華が咲き綻ぶように




 さて、程よく帝のおわす内裏に近いところにある豪奢な屋敷では、宴がひらげられていた。藤原の中納言の姫君涼子が模様す宴。普通ならば、数多の貴族が参加し、夜通しの賑わいを見せるのだろうが、今宵は規模の小さな内輪だけの宴だ。
 というのも、つい先日彼女が妹のようにも娘のようにも可愛がっている、麻衣がを夫に迎えたのだ。彼女の上司であり帝の覚えもめでたい陰陽師の鳴瀧である。三日夜通いが終わり露顕(ところあらわし)を無事に迎えられ晴れて夫婦となった、友人達を祝して開かれた宴である。
 傍流とはいえ藤原の姫と、陰陽師と言う身分の低さにもかかわらず帝の信任厚い鳴瀧のお披露目ともなれば、そこそこに人が集まってもおかしくはないのだが、当本人達が派手な宴を好んでおらず、誰か判らない人間に祝ってもらうよりも、友人達に心から祝してもらったほうが嬉しいと押し切られ、地味な宴となたのだった。
 だが、この場に主役は一人しかいない。
 一人黙々と告がれた酒を飲む鳴瀧は、非常に不本意と顔にでかでかと書いて座っていた。
 さっきから一言もしゃべらない。
 滝沢がここぞとばかりに琵琶を披露しようとも、榊が伸びやかに歌を披露しようともうんともすんとも言わない。仏頂面と表記するのが相応しい表情で、美味しいお酒もまずそうに飲んでおり、宴とは名ばかりのお通夜のような静けさが時折通り過ぎてゆく。
「百合子姫、麻衣姫と涼子姫はどうなさったんですか?」
 そう。肝心要の麻衣と主催者である涼子がこの場にはいないのである。
 百合子は扇で口元を隠しながら小首をかしげて、自分にも判らないと身振りで伝えるがそんなことがあるわけがない。彼女の見えない目は細められて実に楽しそうな容貌を描いているのだ。
 何かたくらんでいる。
 誰もが直感的にそう思ったのだが、何をたくらんでいるのか誰もわからない。
 そもそも、麻衣の結婚は不意打ちで決まったようなものだ。
 そう。榊にも滝沢にもまさに寝耳に水状態といっていいかもしれない。
 なにせ、ほんの数日前までそんなそぶりなど全く見せなかった二人が、ある日唐突にはれて夫婦になったというのだから驚かない人間がいるわけがない。
 もちろん、麻衣が鳴瀧のことを思っていた事はすでに周知の事実として、皆が知っていたのだが、鳴瀧が麻衣のことをどう思っているのか今ひとつ判断がつきづらく、歯がゆさと共に二人の行く末を見つめていたのだ。
 結果だけを知らされて二人は、当然そこまでにいたるいきさつを全く知らない。
 麻衣が本来ならば別の男を夫として迎えるはずだったと言うことも、麻衣のほうから花嫁衣裳を纏ったまま鳴瀧の家に押しかけ、夜を共に明かしたことも、それを迎えに来た涼子が高らかに鳴瀧に正式に通ってこなければ、あんたを婿とは認めないと宣言したがゆえに、晴れて露顕を迎えられたと言うことも・・・・何一つ、彼らは知らない。
 百合子は後日涼子から聞かされたのだが、あきれを通り越して感心してしまったのであった。
 いくら、好きな人間がいたとしても今の貴族社会で、それがまかり通るわけがない。よほど、娘を溺愛している両親なら別だが、娘とは身内が出世するための道具であり、よりよい夫を迎えることによって幸せになると信じられていたのだ。まして、麻衣のように他家に世話になっている身の上ならば当然であるのだが・・・・・・
 ほんの二日ほど前涼子と交わした会話が蘇る。
「伯父上様がよく、許してくださいましたのね」
 出世欲塗れとは言わないが、貴族の男として生まれただけあって今の中納言の地位で満足しているとも思いがたく、そこそこに野心はあるようである。そのため、麻衣や涼子もいずれ政略目的でどこぞの貴族の息子を婿に迎えることだろうと、誰もが思っていた。もちろん、百合子自身も例外ではない。
 伯父が選んだ人間より、地位の高い男を選んだのならともかく、帝の信任厚いとはいえ陰陽師程度で伯父が満足するとは思えなかった故の疑問である。
 いくら、あの「安部晴明」の曾孫とはいえ、やはり婿に向かえるならば貴族の息子が言いと思うだろう。
「あら、賭けに勝ったのよ」
 さらりと百合子の疑問に答える涼子は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「麻衣が屋敷から抜け出して鳴瀧を自ら手に入れることができたら私の勝ち。麻衣の夫は私が選ばせてもらいます。父上には一切口出し無用とさせてもらいますとね。麻衣が屋敷を抜け出さなかったら父上がお選びになったお方が、そのまま麻衣の夫として迎えらると言う形にしたのよ。
 結果は、当然私の勝ち。負けるような賭けはするつもりないし」
「でも、よくそのお相手の方が怒りませんでしたわね?」
 まさか、通ってきたら部屋がものけの空なんてなっていたら、怒り狂って当然である。
 だが、百合子の耳にその手の噂は聞こえて来てはいない。
「私が先に言っておいたもの。だから、来ても無駄ですよって。相手も鳴瀧を相手にするつもりはなかったのでしょう。もともと、この結婚をそれほど望んでいたって感じでもなかったし、こちらから断られて渡りに船だったんじゃないの?
