第十三話
            






                



 千尋は必死の形相で逃げていたのだ。
 夢で視た千尋は、恐怖に駆られていた。捕まるわけには行かないため必死の思いで逃げていた。どこまでもどこまでも、救いを求めて。漸く車のヘッドライトが見え、助けて貰うため近づいたのだが、運転手は自分に気が付くことなくそのまま自分の身体を跳ねてしまった。その後、車は一度止まり運転手は降りてきたのだが、人を跳ねたことに動転してしまいそのまま逃げてしまった。
 助けて欲しい・・・そう言いたかったのに、言葉は出ない。
 やがて、意識は深い・・・深い闇へと落ちていく。
 動かないかない身体。もう、逃げることは出来ない。その絶望の淵から逃れるには、意識を闇の中へとゆだねることしかなかった。二度と開けない闇の世界へと・・・・・
 なぜ、彼女はそこまでして逃げようとしていたのか。
 答えは一つだった。恋人同士だと勘違いしている男につきまとわれてしまった恐怖からだ。偶然知り合いちょっとした挨拶と世間話程度しか、交わしたことがないと言うのに石渡は、恋人気取りでつきまとう。昼夜関係なくだ。昨今ちまたを騒がせ、メディアでも大きく取り上げられるようになっている『ストーカー』という物だ。その日遅くなったのは町にいる恋人に会い、その事を警察に届け出るかのどうかを相談していたのだ。
 その帰りに石渡に会い、事故にあってしまった。
 目を閉じるとあの時の恐怖が自分のことのように甦る。
 その上、彼の執着が彼女の魂を拘束し、朽ちた身体に縛り付けられて彼女はどこにも行けないでいる。もしも、石渡が彼女の姿を見ることができたら「神」の存在を信じ、本当に甦らせてくれたのだろうと信じるかもしれない。否、例えその姿が見えずとも、身体が朽ちていこうとも石渡は死んだことを認めようとはしなかった。
 自分のせいで彼女が死んだと、認めることはしなかった。
 罵ってやりたい。一人の人を死へと追いつめてしまった、独りよがりな目の前の男を攻め寄りたい。
 なぜ、彼女をそこまで追いつめたのか。
 なぜ、自分本位に思い込み彼女の言葉を聞こうとしなかったのか。
 怯え逃げまどっていたのは、誰の目から見ても明らかだというのに・・・・なぜ、どうして・・・その言葉が口を出そうになる。
 だが、麻衣は拳を強く握りしめて、深く深呼吸をして自分をなだめる。
 それは自分がすることではないのだ。彼を裁いていいのは自分ではない。この男のせいで短い人生を閉ざすことになった女性本人であり、法律が裁くしかないのだ。精神鑑定の結果では責任能力を問えず、罪に服すことはないかもしれないが、それでも、自分がしていい事ではない。
 麻衣が口を開くまで誰も何も言わない。綾子の祝詞を呟く小さな囁きが聞こえるだけだ。
ゆっくりと目を開いて、目の前で怯え竦む男を見下ろす。
「千尋さんを解放して上げて」
 麻衣ができることは裁くことではなく、千尋に安らかな眠りにつけるよう導くこと。
「もう、いいでしょ?
 千尋さんを安らかに眠らせて上げて。すごく苦しんでいる。もう、自由になりたがっている。お願いだから、彼女を静かに眠らせて上げて。亡くなってまで彼女を縛り付けないで」
 石渡は弱々しく首を振って、麻衣から離れて千尋の身体の側に行こうとする。
「駄目どす!!」
 ジョンが慌てて叫び、石渡を押さえ込む。結界の外に出てしまってはまた、吉田の妄執にとらわれてしまう。
