もしも、ナルが自分を置いて逝ってしまったら、私はどうする?
 ナルがいないことになんてきっと耐えられない。二度と触れることも声を聞くこともできないなんて、耐えられない。私でも、きっと同じ事をしてしまうかもしれない。現実を見ることが出来なくて、『生き返った』と思いこむだろう・・・もう一度触れて欲しくて、名前を呼んで欲しくて・・・その為ならきっとなんでもできると思う。
 だけれど、逆の立場だったらどう思うだろうか?
 自分を忘れられないために、狂っていく恋しい人を見たいと思うだろうか?
 否。
 矛盾しているかもしれない。
 自分は忘れる事も、諦めることもできないのに、夢でも幻でもすがろうとしているのに、逆ならば自分のことなど忘れて新しい未来を見て欲しい・・・何て思うなんて、矛盾している。
 だけれど、好きな人だから・・・誰よりも愛している人だから、狂う姿なんて見たくない。自分のために狂気の世界に落ちていこうとするのを見ては居られない。

 彼女はどう思うのだろう?
 恋しさのために狂気に身を沈め、人を喰らい殺しそれでも、甦っていると思いこんでいる恋人をどんな思いで見ているのだろう・・・・・・




















第十一話






 麻衣は暗い夜道をひたすら走っていた。
 かなり長い間隔で頼りない光源がアスファルトの道路を照らしている。人通りの全くと言っていいほど皆無な通りに、自分の足音だけが暗闇の中に響き渡る。
 近くに民家もなければ、身を隠せるような所もない。
 だから、ひたすら走り続ける。
 安全だと思える場所まで。
 そこまで、そんなに遠いはずもないのに、ひどく遠く感じた。
 心臓が今にも口から飛び出してしまいそうなほど、激しく鼓動を打っている。酸素をより多く取り入れようとしても、狭まった気管では酸素が思った通りに吸えない。苦しげに荒く呼吸を遠そうとする気管。全身が心臓のように早鐘を打ち、走っているはずの足がもつれ、今にも地面に倒れそうになる。
 もう、走るのは止めたい。
 このまま足を止めて、ゆっくりと深呼吸したい。
 身体と言う身体が悲鳴を上げて、止まることを訴えている。
 だけれど、足を止めることはできない。
 止めたら最後。捕まってしまうのだ。
 真っ暗な背後から腕が伸びてきて、自分を捕まえようとしているに違いない。
 逃げなければ。
 あの男から逃げなければいけないのだ。
 麻衣は走るのを止められず走り続ける。
 目は霞、意識がもうろうとしようとも。
 だが、ふと目を強い光が射る。
 反射的に足を止め、真っ直ぐに飛び込んできた光を見る。前から一台の車が近寄ってくるのがすぐに判った。
 これで助かる。
 安堵の溜息が全身から漏れる。
 全身汗が噴き、ベタベタして気持ち悪い。
 助かった。安堵感から漸く周りを見る余裕が出てきた。
 手を振り上げ、声を出そうとしたが、麻衣の両眼は大きく見開かれる。
 真っ直ぐに近寄ってくる光。
 それは、スピードを緩めることなく真っ直ぐに自分に近づいてくる。
 避けなければ。
 反射的に脳はそう訴えてくるが、まるで金縛りにあったかのように身体は硬直して動かない。
 動け。
 訴えてくる声を無視する身体。
 目を開けていられないほどの強い光が目を射抜き、避けられない――そう思ったとき、誰かが腕をグイッと引っ張る。
「いやっ!!」
 腕を引っ張られた。
 あいつに違いない。とうとう捕まってしまったのだ。
 もう逃げられない。逃げることはもうできないのだ。
 麻衣は恐慌状態に落いりかけたが、ふいに掴まれていた腕が離され自由を取り戻す。
 だが、全身を包む恐怖から逃げられない。
 駄目だ、逃げられない。もう逃げることは出来ない。
 覚悟を決めぎゅっと目を閉じる。
 が、ふいに空気が和らいだのが判った。
「麻衣、僕だよ」
 聞き慣れた声に麻衣は驚いて顔を上げ、背後を見る。
 そこには苦笑を浮かべたジーンが立っていた。
「ジーン? え? 私―――」
 驚いて辺りを見渡すと、そこはジーンがいる闇の世界だった。
 街頭もなければ、アスファルトの道路もない。もちろん、森や木々や、車もないし、自分を追いかけていた誰かもいない。
「え?」
 狐に騙された気分とはこういうものだというのだろうか?
