華が咲き綻ぶように




 


 麻衣は自分の用意された部屋に入るなり、道具箱から化粧を落とす液体を取り出して、それを顔に塗りたくる。ぬるっとした物が溶け出して顔中がべたべたするが、一刻も早くおしろいを落としたくて無我夢中でこする。
「やっぱり、似合わなかったんだよ・・・・ばかだなぁ」
 似合わないと初めからわかっていたのに、涼子が見違えるように綺麗になった自分を鳴瀧に見せてあげなさいよという言葉にその気になって、化粧をしてもらったのだが、やはり夢は夢でしかなかった。
 考えてみれば当然だ。
 鳴瀧は類まれなる美貌を持っており、さらに都中の姫君の憧れの君でもあったのだ。自分よりも大人で綺麗な姫君から、恋文をたくさんもらっているのも知っているし、中には猛烈に仕掛けてくる女房や姫も居るのだ。世に名高い美姫を見慣れている鳴瀧から見たら、十人並みでしかない自分など、いくら化粧をしたからといってもたかがしれている。さぞかし滑稽に映ったに違いない。
 泣き笑いを浮かべながらも、麻衣はショックを受けている自分がおかしくてたまらなかった。
 お世辞をいうような性格じゃないと判っていながら、期待していた自分がばかばかしくて、むなしくて笑いがこみ上げてくる。
 結婚したからといって性格が変わるわけではない。彼が甘い言葉を囁きうっとりとするような言葉を述べるような人間ではない事は、判っているはずなのに・・・・わかっていたはずだというのに、期待していた自分がばかばかしく思える。
 宴の雰囲気を壊すのは忍びなかったが、あれ以上あの場にいる事はできなかった。
 あのまま笑い飛ばして「大目に見てよ」とかいいながら、宴に混じっていれば少なくとも宴は楽しく続いていたかもしれない。こうして、祝いに駆けつけてくれた皆のことを思うならば、あの場から逃げ出すべきではなかった。だが、あまりにも自分が惨め過ぎていられなかった。
 化粧を落として、いつもどおりの顔になったら笑って戻ろう。
 判っていたことなんだから、別に気にする必要はない。
 麻衣はまるで親の敵でも相手にするかのように自分の顔をひたすらこすり続けていると、背後から聞きなれた声音が名前を読んだ。
「何をしている」
「落としているの」
 麻衣は振り返ることもせず、顔をこすり続けながら淡々と告げる。まるで鳴瀧の言葉など気にしてはいないように、ひどく落ち着いた声音。まるで、朝起きたら顔を洗うように言うが、皮膚を剥ぎ取るような勢いでこすり続けていることは変わらない。
「そんなやり方では肌をいためるぞ」
「いいの。どうせ鳴瀧みたいにもともとが見られる顔じゃないんだから、多少悪くなったて誰も気が付かないよ」
 何事もなかったような声音に対し、すっかりとへそを曲げてしまった麻衣に、鳴瀧は溜息をつくと身を翻す。
 御簾が微かに上がり部屋から鳴瀧が出て行くのが判ると、麻衣はこすっていた手を止めてぎゅっと唇をかみ締める。
 せっかく来てくれたのに、機嫌をそこねかねないことを言った自分が悪いのだ。
 まるで、動くことを忘れてしまったかのようにその場でほうけていると、再び軽く御簾が持ち上げられて誰かが入ってくる。
「多恵なの? お願いだから今はひとりにして・・・・・」
 背後を確認せず呟くが、御簾をめくった人物は気にせず部屋に入ってきた。
「皆にはすぐ戻るからって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鳴瀧」
 様子を見に来た多恵かと思ったのだが、手水を抱え持った鳴瀧だった。
 なぜ、彼がそんなものを持ってこの部屋に来たのかわけがわからず、麻衣はあっけに取られたまま鳴瀧を見つめるが、鳴瀧本人はかまいもせず麻衣の傍らに手水を置くと、その中に布切れを浸し軽く絞る。
「肌が痛むといっただろう」
 鳴瀧はそれを軽く広げると麻衣の顔に押し当てる。
「な、鳴瀧!?」
 わけのわからない行動をする鳴瀧に麻衣は慌てふためくが、顔に当てられた布が仄かに暖かいところからそれがぬるま湯に浸された布だということが判った。麻衣はその布を取ろうと手を伸ばすが、鳴瀧がそれを遮りゆっくりと顔についたぬめりを拭うように布で顔を拭く。
「化粧を落とすならばただこすればいいもんじゃない。そんなことも判らないのか」
 呆れたような口調に麻衣は思わず鳴瀧の手を叩き落す。
「どうせ、私は何も知らない子供ですよ!