「放せ!! 千尋の所に行くんだ!!」
 石渡はジョンの腕を振り払おうとするが、そう簡単に放せるわけがなかった。死にものぐるいになって暴れる石渡をジョンと安原の二人係りで押さえ込む。
「二人とも、そのまま抑えていて下さい」
 ナルが二人に指示すると石渡の目の前にいきなり右手を突き出す。
 自分の眼前にいきなり手が突き出され、石渡は驚いたように声をなくして、その手を見入る。ナルは素早く小言で何かを囁くと、二本の指で石渡の瞼をゆっくりと下ろしていく。その動きに従って暴れていた石渡の身体からは力がなくなり、そのまま完全に瞼が下りていく。
「ナル?」
 何をしたのだろうか?
「埒があかない。僕たちがするべきことはこの男に罪を認めさせることではない」
 確かにそうなのだが。
「吉田の除霊の方が先だ」
 吉田の妄執はこの森を覆いながら、結界の様子をうかがっているようだ。だが、その為にこの地に縛り付けられている、女性霊達が苦悶の表情を浮かべている。吉田の妄執に引きずられているのだろう、特に存在が弱まりその場にいるだけの女性達は、吉田の妄執に取り込まれて行っている。
「――――っ」
 その様がつぶさに判る麻衣と真砂子は口元を、両手で覆って息を呑む。
 村のために自らの命を犠牲にした女性達。死んでもなおこの地で念仏を唱え続け村の平和を祈り続けた彼女達の最後は、吉田に取り込まれてしまったのだ。光を見ること叶わず、自我を取り戻さないまま消えていってしまう。
「――て―――もう、止めて!!」
 麻衣と真砂子が叫ぼうと、吉田はドンドン取り込もうとしていく。既に、自分が誰で何をするべくこの地に残っていたのか、殆ど覚えていないだろう。ただ、最後の執念のように麻衣の両眼と血をを欲している。
――「
寄こせ―――お前の、力に満ちた血と両眼をよこせ!!」
 地を這うような声が辺りに響く。禍々しいほどに澱んだ黒い目が麻衣を見、その両眼を奪おうと手を伸ばすが、綾子の結界に阻まれて弾かれる。
「っつぅ――−このままあいつの力が増していったらあたしの力じゃ、防げなくなるわ」
 綾子も既に限界が近いのだろう。額から汗が滝のように流れ出、形の良い頬を伝って落ちていく。息も荒くなり肩が激しく上下に揺れていた。それでも気を抜くわけも行かず、必死に祝詞を捧げ現状を維持しているが、時間の問題は目に見えて判った。
 ジョンの力でも払えるかどうかは判らない。彼は憑依霊や浄霊を得意としていて、除霊はどちらかというと苦手としている方だからだ。
 だが、今はそう言っている場合ではない。
 ジョンが一歩歩みだしたとき、ぴろりろりん、ぴろりろりん♪と、この場に不釣り合いな電子音が響き渡る。安原が慌てているところを見ると彼の携帯電話の着信音のようだ。
「滝川さんですか!?」
 どうやら、電話の相手は滝川のようである。安原はその後二言三言やりとりを交わすと、電話を切る。
「これから森の中に入ってくるそうです。あと少しですから松崎さん、頑張って下さい」
「っまかせなさいよ…くそぼーず達が来るぐらいまでなら耐えてみせるわよ」
 既に貧血気味なのか綾子の顔色はひどく悪かったが、綾子は休まることなく神経を更に集中させていく。森の入口からここまで約三十分、何としてでも耐えてみせる。
 が、思いの外身体に負担がかかっていたのだろう。二〜三度吉田が体当たりしてくると、その震動で綾子はとうとう膝を突いてしまう。