 キョトンとして自分を見上げている麻衣に、ジーンは手を差し伸べると立ち上がらせる。麻衣は確かに立ち上がったはずなのだが、膝に力が入らずよろめいて倒れかかるが、ジーンに支えられて転倒は免れた。が、替わりにジーンに抱きしめられる形になる。
「うわぁっ! ごめん!!」
 慣れている腕や胸とは違った感触に、麻衣は真っ赤になって離れようとするが、膝に力が入らないのは替わらず、その場に今度こそへたり座ってしまう。
「何で―――足に力が入らないの?」
 まるで長距離のマラソンをした後のように、足がガクガクで力が入らない。ふくらはぎなどパンパンだ。
 もう、無理に立つことはせずそのまま座り込んで、ジーンを見上げて問いかける。
「麻衣、今キミは完全にシンクロしていたんだよ」
 ジーンもその場に座り込み、麻衣と視線を合わせて「いや、危なかったなぁ〜〜〜」と緊張感の欠片もない声で言ったのだった。まるで危機感を感じさせない声で「危なかった」と言われても、どこが危ないのか判らない。
 が、麻衣はジーンに告げられた言葉を反芻する。
 『完全にシンクロ』『危なかった』という言葉は、常々ナルがリンに言われている言葉に近い気がする。それは大抵調査中に聞く言葉で、ナルが自分の力を使おうとしているときに、リンが言う言葉だ。それに最近はそれを麻衣自身が言われている言葉でもある。
 麻衣の顔から血の気が引いていくのを、ジーンは苦笑を浮かべながらもどこか楽しげに眺めている。確認したげに麻衣はジーンを見るが、ジーンは何も言わない。いや、何も言わないからこそそれが答えなのではないだろうか。
「だって、ナル、私はもう無闇にサイコメトリーしないって言ってたよ?」
 ナルは能力の暴走は一時的な物だと言っていた。だから、そうそう簡単にサイコメトリーはしないだろうと思っていたのに、ジーンは今していたというのだ。もしも、ジーンが助けてくれなかったら麻衣は車に撥ねられたのと、同じ状況に陥りへたすれば死んでいたと言うことになる。
「うん…でも、麻衣眠る前に考えていたでしょ?」
「考えていたって…私、知らないよ。事故にあった人のことなんて考えてないよ?
 私が考えていたのって、もう一人はどんな人でこうなってしまったことをどう思っているんだろうって―――――まさか?」
 麻衣は大きな目を更に大きくして、ジーンを見つめる。
 ジーンはゆっくりと頷き返す。
「そうだよ、もう一人が麻衣がたった今疑似体験した子なんだ。
 気を付けてね麻衣。
 キミの能力はまだ不安定なのには変わりない。ちょっとした弾みで、すぐに引きずられてしまうんだ。安定するには、もう少し時間が必要だと思う。だから、それまで気を付けて。何がきっかけで引きずられるか判らないから」
 ナルの暗示はかなり強い物があるというのに、麻衣はその暗示に拘束されることなく、力を使ってしまった。それだけ、麻衣の秘められている能力は強いことになると言うのだが、暗示を無理矢理破ったことには変わりない。おそらく身体には麻衣が思っている以上に負担がかかっているはずだ。
 同調をといてなおしばらくしても、身体に倦怠感が残り立てないのはその影響だろう。
「麻衣、サイコメトリーをする過程はある意味、夢見するときと同じだよ?
