タイムリミットのある恋人達

第二話



「谷山さん?」
 目の前でどこかぼんやりとしている同僚に、安原は声をかけるがすぐに答えは返っては来なかった。もう一度声をかける前に、安原は麻衣をよく観察する。
 まず第一に顔色が良くない。
 第二に疲労の色が濃く見える。
 第三によく溜息をついている。
 その他にも、覇気が感じられないとか、けだるげな動作で動いている。何もないところで躓いたり、手を滑らせて彼女お気に入りのカップを割ったり、仕事のポカミスも多いらしく所長に嫌みを言われたばかりである。ある意味彼女らしいといえるかもしれないが、ここ二〜三日がこんな様子だ。そういえばバイトに来る時間もいつもより二時間から三時間近く遅くなる。勤労少女とも名高い麻衣らしくない。が、遅刻の理由を聞くと仕方ないのだ。
 なんでも、学祭の実行委員に選ばれたからと言っていて、すでに秋の学祭に向かって委員会が始まったらしい。そのため、しばらくは遅くなると先日言っていたばかりだ。
 それが、かなりきついのだろうか?
 と一瞬思ったが、ここの調査に出向いてピンピンしている少女である。たかが学校の委員会でばてるとも思えない。所長と喧嘩でもしているのかと思ったが……二人の様子はいつもと何ら変わらなく、密かにラブラブである。
 まだ、自分以外誰も気が付いていないようだが、か〜な〜り〜目の毒だと言うことを安原は知っていた。いや、世間一般的のラブラブなバカップルから見れば、たいしたことはないのだろうが、コト相手があの色恋沙汰にめっぽう淡泊で関心なさそうに見える、超絶美形の無表情鉄仮面男である。彼がほんの一仕草、例えば何気なく触れたりする仕草が、ひどくラブラブムードを作っているように思えるのは、安原の気のせいだろうか?おそらくそのたびに麻衣がはにかんだような笑みを浮かべているからかもしれないが・・・ほんのちょっと前まで、葬式とお通夜がいっぺんに来たような沈鬱な表情をしていたのだが、吹っ切れたのかなんなのか判らないが、表情は一変していた。
 もちろん、麻衣らしくない昏い表情をしているより、百万倍もましなのだが、見慣れない所長の微かな微笑というのはけっこう心臓に悪いなぁ・・・何て思ったりもする。
 滝川やリンが麻衣に触れたり、話をしていてもそんな風には見えないのだが…安原には「異様なほど若く見える父と娘の図」にしか見えないのだ。
 恋人との仲のことでないというと…他に何かあったのだろうか?
 いくら、秀才安原、越後屋といっても、全てのことが判るわけもなく、何かがあると言うことは判ってもそれ以上のことは判らなかった。故に行動に移したのだった。
「谷山さん? どうかしましたか?」
「ほえっ!?」
 安原に呼ばれた声に慌てて反応を返す麻衣。どうやら、本当に驚いているようだ。ただでさえ大きな目を更に大きく見開いている。まるで、目を開けたまま寝ていたような感じだ。
「いえ、お疲れなようなので」
「あ、たいしたことないです。何か気持ちがいい陽気だなぁ〜と思ったらウトウトとしてきちゃって」
 照れたような笑みを浮かべて言う麻衣だが、やはり顔色は良くない。どこか青ざめている。
 今の言葉が嘘だと言うことは、すぐに判った。
 そもそも、今日はあいにくの曇り空で陽気がいいとは言えない。
 何かを隠している……直感的にすぐに分かった。
 さすがに、こうもあからさまだと越後屋と名高い安原でなくても気が付くだろう。
「そろそろ、お茶の時間ですよ」
 安原に指摘されて時計を見ると、三時を少し過ぎていた。
 お茶の時間である。
 そして、もう一つ約束の時間だ。
 今日は三時半から一時間だけ合う約束を取り付けていたのだった…そのために一時間だけ抜けさせて貰うことをナルに言うのを忘れてもいる。
「うわぁ〜っとやばい!!」
 麻衣は慌てて立ち上がる。それがいけなかったのか。立ち上がった瞬間一気に頭から血の気が引いていくのを感じた。本当に血の気が引く音が聞こえてきそうな勢いで。
 頭が一気に白くなり、視界がぐにゃり…と曲がる。
「谷山さん!?」
 安原が慌てて立ち上がるのが、視界の片隅に映ったような気もするが、歪んだ視界では定かではなく、麻衣はイスを巻き込んで床の上に倒れる。
 派手な音を立ててイスが倒れ、軽い音を立てて麻衣が床の上に倒れた。
「谷山さん!!」
 安原が慌てて駆けより抱え上げるが、麻衣は完全に意識を失っているようだった。顔が紙のように白く、ただの起立性貧血とは思えない。
「騒々しい―――」
「どうしたんですか?」
 イスが倒れた音に不審に思ったのだろう。二カ所のドアが同時に開く。