「綾子!!」
「松崎さん!?」
 麻衣と真砂子が慌てて綾子を支えようと近寄ったとき、結界が完全に吉田によって壊されてしまった。
 渦巻く念が一気に辺りを覆いつつもうとする。
「麻衣!」
 呆然と立ちつくす麻衣をナルは自分の背後にかばう。
 吉田が狙っているのは他の誰でもない麻衣一人なのだ。ジョンが立ち上がり聖書を読み上げながら聖水を振りまくが、焼け石に水状態で吉田には何の影響も及ばさない。本体に届く前に取り込んだ女性達がガードの役割をしている。ジョンの祈りは女性達を浄化するぐらいだ。
 ナルは意を決し右手で麻衣をかばいながら、左手を掲げる。
 左手一本ぐらいの犠牲ですめば、それに越したことはない。万が一身体に負担をかけようとも、構うことはない。
 背後にある温もりを失うつもりはないのだ。
 麻衣は目の前で上がっていく左手の意味がとっさに分かり、右腕を振り払って左腕にしがみつく。
「駄目!! 力は使っちゃ駄目だってば!!」
 ナルの持つPKはそれこそ諸刃の刃だ。ジーンがいた頃ならいざ知らず、ナルが単独で使える力ではない。
「放せ。ぼーさんやリン達が来るのを待っていたら間に合わない」
 その言葉がどの意味をもたらすかは麻衣もよく判る。だが、だからといってその力を使わせるわけにはいかない。
「イヤだよ!! やだってば!!」
 自分のせいで誰かが傷つくのは見たくない。
 こんな事態になったのは、自分が不注意すぎたからだ。ジーンに次に狙われるのは自分だと警告されていながら、呑気にしていたから…つけ入れられるすきを作ってしまったから…自分がどうなろうとも自業自得だ。どれだけ危険かは判っていたのに、みすみす催眠誘導にかかってしまった自分が悪いのだ。そのせいでナルが、皆が傷つくのは見たくない。
 左腕にしがみついて離れようとしない麻衣に苛ついたナルは、顔を上げて綾子の介護に当たっている安原に声をかける。
「安原さん、僕の邪魔をしないように抑えていて下さい」
 反論を言わせない迫力で、安原に命じる。安原とてナルの能力がどれほど危険な物かは重々知っている。だが、既にそれしか手段がないのだと、その闇色の両眼が語っていた。
 安原は麻衣に恨まれるのは覚悟の上で、背後から麻衣を羽交い締めにする。
「やだってば!! 安原さん!!放してよ!!」
 麻衣は悲鳴のような叫びを上げながら、もがくが男の腕力に叶うわけがない。
「やだ!ナル!!!!お願いだから、止めてぇぇぇぇ!!!!!!」
 絶叫と言ってもいい声が響き渡る。麻衣は鳶色の両眼を大きく見開き涙を流しながら必死に訴えかけるがナルは振り返ろうともしない。安原は麻衣から顔を背けながらも飛び出さないように押さえ込む。男である安原が全力で羽交い締めしなければならないほど、麻衣は藻掻き暴れていた。綾子やジョンは少しでもナルが力を落とせればと思い、祝詞を唱え聖書を読み上げるがなしのつぶて状態であり、真砂子は麻衣の正面に立って安原の手伝いをすべく押さえ込む。
「ナル!ヤダよっっ、ナルッてばっっっ!!!
 お願いだから、お願いだから止めてよっっっっ!!!!!!」
 ナルの身体を淡い燐光が取り囲む。髪がゆらゆらと逆巻き始め、顔に僅かに苦渋の色が浮かぶ。掲げた左腕を中心に空気対流が起きているのが僅かに判り始めてきた。プラズマが掌を中心に弾けだし、今にもナルはその力を解放しようとしていた。