 必要な行程を通ってするんだ。そうするとね、むやみやたらに見なくて済むようになるからね」
 ジーンはナルほど暗示を得意とはしていないが、一応は同じ人に学んだのだ。ナルの暗示を助けることぐらいはできる。
 麻衣はどこかトロン…とした目つきでジーンの双眸を真っ直ぐに見て、小さく頷き返す。
 簡単に催眠状態にかかってしまう麻衣に、苦笑が漏れる。本当に人を疑うというコトを知らない子だ。いや、さすがに見も知らない人ならば警戒するだろうか?自分だから…麻衣が誰よりも心を預けているナルと同じ顔をしているジーンだからこそ、麻衣は無警戒になるのだろうか?
 全面的に信頼されて嬉しいとも思うのだが、妙にやるせない思いにも捕らわれてしまう。そんな自分の感情に、思わず苦笑を漏らす。
「麻衣、もう帰った方がいい。
 今日はゆっくりと夢も見ずに眠るんだ。いいね?」
 コクリ――麻衣は小さく頷き返すと、その姿は闇の中に溶け込むように消えていく。
「さて、と」
 汚れてもいないのに汚れをはたくような仕草をして、立ち上がるとジーンはのびをする。眠くなってきたが、もう一働きをしないと。





 ナルはふと顔を上げる。
 静まり返った室内には自分以外誰もいない。安原がまとめあげた資料に再度目を通していたのだが、ふいに誰かに名前を呼ばれたような気がしたのだ。気のせいかと思い再び資料に目を戻そうとしたとき、先ほどよりもハッキリと名を呼ぶ声がする。
 ナルは溜息をつくと、窓際による。
 暗い窓には無表情の自分が映っていたが、それに向かって指先を伸ばし瞼を下ろして視界を閉ざすと、よりハッキリと名を呼ぶ声が聞こえてきた。
――『漸く繋がった』
 久しぶりに聞く片割れの声だ。
 どうやらずっと名を呼んでいたのだろう。安堵の溜息のようなものを漏らしている。
――『なんの用だ?』
 用もないのにジーンが自分を呼ぶわけもなく、また彼が目を覚ましていることがあるはずはない。件の少女と同じでこの双子の片割れも、寝いじが悪いのだ。
――『全く相も変わらず無愛想なんだから。麻衣には少し愛想良くして上げているの?』
――『そう言うくだらない話なら、僕を呼ぶな』
 ナルはさっさと窓から指を放そうとするが、ジーンが慌てた声で待ったをかける。
――『相変わらずせっかちだね。少しは人の話をちゃんと聞いてよね。
   麻衣がまた視ていたよ。サイコメトリーというか夢見に近いかな・・・とにかく今度は完全に同調していた』
 ジーンの言葉がなす意味にすぐに気が付いたナルは、思わず閉ざしていた瞼を開ける。窓硝子には自分の顔が…いや、微かに苦笑を浮かべて自分を見ている、片割れが映っていた。
――『驚いた。ナルでも慌てるんだ』
 クスクスとジーンは楽しげだ。
 ナルは不機嫌そうに眉を寄せながら溜息をつく。今のジーンの様子では麻衣に差し迫った危険がないと言うことは判る。そう考えたナルにジーンは気が付き、表情を引き締める。
――『危険だったよ。僕がとっさに腕を引かなかったら、麻衣はそのまま追死体験までしていたはずだ。あれはぎりぎりだったよ。さすがの僕もすごく焦った』
 めずらしくナルの双眸が瞠目する。
 麻衣が無闇にサイコメトリーしないように暗示はかけてあるはずだった。サイコメトリーするにはある一定の行程を経なければ行けないようにしてあるし、無闇にやたらとしないようには言い含めてある。まして、麻衣は今その力に戸惑いを隠せないはずだ。例え頼んだとしても、力を使うことを嫌がるだろう。
――『麻衣は寝る前に考えていただけだよ。
   それで、追ってしまったんだ』
 今回の暗示に関してナルは百パーセント大丈夫だとは言い切れないが、こんなにすぐに不安定になるような暗示はかけているつもりはなかった。いずれ自分でコントロールできるようになるだろうとは思っているが、まだ何の訓練もしていない現状では無理だ。
 麻衣は今だ暗示をかけられているというコトは知らないはずだ。ならば、暗示が破けたと言うことはない。それだけの自信はある。