「谷山さん?どうかしたんですか?」
 床の上にしゃがみ込んで麻衣を抱えている安原を見て、リンが心配そうに問いかける。
 ナルは無言のまま二人に近づくと、片膝を突いてしゃがみ込みおもむろに麻衣の手首を取って脈を計り、額に手を伸ばす。
「脈が弱い。呼吸も浅く早いのを繰り返している」
 顔色も悪く、冷や汗をじっとりと掻いているのが判る。
 ナルは安原から麻衣を受け取ると、とりあえずソファーに横たわらせる。その間一度も瞼は開くことなく、うっすらと開いた唇から浅い呼吸を漏らしている。
 見覚えのある物だった。
 遠い昔…片割れが、同じ状態に陥ったことがある―――
「安原さん、原さんに連絡を付けて下さい」
 ナルの突然の言葉に、安原は意味が分からなかったがとりあえず、ナルの言うとおりに真砂子に電話を入れる。運が良くたった今仕事が終わったばかりだから、これからオフィスに向かうと言って電話は切れた。
「ナル」
 リンが冷やしたタオルをナルに手渡す。
「谷山さんはいったい?」
 尋常ではない様子に、リンも気になる。
 麻衣はどちらかというと健康体であり、こうしていきなり貧血を起こして倒れたと言うことは今までに一度もなかったのだ。それが、いきなり真っ青な顔をして倒れているのである。心配しない人間がいるわけがない。
「昔、ジーンが同じ症状を起こしたことがあったが、あれは調査中だった」
 調査中だと言うことは霊がらみだと言うことになるが、ここしばらくは調査など何も行っていない。霊現象関係とは思えない。まして、このオフィスには二重に結界が引いてある。リンの術による結界と、滝川の護符による結界だ。
 以前はリンの結界でも充分だったが、麻衣の能力が強くなるに連れて強化していったのである。故にそう簡単霊が入ってこれるはずがなかった。霊が入ってきた場合必ず何か、アクションがあるはずだ。
 それを確認するためにナルは、霊を視ることの出来る真砂子を呼んだのだろう。
 真砂子は30分ほどでオフィスにたどり着いた。
 いつもの通り、トレードマークとかしている着物を着てドアを開ける。
「ごめんくださいまし―――どうかなさいましたの?」
 入ってくるなり真砂子は首を傾げる。
 ソファーの一つを囲うようにして、リンとナルと安原が立っているのだ。
 そして、すぐに気が付く。
 誰よりも早く自分を出迎えてくれる声がなかったことに。
「麻衣は、いらっしゃらないんですの?」
「ここにいます。原さん申し訳ないですが、麻衣を視て貰えますか?」
 ナルの言葉を不思議に思いつつも、真砂子は奥のソファーのもとまで歩いていく。そこには血の気をなくした麻衣が臥せっていた。
 真砂子は麻衣を見るなり眉を寄せる。
 真っ青な顔で意識をなくしているのだ。具合を伺うような表情なのだが、怪訝な顔つきである。しばらくの間何かを見定めるかのようにジッと見た後、確信を持ったのだろう。麻衣から視線を外しナルを見る。
 そう。確かに麻衣だというのに、真砂子にはもう一つの陰が重なって見えた。
「麻衣は…女性に憑依されています」
 真砂子の言葉に、ナルはやはり…と呟く。
「でも、おかしいですわ。普通の憑依とは違うんですの…なんと言えば判って下さるかしら?
 綺麗に重なっているんですの。麻衣は抵抗をしていませんわ。
 まるで……」
「自ら、進んで身体を貸しているように?」
 ナルの言葉に真砂子はハッキリと頷き返す。
「ええ。そうですわ。そのように見えます」
「やはりな」
 一人納得しているナルに、リン達は全然意味が分からない。
「どういうことですか?」
「以前ジーンが、霊に同情をしてしばらく身体を貸していたことがある。確か、一日か二日だ。結果本人の身体が過負荷に耐えられなくなって、倒れたことがあった。
 一つの肉体で二つの魂を内包できるわけがない。ただでさえ降霊は体力を奪う。その状態を長時間続けられるわけがない。
 今の麻衣はその時のジーンによく似た症状を起こしている」
「ですが、ここには結界が二重に張ってあります。
 異常は何もありませんが?」
 リンの言うとおり結界は無事だと言うことはナルにも判る。
「それだけ、麻衣が自分の奥深くに彼女を受け入れていると言うことだろう。結界さえ触れられないほど深くにな。だから、余計負担をかける」
 麻衣のキャパシティーだけを言うならば、おそらく自分やジーンより上だろうと、ナルは告げた。
 だから、このような荒技が出来るのだろうと。
「とにかく、麻衣がなんでこんなコトをしているかは一度起きてから、本人に聞かない限り判らないがな」
 安原達はもっともだと頷き返す。