 お願い。誰でも良いから助けて
 今なら石渡や吉田が居もしない存在にすがったことが判る。
 自分の力でどうしようもないことがあったら、何にでもすがりたくなる。
 大切な人が、愛しい人が傷つくのを見たくはない。
 自分のせいで、危険にさらされるのは見たくない。
 お願いだから、誰でも良いから、助けて欲しい。
 あり得ない存在に、在ってはいけない存在にすがってしまう。
 助けられるなら、ナルを助けられるのは居もしない神でもこの村の人達が信じる「森の神」でもない…在りもしない存在ではなく、在る存在。彼ならきっと助けることが出来る。彼しかできない。 
 お願い…お願いだから…ナルを…ナルを助けてっっっっっ




「いやだってば――――っっっっっ!!!」





 ――ジーン!!助けて!!!
 麻衣は彼の力をサポートできる双子の兄の名を必死になって呼ぶ。いつも、いつも助けてくれた優しい人。既にこの世にいない人の助けを請うことはいけないことなのかもしれない。それでも、今現状を助けられるのは彼しかいないのだ。彼なら、ジーンならナルを助けられる。自分は守られるだけで何もできないけれど、ジーンならナルを助けられる。
 ――ジーン!! お願い!!助けて!!
    ナルが…ナルが……………!!!
 必死な声が聞こえたのか、意識の底に聞き慣れた微かな声が響いた。
「ジーン――――――――――?」
 安原の拘束からのがれようと暴れていた麻衣の身体から、ふいに力がなくなったかのように、安原の腕にもたれ掛かってくる。首は前に折れ意識を完全になくしてしまったかのような状態だ。
「谷山さん―――?」
「麻衣?」
 急に意識を失ってしまった麻衣に安原は恐る恐る声をかけるが、すぐに麻衣の身体に元の通り力が戻る。だが、先までのように暴れることもなくゆっくりと自分の足で立ち上がると、振り返った。その瞬間安原は思わず息を呑む。
 鳶色のはずのその双眸が深い闇色に変わっているからだ。
「手を離して貰えますか? ナルの手伝いをしたいので」
 ニッコリとこの場に不似合いなほど穏やかな笑みを浮かべて、彼女は言った。いつものソプラノより若干低めの、落ち着いた声音で。
「ジーン…ジーンですわ」
 真砂子が目を見開いて麻衣を見る。唯一霊を視ることが出来る真砂子にはジーンが麻衣の中にいることを視ることが出来た。事情が判らない安原だが、あまりの事態に思わず言われるがままに、麻衣を羽交い締めしていた腕を離してしまう。彼女は「ありがとう」というとナルの方へと向かって歩いていく。
「麻衣の気持ちも、少しは考えてあげなよね」
 聞き慣れた声が、懐かしい抑揚で声をかけてきた。
 チラリと横を見ると苦笑を浮かべた麻衣が立っている。先ほどまで泣き叫んで止めていたのが嘘のようだ。
「右手」
 麻衣は左手を刺しだして、ナルに一言指図する。 
 安原やナルだけではなく、麻衣の変貌ぶりに綾子や、ジョンすら目を見開いてしまう。
「時間がないんだから早く」
 麻衣は無造作にナルの手を掴むと、ナルは漸く一言漏らした。かつての双子の片割れの名を。
「感動の再会はあとにしよう。とにかくこの妄執をどうにかしないと、麻衣が危険だよ」
「チャージするには既に危険な状態だ」
 ナルは既に解き放つ状態までに力を高めている。今までジーンとしていた段階ではない。このような濃度の高いエネルギーをトスして、麻衣もジーンも無事ですむはずがない。
「確かに、それは麻衣の身体にも負担はかけるかもしれないけれど、麻衣の事を心配するなら一人でその力を使おうとしないことだね。その力を使ったら例え死ななくても無傷じゃすまないことはナルが一番判っているよね? それを見た麻衣のショックを考えなよね。一番自分のせいで誰かが傷つくことを厭う子なんだから、麻衣の心に傷が残っちゃうよ?
 ナルはそれでもいいの?これからず〜〜〜〜〜っと、麻衣はその事で自分を責め続けるよ」
 ジーンの言葉にナルは苦虫を噛みつぶしたように、渋面を作る。そんなことはあえて言われなくても判っていることだが、打開策は他になかったのだ。ジーンが目の前に現れなければ。
「ナル、麻衣をね守りたい気持ちも分かるけれど、鳥かごに閉じこめておいたって麻衣は喜ばないよ?」
 そんなことぐらいジーンに言われなくてもよく判っている。大人しく腕の中にいるならどんなに楽か。苦虫を噛みつぶしたかのようなナルの表情に、ジーンは苦笑を漏らすとナルを促す。
「麻衣は平気でもお前は判らないぞ」
 既に死んでいる身の自分のことまで気にかけるようになった、弟の言葉にジーンは驚きとともに、くすぐったいような感じがした。
「大丈夫。二人に負けていられないから」
 ジーンの言葉を最後に二人は眼を閉ざした。一度左腕に貯めた力を右腕を通してトスをする。その勢いにジーンは微かな呻き声を漏らしたが、その力は何倍物大きさになって戻ってくる。それでも全身を支配していた倦怠感が、薄れていくのをナルは感じた。力はさらに、更に威力を増していく。それに半比例して身体にかかる負担が減少していくのだ。
 そして充分なほどエネルギーが溜まるとナルは目を開いた。
 吉田はジョンの祈りを蹴散らして、眼前まで迫っていたが、ナルはゆっくりと左手を掲げ唇に笑みを刻む。