 だが、麻衣は視たという。
――『麻衣が何をサイコメトリーしているのか判るのか?』
――『麻衣はねすごく特異的だよね。まるで僕とナルの力を一人でもっているみたいだ』
 そんなことが聞きたいわけではない。
 なかなか言おうとしないジーンに、苛立ちを隠せない。
――『怒らないでよ、本当にナルはせっかちなんだから。
   言ったでしょ、麻衣は僕たちの力を一人でもっているみたいだって。
   麻衣が今回サイコメトリーしている物は、ナルと同じように物体を通してみる物ともう一つ言霊と呼ばれる物だよ。言葉に焼き付いてしまった強い想いや、意志までもその中から読みとってしまうんだ。
 ナルも少し知っているとは思うけれど、言霊とは言葉に宿った特別な力のことだと思う。だから、音として残っていなくてもその力がきっと消えることなく大気に交ざって残っているとしたら、麻衣がそれを読みとってしまったとしてもおかしくはないよ。心がまっさらになってしまっている眠っている間に、能力が発動しちゃったんだね』
 ナルから舌打ちが漏れる。何を視ているのかと思えば「言霊」とジーンは言う。そんなつかみ所のない物を、麻衣は視ているというのだ。言霊ではある意味塞ぎようがないではないか。
――『もちろん普通の雑多な思念が交じっている言霊って言うワケじゃないとは思う。強い、強い残留思念をそこから読みとってしまうんじゃないかな。ナルもそうでしょ?物に宿っている残留思念を読みとっているんだと思う。
 麻衣が視だしたのも、森から聞こえてきた嘆きの声を聴いてからでしょ? その声に誘われるように森に行ってから麻衣の力は暴走しだしている。あの森に残っているというより、焼き付いてしまっている二人の男の、強い強い願いの声を視続けているんじゃないかって・・・あまりにも強く禍々しい想いに引きずられて、切り離せなくなっているんじゃないかな。だから、常にそれを追ってしまってしまっている。だから、視たくもないのに視てしまう。聴きたくもないのに聴いてしまうんじゃないかなって。あくまでも僕の考えであって、実際に麻衣が何を視ているのかは今一つ判らないけれど』
――『やっかいなことには変わりない』
――『そうだね…だからナル気を付けて上げてね。
   じゃないと麻衣、壊れちゃうよ? 人には受け入れられる許容量があるんだから。幾ら麻衣でも、一人分以上の許容量はないよ?何人もの記憶や感情を読みとっていたら、麻衣自身がその想いに潰されちゃうよ。
   麻衣は女の子なんだから、守らなければならないところでは守って上げてよね』
 ジーンは憮然とした顔をしているナルを見て、クスクスと笑みを漏らす。あえて自分に言われなくても判っていることなのだろう。
――『で、麻衣は何を視たんだ?』
――『それは、目が覚めたら麻衣に聞いて。
   もう…おきて、られない―――』
 もう、時間がないのだろう。ジーンの声が間遠くなっていく。

――『気を付けて、次のターゲットは麻衣だよ……きっと』

 最後にそれだけを言い残して、ジーンの姿は消えた。
 ナルは窓際から離れると、窓際に備え付けられているイスに腰を下ろす。ラタン細工のイスは微かなきしみを上げてナルの体重を受け止めた。
 苛立たしげに髪を掻き上げて、落ち着かせるように一息を付く。
 潜在的に麻衣の力がかなり強いことは判ってはいたが、まさか空気に焼き付いている記憶すら読みとるというのか。いや、それはある意味考えられない話でもなかった。
 麻衣はジーンと同じで夢を視る。
 それはどこで、何を視ているのか全くと言って判らないことだった。もちろんサイコメトリーに関しても判らないのだが、それはその持ち主の過去や未来、現在関してのみだ。そう限定されている。
 だが「夢」に関してはそう言う制約が、ほとんどない。ナルが見れない物まで麻衣は「夢」という形で物を見、霊視する。だから、霊媒の真砂子が見れない物まで視えるのではないだろうか?