 中納言の父に言われてしまったら、断れなくて引き受けたって感じだったしね。その人、すでに愛人に子供がいたもの。正室はおろか側室にも迎えられないような貧しい家の娘だそうよ、それでも大切なのかしらね。小さな家を与えて足繁く通っているらしいわ」
「まぁ、伯父上様はお子様がいらっしゃる方を夫に迎えるように麻衣におっしゃられましたの?」
「そうよ。いくら素直な性格で可愛くても、麻衣自身は藤原といっても傍流だし、両親もすでになく、さらに色々と噂が出回っているんだからもらってもらえるだけありがたいんだから、相手を選べる立場じゃないってね。
 そんな、相手に私が麻衣を許すと思っているのかしら?」
 確かに、伯父が選んだ相手は言語道断だと思ったが、だが、確かに今の世の中それは当たり前である。こうして、改めて麻衣が正式に鳴瀧を夫に迎えられたのは奇跡のような出来事といっても構わないかもしれない。
 物思いにふけていたのだが、滝沢の「麻衣はいつ来るんだ?」の問いに我に帰りにっこりと微笑を浮かべて、声が聞こえたほうに顔を向ける。
「麻衣は涼子様にお仕度をしていただいているのですわ」
 にっこりとそれだけ告げると、百合子はそれ以上口を開く事はなかった。
「したくってなぁ?」
 滝沢はさらに首をひねってうなる。
 正式な宴なら十二単やらで仕度もまさに時間がかかる代物となるが、こうして内輪の宴の場合彼女達は、略装で素顔もあらわにして一緒に楽しむ。それが、あえて仕度というからにはそうとう力を入れているのだろう。どのような装いで麻衣が来るのか、楽しみにして待つ以外他はないようだった。
 鳴瀧はそんな会話に耳を傾ける様子もなく、むっつりとした表情で淡々と杯に注がれた酒を飲んでいく。
 当然だ。今の彼らは新婚ほやほやで湯気が出るような状態である。誰が好き好んで宴の肴になりたいと思うだろうか。本来ならば当の昔に麻衣と二人きりになり、甘いときを過ごしているはずである。
 そればかりか、涼子は麻衣を手放そうとする気配がない。
 通い婚が通例となっているが、妻を自分の屋敷に連れて行くこともある。だが、すべてが時間を要することだった。はっきり言って鳴瀧はわずらわしい。藤原の人間に婿として迎えられることが。このように大きな屋敷には大勢の人間が居、麻衣の周りにも腹心の女房以外にも数人が付いていて、なかなか二人だけになる機会はない。
 わざわざ人払いをしなければならないのだ。
 うっとおしいにもほどがある。
 早いところこの状況をどうにかしなければ、息が詰まる。
 そんなことを思いながら鳴瀧は一人、杯を重ねていたのだが、ふと聞こえてきた微かな衣擦れに顔を上げる。
 あの脚捌きから聞こえる衣擦れは、十中八九麻衣だろう。
 その予想は外れることなく、下ろされていた御簾が女房達の手によってするするとあがると、檜扇で顔を隠している麻衣が立っていた。
「待ちくたびれたぞ」
 滝沢がこれでこの場の空気が漸く宴らしくなると思って、いつもより一艘晴れやかな笑顔をうかべて麻衣を迎えた。
「なんだ、十二単じゃないのか? てっきり仕度というから正装かと思ったぞ」
 いまだに扇で顔は隠しているものの、麻衣が纏っているのは十二単ではなく小袿(こうちき)だった。これでは、いつも来ているものと変わらない略装である。これで、一体何がどう変わったのだろうか?
「ふふふふ〜〜〜〜私の力作よ」
 麻衣の背後にいる涼子は胸を張って宣言する。言ったに何が力作だというのだろうか?