「ごめんなさい――――――」
 美也子が泣きそうな顔で麻衣に謝る。
「私のせいで……」
 麻衣の身体に負担をかけていることは、美也子にも判っていた。
 まさか、こんなに負担をかけるとは当初思っていなかったから、あんな無茶な頼み事をしたのだ。だが、こんなコトになるのならいつまでも無理は頼めない。
「気にしないで」
 暗い闇の世界にたった二人の姿。
 他に誰もいない。
 ここは、麻衣の精神界だ。他に誰かがいるわけがない。
「でも……」
 自分の我が儘でこれ以上負担をかけることは出来ない。
「私なら大丈夫。けっこう丈夫なんだよ?」
 そう言う麻衣の顔色は紙よりも白い。透き通った白い肌は生気を感じさせない。
「約束の日まで後残り4日しかないなだよ?
 大丈夫。そのぐらい保ち堪えるから」
 笑顔を浮かべて言う麻衣に、美也子は言葉が出ない。
 どうして、見も知らない人間にここまですることが出来るんだろう。
 なぜ、彼女は辛いはずなのに笑顔を浮かべて「大丈夫」と言えるのだろう。
「もしも、ナルと突然別れなきゃいけなくなったら、私も美也子さんと同じコトを望むと思うから。
 せめて…せめて少しだけでも、一緒にいたいって。
 そのためならなんでもすると思う……だから、気にしなくていいの。
 ごめんね…今日の約束、守れなかった」
 美也子はフルフルと首を振る。
 麻衣が謝る必要など、どこにもないのだ。
 無理なことを言っているのは自分の方なのだから。
「後、すこしがんばろ?
 美也子さんも辛いと思うけれど」
 自分のことなら耐えられる。
 好きな人の傍にいられるためなら、どんな辛くても耐えられる。
 だけれど―――――
「霊って、けっこう我が儘なはずなんだけれど、美也子さんはすごく優しいね。
 普通なら、このまま私を乗っ取ろうとか思ってもおかしくないのに」
 そんなことは考えたこともなかった。
 そして、それは考える間もなく無理だと言うことがすぐに判る。
 もしも、そんなことを思ったらすぐに麻衣から弾き出されているだろうと。
 本人は気が付いていないようだが、麻衣に害を与えようとしよう物なら自分などひとたまりもないだろう。こうして、麻衣の中にいられるのは麻衣が自分の存在を認めてくれているから。麻衣が持つ力と自分の力とでは、雲泥の差がある。
 比べるのも馬鹿らしく思うほどに。
「がんばろ?」
 麻衣の柔らかな、暖かい笑顔につられるように美也子も強ばった顔に漸く笑みらしき物を浮かべる。
「おねがい…します――――――」
 今の自分に言える言葉は、謝罪ではなく……
「うん」
 ナルさえも魅了した笑みを浮かべる。