 その力と、サイコメトリーという能力が合わさった力が、麻衣のサイコメトリーの能力ではないだろうか?
 だが、やっかいなことには変わりない。
 研究材料としては多大な興味を覚えるが、これは危険な力だと言うことはナルにはよく判る。追体験をするほどの能力は、無闇に使うべきではないことは、誰よりもナルが判ると言っていい。一つ間違えばそのまま死に至るのだから。
「報告は、できないな」
 SPR本部に麻衣がジーンと同系列の霊能力者だと言うことは、名前を臥せて知らせてある。まだ、本人が高校生であり、打診するべく状況ではないから、話を進めてはいないが、本人が合意すれば正式にSPRの研究員に招きたい考えがあるともまどかには報告してある。それがどこまで上層部に届いているかは、まどか次第になってしまうが。
 この、特異的なサイコメトリーに関することは言えないな。研究員でありながらナルはこの間替えに苦笑を漏らしてしまう。おそらく皆がこのことを聞いたら驚きを隠しきれないだろうコトを、考えているのだ。誰よりも率先して研究しそうな、ナルがである。
 もちろん、麻衣には色々と研究には協力して貰うつもりで居ることは今も替わらない。が、それは『心霊現象』に関することであり、それに繋がる能力についでの協力を扇ぐつもりだ。間違っても生命に危険が及ぶような能力を使わせる気はない。
 元々『サイコメトリー』に関する研究にはさほど興味を覚えていないと言うこともあるだろうが……
 ジーンに言わせたらきっとこういうだろう。
 『惚れた女を実験に使う分けないよ』っと。
 それこそSPRの研究員達が聞けば、普通の男ならそう言うだろうがあのディヴィス博士に限ってはあり得ないと、口をそろえて言いそうだが。
 ナルとしてはわざわざこの件を広めるつもりはないことだけは、確かなことだった。







 翌朝どこか疲れたような顔で麻衣は目を覚ました。無理矢理暗示を破って力を使ったことには変わりないのだ。身体には負担をかけているのだろう。だが、もちろん本人はそんな自覚はないから、夢の影響だと思っていた。まぁその影響もあるのだろうが。
 のろのろと支度をする麻衣に、真砂子がはじめに気が付く。
「麻衣、良く休めませんでしたの?」
 真砂子はとうの昔に着替えをすませていた。が、麻衣は未だに着替え終わってない。一つの動作を終えては、ふぅ〜と溜息をもらしてしばらくボーッとしてから、次の動作に映る。それの繰り返しで着替え終わるのに十五分もかけていた。
「何だか…また視ちゃったみたいで」
 苦笑を漏らしながら麻衣は真砂子と綾子に夢のことを教える。事情を知らない真砂子は「まぁ、大丈夫ですの?」と純粋に心配しているが、綾子と来たら顔面蒼白である。
「松崎さん?」
「綾子?」
 なぜ綾子の顔色が悪くなるのか、麻衣にも真砂子にも判らない。二人は顔を見合わせてしまう。
「麻衣はしばらく休んでいた方がいいわね」
 取って付けたようなことを言うと、綾子は慌てて部屋を出ていってしまう。
「なに?あれ」
「さぁ…何だかすごく慌てていましたけれど」
「だよねぇ〜〜〜綾子メイク、半分しか終わっていなかったのに、出て行っちゃった」
 きょとん、と二人は呆気にとられて綾子を見送ってしまった。
 そう、何だか非常に慌てていた綾子は気が付いていなかったようだが、メイクが半分しか終わっていなかったのだ。まだ、右のアイメイクに手をつけていない状態で。