 化粧が綺麗にできる女の人がいいなら、噂に名高い姫君でもお相手したらいいでしょ!
 満足に化粧一つにあわないどころか、落とし方もろくに知りませんよ!!」
 顔を真っ赤にして興奮しているからなのか、涙をぽろぽろ零しながら一気にまくし立てる麻衣に対し、ナルはひどく静かなものだ。床の上に叩き落された布を手に取り、それを手水の中に浸す。
「感想を求められたから述べただけだが?」
「ええそうでしょうとも! でもね、どこの世界に夫に化粧した顔を遊び女みたいだななんていわれたいと思う人間が居るのよ!
 似合わないなら似合わないと一言言えばいいじゃない!」
「そういう意味で言ったが?」
「ええそうでしょうとも。そういう意味で言ったことぐらい簡単に想像つくけどね、たとえが悪いのよ!
 まるで、遊び女のようにみれられていたのかと思うじゃない!」
 目を真っ赤にしぼろぼろと泣き喚きながら言い募る麻衣はまるで、小さな子供の癇癪のようだった。キンキンと耳に突き刺さるような甲高い声に眉をしかめながら、鳴瀧は溜息をつく。
「別に化粧が似合わないと言ったわけじゃない」
「言ったじゃないのよ」
「あの化粧が遊び女のようだと言っただけだ」
「どこが違うのよ」
 頬をむっと膨らませ、上目遣いに鳴瀧を睨みつけながら麻衣は説明を求める。
 鳴瀧が何を言いたいのか判らない。
 いつもいつもわからないが、今日ほど簡単そうな言葉でありながら最も意味がわからない。
「遊び女のような化粧だ」といいながら「化粧が似合わない」とは言っていないと言う。だが、どう考えてもそういう意味でしか取れない。他にどんな意味があるというのだろうか。「遊び女のように派手な化粧がにあうな」といいたいのだろうか。それはそれでむかつくし、自分が派手な化粧が似合うような顔立ちではない事は重々承知の上だ。
 だが、続けられた言葉は思いにもよらないものだった。
「あの化粧の施し方はお前には合わないといっただけだ。お前にはお前に合った施し方があるだろう。
 あの手の化粧が似合うのは涼子姫のような顔だ。お前では化粧が浮くだけだと言ったんだ、色も何もかもがはで過ぎてちぐはぐだ。化粧をするなら自分にあった色の化粧をすることだな」
 いったい誰が理解できるというのだろうか。「まるで遊び女だな」の一言に、一言以上どころの意味が含まれているなんて誰が理解できるのか。おそらく誰も理解できるわけがない。もしかしたら榊なら理解できたかもしれないが、自分は彼ほど頭の回転はよろしくないのだ。はっきりといってもらわなければ鳴瀧がいいたかった言葉の意味が判らない。
「なら、最初からそう言ってよね」
 最初からそういってくれたのなら自分はあんなにショックを受けなかった。
 涼子のような派手な顔立ちに似合う化粧が、自分のような地味な顔に似合うとは最初から思ってもいない。すんなりと納得できるというのに・・・・おそらく、言葉と惜しんだのだこの男は。だから、あんなとてもではないが意味が正しく繋がるとは思えない単語で済ませたに違いない。
「なぁ・・・んだ。そんなことだったのか。
 なら最初から言ってよね。余計な涙流しちゃったじゃないのよ!」
「勝手に泣いたお前が悪い」
「言葉を惜しんだ鳴瀧のほうが悪いね」
 鳴瀧のいいたかった言葉の意味が判れば、不思議と落ち着いてしまいあんなに空しかったものが遥かカナタへと消え去っている。現金なまでに気分が浮上しだしている自分に思わず苦笑が漏れてしまうが、麻衣はにんまりとした笑みに変える。
「なら、私にはどんな色が似合うの?」
 涼子だって自分に似合う色を選んでくれたはずだ。それなのに、鳴瀧は似合わないといった。
 どう考えても男性の鳴瀧より、同じ女性の涼子のほうが麻衣に似合う色を選べそうだというのにだ。
「・・・・・箱を貸せ」
 部屋の隅においてあって化粧道具が入っている箱を鳴瀧の前まで持ってきて、ふたを開ける。そこには貝紅がいくつかはいっており、他にはおしろいや眉を書くための墨などが入っている。
 たった一つ灯された灯台の薄暗い明かりの中で鳴瀧は箱の中を物色し、一つの貝紅を選ぶ。
 その中に入っている紅はほとんど無職に近い紅だ。いや、それは薬草を油で溶いたもので無色透明に近い。これは紅などで唇が荒れたときに塗るもので、色が入っていないのだ。いくら鳴瀧だとてそれぐらい判っているはずだ。
