桜が咲く夜に

前編





 麻衣は遠縁の涼子に案内され宮中の飛香舎・・・一般的には藤壺殿と呼ばれているがへ向かっていた。初めての宮中に思わずきょろきょろと辺りを見渡してしまう。中納言を父に持つ涼子の屋敷も、絢爛豪華だがさすが帝の妃が住む御殿だけあって比べ物にならないぐらいにみやびな風情を出している。
 今は桜の季節だが後一月もすればここの藤棚は見事に咲き誇るだろう。その名のとおり見事な藤の花に彩られた御殿になるに違いない。
 女房の先導もなしに歩く二人は、現在藤壷の女御となった緑子に呼ばれていたのだった。彼女は涼子の縁戚関係に当たり、麻衣にとっても遠すぎて親戚というのもおこがましいが、一応縁戚関係になる。太政大臣の二の姫で二月ほど前女御入内し、現在帝の寵を一番得ており、将来は中宮に登るのではないかともっぱらの噂である。
 涼子ほど親交が深かったわけではないが、緑子は麻衣のことを妹のように可愛がってくれていた。その彼女が麻衣に助けて欲しいことがあると涼子を通して言って来たのだ。
 麻衣としてもなんの力にもなれないだろうが、自分でできることがあるのならば緑子の助けになりたいと思い、二つ返事で宮中に参内したしだいだ。表向きは新しい女房として参内したのだが、普通なら新入りが早々に女御と会えるわけがないのだが、参内してその日すぐに女御の居室へと案内されている次第だ。
「麻衣ちゃん、よく来てくれたわ。ごめんね、わがまま言って」
 緑子の部屋には女房がひとりもいず、彼女一人が脇息に寄りかかって二人が訪れるのを待っていた。麻衣が中に入ると自ら立ち上がって麻衣の手を取って、来てくれたことを喜んでいる。
「女御様もお元気そうでなによりです」
「あら、やだ。麻衣ちゃん女御なんて堅苦しい呼び方はやめてくれる?」
 といわれてはいと言えるわけがない。だが、彼女は女御と呼ばれても返事しないからと愛らしくすねられると、麻衣とて否と言えるわけがなかった。まして、「め・い・れ・いv」と言われればうなずくことしかできない。
「緑子様、一体私に何かできることがあるんでしょうか?」
 一通り久しぶりの再開を懐かしむと、麻衣は緑子に自分が呼ばれた原因を確かめる。太政大臣の姫君である彼女が人手が足りないからといって、遠縁の麻衣を女房として呼ぶはずはなかった。ここには人手があまり余るほどの女房がいるのだから。
「麻衣ちゃんじゃないとだめなんだけれど・・・たぶん、口で説明するよりも。一晩たったほうが判ると思うの」
 その一言で麻衣は緑子が自分に何を頼みたかったのかがわかる。
 麻衣は生まれつき不思議な力を持っていた。この世のものでもないものの姿を見、声を聞く力だ。そして、それは時折かこの光景すら垣間見ることができる。おもに、陰陽師とかが持っている力なのだが、時折麻衣のように普通の人間でも持って産まれるものがいる。涼子自身は持っていないが、涼子の従妹に当たる百合子も麻衣と同じように、見えなき者の姿を見、声を聞くことができるのだが、彼女の場合逆に現実のものを見ることができないでいた。
「緑子様もわかっていると思いますけれど、私は姿を見ることも声を聞くこともできますけれど、ただそれだけなんです・・・・助ける事はできません。それでも、お役に立てますか?私よりも陰陽師の方のほうがよろしいかと思うのですが・・・・・」
 この力が役に立つというのならば、ぜひとも役立てて欲しいと思うのだが、ただ姿を見ることができ声を聞くことができるだけでは、何の役にも立たないのだ。
 力強く握り締めら得ていた手に、ふわりと優しく緑子は手を乗せる。
「麻衣ちゃんにはね、その陰陽師のお手伝いをしてもらいたいの。
 優秀な陰陽師なんだけれど、優秀すぎるがゆえに普段は能力を抑えていて、必要な時でないとそういうものたちの声を聞くことや、姿を見るコトガでいないの。だから、麻衣ちゃんには彼の代わりに見つけて欲しいの・・・・お願いできるかしら?
 危険がないとは言えないわ。
 姫君の麻衣ちゃんにこんなことを頼むのは、心苦しいのだけれど・・・・わたくしが知る限りで彼の力になれるのは麻衣ちゃんぐらいしかいないの」
「他の陰陽師の方は?」
「彼から見るとかすみたい。協力体制をとるような雰囲気ではないし」
 あきれたように言う緑子に麻衣は戸惑いを隠せない。一体誰だというのだろうか・・・・と首をかしげた時点で、なんとなく思い出す。一人だけ該当者がいるではないか。
「安部の・・・鳴瀧殿ですか? あの大陰陽師安部の晴明様の曾孫に当たられる・・・・・」
 麻衣が確認するように尋ねると緑子はにっこりと笑みを浮かべる。
「大正解。麻衣ちゃん彼のこと知っている?」
「昔、まだ私が幼かった頃力が不安定すぎて、一時期、晴明様に力との付き合い方を教えてもらったことがあったんです。そのとき、鳴瀧様と知り合いましたが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・彼と協力しろと?」
 麻衣が嫌そうに眉をしかめると、さすがの緑子も苦笑を漏らす。
 麻衣のこの反応を彼女は理解することができると同時に、新鮮に思ったのだ。
「不満?」
「だって、性格が悪いんですよ? 自分以外は全部無能だと思っているんですよ。少し、人より頭の出来がいいからって馬鹿にすることないと思いません?」
 過去よほど馬鹿にされたことがあるのだろうか。麻衣は不満たっぷりと言った表情で言うのだが、緑子は楽しそうに笑っているだけだ。
「仲良しでよかったわv 麻衣ちゃんなら彼とうまくできると思うの」
 一体どうしてこの自分の反応で仲良しだなんていえるのだろうか。麻衣は苦虫を噛み潰したような顔で緑子を見ていると、緑子はにっこりと笑顔を浮かべながらさらりと言う。
「だって、あの鳴瀧があなたと言葉を交わしているって事は、鳴瀧が貴女の実力を認めているってことですもの。
 本当に無能者だと思ったら、鳴瀧は例え相手が誰であろうと相手にしないわよ。存在なんて頭から無視して自分の世界に没頭するもの」
 と緑子はさらりというのだが、そういわれても配送ですかと納得できるわけがなかった。
「麻衣ちゃんなら、大丈夫よv」
 一体何を根拠に言っているのか判らないが、麻衣はうなずき返すことしかできなかった。
 
