、安原君がいきなりそんな事するとは思ってもいないし。あの子ならそれなりの手順を踏んで、持ってくでしょうしね。成り行きでなんて間違ってもプライドが許さないでしょう?
 真砂子にしろ安原君にしろ、プライドは誰よりも高いからね。
 あたしが言いたいのは、いつそうなってもイイ覚悟があるか、ないかの話よ。
 なにもセックスが出来るか出来ないかが判別方法といっているわけじゃないわよ。キスが出来るかどうか。抱き合う・・・寄り添う事が出来るかどうか、キス一つとっても軽い挨拶のようなキスから、フレンチ・キスまであるわね。腕を組んで歩くことが出来るか出来ないか、手を握って歩くことが出来ないか。まぁ、この辺は恋人同士じゃなくても出来るだろうけれど。
 心の動きばかりは他人ばかりか自分だってはっきり判らない。なら目に見えて判るものと言えば、接触になってくるでしょう?
 精神的な面といえば、安原君が真砂子以外の女の子と一緒にいるのを見た時どう思うかよね。ナルが麻衣を見ているのを傍で見てて真砂子はどう感じた? 同じように感じれば脈有りなんじゃないの。
 あたしが言いたいこと判ったんなら、椅子を戻して座ったら?」
 真砂子はテーブルの上に両手を置いたまま、立ちつくしていたが、綾子に言われてようやく自分が椅子を蹴倒していたことに気がつき、元に戻すと糸が切れたように真砂子は腰を下ろす。
 少し刺激が強すぎたのだろうか?
 麻衣はここまで過剰に反応することはなかったが・・・麻衣よりも芸能界にいる分、真砂子の方がこの手の話題に慣れていると思ったのだが、感ははずれたのだろうか?
「大げさに言ってしまえば、覚悟があるかどうかの話よ」
 安原に対して萎縮してしまっている真砂子には、少しばかり刺激が強すぎたかもしれない。逆に意識しすぎてぎこちない関係になるかもしれない。
 だが、だからといって自分に何が出来るというのだろうか。
 少しばかり・・・ほんの数年彼女より早く生まれたにすぎず、彼女に比べれば多少経験があるといった程度にすぎない。
 それからしばらくして、喫茶店を後にしJR渋谷駅へと言葉もなく向かう。
「真剣に考えることは大切だけど、少し肩の力を抜きなさい」
 ポンポンと両腕を伸ばして、真砂子の両肩を軽くたたく。
「難しく考える必要なんて何もないんだから。
 付き合ったからって、結婚しなきゃいけないわけでもないんだし。とりあえず付き合ってみて、合わないと思ったら分かれるというのも一つの手よ? まぁ、あたしはいつもそのパターンなんだけど。
 これあげるわ。麻衣にあげようと思ったんだけれど、しばらく戻ってこないなら無駄になっちゃうし。使おうとも捨てようとも、真砂子の好きにすればいいわ」
 綾子は別れ際にミュージカルのチケットを二枚真砂子に手渡す。困ったように二枚のチケットに視線を落としていたが、力無く微笑むとJRの改札口へと歩いていく。その後ろ姿を見送っていると肩をポンとたたかれた。
 振り返ってみると、苦笑を浮かべた滝川が立っている。
「真砂子も行きづまっている感じか?」
 視線は綾子から、人混みへとかき消えていく真砂子へと映る。
「もって事は少年も?」
「どっちかっていうと、手を出しあぐねているって感じだな。
 まぁ、あれだ若いっていいねぇ   」
「何、年寄りじみたこと言ってんのよ」
「あいつらから見れば、俺らなんておじさんよ。お・じ・さ・ん。ナイス・ミドル目指してるもんね♪」
「ナルなら十分にそうなるだろうけれど、あんたはただのスケベ親父になるんじゃないの? それより、あたしまで一緒にしないでくれない?」
 柳眉を激しくつり上げる綾子に、滝川はニヤニヤと笑みをこぼす。
「相変わらず失礼なこと言うねお前さん。
 というか気にしだしたらアウト。だと思うんぜ。それよりこれから空いてるんなら飲みいかねぇ? 実は俺、暇なのよ」
 麻衣、いねぇしなぁ。とぼやきながらの言葉に、綾子はわざとらしいため息を一つ。
「いやぁねぇ。一緒に飲み行く彼女の一人や二人いないの?」
「人のこと言えた口か?」