「・・・・・・紅の色が似合わないぐらいにお子様顔だって言いたいわけ?」
 むっとして睨みつける麻衣など物ともせず、鳴瀧はそれを指先で少し掬うと麻衣の顎に空いている手を絡め、くいっと上を向かせる。
「静かにしていないとはみだすぞ」
 文句をまだ言いたかったが鳴瀧の指先が唇に触れてしまい、麻衣は仕方なく言葉を呑む。それでも、鳴瀧を凝視する視線は恨めしそうなものだったが。
 す・・・す・・・と絵筆を握っているかのように鳴瀧の手が動き、麻衣の唇に塗りつけていく。
 薬草独特のにおいに思わず眉をしかめてしまう。
 見た目は無色透明でも無臭なわけではない。独特の青臭さがまさに鼻のま下から匂ってくるのだ。だが、これは涼子がもつ秘蔵のもので少し時間を置くと臭みが消えて、唇がつるつるのぴかぴかに見えるのだ。麻衣も荒れたとき借りて使ったことがある。だが、確かに見た目的にはつるつるのぴかぴかにはなるのだが、これは薬草であって紅ではない。よってこれは化粧をしたうちには当然入らない。
「鳴瀧、これ薬草なんだけど?」
「知っているが?」
「化粧したうちに入らないでしょ」
「同じようなもんだろう」
「違うよ!」
 麻衣はどうやらいまだにご機嫌が斜めのようである。だが、鳴瀧には何がそんなに違うというのかがよく判らない。むっと尖らせた唇は、仄かに灯台の明かりを受けて光を放っているように見え、元来持つ唇の色を際たたせ、下手な紅と塗るよりも艶やかに見える。だが、麻衣は人工的に載せた色でないとお気に召さないようだ。
「作り物の色がそんなにいいのか?」
「誰だって綺麗な自分を見てもらいたいと思うもん。化粧をして少しでも綺麗になって見てもらいたいと思って何が悪いのよ」
 別に悪いとは誰も言ってないが、綺麗になることが=化粧を施すことになるとは鳴瀧には思えなかった。確かに、化粧をすれば見違えるほど美しくなる者も居るが、それは所詮人工的に作った美しさであって、本人が生来から持つ美しさではけしてありえない。
 おしろいを塗りたくり紅を刷いた顔など面や、紙に描いた姿と同じである。
 そして、麻衣にはそのようなものは不要だと思った。
 血色のよいつやつやとした肌はあえて、おしろいを塗る必要はないぐらい白い。もちろん人の肌の色だからおしろいを塗ったようにいかにも白といったような色ではないが、滑らかでありながら脈同感を伝える淡い色をしており、頬は僅かに赤く染まっており溌剌感をかもし出している。下手におしろいを塗ればまるで面のような温かみも生命感も伝えないただの白に成り果てるだけだ。
 唇もあえて色を刷く必要はない。ふっくらとした愛らしい唇は、紅のような色濃さはないものの、柔らかな果実のように赤く色ついていおり、こうして薬草の紅を唇に刷き艶を増せば、よりいっそうその赤が際立ち下手に紅を塗るよりも、艶と赤さが増している。
 ・・・・のだが、この姫君はそれが気に入らないらしい。
「なら、僕が麻衣に似合う化粧をしてやろうか?」
 ふくれっつらの麻衣に片手を伸ばし包み込むように触れながら聞くと、麻衣は思案するような視線を向ける。
「本当に化粧なんでしょうね?」
「ああ・・・・僕のために綺麗になりたいんだろ? なら、僕好みの化粧をしてもらいたいが?」
 確かに鳴瀧のために化粧をしようと思ったし、綺麗になりたいと思ったのだが、しれっと当本人に言われると妙に認めたくない気になってくる。
 ・・・・なってくるのだが、確かに誰かのために綺麗になるならば、その人好みが言いに決まっている。
「綺麗にしてくれるの?」
 うかがうような問いに鳴瀧は綺麗な笑みで答える。
「僕が嘘をつくとでも?」
 嘘はつかなくても時折手段に問題があることを、麻衣は失念していた・・・・・・・・













☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 この時代に果たして現代で言う薬用リップクリームもどきがあったのだろうか? 考えるまでもなく否だろうけれどあることにしてください。



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