 緑子のお願いとは、最近宮中に出る幽霊をその陰陽師と一緒に助けて欲しいとのことだった。









 夜の遅いと言われる宮中でも、すっかりと寝静まった時間帯。
 麻衣はふと目を覚ました。こんな時間に目が覚めるなんて、珍しいこともあるものだと、麻衣自身が思う。一度眠ったら朝になるまで起きない体質で、さらに朝起きるのも苦手だったりする・・・ようは、一度眠ったらなかなか起きないのだ。呆れる位に自分でも良く眠るほうだと思うのだが・・・さすがに宮中だから緊張しているのだろうか。
 寝直そうとするが、なぜかなかなか寝付けなかった。しんと静まり返っており、聞こえてくる音といえば風になびく葉の音ぐらいで、楽音も人の話し声も何一つ聞こえない。睡眠の邪魔になるものはなにもない夜。かといって、寝苦しいというわけでもない。
 今は桜月(今で言うところに四月ぐらいのはず。実際は三月の旧暦)肌寒い季節ではあっても、寝苦しい夜になるのはまだ何ヶ月も先の話だ。それなのに、心がざわめいて寝付けなかった。
 妙に落ち着かない。
 不安というのだろうか。自分の鼓動の音がやけに耳についてそわそわしてしまって、ゆっくりと横になっていられず、脇息にもたれかかりながらじっと息を詰めていた。
 だが、やがてうとうととしだすが、廊下を何かが走り抜ける音が聞こえてきて、再び意識が現実に戻る。
 何の音だろうか?
 女房はあのような走り方をしない。
 警備の者かとも思ったが、彼らもあのようなドタドタと足音を立てるようには走らない。
 気になった麻衣は、身を起こすと静かに部屋から出ていく。
 だが、そこには何の人影も存在しない。ただ、静まり返った空気だけがあった。
 それなのに、妙に心がざわめくのだ。
 もしかして、女御に何かあったのか?とも思うが、その割には静かすぎる。
 満月の光が雲にも遮られることなく、地上を照らし、桜が月光に照らされ、緩やかに吹く風にひらり…ひらり…と舞い散っている。
 階には等間隔で、釣灯籠がともされ陰影を深く桜の木々に映し出していた。
 月に、桜に見とれながらうっすらと明るい階を麻衣は、ゆっくりと歩く。
 少し風に当たれば気も落ち着くだろう。そう思って階をゆっくりと歩き出したのだが、その歩みが止まる。今、桜林を何かが走り抜けたような気がしたのだ。何だろう。普通に考えれば警備のものだろうが、違うような気がした。気のせいだろうか?そう思ったがあれが見間違えとも思えなかった。確かに、何かが桜林の奥に向かって行ったのだ。
 麻衣はこのことを誰かに伝えたほうがいいのだろうか、と逡巡した時かすかな声のようなものを聞いた。