「夢からいい加減に覚めろ」




 静かな、静かな声だ。
 全身を取り巻いていた燐光が消えるが、左腕を中心に対流が起きていたのが一気に放出される。見えないエネルギーだが、密度の濃い空気が流れを作る。大きなとぐろを巻いてそれは真っ直ぐに吉田に向かって飛んでいく。ナルは麻衣の身体を腕に抱き込んで背を向け、かばうと爆風のような衝撃が背中を直撃する。
 その爆風のような衝撃に、ジョンや安原、真砂子や綾子も吹き飛ばされる。
 木々が大きくしなり、緑の葉を散らせ曼珠沙華の赤い細い花弁がいっせいに宙を舞う。
 しばらくその場に臥せてやり過ごしていると、二人の人間が慌てて近づいてきた。
「大丈夫か〜〜〜〜っと、いったい何があったんだ?」
 滝川は息を切らしてその場に来るなり、辺りの惨状に呆気にとられる。一方向の木々が全てなぎ倒されたかのような状態で、地面が深く抉れ曼珠沙華の花々が、大量に宙を舞っているのだ。何かがあったと言うことはすぐに判ったのだが、こんな事ができるのは一人しかいない。そして、滝川の考えを肯定するかのように中心地からそう離れていないところに、漆黒の影が何かを腕に抱えて地面に倒れている。
「ナル!」
「ナル坊!!」
「渋谷さん!」
 他にも勢いで倒れていた面々が置き上がり、ナルの元へと近寄る。
「安原さん、すぐに救急車を―――ナル?」
 リンが安原に向かって言いかけるのだが、ふいに伸びてきた腕に言葉をとぎらす。皆が見る中ゆっくりとナルは上体を起こした。顔色は若干悪いが意識はしっかりあるようだが、リンは慌てて力を使ったと思われる手を確認するが、軽い火傷のように赤くはなっているがそれ以上の症状は出ていない。
 今までナルが力を使って、この程度ですんだときは傍らにジーンが居たときのみになっているのにだ。
「ナル?」
 どういうことか説明して欲しいと、リンが口を開きかけるが女性陣の声に言葉を閉ざす。
「麻衣!?」
 ナルの腕の中でくったりとしている麻衣に近づいて、綾子と真砂子が声をかけるが麻衣はうんともすんとも反応しない。呼吸の確認を慌ててすると穏やかでゆっくりとした吐息が繰り返されており、脈も若干速い気もするが異常はないようだ。どうやら意識を無くしていると言うより、極度の疲れで眠ってしまっているような感じだ。
 スヤスヤとこの場に不釣り合いな寝息が聞こえてくる。
「初めてサポートして身体が疲れているだけだ。しばらく休めば目が覚める」
 麻衣を抱え直しながら、簡潔に説明するナルに、その場にいなかったリンと滝川は不思議そうに顔を見合わせる。
「どういうことですか?」
「麻衣がジーンを自分の身体に呼び込んだんだ」
 それ以上の説明は面倒だと言わんばかりにナルは麻衣を抱えたまま、立ち上がるとゆっくりと歩き出す。この地に渦巻いていた吉田の妄執は既に吹き飛ばされて影も形もない。もう、この場所に止まる必要はないのだ。麻衣の能力の暴走さえ止まれば。
 ナルの言葉に釈然としない滝川は、救いを求めるかのように説明屋の安原を見る。
 いつもなら安原も喜んで説明するところなのだが、今はへとへとに疲れてしまっていてとにかく休みたい。それはその場にいた他のメンバーも同様だ。しかし、それで納得できるわけがなく「旅館に戻ったら説明しますから、戻りましょう」との言葉に、滝川達も渋々森をあとにした。
「――結局、俺達役立たずか」
 リンと滝川は軽い口調でつぶやけたことに、内心安堵を隠せない想いだった。
 間に合わなかった結果、この場にいたメンバーの誰かしらにもしものことがあったら、一生悔やんでも悔やみきれなかっただろう。






