 滝川が居たらきっとひどくからかわれることだろうが、今いるメンバーではありえそうもない。見て見ぬ振りをするだろう。教えるのはきっと自分たちで……きっと普段見られない綾子が見れることは間違いなしで、二人の口から同時に笑い声が漏れたのは言うまでもない。
「麻衣の淹れるお茶って本当に美味しいですわね。で、麻衣――いつからナルと付き合っていますの?」
 着替え終わった麻衣が淹れてくれたお茶を飲んで人心地付いた頃、真砂子は話の流れにない突拍子もないことを口にする。
「ありがとう、おかわりあるよ―――――――――――――――――っっっっっっ」
 麻衣は一気に真っ赤になる。
 なぜ、今までの会話がそこに繋がるというのだろうか。
 真砂子は笑みを浮かべて麻衣を見ているが、目は笑っていなかった。
 聞き出すまでは、絶対に逃さないと語っている。
 麻衣はうろたえ逃げ道を捜そうとするが、逃げ道などあるわけがない。ああ…これは綾子の時と同じパターンだと思いながら麻衣は逃げ道を捜すが、当然見つけられないことをとうに悟っていた。だが、それでもあがいてしまう。
 真砂子はそれはそれは艶やかな(日本人形と言われる真砂子がこんな笑みを浮かべると、呪いの日本人形はこんな笑顔を浮かべるのかな?と麻衣はマジで思った)笑みを浮かべて、麻衣を見る。
「いつからって――――な、何で付き合っていると思うの?」
 自分で言っていて愚問だとは思うのだが。今まで真砂子が知っていることを臭わせるようなことは、色々とあったが、まさか綾子と同じように正面切って聞かれるとは思いにもよらなかった。
 考えてみれば聞かれるのは真砂子の方が高いというのに。
 かつては、同じようにナルに恋をしていたのだから。
「今更ですわ。見ていれば判りますもの」
 余計にぼぼぼぼぼっと火がついたように真っ赤になる麻衣。
「いつからですの?」
 ジリジリと近寄ってくる真砂子。それに比例して後退する麻衣。背中が壁にぶつかり逃げ道がもうないと判ると、観念したかのように口を開く。
 真砂子のことだ、綾子のようにきわどいことは聞かれないだろう…そう思いたい。
「―――――――――――――――――前――――――」
「え?」
「―――――――――― 三ヶ月ぐらい前」
 ぼそりと言った麻衣はもう、これ以上ないと言うぐらいに真っ赤である。顔や耳はおろか首も当然であるが、鎖骨の辺りも同様に真っ赤だ。もしかしたら今着ている物を全部剥いだら、全身が真っ赤というのが見れるかもしれない。と真砂子が思ったのはご愛敬?であろう。
「で、今仕事馬鹿さんとお付き合いして、幸せですの?」
 真砂子は楽しげに聞いてくる。
 麻衣がナルのことを好きだと言うことは、麻衣が自覚するよりも前から知っていた。
 ナルが麻衣のことを好きだと言うことは、ナルを見ていて気が付いていた。
 真砂子がナルのことを好きだったのはもう遠い昔。
 彼を見て心ざわめくことはもう無い。
 ナルはどう思っているか判らないが、二人とも大切な友人だ。
 その、大切な友人達が幸せになるのならば、諸手をあげて祝福をしたい。
 誰よりも不器用な二人。
 だからこそ、幸せになって欲しい。
「麻衣?」
 麻衣は真っ赤なままだが、ニッコリと幸せそうな笑顔を浮かべる。
「うん…すっっごくしあわせ。約束してくれたし。」
 最後の言葉は小さな声での囁きだ。本人も言った自覚がなさそうなほど、ポツリと漏れた言葉に、真砂子は興味を覚える。あのナルが約束。それはいったい何なのだろう。