 タ・・・ス、ケテ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 風に掻き消えてしまいそうなほど小さな囁きが、聞こえた気がした。
 麻衣は思わずあたりをきょろきょろと見渡してしまう。
 女の声に聞こえた。
 だが、この夜も深まった時刻に女房達が起きているはずもない。起きている者とすれば夜半の警備に当たる、滝口の武士ぐらいのはず。その、武士の姿もここらでは見当たらない。それに、掻き消えてしまいそうなほどの小さな声だったが、確かにあの声は女の声だった。
 コクリ・・・と知らずうちに喉がなる。
 自分がここに呼ばれた理由は、緑子から聞いている。
 宮中に現れる幽霊により、霊感の強い女房達が幽霊の思念に絡め取られ自害したり、発狂死したりする被害がでているため、陰陽師と協力して何とかこの幽霊を安らかに眠らせてあげて欲しいといわれたのだ。
 それでなくても、宮中とは色々なものがでると聞いていた。
 その何かの声を聞いてしまったのかもしれない。
 何か異変に気がついたらすぐに知らせて欲しいといわれていたのだが、これが本当にその異変かどうかわからない。勘違いだったら眠っている女御を叩き起こしてしまう事になる。涼子に相談することも考えたのだが、彼女には霊感のようなものがまったくない。たとえ相談しても的確な答えが得られるとは思えなかった。
 なら、陰陽師に声をかけるべきかもしれないが、協力するべきその相手が今どこにいるのか、麻衣は知らない。
 しばらくその場で考えた末、麻衣は動き出した。
 黒き影と、声の正体を探りに。




 明かり一つない桜林の中を麻衣は、手探りで歩いていく。今夜は満月なのだがあいにくと雲が出てきてしまったために、月が隠れ月光がその雲に閉ざされてしまって入るものの、薄ぼんやりとだが闇の中さらに濃い影が群立し、木がどこにあるのかを教えてくれる程度には役には立っていた。
 時々木の根に足を取られながらも、麻衣は闇の中進んでいく。
 不思議と怖いという気持ちだけは沸き起こらない。
 普通姫君というものは屋敷の奥深くで生活し、それがすべてだ。めったに他人と対面することもなくひどく狭い世界で生きているせいか、闇や夜を恐れ夜の庭に下りることさえも怖がるというのに、麻衣は満足な明かり一つないというのに平気で闇の中を歩いていく。
 闇は別に怖くはなかった。
 ただ、何も見えないだけで夜の暗闇は自分を傷つけない。確かに、この闇に乗じて盗賊が出たり追いはぎが出たりと、危険はあるがそれはすべて自分と同じ人であり、闇が怖い理由にはならない。
 本当に怖いのは、人の心に巣食う闇だ。
 明かり一つ通さない、無明の闇。どこまでも暗くよどんだ混沌とし昏闇。
 自然の闇よりも人が生む闇のほうが遥かに怖い。
 簡単に人を、邪にも鬼にも変えることのできる昏闇のほうが怖い。
 増念、情念。
 人とはこんなにも業の深い物を抱くことができる。それをはじめて垣間見た時、この世で一番怖いのは夜でも、闇でも、妖しでもなく人だと麻衣は思った。そして、その心は誰にでもあるのだ。どんな人間でも例外ではなく、父や母にもあった・・・・・・・・・
 麻衣は一度足を止め目を固く閉じる。
 深く呼吸を繰り返し、あせる心を落ち着かせる。

『いいですか。もしも何か得体の知れないものを感じて、ひどく不安を覚えた時は深呼吸をするんです。
 瞼を閉じて、息を大きく吸いなさい。
 そして、吐き出す息に不安も一緒に乗せて吐き出すのです。
 それから、ゆっくりと目を開きなさい・・・・落ち着いた心で見れば、本当の姿かたちが見えます。
 たとえ、貴女の目に映ったのがどんなに醜い姿であろうとも、心は優しきものかもしれません。
 逆にどんなに見目麗しい姿であろうとも、その者は貴女を傷つけるものかもしれません。肉眼だけで見えるものに惑わされてはなりません。本質を見抜くのです。無闇やたらに怖がるのではなく、それが本当に危険なものか、そうでないものなのかをしっかりと見極めなさい。
 貴女は真を見ることができます。目に映るものに惑わされない、本質を見ることができるんです。その力を恐れないで、大丈夫。その力は決して貴女を傷つけない。貴女を守るためにあるんです・・・・さぁ、目を開けて御覧なさい』