 麻衣はゆらゆらと暖かいモノに包まれ、守られていると思った。すごく落ち着けて居心地の良い場所。優しく包む温もりと、柔らかな鼓動が心を落ち着かせる。あれほどの焦燥感が今では綺麗に消えて、この温もりに身を任せたくなる。
 優しい眠りだ。もう少し、このまま眠りに浸っていたい。
 とろとろと微睡みの世界に浸っていると、微かに聞こえてくる悲しげな鳴き声。
 なぜ、こんな優しい空間にいるのに悲しげな声が聞こえるのだろう?麻衣は意識を辺りに向けると、荒れ果てた森の中で一人の女性が、呆然と立ちつくしその場で涙を流していた。まるで、道に迷って途方に暮れている小さな子供のように。
 麻衣は彼女に近づくと微笑みを浮かべる。怯えて嘆く彼女を落ち着かせるために。
 ――「もう、大丈夫だよ」
 春風のように柔らかな声に、彼女は顔を上げる。麻衣は真っ直ぐに彼女を見る。全身を血に染めてしまっている千尋だった。幾人者人の血をかぶせられ、妄執に縛られてしまった女性だ。
 麻衣は自分の手で彼女に突いてしまっている血を拭っていく。そんなんで落ちるわけはないと言うのに、麻衣が触れたところから血が消えていく。何度も何度もしていくと彼女から完全に血臭が消え、綺麗な状態へと戻っていた。麻衣は真っ直ぐに彼女を見ると手を差し伸べる。
 ――「もう、自由だよ」
 彼女を束縛していた思いはもう無いのだから。
 麻衣の腕を取った千尋は戸惑いながら立ち上がる。
 ――「貴女は自由だよ。ゆっくりと眠ってね」
 その言葉にはにかんだような笑顔を浮かべて、彼女はゆっくりと頷くと身体を丸める。小さく、小さく丸め、やがて光に溶け込んでゆく。その光さえも徐々に小さくなり闇に溶けて消える。




 その日の午後匿名の電話により、森の中に朽ち果てた女性の遺体と、放心状態の男性の姿を警察によって発見された。
 これ以後、この村を遅う残虐な事件は起きなかったという。















☆ ☆☆ 作者の戯言 ☆☆☆
あ〜〜〜〜漸く、ラスト一章で終わります。何だかのんびり書いた割には、後半がちょっと強引すぎたかなっと…思うところが多々ある終わり方。ぼーさん達を間に合わせるかどうするか、最後の最後まで迷ったけれど、間に合わなかったために魔王様暴走モード。しかし、麻衣チンの必死の願いによりあの世からのお助けマン参上(笑)











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