 みなの視線が麻衣に移る。
 その気配が感じたのか麻衣が気後れした感じだが、涼子に「大丈夫だから」と押されて恐る恐る、扇をずらし顔を彼らの前に現したのだった。
 普段麻衣はほとんど化粧をしない。しても、うっすらとだ。
 裳儀の式を終えているのだから成人女性なっているのだが、まだ自分は化粧が合うとは思っていなかったからだ。この日、お披露目をすることになって涼子は麻衣に、ちゃんとした化粧をしてみたら?と持ちかけたのは宴が始まるほんの少し前のことだった。人の妻となったのだから、化粧をするのは当たり前だといって。
 不慣れな麻衣に代わって、涼子が化粧を施したのだった。
 おしろいを塗り、眉を描き、赤い紅を刷く。
 もともと愛らしい顔立ちをしていたのだが、ぐんと大人っぽさをましたきがする。慣れていなせいか化粧が浮いているようにも見えるが、それは初めは付いてくるものである。そのうちに、板につき本当の顔のように見えてくるだろう。
「見違えたぞ!」
 第一声を出したのは滝沢である。
「本当に見違えました。大変美しい姫君になっちゃったなぁ。今から僕が恋人に立候補したいぐらいですよ」
 冗談交じりで褒めるのは榊であり、百合子は見えないことをすごく残念がった。
「どう?鳴瀧。麻衣見違えるように綺麗になったでしょ」
 麻衣は照れたように頬を赤らめながら、涼子は勝ち誇ったように鳴瀧を見下ろしていた。対する鳴瀧はいつもとなんら表情を変えることなく化粧を施した麻衣をじっと見詰めた後、おもむろに溜息をつく。
「なんだ、それは」
 どんな言葉が返ってるのか楽しみにしていた麻衣は、鳴瀧の発した言葉に表情を曇らせる。
「なんだって、涼子姉さまがお化粧してくれたの? どう?少しはあう?」
 麻衣は今にも歪んでしまいそうになるが無理やり笑顔を浮かべて軽いのりで、問いかけるのだが鳴瀧はふいと麻衣から視線を逸らしポツリともらす。
「遊び女(あそびめ)でもあるまいし」

 かたん――――――

 麻衣の手から落ちた扇が簣子(すのこ)の上に落ちる。
「そっか・・・やっぱりまだ、似合わないよねぇ・・・。そんな気はしたんだ。私って年の割には子供じみた顔しているし。やっぱり私には早すぎたみたいだよね。涼子姉さま、せっかく化粧してくれたけれど私落としてくるね」
 麻衣はうつむいたまま口早にそれだけを告げると、誰もがとめることもできないうちに足音を立てて麻衣は走り去ってしまう。
「麻衣!」
 涼子が追いかけようとするが、その前に背後で水がはじけるような音が聞こえた。反射的に振りかえるとにこやかな笑顔を浮かべたまま、榊が杯を持った手を翻していたのだ。鳴瀧はポタリ・・・ポタリ・・・と髪から雫をたらして無表情に榊を見ている。
「今の言葉は、関心できません。女性に向けてはいけない言葉ですよ?」
 そんなこと、あえて榊に言われるまでもないことだ。
 誰が、遊び女と呼ばれたいだろうか。
 身体を売ってでしか生計をなりたてられない人間が、世の中に居るという事は判っていても、生理的に嫌悪を覚える存在だ。まして、そういった世間の暗い部分から隔離されて育ってきた、姫君たちはもっとも遊び女のような存在を忌んでいる。
 男達は自分達がそのような女を相手にすることもあるからか、そこまで反感を持つ事はないが、やはり「しょせんは端女」と下げすさんでいるところもある。
 そのような認識をしている人間と同じ扱いをされて、ショックを受けない人間がいるわけがない。
 まして、初めて化粧をした顔を見せてそのようなことを言われれば、深く傷ついて当然だ。
「人を見る自信はあったんだけれど、早まったかしら?」
 怒りもあらわにした涼子の言葉に、さらににこやかな笑顔で榊が続ける。
「なら、今度は僕なんてどうです? 藤原の姫君を娶れるほど身分は高くありませんが、麻衣殿を幸せにする自身はありますよ?」
「少年のほうが良かったんじゃないか?涼子」
 それに便乗する滝沢も、怒りに身体を震わせている。
 自分に琵琶のいろはを教えてくれた人の娘であり、妹のようにもムスメのようにも常に気にかけていた麻衣を、侮辱されて心穏やかにいられるほどできた人間ではないのだ。
「涼子様も見誤るという事はありますのね」
 この場で置いて鳴瀧の援護をするものが居るわけもなかった。
「おい、何か言ったらどうなんだ?」
 今にも襟首を締めかねない勢いで滝沢が詰め寄るが鳴瀧は涼やかな顔で滝沢を見つめ、それ以上口を開こうとはせず、おもむろに立ち上がるなり、部屋を出て行こうとする。
「おい、どこへいくんだ!」
 その肩を掴み足止めをする滝沢をうんざりとしたような目で見上げる。
「僕は似合うからと聞かれたから似合わないといっただけですが? 何か問題でも?」
 自分が失言したと言った自覚がまるでない鳴瀧に、さらに滝沢の怒りが煽られる。そして、それが判っていながら鳴瀧はさらに言葉を続けた。
「これは、僕と麻衣の話であって、滝沢さん貴方は関係ありませんが?」
「麻衣を侮辱されて黙っていられると思っているのか」
 うなるような低い声にも鳴瀧は眉一つ動かさない。
「別に侮辱したつもりはありません。本人どうかと聞かれたから素直に感想を述べただけです。僕がどんな感想を述べようとも強制されるいわれはありませんが?