 遠い昔、まだ力が不安定すぎて、普通の人間には見えないものを見えてしまう自分が怖くて、ひどく怯えていた時、力との付き合い方を教えてくれたのは名声を欲しい侭にした大陰陽師の安部の晴明だった。年老いているはずなのにひどく若々しいイメージが残っているのはいまだに不思議だが、麻衣は彼の言葉を思い出し、一度足を止めて大きく呼吸を繰り返す。
 この先にあるのが何かわからない。
 だが、何かは確かに自分に救いを求めている。
 常に聞こえてくる声。
 助けを求めてくる声が、偽者とは思えない・・・・・・
 麻衣は記憶の中の晴明の声に促されるように目を開き、ゆっくりと歩みを進めた。

 タスケテ・・・・・

 声が聞こえる。
 風に乗って聞こえてくるのだろうか。それとも、麻衣だけに聞こえてくるのだろうか。
 切羽詰った声だ。
 その声に誘われるようにして、麻衣は歩いていく。
 どのぐらい歩いたのだろうか。ふと、歩みを止めた。
 古木の前に誰かがいる。
 周りは花を咲かせ、風に花びらを散らせているのにその木だけはいまだに固い蕾のまま咲く様子のない木の前に誰かが立っていた。
 誰か、なんてわからない。
 闇に溶け込むように立っている。
 誰か人がいるなんて思ってもいなかった麻衣は思わず息を呑む。その気配に木がついたのか、その人影はゆっくりと振り返った。月はいまだに雲に覆い隠されその人影が誰か、わからない。それでも判るのは相手が男であるということと、長い髪を結いもせず風にたなびかせているということ、そして、その両目が金色(こんじき)の輝きを放っていることだった。
 目がくらむようなまばゆい光ではない。
 まるで、獣の目のようにこの闇の中金の光を放っていた。
 思わず一歩あとずさってしまう。
 光る目を持つものが人間のはずがなかった。

 恐怖に体がすくんだ時、風が音を立てて流れ月が雲の隙間から姿を現す。


 月光に照らされた、その姿は息を呑むほど美しい容姿をしていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