「麻衣」
 震える瞼を開けると、自分をのぞき込む顔が四つあった。安原と真砂子は安堵したような笑みを浮かべ、リンは無表情だがやはりどことなく安心したようだ。目が優しい。だが…やはりナルは怒っているようである。
 真砂子がいる時点で、ばれているはずである…霊を視ることの出来る真砂子を誤魔化せているとは、思えない。
 体を起こすとまだ微かに目眩が起きる。思わず片手で目を覆ってしまう。
「麻衣、早く身体から出せ」
 ナルの一言で麻衣は確信する。
「やだ」
 麻衣はきっぱりと言い切る。
「麻衣。これ以上は無理ですわ」
 真砂子も早く霊を身体から出すよう言うが、麻衣は頑なに拒む。
「木曜日までかすって約束したもん。だから、それまで貸すの」
「麻衣」
 苛立たしげな口調でナルが麻衣を呼ぶが、麻衣は横を向いてしまって誰とも目を合わせようとしない。
「強硬手段に出ても良いんだが?」
 その一言で麻衣はナルをキッと見上げる。
「そんなことはさせない」
 火花を散らして睨み合いを始めようとする二人の間に割って入ったのは、やはり越後屋安原少年であった。「まぁまぁ」と言って二人の間に割って入る。
「とりあえず、谷山さんがなんでその女性に身体を貸しているのか、お聞きしましょうよ」
 ね?といって彼独特の笑みを浮かべてナルを見、麻衣にも「話してくれますよね?」と問いかける。安原の笑みにナルは苦虫を噛みつぶしたかのような顔をして、溜息をつくと麻衣に訳を聞いた。
 麻衣は始め話をするべきかどうか迷ったようだが、ゆっくりと話し始める。
 短いようで長い説明が終わった後で、彼ら四人が起こしたリアクションはそれぞれの意味を込めた溜息である。
 実に麻衣らしいと言えば、麻衣らしい理由で身体を貸しているものだ。
 感想はどうであれ、四人が共通して思ったことである。
「それで身体を貸していると?」
 麻衣はコクリと頷き返す。
「乗っ取られるとは思わなかったのか?」
 それは、先ほど麻衣も美也子に言った言葉だったが、その質問には麻衣は首を振る。
「そういうことをしない人だもん。
 今も、すごく私のこと気にしている。だから、諦めるようなこと言っていたけれど私が引き留めたの。
 だって、あまりにも悲しすぎるよ。
 恋人の初めての誕生日だよ?一緒に迎えたかったに決まっている。
 一緒に過ごすことが出来なかったとしても、せめてプレゼントとかあげたいに決まっているし、一緒に過ごしたいって思って当然でしょ?
 私で協力できることがあるなら、少しでも力になって上げたいって思うのは悪いことなの?
 私は、残される人の気持ちならよく分かる。
 突然、身近にいた人がいなくなるのは、すごく辛いよ?
 別れの言葉も言えなかったなんて、辛すぎるよ……」
 麻衣の言葉に誰も何も言えなくなる。
 彼女は今までの長いとは言えない時間の中で、最も大切な人達を亡くし続けてきた。故に、呟かれた言葉は彼らが思うよりも重く響いた。
「だが、逆に悲しみを大きくさせているかもしれないが? 余計な期待はかえって酷だ」
 ナルの言い分も判る。
 いずれは来る別れ。悪戯にそれを伸ばしているだけかもしれない。
 だけれど、美也子は自分の口で別れを告げることを望んだ。
 相手のことを考えていないかもしれない。
 自分の気持ちだけを考えての言葉かもしれない。
「だけど、私はお母さんと最後に話せて良かったと思う。
 もしも、お母さんが意識を取り戻すことなく、逝っちゃったんなら、私はきっとお母さんの死を認めなかった…受け入れることが出来なかったと思う。きっと、どこかで生きているってかってに思いこんで、お母さんの死をなかったことにしたかもしれない。
 ねぇ…ナル、ナルなら判るでしょ?」
 ナルは麻衣の問いに答えない。
 ただ、表情を何も映さない闇色の双眸で、麻衣を見る。
 真砂子も、安原も、リンも一言も口を開かない。開けないでいた。
 自分たちは最も親しい人間を亡くしたことがあるわけではない。確かに、死という物を身近に感じてはいるが、二人のように切実な問題として感じたことはないため、言うべき言葉を見つけられなかった。
「僕たちが何を言ってもやるのか?」
「うん――約束したし、出来れば心残りを残さず逝って欲しいから」
 麻衣は真剣な目でナルを見る。
 ナルは、諦めと取れる息を吐くと、麻衣の額を指で弾く。
「無理はしないこと。
 次に倒れるようなことがあるなら容赦なく除霊を行う」
 ナルの言葉に麻衣は漸く笑みを浮かべ、強く頷き返す。
「もう、倒れるなんて失態起こさないもん」
 まだ、だるさは取れず体の中に凝っているが、彼らに話したことで精神的負担が和らいだのだろう。先ほどよりも気分が楽になった気がする。
 ようやく、頬に赤みが差した麻衣を見てナル達も僅かに安堵したのだった。





 しかし、ナルはやはり了承すべきじゃなかったとすぐに後悔するのだが。

 




☆☆☆ 作者の戯言 ☆☆☆
 保存かけた瞬間、強制終了・・・・良かった。保存かけた後で(笑)
 今回はデーター消えてないから、魔王様の呪いではないみたい。だけど、確実に起こるであろう話を模索中・・・ああ・・・いったい、どんな災いが降りて来るであろうか?
 パソコン、いつでも買い換えてもいいように次を検討しておこ〜〜〜っと(笑)お金に余裕があるなら、VAIOがいいなぁ・・・高いけれど・・・・
 話には全然関係のないことばっか(笑)
 

 

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