「あたしは、たまたま今はフリーなの! あんたみたいに閑古鳥なんて飛んでないわよ!」
「それは、それで問題発言だと俺は思うがね。まぁ、いいや。行こうぜ。この時間ここらいるってことは暇なんだろ。
 渋谷じゃあれだなぁ・・・よし、銀座だ! いい店見つけたんだよ。麻衣でも連れて行ってやるつもりだったんだけど、あいつナル坊とイギリスだしな。お父さんは寂しい」
 よよよ。と泣き崩れる振りをする滝川に、綾子は白い目を向ける。
「あんたと麻衣じゃ良くて兄妹。下手すると援交にしか見えないんだから、いい加減誘うのやめたら?」
「問題ナッシング。麻衣誘うと自然とナル坊もワンセットになるぜ。
 あの坊ちゃん、俺の誘いにはのらねーくせに、麻衣の誘いは嫌そうな顔しながらも断らないからな。人間変わる時は本当に良くかわるもんだよな。
 それに、少年も一緒になること多いぞ。本当は少年や真砂子も誘うと思ったんだけどな」
「今はやめておいた方が無難ね。微妙な感じよ?」
「少年が珍しく手こずっているからな。
 まぁ、あんま俺たちが口出しするような問題でもないしな。
 後は野となれ山となれなんじゃないの」
「お気楽ねぇ、あんたは。そういえば麻衣の時も意外と平然としてたわね。親ばかなあんたにしちゃ、偉く静かで不気味だったわ。一番騒ぐと思ったのに」
 二人はJR改札口から地下鉄銀座線に向かって、歩き始めながらも口の方は休まる暇がなく動き続ける。
「俺のポリシーとして、基本的に人の恋愛沙汰には口挟まん方針なの」
「基本的に?」
「例外として相談を受けた場合だな。SOS出されて無視できるほど、性格は悪くないつもりだし。人間関係・・・ことさら、恋愛関係に下手に口挟んでいいことなんてないからな。
 まぁ、たいがい話を聞いて貰うだけで、すっきりするってことが多いから、そういう問題は黙って聞くだけにしているよ」
 渋谷を発した銀座線は間もなく、地下に潜っていき表参道を過ぎ、銀座へと向かってゆく。流れる景色はなく、ライトが右から左へと流れていくのをなんとなく見ていく。
 確かに人の恋愛沙汰に口を挟む趣味は綾子とてない。だが、思い返してみれば今日の真砂子との会話は、十分に立ち入った内容になってはいなかっただろうか?
 ついつい、放っておけず口を出してしまったが、よけい真砂子を混乱させてなければ良いのだが・・・・・・
「まぁ、それは俺の方針。お前にはお前のやり方であいつらの話を聞いてやればいいんじゃねーの。
 男と女という差もあるからな。
 まぁ、少年はともかくナル坊から話を聞いてくれなんて一生ありえんだろうけれど、少年にしろSOSを出すようなタマじゃないからな」
「勘違いかもしれない・・・そう考えてしまう恋って難しいわね。
 あたしには経験がないから判らないけれど、あの子達を見ると自分で自分をどんどん追いつめていっているようにしか見えないわ」
 自分自身で自分が判らないというのが一番不安だろう。
 見えない思いを、手探りで探ろうとするが、触れるのが怖くて指先を伸ばせないでいる微妙なライン。
 麻衣は見事その怖れをはねとばして手を伸ばした。その手は振り払われることなく、しっかりと相手の手を握り替えし、受け止められた。
 真砂子はいったい、どんな答を出すのだろうか?
 どんな答えでもいい。自分が一番後悔しない答を見つけられればいいと、綾子は思うのだった。










                                 
☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
あと、一話で終わります。
一応、明日の夜更新予定・・・今回はもう、原稿一切修正せず、コピペでUPしているので、お待たせせず更新しちゃいます〜でないと、またついうっかり忘れて半年後の更新になりけねないし(笑)←笑い事じゃない・・・・



2008/10/19 UP
Sincerely yours,Tenca



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