  麻衣が思いにもよらなかった事態に硬直していると、その青年は無造作に風になびく髪をかきあげると、その金色に輝く視線を麻衣に向けた。
「このような時間に何をしている」
 淡々とした声音が空気を震わす。玲瓏とした響きをもつ、麗しい声だった。どこかで聞いたことのある硬質さを宿していると思ったが、麻衣は宮中に知り合いなどいない。それどころか、金色に輝く瞳を持った人間なんているわけがない。
 人間くさいしぐさをする青年になぜか、急に警戒心が薄れほっと息をつくと、ゆっくりと改めて青年に視線を向ける。やはり、信じられないほどの整った顔立ちの青年だ。闇に溶け込んでいるように見えたのは、その身に纏っている衣が闇と同じ黒だったからに他ならない。目は相変わらず金色だが先ほどよりも柔らかな色合いになっているような気がする。
「それは、私の台詞です。妖しがこんなところにいては陰陽師に封印されるのがおちですよ」
 たぶん、この人(にしておこう)は自分に危害を与えるような存在ではない。
 感でしかないが麻衣はこの自分の感を結構信頼していた。だから、逃げなくても大丈夫。そう思い妖しであろうと思われる彼に声をかけたのだが、麻衣の台詞に青年は一瞬驚いたように目を見開き、次の瞬間のどの奥で笑みをこぼす。
 一体何がおかしいというのだろうか。
 いきなり笑われたために、麻衣はむっと頬を膨らませる。
「僕がその陰陽師だ、人をその辺で俳諧している低俗な妖しと一緒にしないでもらおうか」
 浮かべられた冷笑と共に告げられた言葉に、麻衣はぽかん・・・と、間抜けにも口を開く。
「貴方が・・・・・陰陽師・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 どこをどう見たって人の目の色とは思えないその両目を凝視しながら、麻衣はポツリと呟くが、その瞬間この目の色を見るのは初めてではないことを思い出す。
 幼き頃、一度だけ見たことがある。
 晴明の屋敷から帰るとき幽鬼に襲われかけたことがある。自分は見る事はできても幽鬼を払う力は持っていない。何もできず震えていることしかできなかった自分を助けてくれた少年がいた。顔はもう覚えていない・・・だけど、幼い顔でありながらリンとした表情をしていたような気がする。
 そして、その少年の目も確かそのとき金色の色を放っていた・・・・・・・・・・・・・ような気がする。
 どこまでが真実かわからないが、安部の晴明は白狐と人の間にできた人間。ゆえにそれに連なる者たちも白狐の血を引いており、純粋な人ではないという噂・・・目が金色に輝いているのは、その血のせいなのだろうか?
 だが、麻衣は怖いとは思わない。
 むしろ、怖いぐらいに綺麗だ・・・と思った。
「もしかして・・・・安部の、鳴瀧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どの?」
 最後の「どの」だけはおまけでつけられたような感じだったが、麻衣は思い当たる名前を呟く。
「僕が誰であろうと姫君には関係ないと思われるが? そもそも、なぜこのようなところに姫君がいる。妖しと間違えられて滝川の武士に捕縛されても文句は言えないな」
 人の問いにさらに質問で返す青年に、麻衣はむっとするが青年はさらに馬鹿にしたような笑みを深くすると、自分のほうが先に質問していると続けた。
 確かに、最初に口を開いたのは青年のほうだった・・・・・・・・・・・
 麻衣はむかむかしたものを感じながらも、声が聞こえたからここまで来たことを告げる。
「声?」
「初めは、廊下を何かが走る音だったの。すごい音だったから気になって外にでて見たら庭の奥に向かって黒い影が走っていくから、追いかけてきたのよ」
 麻衣の言葉に青年はあきれたような溜息をつく。
「普通、姫君というものは悲鳴を上げるか、人を呼ぶかどちらかではないのか?」
 根性たくましく自らその怪しい黒い影を追いかける姫君など存在するであろうか。
 青年の言いたいことが判ったのだろうか、麻衣は頬を赤く染めながらそっぽをみてしまう。確かに自分のした行動は普通の姫君から見れば常軌を逸しているかもしれないが、気になって仕方なかったのだからしょうがない。
 だが、この行動が緑子や涼子にまで迷惑を欠けてしまうかもしれないということに、今になって思い当たると血の気が引く。彼女達はこんな行動をとっても自分らしいと笑ってすませてくれるだろうが、きっと彼女達の評判を傷つけてしまう。まして、女御として宮中にいる緑子の評判が下がってしまったら大事だ。それによって、帝の寵がなくなるなんて思えないが、万が一影響が出てしまったとき自分は償いきれない。
 赤くなったと思ったら一気に蒼くなる麻衣だが、青年は麻衣の懸念など頓着していない様子だった。
「声を聞いたなといったな。どんな声だ」
「どんなこえって・・・・・女の人の声。ひどく切羽詰った声で助けを求めている。
 貴方陰陽師なんでしょ、聞こえないの?」
「聞こえる事は聞こえるがな。僕には恨みに凝り固まった声しか聞こえない」
「え?」
 麻衣は不思議そうに青年を見上げる。
 いまだに聞こえるか細い声が、この男には恨みに凝り固まって聞こえるというのだろうか?
 そんな馬鹿なことがあるわけがない。
 声は、いつ途切れてしまってもおかしくないほどの、細い声で助けを求めている。
 それこそきっとわらにでもすがりたい気持ちだろう。
「あんた、耳おかしいんじゃないの?助けてっていっている声が、どうして、恨みに凝り固まっている声に聞こえるのよ」
 腰に両手を当てて青年を睨みつける麻衣だが、青年は麻衣を見ずに木のほうへと視線を向ける。
「生憎と僕には憎しみに満ちている怨念の声しか聞こえない」
 青年の視線を追うように麻衣も古木に視線を向ける。今にも彼果ててしまいそうなほどの木々についた、赤い蕾の桜・・・・・・・・・・・・・・・・・・まがまがしいほどの、赤いつぼみ。
「な・・・なんで、桜の花の蕾が赤いの!?」
 月の光に照らされたことによって、桜の蕾の色が浮き上がる。
 それは、ありえない色だった。
 淡いほのかに色づいているはずの桜の蕾は、まるで血の様に・・・・彼岸花のように赤い色をしていた。
「死者の怨念が、凝り固まっているんだ」
「そ・・・んな、だって・・・・・・・・・・たすけてって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 今まで木がつかなかったのが嘘のように、心がつぶされてしまいそうなほど重々しい声が響く。




               
憎い





 ひどく、昏い声。
 すべを重く塗りつぶしてしまいそうなほど、重々しい声が響く。
 鉛を飲み込んでしまったかのように、心が重くなってゆく。





              
タスケテ







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