 それとも、藤原の姫を娶ったからには常にそのご機嫌を伺いながら発言をしなければならないのですか?」
「き・・・・さまぁ・・・・・・」
 険悪な雰囲気が漂う中遠慮勝ちに、多恵が声をかける。
「あの・・・姫様が涙ぐみながら戻られたのですが・・・・一体何があったのですか? わけを聴いても多恵には話してくださいませんし、お部屋にも入れてくださらないんです。このようなこと今まで一度もありませんでしたわ。姫様の御身に何かございましたか?」
 遠慮がちだが、こととしだいによってはただじゃおかない。といった意思を宿している声に、皆が非難の色をこめて鳴瀧を見る。
 鳴瀧が素直に言った言葉とはいえ、麻衣はその言葉に深く傷ついたのは事実である。
「白紙に戻しても構わないかしら?」
 涼子が怒気をこめた声で呟く。返答如何によっては本気で白紙に戻すつもりだろう。顔が怒りによって朱に染まり、綺麗に整えられている眉がつりあがり、まさに鬼女のような表情だ。
「麻衣がそのつもりがあるならどうぞ?」
 まるで麻衣が自分から分かれるとは言い出すとは思っていない鳴瀧の態度に、皆が皆怒りに身体を振るわせ始めるが、鳴瀧は意に返す様子もなく部屋を出て行こうとする。
「待て! 逃げるのか!!」
「どう思うとも貴方の自由です。別れるも別れないも僕と麻衣の問題であって、あなた方は関係ない。余計な口出しは差し控えてもらいましょう。それから、涼子殿。貴方は麻衣の遠縁であって肉親ではない。麻衣の身上にあれこれ口出しするのはこれからは控えていただきましょう。麻衣ももう子供ではないのだから自分のことぐらい自分で決められるはずです」
 まるで、麻衣の身上に口出しをできるのは自分だけだ。と言わんばかりの言葉を残すと、鳴瀧は麻衣とは対照的に足音一つ立てずその場から離れていく。
「待ちやがれ!」
 鳴瀧の後を追いかけようとする滝沢を止めたのは、百合子だった。
 目が見えない分人の気配に聡い彼女は、この中で一番冷静だったと言っていい。
「後を追うのはおやめになったほうがよろしいかもしれませんわよ?」
 クスクスと微笑を零しながら言う百合子に、滝沢は片眉を上げる。
 なぜ、この場で百合子が笑みを浮かべているのかがわからないからだ。
「悔しくはないのか?」
「ええ。悔しゅうございますわ。ですけれど、相手はあの鳴瀧殿ですのよ? 麻衣を素直に褒めると思っておりますの?」
「だがな、言っていい言葉と悪い言葉というのが世の中にはある!」
「ございますわね。鳴瀧殿もそれは充分にわかっていらっしゃると思いますわよ?」
「何でそう思うのよ」
「鳴瀧殿が向かった方向は、麻衣の部屋がある方向ですもの」
 さらりと言ってのけた百合子を、滝沢、涼子、榊、多恵が同時に見る。
 確かに鳴瀧は麻衣と同じ方向に姿を消したが、それは当然だ。そちらのほうにしか廊は伸びていないのだから、部屋を出て行けば自然と同じ方向に向かうようになる。だが、問題はその先だ。
「もしかして、百合子姫には鳴瀧殿がどちらへ向かったのかが判ったのですか?」
「ええ。簣子がきしむ音が麻衣のほうへ向かっていきましたもの」
 にっこりと盲目の姫君は当たり前のようにつげ、四人の度肝を抜かしたのだった。
 目が見えない分他の感覚が鋭い百合子は、鳴瀧がどの方向に向かったのかが正確にわかったのだった。







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