「約束って何なんですの?」
 真砂子の問いかけに麻衣はハッと口を閉ざす。やはり言うつもりの無かったことまで言ってしまったのだろう。両手で口を押さえているがもう遅い。幾ら真砂子が聞きたがっても麻衣は頑なに首を振るばかりでなかなか答えようとしない。痺れを切らした頃に麻衣は首を絞めたくなるほどの嬉しそうな顔で言い放ったのだ。
「内緒」
 すごく幸せそうな笑顔だと思った。
「約束―――と言うより、私の願いかな?」
 だから、内緒と麻衣は言う。
「願い事はね、人に言っちゃったら効果無いでしょ?」
 だから内緒なの。
 麻衣はひどく幸せそうに言う。真砂子が今まで見たこともないような艶やかな微笑みだと思った。麻衣の笑顔なぞ見慣れているというのに、思わず息を呑んだ程である。
 ああ…麻衣は先に『女性』になってしまったのね。漠然とした物だが真砂子はそう感じた。自分にはないどこか綾子と共通した物を、麻衣に見たような気がしたのだ。もちろんそれがどんな物かは、真砂子には漠然としすぎて判らなかったが。
 ナルと何を約束したのか、何を願ったのか、真砂子には想像は付かないが。
「物好きですわね」
 真砂子の言葉に麻衣はう〜〜〜〜む、と呻る。
 どうして、ナルを好きになったのか。そんなことは説明しようもないが。
「そっくりだからじゃないからね」
 一言漏れた言葉。
「判っていますわ」
 そんなことを思いもしない。
 麻衣の初恋の相手はジーン。
 そして、今大切な人はその双子の弟。
 うり二つの二人。
 だけれど、麻衣は外見で彼らを選んだわけではない。
 そして、ナルは外見の良さだけに惚れ込んでつきあえるような、男ではない。短くはないつきあいでその程度のこと、真砂子はイヤと言うほど知っている。顔の良さなど、彼の仕事に対する執念とも言えるような向かい方と、あの極悪極まりない性格で霞んでしまうのだから。
「破局をしたらすぐに教えて下さいマシね。あたくしが名乗りを上げますから」
 そんなつもりは更々ないけれど、麻衣が笑ってくれるならさらりと思ってもいないことも口に出来る。
「破局なんて―――しないもん」
 未来は判らないけれど。
 永遠なんてないだろうけれど、だけれど約束があるから大丈夫。
「おあいにく様。破局何てしないもん」
 約束があるからねぇ〜〜〜♪
 麻衣は楽しげにそういうと、朝ご飯食べに行こうっと立ち上がる。真砂子もそれ以上問いただすことはせず、麻衣とともにベースだった場所へと足を向けた。












☆ ☆☆ 作者の戯言 ☆☆☆
今回もなぜかジーン君が登場。そして、漸く麻衣が何を見ているのか判明。麻衣が何を見たかはこれは最初から決めていたことだったんだけど、どうやってこれを判明させるかの手段を忘れていたため、お兄ちゃんに出て貰いました(笑)困ったときの浮遊霊頼みか?(違う)
後は事件解決に向けて改訂句だけ…何だけど……犯人まだ、全然出てきてくれない…………………
でも、次と次が事件解決編です。漸く終わりが見えてきた・・・・・・長かった・・・非常に長い道のり・・・ここまで付き合ってくれてありがとうごじゃりますv(まだ終わってないつーの)
後二回アップで終わりますので、最後までお付き合い下さいませ。13話目と最終話のみは、同時アップ予定ですv










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